人生の問題に直面していて、ぴったりのときに、ちょうどぴったりの本を手に入れ、ぴったりのページを開き、まさにぴったりの答えを得たとすれば、それは偶然だと思いますか?
おおぜいの人が同じ本を読むとき、本当にみんな同じものを読むのでしょうか?
そもそも読者に詩人を理解する義務があるのでしょうか、あるいは詩人に読者が理解できるように書く義務があるのでしょうか?
小説でカフカが言わんとすることが、評論家がその小説を解釈して述べることであるとすれば、なぜカフカはそれをはじめから書かなかったのでしょうか?
本に登場する人物は、その本が読まれないとき、なにをしているのでしょうか?
エンデのメモ箱 愛読者への四十四の問い
わたしはやたらめったら本を乱読します。なので、ブログ記事には本(マンガ含む)の紹介・引用も多いです。好きな分野は軍事・経済です。でも、スピリチュアル好きはそういうの好まない感じの人が多いので、できるだけスピ好きの人も楽しめそうな本に絞って紹介してますよ!
基本、本は専門書やノンフィクションが好きで、小説(フィクション)は好みません。
わたしの本の好みがなぜそうなっているかはなぜ私は小説を嫌い、マンガではBLを読むのかをご覧ください。

なぜ私は小説を嫌い、マンガではBLを読むのか
私は今、サガプリヤ・デロングの「あなたの内の男と女」を読んで男性性と女性性フィーバー中です。そのフィーバーっぷりは男性性と女性性タグの記事をご覧いただければ一目瞭然だと思います。 なぜこんなにドンドコドンドコフィーバー…
あなたと本の間に、素敵なシンクロニシティがありますように……♪