タオイストの静寂の訓練~心をゆったりする方法

訳者(Nozomi)注:これは Taoist Stillness Practices: Slowing the Whirly-gig of Mind by Tom Kenyonの日本語訳です。
トム・ケニオンのチャネリングメッセージについては著書ハトホルの書―アセンションした文明からのメッセージ―ハトホルからのメッセージをご覧ください。


子供のころ、低圧タイヤのついたピカピカしたグレイッシュブルーのシュウィン自転車を持っていました。周りでは、タイヤが音を立てるように車輪にトランプをつけることがめちゃくちゃカッコイイという風潮がありました。
青臭い仲間たちに認めてもらいたくて、全部の束を輝ける宝物に飾りました。そう…全部! 母から色んな洗濯ばさみを借りて、あらゆるスペースにカードを付けました。結果、近所を乗り回すとき、爆竹が暴発したような耳障りな音がしました。
あげくのはてに、ハンドルへ二つの風車をつけました。一つは右、一つは左に、粘着テープでくっつけました。その当時でさえ、左右対称であることの均衡を求めていました。

収まりの悪いかざぐるまは、木の釘の上によく置かれている、プラスティックで作られている実に普通の風車でした。
かざぐるまは簡単に回りました。風が吹けば吹くほど、速くクルクルと回りました。このクルクル回る風車に、私は魅了されました。ある日、風車を見ているのに夢中になりすぎて、歩道からはみ出て、さびれたところへ来てしまったのに気づきませんでした。気がついたときには、地面に寝ていました。木に正面衝突してしまったのです。風車は曲がり、自転車の前面も曲がりました。私は貴重な教訓を得ました。「自分のやっていることに注意を払え」

時間が経つにつれて、自転車と風車の両立はあきらめましたが、 それらへの興味は失いませんでした。ついでに言えば、自転車とバルーンタイヤへも。

大人になった今、自転車のハンドルに風車を付けているのに見入ったりはしません。代わりに、心の内側で風車が回るのを見ます。変な比喩を使いやがってと思われるかもしれませんが、思考や感情とは風車と非常に似ていると、私は思うのです。風車は簡単に回ります。頭の中で思考や感情がグルグル巡りはじめるのも簡単です。心の風車は、時には素敵に優しく回ります。時には非常に速く回り、制御を失うかのようです。

心の風車というのは奇妙なものです。回りはじめたら、自分独自のものとして思考と感情が起こるのだと見なします。もし心の風車が気持ちよく回れば、楽しい考えが起こり、私たちを包みます。幸福とか充実とか表現される状態です。しかしながら、風車が不幸な方向に回れば、ネガティブな考えや感情におそわれ、やっつけられます。調子が狂った状態です。

ほとんどの人が、二つの極端な貪欲の間で (自分が望むことのために)動揺し、日常的に(望まないことを)避けています。心の風車は、その性質がゆえにいつも回っています。言い換えるなら、常に動いているのです。思考と感情はいつも心の動きから生じています。そして何千年も前に、世界を通じて古代の賢人は、心の動きの源とは肉体の内側の精妙なエネルギーの流れであるということを発見しました。チベット人はこれをルン(風)と呼びます。ヨガ修験者はプラーナと呼び、タオイスト(道教信者)は気と呼びます。

それなりに この錬金術的システムは、思考と感情の経験を基にして精妙な経路を調整します。きわめて明確に精妙なエネルギーの動きを示し、流れを変性させる方法を発達させてきました。その結果が、心とその産物(思考と感情)へ直接影響を与えられる内なる技術です。

世界の多様な錬金術の伝統をざっと見れば、心とその産物による態度に明らかな類似点があるのがわかるでしょう。事実上、すべてのシステムは心を無にする方法を教えているのですから。内なる静寂を重要視する理由は、心(意識)が目覚めるのは静寂の中だけであるからです。気づくまでは、精神的な経験の風車にとりつかれていました。思考と感情なんて雲のように来ては去るだけだということを気づかねば、私たちは思考と感情に同一化してしまいます。思考と感情なんて、短命で、実体がないものです。そう、雲のように。

心(風車)と同一化してしまうことを超越すると、純粋な意識としての、本当の自分に気づきはじめます。生来の意識の浄化が気づきの中で起こる時、この世界の幻想から目覚めはじめるのです。ありのままの自分が、常に、永久に自由なのだとわかりはじめます。ただシンプルに、心が揺れ動くことに執着している自分から目覚めるのです。

そして、 実践的な質問が沸き起こります。
「どうやったら自分の偉大なる真の自我を目覚めさせられるのか?」

とある自己覚醒のための方法は、古代中国のタオイストによって作られました。他の文明での錬金術師のように、タオイストは意識の内なる経路と精神への影響を発見しました。

道教の錬金術を理解するためには、気と呼ばれる目に見えない力を理解できるようにならねばなりません。全世界を創造する道教の計り知れない神秘から、でもさわることはできない、生命力(気)の永久なる流れがあるのです。

多様な種類の気があります。例えば、流れから作られる気からは質的にずいぶんと違うのですが、星や準星から流れる生命力があります。多くの人が気について考えるとき、大抵は空気の中にある精妙な生命力のことを思い浮かべるでしょう。この種の気は、都市から離れた自然の中に最も濃縮されています。この種の生命力は成木の多いエリアや湖、川、小川で最も強くなります。同様に、大洋のような水の大きな塊の部分でも大きくなります。ある人はこのタイプの気をマイナスイオンと関係があると推測しており、そうだという証拠もあります。しかし、別のより精妙な、より洗練されたタイプの気もあります。こういった気が、タオイストの錬金術を進化させた力の一つです。

伝統的に、タオイストの賢人は自然に住む隠者として 長い時間を過ごしました。錬金術の研究のために、男性か女性のグループのコミュニティを作ったのです。たいていは、そういったコミュニティは都市からはるかに離れていました。彼らは普段気が特に強い土地、しばしば龍点として示される地区に住んだのです。

龍点とは、気の一つの形が他と出会って集合する土地です。龍点がもっとも顕著に見られるのは、山脈です。二つの分水嶺が合流するとき、山々のある部分を流れ落ちる溝や峡谷があります。神々しい気(天空に生ずるタイプの気)が下へ流れるとき、尾根の間の地点で山の地上の気が出会います。これが龍点です。

二つの川や小川が合流するところで、気の増大が探知できます。これも龍点です。タオイストの賢人は、こういった土地を探し、龍点そのものやその近所に庵を構えたでしょう。実践に利用できる豊富な気があることで、錬金術をやりやすくしたのです。

思考、時間そして呼吸 – Thought, Time and Breath

別の形の 内なる錬金術と同様に、タオイストの実践者は長い間心を静寂に保つ訓練をせねばなりません。タオ(道)は無の中でのみ経験しうるものであるがゆえに、心の静止はきわめて重要です。タオイストの錬金術の多くの変容も同じく、静寂を必要とします。

静寂の訓練をするための講習がたくさんあります。太極拳などの動きを伴うものや、座っての瞑想、ここでご紹介しようと思っている天の門等です。

これらの静寂の訓練は、 やがて深い静穏の状態へと心を導きます。実際の実践では、特にはじめは、気持ちが動揺するかもしれません。思考が来ては去り、時には激流になり、時にはちょろちょろ流れます。ついに、実践者は思考のスピードが落ちていく感じがすることに気づきます。手短に言うなら、思考の間により多くの空白があったり、ある時には完全に停止しているように感じます。

実践者は、静寂の状態の間には呼吸が変化することにも気づきます。 思考がゆっくりになると、呼吸もゆっくりになるという傾向があるのです。思考が停止したとき、呼吸も止まるか非常に浅いものになります。いくつかの理由から、このことは重要です。

神経学的な視点から、呼吸が自然と遅くなっていくのは、実践者の脳波がアルファかシータ派の低めの状態にあるからだと言えましょう。ちなみに、瞑想の研究において、これらの状態ではストレスを減らすために非常に効果的な現象、筋緊張や心拍数、血圧や呼吸数の減少が見られると言われています。実際、研究ではこういった効果を作り出すタオイストの静寂の訓練のような瞑想を実践している人が、瞑想をしない比較対象群と比べて通常ストレスが少ないということを示しています。

数年前、たそがれ時の一時間くらい前に、公園で天の門(天国の門としても知られる)と言われる静寂の訓練をやりました。たそがれが私を包んでも、私はまだ訓練を続けており、呼吸が止まったことに気づきました。これだけではなく、思考も停止してしまったかのようでした。心は澄み、平静な湖に面しているかのように落ち着いていました。しかし、この時もっとも印象的だったのは、時が止まったかのように感じたことです。時間の無い次元に心が漂っていました。

暗くなってきたので、車に戻るために歩きだそうと決めました。 20分かそこらの旅でした。車へ戻りたいという気持ちが、体の内側深くからわきあがってきたかのように感じたことに気づいたのです「さあ、車へ戻らなくてはならないぞ」とは思いませんでした。この心がしゃべらないという状態は、その頃の私にとっては奇妙に面白い感じがしました。車へ戻る小道が丘陵地帯を越えるものであるにもかかわらず、散歩の間に呼吸が非常にゆっくりになったと気づいたのです。あの時間の無い感覚はまだ非常に強く、苦もなく丘を越えていけそうな気がしました。

皮肉にも、駐車場で車を見つけたときに、その晩に予定があったことを思い出し、自然と深い息をしました。呼吸は通常に戻り、無時間の感覚は消えました。しっかりと時間の中に戻ったのです。

時間がないという感覚と呼吸の停止は、魅惑的な関係にあります。タオイストの瞑想の実践において、心が無になった状態になった時に呼吸の停止はよく起こることです。

心理神経免疫学、どのように思考や感情が免疫に影響を及ぼすのかという領域で働いている精神療法士であるからこそ、時間の矛盾はより魅力的だとすら思います。

臨床研究は、心停止が体と心の相互作用について興味深い症例を示したがゆえに、救急処置室でも認められました。治療中、これらの患者は時間の感覚についての質問を受けました。その回答に基づいて、研究者はどういう人が回復し、どういう人は心臓発作を再発させて死んでしまうのかを推測できました。自分を回復させるための処置を信頼し、すべきことをなす時間は十分にあると感じていると報告した患者は回復し、二回目の心臓発作を防ぐ可能性が高いとされました。しかし、すべきことがたくさんあっても全然できないとプレッシャーを感じていたり、もう時間切れだと思っている患者は決まって、二度目の心停止によって死ぬ可能性が高かったのです。

タオイストの賢人にとっては、この世界でサプライズとして起こることは何もありません。道教(タオイズム)の視点からすると、時間に追われる今の現代社会は、健康の達成や魂の研鑽両方を妨害しています。私たちは時間に追われた心を、定期的に静穏へと連れ出す必要があります。さもなくば、現代の状況によって不健康な影響をこうむってしまうでしょう。

私はタオイストの静寂の訓練の簡単なやり方を、何千とは行かないまでももう何百という人へ教えています。みんな、早く簡単に入っていける瞑想法だと深く感謝してくれています。考えすぎ(頭の中での独り言)のせいで一度も瞑想がうまくいかなかった人が、この方法ではとりわけ上手くいったと言うのです。思考は、この訓練の邪魔にはならないからです。

天の門の瞑想 – The Celestial Gate Meditation

天の門の瞑想は、龍点を基礎としています。前述しましたが、龍点とは気が別の気と合流する地点です。

人体の中にいくつかの龍点があります。天の門とは、シンプルにこれらのうちの一つです。天空の気(非常に精妙な形態の気)が体内へと流れ、地上の気である肉体の気と出会う地点で起こります。したがって、この場所はエネルギー的にみなぎっており、タオイストの賢人は、はるか昔にこれをどうやって利用するかを発見したのです。

楽な姿勢で座って、目を閉じてください。もしそっちのほうがいいなら、横たわってもいいです。でも、寝やすい人にはお勧めしません。少しの間、ただ呼吸に意識を向けてください。呼吸を変えようとしないでください。ただ眺めるのです。呼吸のリズムと深さに注意を向けてください。その後、鼻梁の後ろ約1インチ(約2.5センチ)の場所へ意識を向けてください。この領域に約1インチ(約2.5センチ)の正方形があると創造してください。これが天の門です。あなたがすべきは、ここへ焦点を当てるだけです。

そこに集中してはなりません。ただ、それを感じるだけです。考えたり想像したりしても、別に問題ありません。あるがままにさせておいてください。ただ、意識のうちのいくらかを四角形の門へと向けておけばいいのです。望むこと何でも考えていいのです。意識のうちいくらかをその天の門(四角形)へ向けておく限り訓練になっています。

門に意識を当て続けているとき、思考はやがてゆっくりになっていくのに気づくでしょう。しばらくすると、考えごとや想像の間に空白の時間ができてきます。そしてやがては、一時的にではあるけれど、完全に止まってしまうのです。それこそが、呼吸が止まるか非常にゆっくりになったように思う瞬間です。これは実際に当たり前のことで、深い静寂の状態にいることを示すサインなのです。タオ(道)が指し示す呼吸と思考のない深い静止状態にいるのです。

普通は約5分間行えば、この訓練が意識をどのように変性するのかが明確に感じられるでしょう。初心者は心の静まった光の状態へ落ち着くために、通常数分間やるのがいいでしょう。でも数分間以上行えば、心が深くリラックスした状態にいることがよりわかるでしょう。

研究はこのような静寂の訓練を教えてくれ、ストレスのネガティブな影響を中和するのに非常に効果的です。1日1回か2回、たった20分間で幸福な状態いられるという大いなる変化をもたらすでしょう。

この瞑想があまりにも簡単だからって、馬鹿にしないでください。やがてはタオ(道)そのものへ通ずる経験へと導く、深遠なる静寂の訓練なのですから。徐々に静寂の時間を長くしていってください。深い静寂に、精通して慣れていくことでしょう。

タオイズム(道教)では、もっとも深い秘密がタオ(道)そのものに示されます。それについて書くことは禁じられているため、本の中に深い錬金術的真実を見つけることはできません。ゆえに、天の門のような瞑想は宇宙の鍵です。ちゃんと何度も訓練するならば、内なる知覚のドアを開けてくれるのです。

けれど、自分で鍵を開けねばなりません。自分は変われるかもなどと期待しないことです。タオの神秘を自ら体験したいと望むなら、そういう本を読まないことです。鍵を開けて、ドアを通り抜けましょう。

© Tom Kenyon All Rights Reserved

訳者(Nozomi)注
トムは「全てのメッセージを含み、どんな改変も無く、売買することなく、著作権表示をしてくれる限り、あなたが望むならどんな形式でもこのメッセージの複製および配布を許可します」と表明しています。
よって、この翻訳もそれに準じます。

新・ハトホルの書 ― アセンションした文明からのメッセージ
トム・ケニオン
ナチュラルスピリット (2014-01-08)
タイトルとURLをコピーしました