スピリチュアルな法則で重要なものに「自分の内側が現実を決める」というものがあります。
「本当にそのとおりだ!」と実感した出来事がありました。
イヤな人は切ればそれでいい?
私は親と没交渉になってから、それなりの時間が経ちました。
今でも「親と縁を切ったのは間違いではなかった」と確信しています。いえ、むしろ、時間が経てば経つほどに「縁を切って本当に良かった」と思うようになっています。
ですが、「親と縁を切ればそれでいい」というわけではない現実にもブチ当たりました。
要するに、親と縁を切ったからって「それまで無意識に刷り込まれていたパターン」が解消されるわけではないのです。
自分の現実を決めるのは、他人ではなく、常に自分の内側なのです。
私は親と縁を切った後も、なぜか「意地悪な年上の女性」に悩まされました。
はじめは優しいのに、付き合っていくと私に対してドンドン意地悪になっていくのです!
ある日
「Aさんて、本当に意地悪ですね」と言ったら
「あなたが意地悪してほしそうだから、してあげてるのよ!」と言われました。
意味がわかりません。明らかにおかしい。
「何でこんな意地悪な人と縁があるのだろう? なぜ??」
と自分の内側を探って、ようやくわかりました。
「そうか、これは母との関係の焼き直しだ!」と。
要するに、私は母に対して「犠牲者になりすぎる」「卑屈になりすぎる」「相手の要求を素直に聞きすぎる」という課題をクリアしていませんでした。
「自尊心を持って、目上の人に対しても自分の気持ちをハッキリ主張する」「親しき仲にも礼儀あり!譲れないところは譲らない」という課題がクリアできていなかったのです。
だから、母と縁を切っても、母を彷彿とさせる意地の悪い年上の女性とばかり縁ができていたわけです。
もちろん、親と縁を切ったこと自体は間違いだとは思っていません。
でも、いやな人と縁を切ったからって、すべてが解決するわけではない。嫌な人によって傷つけられた心は、安全な場所に避難してから、ケアしなくてはならない。
そうしなければ、結局「元と同じような状況」が作り出されるだけなのです。
大切なことは、常に自分の中に
私たちはついつい、「あの人さえいなくなれば」とか「環境さえ変われば」とか「仕事さえ変われば」なんて言い訳をしがちです。
確かに、危険なくらい追い詰められているならば状況や環境、人を変えるのもアリです。
それは応急処置になります。
でも、応急処置は応急処置に過ぎない。
根本的な治療、解決にはならないのです。
応急処置をした後は、根本的な治療に取り掛からねばならないのです。
常に、現実は自分の内面の反映です。
幸せになりたいなら、愛ある現実を望むなら、まずは自分の内側を癒すこと。
自分の内側を愛し、満たすことです。