感情のガン

訳者(Nozomi)注:これは Emotional Cancer by Tom Kenyonの日本語訳です。
トム・ケニオンのチャネリングメッセージについては著書ハトホルの書―アセンションした文明からのメッセージ―ハトホルからのメッセージをご覧ください。


数年前のアラスカ、アンカレッジでのトレーニング中に、この考えがふっと浮かびました。

私は精神を癒すために、音がどのように感情をときほぐせるのかを教えていました。
一人の女性、ローズと呼びましょう、ローズがこのテクニックのセッションモニターを申し出てくれました。
デモンストレーションの一部として、ローズに不快に感じる体の部分に焦点を当ててくださいとお願いしました。感情は、たびたび体の特定の部分にとどまることがあるという考えの元にです。

彼女は、腎臓がひりひりして痛いと言いました。
ローズは前に、患っていた腎不全のため病院を出たばかりだと教えてくれました。容易に想像がつきますが、非常に恐ろしく厳しい試練でした。
彼女は今も透析をしており、腎臓移植の待機者名簿に名前があります。

腎臓へ自分の意識を向けてはく息と共に音を出す方法を、私は指導しました。音が腎臓から実際に出てくるのを想像して、はく息と共に深くリラックスしながら自分の音を聴くように伝えました。

この方法は、なんだか奇妙なやり方だと思われるかもしれないけれど、ただ考えるのと同じくらい非常に簡単にできることです。すぐに彼女も、弱いうめき声をあげはじめました。
そのあと、音は変わりました。はじめは幼児か小さな子供のような音で、あとには苦しみの中にいる子供の絶望な叫びになりました。
40代の成熟した女性がおびえた小さな少女のように叫ぶのを見て、部屋にいた人全てが強烈なそのひと時に引き付けられました。

やがて叫びは消えていき、また弱いうめき声に変わりました。後ろに手を伸ばし、彼女は腎臓のある背中の下の部分に触りました。ローズは目を開けました。

信じられないといった様子で、彼女は私を見ました。
「痛みがなくなりました」
彼女は言いました。
「痛みがなくなりました!」

私は、セッション中に起こった内なる体験を教えてくれないかと頼みました。
彼女は2歳くらいの頃に戻ったといいました。子供時代に見覚えのあった高い椅子に座っていました。声は腎臓に隠されたエネルギーを解きほぐし、精神は過去の時間に放り出され、子供時代の記憶へと戻されました。
幼少の頃、母親は恋人と暮らしていました。母は働きに行き、恋人はローズの面倒を見ることになりました。
しかし、恋人は明らかにローズがなつかないことに怒っていました。
ローズのごく真っ当な反応のあてつけに、彼は食べ物を彼女に投げつけました。彼女はおびやかされ、それがデモンストレーション中に再体験した恐怖だったのです。
どういうわけか、肉体の腎臓は幼少期の恐れの記憶と声の表出から良くなったのです。

デモンストレーション後のクラスの議論で、ある人が胃がんで兄弟を亡くしたことに触れました。
不思議なことに、その人の父親が子供の頃の彼に非常に虐待的でした。酔っ払ったり怒ったりした時はいつでも、お前はクズだとののしりながら、息子の胃を殴ったり蹴ったりしていたのです。

ローズの体験が「アハ体験」の引き金を引き、兄弟をなくした女性は涙ながらに語りました。
自分の父親の怒りが、兄弟のおなかへ何度も打ち込まれた様子を見ていたのです。

彼女にとって、このことがガンと早すぎる兄弟の死を説明していました。

器官が感情をためこむという概念は西洋の心理学者、ヴィルヘルム・ライヒにより提言されました。
しかし、それよりもはるか昔に、鍼療法の古代技術に実際その概念はありました。中国人は何千年も前に精妙なエネルギー医療の体系を編み出し、その主たる概念の一つは、感情に注目しています。
鍼療法の理論によると、異なる器官は違うタイプの感情をためこむ傾向にあります。
例えば、肺は深い悲しみや嘆き、腎臓は恐れをためこむ傾向にあります。

この女性の子供時代の恐れの経験が腎臓の(気と呼ばれる)エネルギーを弱らせ、後の人生で腎不全になるよう仕向けたのでしょうか? それともこの二つは関係ない?
しかし、直接的に関係するにしろしないにしろ、痛みの再体験と恐れの有声音化が、肉体の腎臓から痛みの感覚と不快感を減少させるというのは興味深いことでした。

私は、新しい光の中で感情的痛みと健康への関係に気づきはじめました。
さて、90年代初頭に戻って、西洋医学は感情と健康の直接的関係を認めていませんでした(多くの部分では、今も認めていません)。

率直に言うと、多くの原因はお金と関係していると思います。西洋医学は薬剤的にだんだん経営本位になってきています。製薬企業大手は、利益をもたらさない研究事業に出資することに興味がありません。

医学に対して製薬企業が一枚岩であるにもかかわらず、新しい研究分野が確立されつつあります。
それは精神神経免疫学、精神が健康へどのように影響するかという研究です。
90年代初頭に戻り、この駆け出しの医療分野は精神免疫学と呼ばれていました。この単語は、長く発音しづらくなったわけです。この分野が今ではもっと尊重された証だと、私は思っています。

しかしどのように呼ぶにしろ、この医療分野は感情生活と健康の非常に明らかなつながりを示してくれます。

神経学と心理学の科学者が、人類生物学の未開の分野を探検するために仲間となったとき、面白い形が現れます。

最も明確になることの一つは、ガンに関してです。
ご存知のとおり、ガンは工業先進国で蔓延しています。
食物や空気、水の有害な汚染の増加が原因と示す研究が芽を出しつつあります。
しかし、このことで何かしてもらうために、ワシントンの大物や州議会あてにしてはなりません。
金は政界で話されるようなことの全てであり、ただちに空気や水を浄化することに多大なる利潤があるようには見えないからです。

私は現在のアメリカ石油会社、ああいや、アメリカの石油統治行政が、数十の環境保護の努力を一夜にして実質的に無駄にしてきたことを実に興味深いと思っています。

けれど、閑話休題。これは政治声明のつもりではないのです。
それでもなお、社会的で政治的な事柄から公衆衛生は完全に分離はできません。取るに足らない小細工にもかかわらず、政治的指導者は公衆衛生と環境が密に結びついている現実を変えられません。

外的環境の質が健康状態に重くのしかかる一方で、私が論じたい別の形の環境があります。

見えないけれど、感じられる。感情環境です。
社会を見ている精神療法士として、私はミュージカル「The Music Man」からこの節を思い出します。
「川の町に心配事がある」(訳注:「困ったことがある」ということの誇張表現。参考The Music Man “Ya Got Trouble”

私はそれを感情のガンと呼びます。一般のガンのように、命にもかかわります。最低でも、適切な人生の選択ができなくなるように個人を心理的に無力にできます。
もっと攻撃的な形では、肉体の病へ導き細胞生理を実際に崩壊させられます。

皮肉にも、私はスピリチュアルな共同体で、哲学的な宗教的な信仰にもかかわらず、このタイプの感情のガンが頻繁に見られることを発見しました。
このため、私は少しだけこのことをお伝えしたいのです。
しかし、まずは、適切に背景の事情を押さえたいと思います。

危険な瞑想 – Dangerous Meditations

ニューメキシコ州サンタフェに住む友人が、2~3年前に地元の健康食品店で、うつ病のためのハーブとホメオパシー療法の講習に参加しました。
当時、彼は自分自身に失望していたけれど、参加者にたくさんの人を見てびっくりしました。その場は満員でした。彼の判断によると、これら参加者の約90%はある種のスピリチュアルな伝統に基づく瞑想を実践していました。そして半分以上が、仏教に帰依していたのです!

さて、あなたについてはどうかわかりませんが、私の本の中では、それでは何かが間違っています。聖域をこき下ろそうとするからには、私が何をいわんとしているのかハッキリさせてください。

一個人として、私は瞑想者です。実際、40年以上の間さまざまな形の瞑想を実践してきました。
そして、仏教徒でもあります。そう、実際に新手の異教のチベット仏教徒で、たまには道教信者です。
しかし、ここではそのことについて深くはふれません。「私は仏教の根源的な洞察が、意識と呼んでいる神秘を的確に描写していると信じている」とだけ、申し上げておきます。

そして、私が不愉快に思っているのは、仏教に対してや一般的な瞑想に対してではなく、むしろどのように実践されていたかという方法に対してです。
自分の精神の本質を洞察することに慣れてきたとき、計り知れない恩恵を得ることができます。
しかし、感情的な真理を拒絶し慣れてきたとき、自我崩壊に陥ります。あなたが何度五体投地をしてきたか、どのくらい輝きが増してきたか、どれだけ長くケツの上に座って黙想してきたかはどうでもいいのです。
この種の瞑想は、光明へとは導きません。

講習のホールが瞑想実践者であふれかえっていた理由は、彼らが瞑想を麻薬として使っていたからだと思います。

感情的苦痛から逃避する手段に、瞑想状態が使えることを彼らは発見したのです。今や、この罠にはまり込んだほとんどの瞑想者が、感情的苦痛から必然的に逃避しているのだということを気づけずにいます。
そういう瞑想者は、瞑想する時間を取れないならオチると知っているだけです。
瞑想がもたらす精神のイメージを楽しむ一つの手段にすぎません。いい気分になるため、瞑想に依存しているのです。

この類の擬似瞑想は、感情的苦痛を(一時)鈍らせたり減らしたりする精神上の鎮静効果をもたらします。脳でセロトニン量を変えることで、そうなります。要するに、ラリるのです。
脳は熟練薬剤師であり、最大手製薬会社ですらゴミだめに退場させます。

脳は無数の精神作用のある物質を作り出し、いったん方法がわかればいともたやすくラリることができます。瞑想をする多くの人が実際にラリっています。
ハイになること自体には、何の問題もありません。いいですか、特にその人独自の神経系によってハイになるときなら。
これは精神の神秘を洞察することではありません。単純に、自分で作り出したサムサーラのハイに浮かんでいるのです。

サムサーラという単語を聞き慣れない人のために解説しますと、これはサンスクリット語の単語で、輪廻、幻想の世界のことです。
現実ではないことが、仏教ではサムサーラと呼ばれています。
そしてこの状態において私が示しているのは、瞑想でラリる経験とはサムサーラ的だったり至福の錯覚だったりするということです。
それは、リアルじゃない。自分で作り出したものです。

さて、難儀なことになってきました。
意識の本質とは、無上の喜び(サンスクリット語ではアーナンダ)であります。しかし、この種の至福はそういう瞑想者の経験する麻薬のようなハイと同じではないのです。
ボーディチッダ(菩提心)の至福は、広大で疑いなく今に存在するという特色があります。何の逃避もありません。自分自身の全ての側面は、感情も含め、今にあります。

逃避的瞑想(私が作った用語です)で、ある人は感情的苦痛の経験を逃避するために脳内麻薬を使います。
こういう瞑想は一つも、真の価値あるものを生み出さないでしょう。
それはただ、自分自身の真の経験から逃避する手助けに過ぎません。

痛みを避けようとするのは、自然なことです。全ての生体器官は、先天的にそういう傾向があります。
しかし、感情的苦痛や不快に気づくことから逃避するとき、我々は自己覚醒の光を曇らせます。
スピリチュアルな道にいる人全員にとって、これは呪いなのです。

逃避的瞑想は、例えずる賢かったとしても、自分の感覚から逃げるための確かな一つの方法です。
「スピリチュアルな人」の間で、自分の感覚から逃げるための他の一般的な方法は、他者への奉仕をすることです。

自己洞察から逃げるための他者への奉仕 – Serving Others to Avoid Self-awareness

この記事で聖域をこき下ろすつもりだとお話しました。なのでもう一度、主旨をハッキリとさせてください。
私は他者への奉仕が、間違っているとか悪いことだとは申しません。実際、スピリチュアルな道において重要なことだと思っています。人類愛(フィロス)そのものを表現する、聖なる愛(アガペー)の形でもあります。
多くの秘儀や神秘の伝統によると、(もしお望みならば神とも呼べる)全ての源は、我々人類の活動を通してのみ、その愛を表現できるのだとされます。
従って、私たちは神聖なるものにとって、なくてはならないものなのです。我々なしで、世界に無限の愛は表れないのです。

けれど、スピリチュアルな道にいる多くの人に、他者への世話焼きが自分の痛みや必要なことの気づきから逃避する手段になってしまっています。
策略は、隠れた課題にほとんどか全く気づくことなく、大体無意識に行われます。
しかし、他者の要求に集中することで、私たちはたやすく自分を見失い、まだ見ぬ自分の要求に気づくことから逃避します。

百聞は一見にしかずといわれます。なので、一つ具体例を。
数人の友人に、パワフルなヒーラーと言われる人のことです。彼女は世界的に有名なヒーラーで、彼女に会うために誇張なしで世界中から人が訪れました。
彼女は多くの人を癒したにもかかわらず、自分自身は病んでいました。たくさんの説明のつかない消耗を経験しているのに、健康診断では異常なしと出ました。

病んでるヒーラー – The Wounded Healer

私に衝撃だったことの一つ目は、彼女の態度でした。
彼女は見るからに高潔な素晴らしい力と鋭い洞察力を持ったパワフルな女性でした。この「こと」を自分自身で癒せていないことで、ストレスをためてもいました。

彼女は、私に会うようにという友達の勧めに抵抗していました。しかし、ある出来事が、そうしてみる気にさせました。
当時、彼女は数ある消耗と疲労の出来事の一つに見舞われていました。
その夜遅く、ある人が彼女を訪ねてきました。その人は彼女に会うためにとても遠くから旅してきて、その人の伴侶は末期疾患であると診断されていました。
自分自身が消耗しているにもかかわらず、リリー(仮名)は夜の間中、次の日までその人を癒しました。

事態は好転し、その人は奇跡的に助かりました。
感謝に満ちた三人の訪問者は、深い謝意と共にこの非凡なヒーラーの元を去りました。
リリーはエネルギー的に限界であったにもかかわらず、魂の要望に奉仕できたことに満足しました。

そして、そのあと「壁」にぶち当たりました。
今までセッションで尽くしすぎたことのあるヒーラーはみんな、この「壁」を知っています。神経系に影響するエネルギー的なブロックです。
彼女の肉体は痛んでいました。弱って発熱していました。
二日間、弱りすぎて食事すら摂れずベッドから出られない世界で過ごしました。
この内なる旅の間、自分自身との出会いを果たしました。
もし自分がワークする方法を何か変えなければ、人類への奉仕が自分自身を結局殺すことになるかもしれないと知りました。

この明白なる真理の肝は、リリーが「嫌だ」と言うことを知らなかったことです。
自分を訪れる人は全て「精霊によって送られた人」であり、その人たちとワークしたほうがよいのだと感じていました。
昼であろうと、夜であろうと、おかまいなしに。
そして、こういう他人の気持ちは自分の子供の気持ちにすら先んじて優先されました。リリーの子供はこういう仕事のしかたに不満を言ったのに、彼女はただの思春期のイライラだろうと流してしまいました。

私はリリーに、子供時代はどんな感じだったかたずねました。
「それに何の関係があるんですか」と彼女は聞き返しました。
過去に対して考えすぎであると、セラピストを疑いました。

「妙なことをいっているのは十分承知ですが、私は子供時代の問題がたびたび後の人生に違った形で出てくるのを見ているのです」

「私はうんざりするほど、その手のことはやってきてるんですけど」
と彼女は言いました。

「まあ、ちょっと私の顔も立ててくださいよ」
と私は言い返しました。
「そんなたくさんの時間は割かないとお約束しますよ。私はただ、おおまかな家族の情報が必要なだけなんです」

リリーは自分が9歳のときに母を亡くしたことを、非常に事務的に話しはじめました。
7人きょうだいの一番上で、すぐに弟や妹たちの母親役を務めるようになりました。
弟妹が病気になったときは、夜じゅう看病して過ごしました。そのときに、自分のヒーリング能力を発見したのです。どうして起こるのかわかりませんでしたが、病んでいる人に手を当てると、その人はよくなるのです。

「じゃあリリー、お母さんの死に罪悪感を感じますか?」

「どういう意味です」
彼女は挑戦的な声色で質問してきました。

「うーん、お母さんの死後ヒーリング能力を見つけたなら、もっと早くに気づいていなかったからお母さんを癒せなかったんだと後悔したかもしれないなと、思ったのですよ」

「でも、母が死んだとき9歳でしたよ!」
リリーの声には、明らかな苦悩がにじみました。

「わかってますよ。そして、何もできなかったこともね」
私は「何もできなかった」という言葉をためらいながら言いました。

リリーはすすり泣き始めました。三十数年間抑圧された悲しみと嘆きからの、大いなる解放が起きはじめました。

数分後、さらに彼女は話し始めました。
リリーが無意識の悲しみと母をめぐる喪失に、追い詰められていたことが明らかになってきました。
なぜなら、認めたり気づいたりしていなかったので、彼女はヒーリングを受けに来る人へと、こういう感情的苦痛を投影していたのです。

リリーは、人の面倒を見慣れていました。なんといっても、小さな頃からそうでしたから。
そして、そうすることが得意になりました。リリーが何百もの人を助けてきたことに、疑問はありませんでした。

しかし、彼女は自分を粗末にしていました。
他者の要求に集中しすぎることで、自分が必要としているものを、休息時間を取るというような簡単な要求すら、見失ってしまったのです。

この状況は、リリーの計り知れない霊的発達により噴出させられました。
そう。妙に聞こえるかもしれませんが、霊的発達は必ずしも心理的な肉体的な健康をもたらすとは限らないのです。

彼女は他者への深遠なる哀れみの気持ちや、そういう人を助けたいという深く根ざした熱望がありました。
しかし、その人々の中に、自分自身が含まれていなかったのです。
もし誰かが苦しんでいたら、彼女の中では他人の気持ちのほうが自分の気持ちよりも、子供たちの気持ちでさえよりも、はるかに大切でした。

さて、統合された存在の世界で、これじゃ単純に上手くいきません。
動物であるヒトとして、満たされなくてはならない純然たる欲求というものがあります。もし満たされなかったら、肉体と精神、両方か一方に苦痛という代償を支払うことになるでしょう。

リリーは自分に必要な世話をしてきませんでした。そして、その代償を払っていたのです。感情のガンの、奴隷となっていたのです。

制御不可能になって細胞が増殖し始めるとき、ガンは起こります。
抑えられないと、やがて健康な細胞を殺し、宿主である人ですら殺します。

感情のガンは、非常に似た方法で作用します。
無意識の感情パターンの増殖です。
この場合、リリーのパターンは母の死にまつわる苦痛の感情から逃避するため他者の面倒を見ることでした。
問題は、彼女がヒーラーだということではありません。問題なのは、彼女が自分をセルフ・ネグレクトしていたことに、気づけなかったことです。

しかし感情のガンの支配下では、人の気持ちをさしおいて、自分の面倒を見る権利や許可がありませんでした。そうするのは「自分勝手」に見えたのです。
こればかりではなく、苦しんでいる人がいるのに自分を優先させると、母の死にまつわる未解決の感情に直面しかねませんでした。

犠牲の上にスピリチュアルな奉仕をするリリーの信念によって、全てのことがもっとややこしくなりました。
これは、長い長い間この世で私たちと共にある古くからの霊的テンプレです。そしてリリーも、霊性の一部として受け入れてしまったのです。
表向きには、自己犠牲は気高き行為な時もあるかもしれないと私は思います。しかし、無意識で慢性的な自己犠牲は、ただただ愚かです。

ヒーラーとしてのジレンマへ新しい洞察を統合する方法を探したとき、リリーは他者の気持ちに関する自分自身の気持ちについてもっと成熟した理解に達しなくてはなりませんでした。

もし、自分の気持ちを自身と世界への視点へ統合できなかったとしたら、感情的なガンはやがて彼女を死に至らしめたかもしれません。
さて、ここで一つ明らかになりました。感情パターンは直接的には殺しません。しかし、自己崩壊的な反応へと導きます。
リリーが休息を取りはじめなかったとしたら、燃え尽きてしまったか、最悪なんらかの疾患に冒されていたかもしれません。

あるケースでは、感情のガンは実際に肉体的なガンになります。
最近まで、感情が疾患へ変わるというメカニズムは理解されませんでした。しかし、キャンディス・パート博士の研究と神経ペプチドの概念を通して、この謎は説明されています。

現在の神経ペプチド理論によると、これら非常に活発な生化学的活性剤は、細胞の表面の細胞内受容領域に作用します。
パート博士によると、抑圧された感情は神経ペプチドによって体内に記録され、記憶は神経ペプチド受容体に蓄えられます。

身体志向のセラピストは長い間、肉体が記憶を所持するという所見を出してきました。そして、この種の記憶は何年も記憶されることがありうるのです。

私は数年前、専門訓練の間に催眠技術を実演したことを思い出します。
若い女性に昔へ戻るよう提案したとき、彼女は泣きはじめました。落ち着いてから、私は彼女に何が起こったのか質問しました。

彼女は7~8歳くらいに戻ったといいました。ソフトボールをしていて、バッドで顔を打たれてしまいました。父親はチームのコーチで、打たれたあとも泣かなかったことを思い出しました。父親は帰り道の途中、泣かない彼女を誇らしく思ったと話しました。

短時間の催眠状態の間、彼女はもう一度打たれたかのように肉体の痛みを再体験しました。
痛みは、思い出されたのではなく、そう、肉体的に経験されたのです!

これだけにとどまらず、父が女の子ではなく息子を望んでいたという気づきが彼女を抑圧しました。彼女は人生全般で、父の期待にこたえて生きようとしていたのです。

私はセラピーの実践中に、過去の苦痛を再体験した何百人もの人を見てきました。
そしてこの二十数年の所見に基づき、パート博士の理論や形態は、実にその通りであると言えるでしょう。

ほとんどの人が生化学や病気に潜むこのようなメカニズムに興味がない一方で、健康であることには興味があります。

有毒な感情が起こして、実際に病気へと変わると信じているので、私はこの記事で感情のガンと呼びました。
さて、ここでもう一度ハッキリさせてください。私は全ての疾患がネガティブな無意識の感情から起こるとは信じておりません。
いくつかは、疑いなく身体的原因でしょう。しかし、いくつかは感情のパターンをさかのぼることができます。そして、それは肉体のガンのようにハッキリした場所はありません。

ガンの心理学 – The Psychology of Cancer

より多くの研究ががん患者の心理学を扱うにつれ、いくつかの面白い傾向が浮かびはじめました。

一例として、乳がんの女性が心理的生活の一部でたびたび自己犠牲になってきたということが、かなりの心理学者によって観察されています。
彼女たちも、自分の要求を満たす権利がないようによく感じているのです。自分の面倒を見る前に、周りの人の欲求に合わせて世話をしてしまうのです。
彼女たちの欲求は、ことわざで言うところの、「二の次」にされてきました。
そして多くのがん患者が、多くの場合でしゃばらず、状況に関係なく常に「いい人」であろうとします。

さて、免疫系の基本機能とは、「自己」と「非自己」の間を識別することです。細胞の表面の位置受容体を含める経過の膨大なる配列を通して行います。

ウイルスやバクテリアのような異物が体に侵入したら、免疫系は秘蔵の特化された細胞、Tキラー細胞やマクロファージのような細胞を侵入箇所へ送り込みます。
これらミクロの戦士は、極めて簡単に侵入者を阻止し、破壊します。

今や私は、感情そのものが免疫系で似たようなことを行っていると信じています。
感情による免疫の機能も、自己と非自己の間を識別することです。ある人が中毒になったり虐げられたりすると、感情による免疫系はそれらから自分自身を切り離します。健康を心理的に自律する感覚があるのです。
私たちは分離した存在であるという認識、そして虐待したりされたりせざるを得ないという認識があります。

しかし、これはただ、健全な感情免疫系で起きているだけなのです。
もしそれが損傷したら、他者の虐待や搾取を受け入れるでしょう。このような場合、生来の心理的自律の感覚は働かず、自分には何の権利もなく虐待を受け入れるべきなのだと感じてしまいます。

ところで、虐待は多くの形態を取りうります。
肉体的虐待はわかりやすいですが、精神的な感情的な虐待は時に見極めるのが難しいです。
けれど、肉体的であるか精神的感情的であるかにかかわらず、虐待の有害な性質は感情の免疫を全て破壊するということに似ています。

ジョアン(仮名)は、皮肉にも牧師である父から性的虐待を受けてきました。
彼は(礼拝における)会衆の中で高い地位にありました。まるで、二つの人生を生きているように見えました。
ジョアンが12歳頃に肉体的な虐待はやみましたが、感情的な虐待は続きました。
威圧的な父親は、全ての行動を支配し、あげた成果はみんな全てけなしました。

自分の評価では、ジョアンは完璧な牧師の娘でした。
いつも笑顔を浮かべ、誰かの気分をよくするのに何を言うべきかわきまえていました。両親が家にいないとき、彼女はよく苦しんでいる教区民の相談に乗りました。

高校と大学を通して、彼女はとても人気があってたくさん友達がいました。
しかし、何かが欠けていた。
彼女は 自分の気持ちから切り離され、社会的な場でなら何をすべきか知っていたのにもかかわらず、一人のときどうしたらいいのかわからずにいました。
自分自身の感覚を奪われ、最高の女子学生クラブの会員であることすら、そのことを改善できませんでした。

大学在籍中、ジョアンは未婚で二回の望まぬ妊娠をしました。
親への恐れのため、初めての子供を堕胎しました。再び妊娠したとき、子供を産む決心をしました。その決意を考え直したことに関して、ジョアンは両親の意見に二度目も単純に逆らえなかったと話してくれました。

人の目から見て、ジョアンは幸せな人生を生きていました。結婚し、別の子供を産みました。
物事は上手くいっているようでした。少なくとも表面的には。
ジョアンが40歳になったとき、とある一続きの夢を見はじめました。夢は三年近くの間程度の差はあれ、いろんな場所で、でも常に同じテーマで、彼女に付きまといました。

ある黒い女性が彼女を追いかけました。
真っ黒な女性はタールか最も暗いの夜の色でした。
彼女は脅してきて、たびたび歯をむき出しにしてシャーと音を立てました。
いつも同じことを言いました。「変われ。さもなくば殺す!」

この約三年間の後、夢はやみました。
自分の判断では、ジョアンは結局あまり変わっていませんでした。そして約二年後、ジョアンは乳癌と診断されました。

黒い女性はジョアンが無視しつづけていた深淵からのメッセーンジャーだったのです。
ある部分、ジョアンの本質の部分は怒っていました。これこそ、暗い人影が歯をむき出しにして蛇のような音を立てていた原因です。
無意識からのメッセンジャーは、苦痛の信号を送っていたのです。何かしらの変化が必要で、さもなくば命は続いていけなかったのです。変化を必要とする「何か」は、自分自身のためよりも他人のために生きているジョアンの生き方でした。

ジョアンは結局、優れた医療が止めようとしたにもかかわらず病に倒れました。

感情のガンや強要されうる犠牲と私が呼ぶものの強烈な例であるがために、このケースに触れました。

ジョアンの自己感覚は父親によって犯されつづけ、感情による免疫は傷つけられました。深い感情レベルで、自分の周りの人とは違う選択をする権利がないと感じていました。
この感情のガンが増殖したとき、彼女は力がますます失われていく感じがしました。親戚関係がどんどんクモの巣のようになっていく感じがしました。
極めてスピリチュアルな能力があるジョアンは、自分の周りの人の気持ちをたびたび感じられると報告しました。人ごみを敬遠していました。相争う欲望どもは、彼女には実に強烈すぎたからです。

自分が胸のガンを育てたという皮肉は、ジョアンを逃がしませんでした。
このことを彼女は私へ何年もの間話し、世界に対する英知の無い母親のように感じていました。

ジョアンは自分自身と必要なものを備えた人生の感覚を取り戻す方法を、理解できませんでした。内なる世界を変えることができず、無意識からの暗い影が彼女を連れ去りにやってきました。

ガンへのヒーリング – Healing from Cancer

ガンのような悲劇的な病で助かった人の間に共通のテーマは、人の気持ちから自分の気持ちへのシフトです。このような心理的適応における大いなる転換は、とてつもない癒しのエネルギーを明らかに解放します。多分このような変化が癒しの神経ペプチドの解放を刺激するのです。
しかし生理学上のメカニズムが何だとしても、自分の本当の気持ちに焦点を当てることはヒーリングなのです。

このことを、昔に体験した友達がいます。
彼女は末期がんと診断され、身辺を整理するよう言い渡されました。家に帰り、家族のもとを去ることを驚く彼らへ告げました。
自分の人生は終わりつつあるから、いつもしたいと思っていたことをするつもりだといいました。——日本を訪れると。
彼女は東京へ行ってしまうと、とてもすばらしい日本訪問とアジアでの休息の時間を過ごしました。
そして、ガンは寛解したのです!

感情の免疫を作ること

ライフスタイルを変えることで、肉体的な免疫系を強化できるということは、かなりよく知られています。
しかし、感情による免疫系も同じように強化できるということは、あまり知られていません。

弱い感情免疫系に脅かされているなら、第一の課題は気づくことです。
健全な感情免疫系は、自分の本当の(欲望というよりむしろ)気持ちに気づく能力を身につけ、その気持ちを大切にすることを内側で許すことが基礎となります。
自立した存在としての自身の明晰な感覚も含みます。他者のとは切り離しましょう。

さて、これは悩みの種だと、スピリチュアルな道にある人々に時折見せかけます。私たちは「ひとつ」であると気づいている、ハートのレベルからゆえです。
私たちは多様なる形態を通して生きるひとつの命、ひとつの意識があることをわかっています。ハートの空間が活性化されたとき、他者とは内側でつながっているのだという自然な感覚があります。そして高次の意識の観点から、ほかの誰かから分け隔てられている人はとにかくいないのです。

これが真実である一方、他者から分け隔たれた肉体を持っていることもまた真実です。生物の先天的な知性は、この違いを尊重するよう指令します。
もしそうしなければ、病んでしまうでしょう。免疫系はこの確固とした自然の法則に従うのです。

感情免疫系もこの法則に従います。
心理的な毒性要素に気づけなかったり見ないふりをしたりしていたら、体か心が病気になります。

感情のガンは、自分自身の感覚をないがしろにすることによって作られるのだということを、もうハッキリさせたいと思います。普通これは、ある種の虐待により起こります。
肉体的、性的、感情的虐待がかなり認められている一方で、気づかれずに見過ごされる虐待のある形態があります。
霊的虐待です。

最も単純な形では、霊的虐待は自分をないがしろにする道に落ちるよう導きます。ある人の気持ちは、単なる個人的感情より遥かに高尚とみなされる理想によって、取って代えられてしまいます。
この種の霊的略奪は無数の形態で現れ、どんな霊的系統もそれに影響を受けずにはいられません。
自分の気持ちが正しいことを拒絶したり、要求を尊重しない集団や教えに巻き込まれていると気づいたら、その時は「とっとと逃げろ!」と提案いたします。

このように言う理由は、「聖なる(holy)」という単語の語源は「全体を作ること(to make whole)」という意味だからです。
全体性が高まるということは神聖なることで、全体性の低下は不敬です。
感情の気づきの修練を通じ自分自身を構成しなおす(思い出す)という課題は、神聖なるワークです。

結局、感情免疫系を守る方法とは、自分の気持ちに意識を向けることです。
はじめに、欲求があってよいのだと認めることを、自分自身へ許さねばなりません。
次に、日常生活の無数の要求へ自分の気持ちを調和させる方法を、見つけねばなりません。
これは簡単な課題ではありません。特に、自分の気づきから逃避することに必死になっているような社会の中では。

自分の真の要求や感情に基づいて無意識にとどまる人には、多くの社会的圧力がありうります。——特に「スピリチュアルなコミュニティ」の中で。
たとえば、自分の欲求や感情を不快に思っている人は、よく他人の欲求や感情を不愉快に感じることに、私は気づいてきました。

自分の気持ちが周りの人を気に食わない場合、どう対処すればよいのでしょう? 自分の気持ちが周りの人とは違う場合、どうすればいいのでしょう?
これは重大なる疑問で、どのように答えるかが「感情免疫」に大きな影響をもたらすでしょう。

自分を構築しなおす(思い出す)という聖なるワークを選択する人に、他の道はありません。自分の気づきと誠実さに水を差す世界に生きる限り、自分自身に誠実でいられる方法を、自分の気持ちを調和させる方法を見つけねばなりません。

大変ですよ。
でも、街で最高のゲームのひとつです。

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訳者(Nozomi)注
トムは「全てのメッセージを含み、どんな改変も無く、売買することなく、著作権表示をしてくれる限り、あなたが望むならどんな形式でもこのメッセージの複製および配布を許可します」と表明しています。
よって、この翻訳もそれに準じます。

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