天中殺の人は、先祖供養がおすすめ

四柱推命/算命学
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10年に1回巡ってくる天中殺。
私は寅卯天中殺だったので、去年とおととしが天中殺でした。
今年と来年は辰巳天中殺の人が天中殺の期間に入ります。

(自分の天中殺の時期を知りたい方は天中殺 調べるで検索してみてください)

天中殺にやっていいこと、良くないこと

天中殺の過ごし方は、一般に「勉強」や「精神修養」や「奉仕」が良いと言われます。

天中殺(空亡)の間は
引っ越しをしてはいけない。
結婚をしてもいけない。
転職をしてもいけない。

つまり、現実的に物事をうごかしてはいけない。
そういわれます。

なぜなら、天中殺の時は天(空間・天干)がないのに地(時間・地支)があるから。

???
どういうことでしょう

現実的には物事は進んでいく(時間は流れていく)のだけれども、精神がぽっかり空いて亡くなっている(空亡)状態。

「現実に心がついて行っていない」といえますね。
ありませんか?そういうとき。
後から「なんであの時こんなことしちゃったんだろう?」と自分自身から見ても謎になるような。

天中殺の時に現実に成果を出そうとすると、空回りしてしまうことが多いと言われます。

天中殺にやっていいこと悪いこと~不動産投資はアリ?ナシ?

私は去年、先祖供養(先祖調査)をしていました。
そして思ったのです。
「これは、天中殺の過ごし方として非常に良い」と。

先祖を調査して、その霊を慰める。
これはまさに奉仕の行為です。
先祖を調べて供養する(家系を浄化・ヒーリングする)のは、天中殺の過ごし方として非常におすすめです!

なので、辰巳天中殺の人は2024~2025年、自分の先祖を調べてみて縁のある土地に行ってみたり偲んでみたりしてはいかがでしょうか。私自身が実感していますが、先祖を癒すと自分自身にも大きなヒーリング効果があります。

先祖供養というと、お墓に行って手を合わせるのが一般的です。
でも、私はそれだと片手落ちだと思います。

だって、お墓に行って先祖のことを偲ぶって言われても、偲べます?
難しくないですか?

だって先祖って言われても、せいぜい顔が思い浮かぶのは祖父母くらいまででは?
それ以前の先祖と言われても、のっぺらぼうの「どんな人かわからない相手」ではないですか?

だから、先祖のことを調べる。
一人一人の人間として認知する。
そうしてはじめて、先祖のことを本当に癒すことができます。

まずは先祖の人となりを知る。
そうしてはじめて、深く想い、手を合わせることができる。
それが大切だと私は思います。

天中殺ではなくても先祖供養がおすすめの人

算命学では「家系を継ぐ役割の人」「長男の星」があります。
その役割の場合、天中殺でなくとも先祖供養はお勧めです。

自分の天中殺や星を知りたい方は、算命学 命式で検索してみてください。

家系の流れを受ける天中殺の人

  • 寅卯天中殺
  • 午未天中殺
  • 申酉天中殺

長男の星(家系と縁の深い星)

  • 天印星
  • 天貴星
  • 天庫星

西洋占星術(ホロスコープ)で見た場合

西洋占星術(ホロスコープ)で見た場合は、蟹座の要素が強い人は先祖にふれるととても良い効果が期待できます。自分の中の蟹座成分が、満たされるのを感じることでしょう。蟹座にはコミュニティ、あたたかい人間関係が必要です。

私自身、太陽と金星とアセンダントが蟹座で蟹座成分が強い人間です。
ですから、先祖について知ることで深くグラウンディングできて心のベースがしっかりした感覚があります。

リンデンバウムのお客様でも、太陽蟹座(+天庫星持ち)で先祖調査をなさっている方がいらっしゃいます。読書会のクリスマスパーティで少しだけお話を伺えたのですが、その方も深く感じ入られることがあるようです。

やはり、蟹座が強い方は先祖調査、おすすめです。
ルーツを知ることで、強くなれます。

あと、蟹座のハウスである4室に星が多い(2~3個以上ある)人も、先祖供養はお勧めです。
4室に星が多い場合は、先祖を知っていくことで「なぜこういう環境にいるのか」という解像度が上がってくるのではないでしょうか。

もっとくわしく先祖供養がおすすめかどうか、どうやって先祖を癒したらいいのか知りたい場合は、メルマガ読者限定サービスの「算命学+占星術MIX鑑定」をご利用ください。

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先祖調査、人生というミステリ

「先祖のことを調べている」
私がこんな風にいうと、大抵の人は不思議そうな顔をします。

へえ
ご先祖?
どうしてまた

こんな風に聞かれると、正直、こう思います。

Nozomi
Nozomi

えっ……
さあ……
なんで、なんでしょうね?

もちろん、適当に理由をつければいくらでももっともらしいことを言えますが、本心と向き合うならばフワッとしたことしか言えません。
なんかそういうことになっちゃった、としか。

そもそもが、私の人生は全般的にそういう感じで流れています。
「なんでスピリチュアルヒーラーに?」と言われても私はこう言うでしょう。

Nozomi
Nozomi

えっ……
さあ……
なんで、なんでしょうね?

仕事以外でもそうです。プライベートでもそうです。
「なんか、そういうことになっちゃう」のです。
先祖調査をしているのもまさにこのパターン。

なんか、「先祖」「先祖供養」ってワードが頻繁に目につくようになって、祐気取りに登別の海岸にいったらアイヌの先祖供養の慰霊祭の看板が林の中に立ってて、近くの区民センターに本を返しに行ったら「先祖を知る」って市民講座開設のお知らせが壁に貼ってて。

それで講座を受けて戸籍を取ったら意味わかんないことになってて謎すぎてとりあえず墓を見に行って(墓誌の調査は先祖調査の基本)ついでにお寺さんに行って「うちの先祖のこと調べてます」って住職さんにいったら「あなたの家について詳しく調べてる人はいますよ」って親族の長老を紹介されて――。

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ところで突然ですが、私は小説を好みません。
教養として必要だと言われるような文学作品は教養として必要なのだからしょうがないから読みます。が、楽しいとは思いません。「はあ、なるほどなあ」程度の感情で読んでいます。

特に、太宰や芥川や村上春樹は積極的に嫌いです。
3行読んだだけでイラっと来ます。
ウジウジウダウダしてないで何が言いたいのかはっきりしてほしい。

でも、それがなくなったら文学じゃないのでしょうね。
だから私に文学は合わないです。
ウジウジウダウダしてないでハッキリスッパリしてほしい。

(これと同列でエヴァンゲリオンもウジウジウダウダしているので嫌です。ならば、エヴァには品格高き純文学の香りがあるということになります)

でも、例外として好きなものもあります。

中島敦の「弟子」は最高です。
子路たんには萌えしかない。
脳筋な子路たんを大きな徳で包み込む孔子の母性最高。

孔子とは母の概念であります。
論語は母性。
※ちょっと何言ってるかわかんない

中島敦 弟子

作家としては、浅田次郎が最高に好きです。
最近は「母の待つ里」を読みました。

母の待つ里(Amazon)

私が浅田次郎の作品の中でも過去一好きな「壬生義士伝」にも出てきた「おもさげながんす」。母の待つ里にもこの岩手弁が出てきてぐっと心をつかまれます。この謙虚さ、つつましさ。美しい。

壬生義士伝(Amazon)

さて、何の話かというと、「なぜ浅田次郎が好きか」という理由です。
浅田次郎の小説は、よくわからなくてふわっとした状態で始まるんだけど、きれいに伏線が回収されて最後には『どうしてそうだったのか』その理由が、必然性がくっきりと浮かび上がってきます。

実に、私の人生もそのようにできています。
わけがわからなくて「なんでなんだろう」と謎のまま走っていると、どんどん理由が明らかになっていって「だからそうなのか」と納得するようになるのです。

人生は、生きていれば生きているほど理由がわかってすっきりします。
浅田次郎の小説の進み方は、実に私の人生の進み方と似ているのです。
だから私はここまで浅田次郎にはまるのでしょう。

先祖調査も同じです。
わけが分からない状態ではじまって、わけのわからないまま動いて、でも動けば動くほど全体の解像度が上がっていって納得する。このパターンそのものです。

おちびさんなおじじとお母さん

さて、お寺さんに行ったら紹介された一族の長老――おじじは87歳。
昭和10年代生まれの戦中派です。
幼いころに戦争で父親を亡くし、女手一つで育てられました。

成長したおじじは起業しました。
――というと聞こえがいいかもしれませんが、そうするしかなかったのかもしれません。だって、学歴はないし、片親だし(昔は両親がそろっていないという理由で不採用になりました)、分家なので継げる財産(田んぼ)もないし。若きおじじの持つ選択肢は限られていました。

うちは本家は農家ですが、分家は商売をやる人が多いです。
おじじもそんなかんじで土建屋のおっちゃんになりました。

そして今はホールディングス会長。
子会社のうち一つだけ、今も社長をやっています。
親会社の社長は息子に譲っています。息子はなんかすごい外車に乗ってます。なんかすごいやつ(語彙力)。

母子家庭の貧乏な少年は、金持ちのじいさんになりました。
会長職として現役で他会社の監査役とか社外取締役とかもやっているので、いわゆるリタイアした高齢男性の孤独もありません。今も元気に毎日出社しています。

そんなおじじから、ある日冷凍宅配便が届きました。

Nozomi
Nozomi

???
なんだろう

開けてみると、そこには冷凍されたハンバーグが。
「????」
と手紙を開けると、出てきたのはレシピ。

Nozomi
Nozomi

えっ
はっ!?
これ、おじじが作ったわけ!?

Nozomi
Nozomi

はっ、87歳のおじいちゃんの
手ごねハンバーグ!?
おじいちゃんのお手製ハンバーグとか!

ウケる!
面白すぎる!
アーッハッハッハッハッハ!!!

私は爆笑しました。
いやだって、面白すぎません?
87歳のおじいちゃんが、土建屋の会長が、キッチンで大量のハンバーグこねてるんですよ!?

絵面だけで強すぎる!
「おじいちゃんの手ごねハンバーグ」とか、パワーワードでしょ!

私はツボってしまい、ゲラゲラゲラゲラひとしきり笑いました。

思ったんです。
「退職後の第二の人生には趣味が必要。男子厨房に入るべからずなんて今は昔。男だって料理を楽しもう。そんな感じで、近くのコミュニティセンターかなんかで料理教室にでも通って覚えたんだろう」と。

私は普段肉はあまり食べません。
体質的に苦手なんですよね。父もそうなので、遺伝だと思います。
しかし、このハンバーグはありがたく頂くことにしました。ブッダもお肉を頂いたときはありがたく食べていたそうですし。

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そして、レシピに書かれたとおりに焼いて。
口に入れた瞬間、私は固まりました。

Nozomi
Nozomi

これ
「男の料理」じゃない

「男の料理」ってあるでしょう。
もっと正確にいうと、趣味でやる料理。
スパイスをこだわって選定して一から作るカレーとか、チップを何にするかこだわって作る燻製とか、十割なのにのどごしの良い職人顔負けのそば打ちとか。

そういう料理って、ごちそうの美味しさがします。
「うわっ、美味しい~!」と思うような味がします。
そういう料理は、年に2~3度食べたい味です。毎日食べると、ガツンときすぎて辛いです。強烈に美味しい料理は飽きも早いもの。

一方で、毎日のごはんは地味な味付けです。
言い換えると毎日食べても飽きない味付けです。
おじじのハンバーグは、この「毎日のごはん」の味がしました。

「この人、毎日料理をしてきた人だ」

昭和10年代生まれ、「男子厨房に入らず」の世代の人。なのに料理に手慣れている――
私は愚かにもその時はじめて気づいたのです。
昭和の母子家庭で育つとはこういうことなのだ、と。

そして、私の「伏線」がここで回収され、また一つ人生の解像度が上がりました。
「だから私は、東京リベンジャーズで三ツ谷推しだったのか」と。

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三ツ谷隆は今風にいうとヤングケアラー。

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おじじも、そうなんです。
長男で。ちいさな二人の妹の面倒を見て。
(正確にいうと弟もいたけど、小さい時に死んじゃった)

私はカンが鋭いというか、流れが見えるというか、「これから来るもの」に反応するところがあります。マンガやアニメのコンテンツで「この人いいなあ」と思うキャラがいると、現実でもそういう人と出会ったりします。タフティ風にいうなら、現実創造しているのかもしれません。

人との出会いは宝物ですね。

三ツ谷って、基本私の好きなタイプのキャラではないんですよ。
ふつうに考えるなら、リベンジャーズだったら私はドラケン推しなはず。

でも、三ツ谷だったんです。
なんか三ツ谷が好きだな、今までと違うな、不思議だな、と思っていました。
今思うとその感覚は未来を、おじじとの出会いを暗示していたのです。

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冷凍便で届いたハンバーグを見て面白すぎて爆笑して。
早速、焼いて、食べて。

すごい地味な味。
何のおかずにも合うようなさりげなくて、邪魔しない主張しすぎない地味な味。
つまり、毎日でも食べられる飽きない美味しさ。

本当にこの人は毎日料理してきたんだって、伝わってきて。
ああ、「父の欠損」って、大きいんだな――と。

日に焼けた真っ黒なおじじの手

おじじはお父さんが大好きで。
お父さんが戦死したフィリピンに遺骨収集まで行ってて。
「こんなところで一人で死なせちまったんだなあ、お父ちゃん、さびしかったろうなあって思った」

家系のカルマは繰り返す。
父方の一族が北海道に渡ってきたとき。そこにも父の欠損がありました。
シングルマザーと息子三人で北海道に来たのです。

曽祖父も曾祖母も、共に父の不在の中育った人です。
曾祖母の父は、西南戦争で戦死。
でも、曾祖父の場合は――。

籍の入らない私生児が、私の曽祖父です。
ただ、父親である人が誰かは伝わっています。

なぜ、籍を入れなかったのか。
なぜ、一緒に北海道に来なかったのか。
もしくは、石川で一緒に暮らし続けられなかったのか――。

その謎が、石川県七尾市に眠っています。
「どうしても、死ぬ前に知りたくてなあ」
おじじは目を伏せて、ぽつりとつぶやきました。

女手一つで育てられたおじじと曾祖父。
父と共にあれなかった、少年時代の記憶。
その深い心の欠損を埋められるのは、何なのでしょう。

私個人は、正直なところ先祖調査に関して満足しています。
「ああ、なんか、たいへんだったんだなあ」
このフワッとしたレベルで十分満足です。

でも、おじじが知りたいというなら、できるだけのことは調べよう。
今はそう思っています。
自分のためよりも、おじじのためにやっています。

自分のためではなく、誰かのために行う。
それは実に天中殺にふさわしい現象だったのかもしれません。

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