【干支】午はなぜ馬なのか【地支】

四柱推命/算命学
写真AC

あなたは、2024年のカレンダーはどんなものを飾っておられますか。

私は引退競走馬のゴールドシップです。
1月1日にこの表紙をはがしてめくったわけですが、捨てるのがもったいなくてアクリルフレームに入れました。

朝が目が覚めると、シップ様が目に入ります。
非常に精神衛生上よいです。
朝から心が整います。

こんな感じで、最近は馬動画をよく見ています。
ゴールドシップ→マイネルグロン→オジュウチョウサン→アドマイヤジャパン→タニノギムレット
こんな感じのローテーションです。

お馬さんの枕営業。
深いリラックス。
見ているこちらまで肩の力が抜けます。

こうやってお馬さんを見ていると、思うのです。
「馬とは、本当に午なのだ」と。

午はまさに、馬すぎる

イラストAC

十二支の七番目、午。

「午」をなぜ「ウマ」と読むのか。
最も陽気が極まった状態、それが「午」。
「子午線」や「午前・午後」というように、基準になるのが午。

なぜそれが「ウマ」なのか。
ネコでもキツネでもタヌキでもないのか。
私がその理由に腹落ちしたのは、安岡正篤先生の干支の活学を読んだ時でした。

干支の活学 (安岡正篤人間学講話) (Amazon)

午は亠と十で、上の字画は地表、下の十は一陰が陽を冒して上昇する象である。即ち「午はさからう也」と解説され、反対勢力の高まりを示す。

そこで丙午は、旧来の代表勢力がすでに極に達して反面にこれに対する反対勢力の突き上げに遭う象である。

これをどう処理するかによって、運命が一変してくる。

干支の活学 (安岡正篤人間学講話)  丙午――昭和四十一年

「一陰が陽を冒して上昇する」
これは易経でいうところの天風姤と同じ意味ですね。
天風姤は十二消長卦の一つで、六月(旧暦だと五月)の卦にあたります。

「姤は、女壮なり。女を取るに用うる勿れ」
これゆえ丙午の女は批判されるのでしょうか。
夏目漱石にもディスられるのでしょうか。

また、易経では「牝馬の貞によろし」という言葉が出てきます。
「おとなしくて従順なメス馬のようにふるまうと良い」という意味です。

しかし、実際の馬動画を視ていると「牝馬の、貞……?」と思うことも多いです。笑

午の質は実に極端。
やるとなったらものすごい行動力を発揮するのに、気が向かなかったら見向きもしない。
ゴールドシップの悪口はやめてください

午は反対勢力。反発の質。
丙午な私自身も「このゲーム(アニメ・漫画・映画など)おすすめです!Nozomiさんに絶対見てほしいです!」なんて言われようものなら「わかりました。絶対に見ません」と反発します。

午なんです。
午相手にリコメンドは逆効果。
理屈ではなく脊髄反射で反発します。

「これいいですよ」「こんなサービスありますよ」「これあったら安心できますよ」なんて、困りごと解決≒リコメンドの塊である営業電話は秒で切ります。「あっ、そういうのはいりませんありがとうございまーす(ピッ」です。

仮に必要なものであったとしてすら勧められた時点で無理。
広告表示されたものなんて絶対買わない。
善意からでもアドバイスは逆効果。

それが午の質。
反発こそが、午なのです。
(周りの人はそんな私をわかってくれているので「これしなよ、あれしなよ、これオススメ」とは言わないでただ見守ってくれます。大変ありがたいことです。愛に感謝です)

極まって方向転換するのが午の刻。
太陽が南中して日の入りへ向かっていく転換点。
今までとは違う反対方向へ向かっていくことが、午の自然なのです。

日干支(生まれた日の干支)が午の有名人の一例を挙げてみますね。

  • 甲午 石原慎太郎、河合隼雄、小泉今日子
  • 丙午 前田日明、星野源、MEGUMI
  • 戊午 新庄剛志、南野陽子、勝間和代
  • 庚午 布袋寅泰、DaiGo、ジェジュン
  • 壬午 沢尻エリカ、山崎まさよし、蜷川実花

午の反骨精神。
この一例だけでも伝わることでしょう。
陽の気が極まるだけあって、みなさん華やかで存在感がありますね!

干支の活学 (安岡正篤人間学講話) (Amazon)

そもそもなぜ馬をこの午にあてはめたかと申しますと、これもなかなか考えたものでありまして、ご承知のように馬というものは実によく相手を知っておる。騎手がよいときわめておとなしい馬も、一度人間を馬鹿にしたり、反感を持ったりすると、たちまち蹴ったり、振り落としたりして、いっこう言うことを聞かない。

干支の活学 (安岡正篤人間学講話)  丙午――昭和四十一年

馬もそうですが、群れを作る生き物に下に見られると見事にナメられてしまいます。
私は昔、実家のゴールデンレトリバーにナメられてしまい、会うたびマウンティングをされる羽目になりました……。

人相手でも動物相手でも、ナメられてはいけませんね。
ありのままに笑顔でフレンドリーにしすぎるのも考え物。一目置かれるようにふるまう、一線を引いて「ここからは許しませんよ」と毅然とした態度をとることも時には必要です。それがコミュ力。

馬の性質が実に午だなと思うのが、その極端さ。

例えば、馬は歩けなくなった時、寝たきりにはなりません。
立てなくなった時は、死にます。
仔馬は生まれてすぐに立ち上がりますが、それはすごいことでもなんでもありません。馬の身体の構造上、自力で立たないと健康が維持できないのです。

馬は身体に血を巡らせるために立って(足を動かして)運動する必要があります。
いつもアクティブ。泳がないと死ぬマグロ系。
寝る時すら立ったまま。

これも、実に「馬=午」な性質といえましょう。

日干支・丙午の私も、じっとしてると具合が悪くなります。家の中で一日中過ごすとシンプルに落ち込みます。リモートワークなんて最悪です。涙

逆に、外に出て人と会うと気分も体調も良くなります。
私とゴハン食べてくれる人には感謝しかありません。
外向的で社交的な方は飲みに誘ったら喜んでくれるので、とてもうれしいです。

午の本質はアクティブでガンガン外へと発散させる陽の気。
極端なくらいな陽。
その状態が午です。

歩けなくなったら死ぬ。
動けなくなったら死ぬ。
太く短く生きるのが午らしい生き方となります。

本当に午とは馬の性質なのですね。
昔の人の知恵は深いです。

日本の重大な転換期~2年後の丙午(2026年)

この干支の活学では60年前の丙午の年(1966年)について、安岡先生が深い考察を述べられています。

これが、割と「えっ、2026年(丙午)のことを言っているのでは?」と思う点がありまして。
2年後にこんな日本がやってくるのかもしれない――興味深いのでここでシェアいたします。

干支の活学 (安岡正篤人間学講話) (Amazon)

そこで今日の丙午はどうであるか、どんな反動勢力があるか。これを時代的に考察すると、今日は昔に比べてはるかに複雑であります。

簡単に誰にもわかる例を言えば、社会党・共産党・公明党などというものが自民党に対抗して突き上げてきておる。そうかと思うと一方では、中共や北鮮の共産勢力が強力に対日工作を進めてきておるのでありまして、この社会党や中共の荒馬をどうして乗りこなしてゆくか。(中略)

しかしもっとよく観察すると、国家・国民にとって希望の持つことのできる、賀すべき反対勢力も目に映る。

例えば自民党の中にも、「従来のような自民党ではもうだめだ、ここまでくれば思い切って改革しなければならん、場合によっては分裂も可なり、我々の手で新保守党をつくろう」というような突き上げもあるわけです。

干支の活学 (安岡正篤人間学講話)  丙午――昭和四十一年

中共や北鮮の共産勢力が強力に対日工作を進め

ああー。
これは、なかなか。

スパイ天国日本なんていわれますけれども。
どうなのでしょう。

我々の手で新保守党をつくろう

これ、百田尚樹さんの顔しか浮かばないですよね。

歴史は繰り返す。
2026年の丙午の年に向けて、また同じ流れがやってきているように見えます。

安岡先生は、そんな動乱の改革たる丙午の年をいい方向に向けるにはこうしたらよい、という指針を示してくださいます。

干支の活学 (安岡正篤人間学講話) (Amazon)

また、もっと歴史や伝統をたずねよう、立派な人に学ぼうというような、従来のジャーナリズムから言うならば反対の現象が勃然として興ってきた。

こういうものをうんと持ち上げて、これに時を得させて、なんとかして代表勢力・支配勢力に育ててゆけば、日本は望ましい変革ができるのであります。

干支の活学 (安岡正篤人間学講話)  丙午――昭和四十一年

なるほど。
故きを温ねて新しきを知る、ですね。
うーん、こう考えると、まさには百田さんは流れに乗った行動をしているのかもしれませんね。

改革の丙午の年。
2026年に向かって、私たちはアップデートの必要性がありそうです。

本題は以上です。
以下はウマにまつわる余談となります。

競馬には夢中になれない理由

ここまでウマウマ書いてきて意外に思われるかもしれませんが、私は競馬をやりません。今までの人生で馬券を買ったことは一度もありません。

ギャンブル全般に興味がないのが一番の理由です。
しかし、もしギャンブル好きであったとしても競馬は選ばないでしょう。私がギャンブル好きだったとして手を出すのは、麻雀あたりかなと思います。

だって、競馬を見るとこう思ってしまいます。
「ああ、この子たち、お肉になるんだろうな」

写真AC

ある日本酒の会に行ったとき、JRA(日本中央競馬会)の獣医さんとご一緒する機会がありまして。
お名刺を頂いた瞬間私は、思わず口にしてしまいました。

Nozomi
Nozomi

ええーっ
JRAの獣医さん?
それは大変なお仕事ですね!

獣医さん
獣医さん

いえいえ
それほどでもないですよ

Nozomi
Nozomi

大変ですよ!
だって、馬を安楽死させなきゃいけないんでしょう!?

…………。
あなた。空気読みなさいよ。
せっかくの美味しい日本酒がまずくなるでしょう。

幸い、この獣医さんは素敵な紳士だったので、私の失礼な言葉にも雰囲気が悪くなることはありませんでした。大人な対応、さすがです。見習います、申し訳ありません。

その会には地方より蔵元さんがいらっしゃっていて、すぐに注目は蔵元さんのお話に移っていきました。一般市場には出回っていない貴重な日本酒を飲み比べできる素敵な会でした。
お酒と共にある豊かな時間。まさに大人の楽しみですね。

人との出会いは得難い学びであります。
いろいろな人とお話しできる機会は宝物です。
一人で過ごすのではなく、誰かとふれあうからこそ気づけることがあります。

写真AC

閑話休題。
そんなふうに、私には「競馬≒馬が肉になる」という認識があります。
どうしてそんな偏った認識なのか。それは、ある先輩が日高の競走馬生産牧場の娘だったから。

故郷を離れて就職後、先輩は父親から言われたそうです。
「お前はもう家から出た人間だから、馬肉を食べてもいいし馬油を使ってもいいよ」

生産馬の現場にいる人間にとって、馬肉や馬油や馬革などは縁起の悪い品物。そういうものは避ける風習が、その牧場にはあったそうです。

そんな生産馬の舞台裏を聞いていた私。
競馬を見ると、勝った馬より下位の馬に目が行きます。
そして「ああ、お肉になっちゃうんだろうな……」と思ってしまうのです。

走る馬の姿は美しい。
実にその通りです。
ですが、競馬にはのめりこめません。

だって、競馬を見ていたら絶対お気に入りの馬ができますもの。
美しい馬、強い馬、魅力的な馬は、競馬場にあふれています。

そんな思い入れのある馬が予後不良になったら――
サイレンススズカを失った武豊のように病むでしょうね。
想像するだけで辛いです。現役競走馬に入れ込みたくない。好きになりたくない。

2023年のダービー。スキルヴィングの様子を見るだけで辛くなります。
既に具合が悪くてふらふらなのに何とか騎手を送り届けようとして、騎手が降りたとたん安心したかのように、力が尽きて倒れて。死の瞬間ですら人を傷つけまいとする優しさ。

これ、キタサンブラック推しでデビュー未勝利時点から見守ってたりしたら、1か月は落ち込みますよ。
いやー無理。
辛い。

そんなメンタル不安定になるような趣味は勘弁してください。
私は「それも競馬、仕方ない」と割り切れるほどドライにはなれません。

その点、有名な引退競走馬は安心して見ていられます。まずお肉にはならないから。過酷なレースで予後不良にもならないから。

誤解しないでいただきたいのですが、競馬ファンは動物を大切にしていないと非難したいわけではありません。競馬はもともとヨーロッパの貴族の娯楽であって、イギリスの貴族文化発祥な時点で残酷なのは当たり前のことでもあります。日の沈まない大英帝国のお貴族様のやることです。ブリカスです。

勝った馬は生き残り、負けた馬に価値はない。
転倒して骨折しただけで、待っているのは死。
そんな残酷さがある世界だからこそ、エキサイティングでもあるわけです。

何より、お馬さんかわいそうといったところで、私に解決策が提示できるわけでもありません。

ですから、私にとって一番共感できるラインは、上の動画のシモベさんのように、「すべての馬を救うことはできないけれども、縁のあった馬はできるだけ幸せにする」というものです。

小さくても自分にできることをする。
世界に愛が巡るほうを選択をする。
この姿勢が一番しっくりきます。

認定NPO法人引退馬協会|引退した競走馬の余生を支援する
引退馬協会は、人も馬も幸せになれるハッピーライフを提言します。フォスターペアレント事業、馬と人のふれあい事業、引退馬ネット事業、再就職支援プログラムなどを通じて、引退馬たちの支援活動を続け、馬にも人にもいい幸せをもたらします。

引退競走馬のセカンドキャリアについては、この5年くらいでぐっと認知度を上げてきた感があります。
先日JRAの公式Youtubeアカウントにも、引退競走馬がホースセラピーに転向する動画が公開されました。「速く走れなくても、勝てなくても、自分は誰かを笑顔にできる」

まずは知る。
そして、愛がある選択をする。
それでいいと思うのです。

その上で、私に競馬を楽しむことは難しいな、と。
引退競走馬を見ているほうが、性に合っています。

タイトルとURLをコピーしました