先祖供養は潜在意識ヒーリング

精神世界:スピリチュアルブログ

私は今、自分の家の先祖調査をしています。
言わば、先祖供養をしています。

そうする中で、自分の中のわけのわからない感情やエネルギー(わかりやすく言うと「面倒くささ」)がDNAの中に埋め込まれたものであることに気づいていきました。

わけのわからない、自分の足を引っ張るもの。
それは、あなた自身の問題ではないかもしれません。
先祖発信の問題かもしれないのです。

家系の中に埋まっているトラウマと呪い

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マンガ「凪のお暇」10巻では、祖母→母→娘と受け継がれる呪いについて描かれます。

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わかります。
長女の私も母から愚痴の吐き捨て場、感情のゴミ箱にされてきました。
娘には何を吐き出してもいいと、甘えているのです。

愚痴を聞かされるって、すごくつらいことなのに……。
人からネガティブなエネルギーをぶつけられるのは、悲しいです。
でも、娘だけは例外。無限大に愚痴って吐き出していいのです。

なぜなら娘は無条件に母を愛しているから。

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子どもの無条件の愛に甘え、「母親の特権」をフルに使う。
私も、母からやられてきたことです。
そして、母は祖母からやられてきたことです。

「どうしてこの人、こんな人なんだろう」
親に対してそう疑問を持った時、それは「親もその親からそのように育てられてきたからだ」ということが原因の一部として見えてきます。

じゃあ、その親(祖父母)はどうしてそのように子どもを育てたのだろう?
それは、その親(曾祖父母)からそのように育てられてきたからです。

じゃあ、その親(曾祖父母)はどうしてそのように子どもを育てたのだろう?
それは、その親(高祖父母)からそのように育てられてきたからです。

そう。
ここで先祖調査というワードが出てきます。

今まで納得いかなかったことが腹落ちする瞬間

郷土史を読み込む

先祖調査をすると、自分の家の家風が見えてきます。
父方と母方の家風の違いも見えてきます。
「だから、そうだったのか」と納得する瞬間がやってきます。

例えば、私の家の場合、父方はどっしりと土地と結びつき密接なコミュニティを形成する家風があります。

家系をたどっていくと、石川の先祖代々の土地では同じ苗字の人が今も米を作っています。そして、北海道入植後も同じ土地に根付いて今も本家は米を作っています。

くしくも、石川の菩提寺ではあちらの本家の当主が檀家総代をやっており、その石川の菩提寺のお坊さんが北海道にやってきて開いたお寺で、うちの長老も檀家総代をやっております。

「叔父叔母会」「いとこ会」「本家兄弟会」なんてものが菩提寺で開催されます。

対して、母方の一族は「家を守る」という家風はありません。祖父母が死んだら墓じまいをし、長男は東京に出るどころか外国人と結婚して奥さんの国に海外移住。
「長男だから家を継ぐ」とか「長男だから墓を守る」という概念はありません。

そんな母方の一族を調べていき、私は愕然としました。
母の先祖の土地は、廃村になっていたのです。

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こちらの本「村の記憶」には、富山県の全廃村が載っています。
母の先祖の土地の項を見ると、当時の集落の人たちの名簿もありました。
――見事に、母の旧姓と同じ苗字の人間が記されています。移住先は北海道である、と。

ああ、そういうことだったのだ、と。
だから、母方はあんなに家というものに対する愛着がなく合理的に動く人たちだったのだと。

村を捨てた先祖と
墓を捨てた母と
国を捨てた叔父。

見事に矛盾がありません。
一直線に並んでいます。
すとんと腹落ちしました。

ドライな母方に対して、ウェットな父方。
それは本人の性格うんぬんというよりも、先祖から脈々と継がれてきたエネルギーだったのです。

私、昔は理解できなかったんです。
震災で原発が爆発して、それなのに先祖代々の土地を離れるわけにはいかないと残り続ける福島の人の気持ちが。

全く理解できなかった。
「危ないんだから逃げたほうがいい」としか思わなかったんです。

しかし、先祖を調べて、石川のある集落にたどり着いて、そこに今も父と同じ苗字の人が住んでいることを見つけて。

なんか、一気に“わっ”て来たんです。
「ああ、そうか、そういうことか」って。
それなら離れられないよな、って。納得いったんです。

日本人ってそういう民族なんだよな、と。
狭い狭い土地に何とか生きてきた人たち。だから同調圧力がすごい。間違ったことをしていても正さずなあなあで済ませてしまう。正しいことを通すよりも、丸く収めることが大事。

現代的感覚からいうと、それは理不尽で不条理です。
しかし、それは合理的選択の結果でもあります。
狭い土地で過密に生きていくには、個性を伸ばして生き生きとやりたいことなんてやってたら破綻してしまいます。

今日そのような潮流が肯定されるのは、デジタルな仮想空間が広がったからであり、広い土地でダイナミックに生きてきた大陸的グローバル文化を擁する狩猟民族的な生き方のほうが優勢だからです。

以前の私は、まったく三島由紀夫が理解できませんでした。

私は文学をつまらないと思う情緒のない人間です。BLに飢えすぎて手に取った「仮面の告白」もぴんとこなくて読むのをやめてしまいました。体育会系脳筋が文学少女になるのはやはり無理があります。

作品もつまらないけれども、人物自身も意味が分からない。
そもそも腹切って死ぬとか痛すぎるし、なんでそんなことするの。怖い。
そんな感じでした。

同時に、三島と同世代である自分の祖父母たちも意味不明でした。

戦争を生きて天皇を神とあがめて、戦争が終わったら天皇は神じゃなくなって日本は戦争をしない平和な国になりました。

↑これ、意味不明じゃないですか。
私がもしそんなこと言われたら混乱します。
「えっ、前の日まで神って言っていたものが今から違うってどういうこと」って戸惑います。

「鬼畜米英め!」って言ってたのに、「アメリカはクールでかっこいい!」って手のひら返すのも意味が分かりません。ギブミーチョコレートからのビートルズを聴く「戦争を知らない子どもたち」を見たら、私が大正生まれなら発狂します。

「お前たちは何もわかっていない!」

なのに、祖父母は普通に生きてたんです。
戦争がどうのとか全共闘がどうのとか安保がどうのとか、一切口にすることなく。
心に矛盾なんかないかのように、毎日、淡々と。

この人たち、いったいなんなんやろ。
そんな人たちから生まれてきたお父さんやお母さんも当然意味不明。
意味不明すぎる世の中。そんな世の中をどうやって生きていけと?

――でも、そんな私の疑問を言葉ではなく深い感覚で納得させるものが先祖の足取りにはありました。
「あ、そうなんだ。そっか。それならそうなるか」と。

意識の深いところでつながって納得する感覚。
それは潜在意識を癒された感覚でした。
別の言い方をすると、先祖から受け継いできた傷が癒された瞬間でもあったのでしょう。

そうすると、不思議と今まで引っかかってきたこと、自分の足を引っ張ってきた理不尽な感情から解き放たれるようになってきました。

例えば、私は人と会った後
「勘違いするな、お前のことなど誰も好いていないんだぞ、調子に乗るな」
と自分の内側から声がすることがありました。

なんだか面倒くさいですよね、そういうの。
そりゃ、そんなに好かれてないかもしれないけれども、100%好いてないってこともないでしょう。誰も好いてないから調子に乗るなは、少々極端です。

なのに、その感情に引っ張られてイライライライラして「どうせ自分はダメなんだ」と自己否定や自己嫌悪につかることもありました。

根拠がない感情です。
そんなものになぜ引っ張られてしまうのかが謎でした。

インナーチャイルドケアをすることでずいぶんよくはなりましたが、まだ根っこは残っている感じがありました。

それが、先祖のことを調べていくうちに理解できたんです。
「あ~!あの声は、うちの家系代々に継いできたエネルギーだったんだ!」と。

詳しく話すと超絶長くなってしまうので、そのあたりはリピータールームに書いておきます。一言でいうなら、曽祖父は私生児だったということです。

自分の心の闇は、実は家系の闇だったのです。
先祖の闇だったのです。

ですから、そこを明かして癒していくと、なんだかずいぶんと心がすっきりしました。
「憑き物が落ちた」といってもいいのかもしれません。

実際、久しぶりお話しした人にも言われたんです。
「憑き物が落ちたみたいに穏やかになった」って。
↓この記事で書いた、たまちゃんになんですけれども。

自分の内側にある先祖からの闇を癒す。
そうすると、先祖供養にもなるし自分も生きやすくなる。
そういうことなんだと、今の私は理解しています。

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