2023/11/12、ミュージシャンのKANさんがお亡くなりになりました。
この記事では、彼の音楽をちゃらっと振りかぶってみます。
KANちゃんと私
誰の心にも、青春時代を共に過ごした音楽があることでしょう。
高校時代の私にそれは、「KAN」「槇原敬之」「岡村孝子」でした。



周りの友達はB’zとかドリカムとか米米CLUBとかが好きだったので、もちろんそういうアーティストも聴いていました。
でも、自分でCDを買って聴くのは上の3人。(プラス、別格で南野陽子)
そのことを思うに、私が当時必要としていた「音」とは、心をそっと包んで和らげてくれる音だったように思います。刺激の強い音ではなく、優しい音。
そういう音をくれるのが、KANであり槇原敬之であり岡村孝子でありました。
20年前、私のガラケーのメールアドレスは“gyunyunondegyu@~”でした。笑
KANを知ったきっかけは、吉住渉の漫画「ハンサムな彼女」。

この漫画で「言えずの I love you」が紹介されていたんですね。
私は小学生のころから、りぼんっ子でした。
矢沢あいも大好きです!
それでもふられてしまう男 KANの闇
KANちゃんの曲は、とてもポップです。
大変聴きやすくてキャッチーなメロディライン。
にもかかわらず、玄人受けするアレンジ。
実際、一流のアーティストの中にもKANファンは多くいました。
良く知られているのは、aiko、桜井和寿(Mr.Children)、ASKAなどですね。
KANは作曲を先にして後から歌詞を付ける人でした。
キャッチーなメロディラインにマニアックなアレンジ。
その音に乗る歌詞は、闇。
「KAN=愛は勝つ」の印象が一般には強いので、KANはとてもポジティブで明るい人だというイメージがあります。
実際、震災の後に歌われた「愛は勝つ」に勇気づけられた人もいることでしょう。
しかし、KANを聴きこんだ(面倒くさい)ファンにとってその評価は少し違和感があります。
それこそ、「愛は勝つ」のB面カップリング曲は「それでもふられてしまう男」
この曲、超絶ポジティブです。
メロディも明るく歌詞も前向き。
「だって僕は世界一君のことが好きなんだ!だから君は僕のことが好きになる!!!」
「愛は勝つ!」
↓
「僕は世界一君のことが好き!」
↓
それでもふられてしまう男。
どうですか。
この三段論法。
これがKANです。
表面だけ聞いていたら底抜けにポジティブで前向き。
でも、聴きこむと「えっ?」と思うような違和感と深み。
これがKAN沼。
この「キャッチーで明るいメロディ」と「歌詞の抱える闇」が顕著にわかりやすいのが「健全 安全 好青年」です。
世の中みんな僕を笑ってるよ
僕がいつもいつも笑顔でいるのは
情けない自分がおかしいだけなんだ
すごいですよね。
なんとなく聞き流してたらただのポップミュージックなのに、ちゃんと聴いてみると、闇。
KANちゃんは数多くのラブソングを残していますが、90年代の歌を一言でいうならまさにこれ。
「それでもふられてしまう男」
都会派九州男児 田舎者クリエイティブこそスタイリッシュ
KANちゃんは福岡の生まれです。
都会的で洗練された曲調が多い、どう考えてもカントリーで素朴な癒し系イメージはない。でも、地方出身。
これ、よくある話なようです。
「残酷な天使のテーゼ」で知られる作詞家、及川眠子さん。
及川さんは著書の中で、地方出身者のほうが都会的なクリエイティブが得意であると書かれています。

及川さん自身も和歌山出身。
地方出身ですが、淋しい熱帯魚などの都会的な作品を手掛けられています。
地方出身者は都会へのあこがれがある。
だからこそ、都会的なものを美しく表現するのが上手い傾向があるそうです。
(そして逆に都会育ちの人間は自然へのあこがれがあるので、自然派ほっこり系は実は都会出身者のほうが上手かったりするよう。確かに、キャンプ文化は都会人によって作られる印象)
これ、KANちゃんにもあてはまりませんか。
例えば、デビュー曲「テレビの中に」のカップリング曲「セルロイドシティも日が暮れて」。
どこからどう聴いても、超都会的です。
土臭さはみじんもありません。
シャカシャカ鳴りよって、ほんなこつせからしかー。
九州を歌う「青春国道202」ですら、あくまでもポップで都会的です。
そんな「地方出身者だからこそ表現できる都会」。
その真骨頂が「東京ライフ」ではないでしょうか。
いくら好きでも 信じあっていても
それぞれ言い分はあり
小さなことを放っておけなくて
大事なこと見失う
胸を締め付けられるような孤独に満ちた透明な音。
イントロのグロッケンシュピールが無機質で、だけどスタイリッシュで魅力的で、余計に哀しくなります。
それは、地方のコミュニティの強い絆を体験した人間が都会に出てきてこそ感じられる、ひいては表現できるものかもしれません。
1960年代生まれ(バブル世代)の人間が持つ、都会への希望と絶望。
「東京ラブストーリー」でカンチが抱く感情も、東京ライフに通ずるものを感じます。

この「東京にのみこまれそうになる」感覚。
これは東京で生まれ育った人間には理解が難しいでしょう。
東京生まれ育ちが多くなった令和には、なかなか通じにくい感覚かもしれません。
報われない恋と孤独
KANのラブソングを一曲だけ選ぶとしたら。
そんなお題を出されたらこの曲を選ぶファンが多いのではないでしょうか。
「永遠」。
素晴らしい、実に美しい曲です。
しかし、どう考えても幸せになれなさそうな未来しか見えない曲です。
この曲を聴いていると、オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲を聴いている時と似た気分になります。「それ、フラグですよね」という。旋律が美しければ美しいほど、そのあとにくる悲劇を予想させてしまう、あの感じ。
100%勝手な憶測ですが、一部のファンの間では「秋、多摩川にて」あたりで「『永遠』の人にもふられちゃったんだなあ」と言われたり言われなかったりしていました。
愛する人のためだけに
お給料ももらわずに
働く毎日って大変だろう
どんなんだろう
痛い。
つらい。
その人、結婚してほかの男の奥さんになっちゃったのね……。
「そうとう頑張りすぎたね、すこし休もう」
やはりKANの曲は優しく明るいメロディーと共に、孤独感と劣等感や諦観のある歌詞の組み合わせが多くみられました。
ファン的には「またKANちゃん、ふられちゃうのかしら」という感じです。
それでもふられてしまう男。
しかし、ミレニアムの訪れとともにそんなKANに変化が起こります。
ジョエルより出でてジョエルよりほっこり
その変化を私が感じたのは、1999年4月21日発売の12枚目のアルバム「KREMLINMAN」。

このアルバムに収録された「50年後も」という曲を聴いて、おやと思ったのです。
「ねえねえ、明日の朝起きて俺が死んでたらどうする?」
「まった変なこと言って。早く寝なさいよ」
「え~……」
「……」
「……」
「ねえねえ」
「ん~?(半分寝てる)」
「明日の朝本当に俺が死んでたらどうする?」
「まだ言ってたの? いいから寝なさい」
「はぁ~い」
みたいな歌です。
これ、てらいがありません。
メロディが優しいのも今まで通り、アレンジが美しいのも今まで通り。
だけど歌詞が今まで通りじゃない。
今まで重低音のように横たわっていた暗い孤独感が払しょくされ、あくまでも穏やかにとうとうと温かいものが歌の底に流れている。「根」があって、安定感がある。
「明日の朝、僕が死んでいたらどうする?」
「何変なこと言ってんの。寝ろよ」
この返しが、絶妙。
だって、ドラマティックな運命の恋だったらこうなりますから。
「明日の朝、僕が死んでいたらどうする?」
「そんなことになったら、私生きていられないわ!」
このテンションの高さは、燃え上がる恋愛の熱量です。
対して、歌の中で歌われる「馬鹿なこと言ってないで寝ろ」のテンションの低さは日常的です。
つまり、非日常な恋愛ではなく日常のなにげない生活を歌っている。
安心して聴けるやりとりなのです。
結婚生活のように長く続けられる関係は、「永遠」のようなドラマティックな関係ではなく「50年後も」のような地味でテンションの低い、だけどとうとうと温かい。そんな関係であります。
このアルバムが発表された年。
KANちゃんはヴァイオリニストの早稲田桜子さんと結婚されました。
結婚後のKANちゃんの歌には、安定感が生まれました。
独身の頃のどこか不安定で「やっぱりふられてしまう男」感はなくなりました。
上の「世界でいちばん好きな人」では不安も歌われています。
だけど、不安はあると同時に「今ここ」地に足を付けて生きる姿勢が歌われます。
日本がずっと平和なまま
続いていくとは限らない
だから今このふつうの日々を
大切に生きる
遠くで起きてる戦争は
いつ終わるのかもわからない
せめてぼくらは ずっと互いを
許しあい生きよう
ただ、ここでずうっと「それでもふられてしまう男」KANを見てきた長年のファンは心配になりました。
「KANちゃんも、ビリー(ジョエル)と同じになっちゃうのでは」と。

ビリー・ジョエルはKANの音楽観形成に多大な影響を与えました。
ビリーは自分の人生に起こることをそのまま曲にして歌うスタイルをとっていて、KANちゃんもそんなビリーのスタイルを踏襲している部分があります。
私小説をつづるように、歌を作る。
いってみれば、ポップ・ミュージックにおける写実派です。
1982年、ビリー・ジョエルは数々の苦難に遭います。
パートナーのエリザベス・ウェーバーと離婚することにもなりました。
そんな失意のビリーを救ったのは、モデルのクリスティ・ブリンクリー。
ビリーは、暗闇の中から光を見出し「The Longest Time」でこう歌います。
もう人なんて愛せないと思った。
純粋な気持ちなんて消え失せたと思っていた。
でも違う。ああ、なんて長い間、誰かと共にあることの素晴らしさを忘れていたのだろう。
――そんな熱い愛を歌い上げた相手とも、結局は離婚するわけで。
ビリーのそんな前例を見ているからこそ、KANちゃんの歌がしっとりと愛に包まれ穏やかさを増せば増すほど「だいじょぶかなあ」と心配になってしまったのも、また事実です。
しかし、それは杞憂でした。
ついにKANちゃんは、桜子さんと生涯を添い遂げたのです。
もうそこには「それでもふられてしまう男」の姿はありませんでした。
おわりある人生
一番大切なことは
愛する人に愛されてるかどうかということだ
街中で、声だけで。唯一無二のアーティスト
時は流れ、2020年12月。
札幌地下街オーロラタウンのストーンマーケットでパワーストーンを見ていた私の耳に、ある音が飛び込んできました。
それはなんだか歌のようで、聞き覚えのある声。
「あっ、これ、KANだ」
そう思いました。
そして、家に帰って調べてみると、それは「エキストラ」という曲でした。
まるで、若かりし頃のKANさんのような、それこそ「それでもふられてしまう男」の瑞々しさを取り戻したような曲。
私は、思いました。
「声だけで一発で分かる。これ、本当にすごいことだな」と。
つまり、無個性ではない、唯一無二であるということです。
この曲は女性を主人公にして作られた歌なので、モーニング娘。’23のリーダーである譜久村聖さんのカバーがまた素敵です。
KANさんのラストアルバムになってしまった「23歳」。
「エキストラ」も収録されているそのアルバムを聴きながら、この記事を書きました。
KANさんの楽曲は、現在サブスクで聴ける曲もたくさんあります。
よろしくサブシュク。
最後に、KANさんが最も輝いていた、素敵な写真をシェアしてこの記事を終わりたいと思います。
見てください。
『タワーぶりっ子』。

ヤダー超かわいい!
かわいすぎるせいかなぜか目の前がぼんやりとにじんでしまう感じがいなめなめなめなめません。
あと、ASKAさんのブログに在りし日のNO-NO-YESMANを思わせる還暦祝いのお写真もあります。
☆朗報
— KAN_official (@_kimuraKAN) September 19, 2022
60歳の "ケジメの振袖”
地元の写真館で撮っていただきました。
お写真選びは23日(金)
楽しみです。#kimurakan #ケジメの振袖
はぁい、こちらのものですね。
ハイセンスなファンの皆様にあられましては既読だとは思いますが、どちらさまもお見逃しのないようよろしくお願いシンクロナイズド睡眠不足。

ほな、サイババ。