
神奈川県
きり様からの
体験談
Nozomi様
先月末は対面セッションありがとうございました。
クローズ前に思い出のあるサロンに直接伺うことができて本当に良かった。
今回はサロンとのお別れがメインだったので相談内容は直前まで悩んでいたのですが、今回の旅や前夜祭(ぼだいじゅの会の同窓会)なども色々シンクロしていて、このタイミングで北海道へ行くのは必然だったのだと感じています。
(オマケとして、先週のメルマガ見てトムラウシ遭難話のシンクロにもぶっとびました・・・鳥肌)
最近仕事の担当が変更になり、苦手課題のコミュニケーションにがっつり取り組む流れが来たようだと向き合い模索中のところ、セッションでおりてきたアドバイスが「もっと周りを見下していい」でした。
え?真逆では?と正直思いましたが「周りの8割ぐらいの人は(上司含め)あなたほど仕事できないよ」「ほっこり楽しくだけじゃビジネスにならない」とたたみかけられ。
セッション後、試しにコミュニケーションでつまづいた時は、心の中で相手に対し「そうか、わからないんだもんね」「できないんだもんね」とつぶやきながら、この2週間を過ごしてみました。
すると物事が逆にスムーズになったんです。会話の流れも、自分の感情の流れも、とても穏やかに進むようになりました。交渉の結果、試合に負けても勝負に勝つような成果を手ごたえとして感じる場面もあり。
今まで、説明や交渉ごとにつまずくと、自分の伝え方や準備不足、能力不足が原因と思って修正を心がけていたのですが、相手を気遣うあまり恐らく客観的に状況を見られていなかった、何より自分の能力や頑張りを認めてあげられていなくて、それが知らずにストレスや壁になっていたのかもしれません。私はできる、と考えてしまうのは奢りだと封じ込めたり、立ち回りに気をつかったり・・・無駄な努力をしていたのかも。
(ぼだいじゅの会の同窓会も できる子特有の悩み・・・的な会話が出ていましたね)
そしてこの「相手ができないことを認め」た結果、できない自分を許すことにも素直になれています。見下すという言葉自体は良くない響きですが、偏り過ぎていたバランスを中庸に戻していくために、今の私には必要な言葉だったのだと感じています。
コミュニケーションの糸口が見えたことで、仕事で疲れ切ってアフターぐったり、という日も減った気がします。次の人生のステップに向けて今の環境で学べることも多いようですし、しばらくはこの調子でミッションをこなしていきたいと思います。
今回もご縁をありがとうございました。
空間としてのサロンはなくなっても、これまで多くの方と育まれたエッセンスみたいなものは消えないと思いますし、次のリンデンバウムのステップもNozomi様個人のステップも楽しみにしています。

P.S いただいたサロンのカップ、リラックスタイムのお供に日々活用させていただいています。癒されてます。
Nozomiより
そうなんですよ!
トムラウシのシンクロ。
「えっ?これは一体……どういうことなの」と私も驚きました。
(メルマガをお読みでない方のために、以下にメルマガ11/4号の一部を引用します)
対面セッションの後、お客様と一緒にスープカレー食べてて言われました。
「見る動画のチョイスがマニアックすぎる」と。笑例えば私は「山の遭難ゆっくり動画」をよく観ます。
こういうゆっくり遭難動画って、きめえ丸が出てきたら結構死ぬんですよ。きめえ丸が出てくると「今回もきめえ丸は死ぬのか。ああ、きめえ丸が心配」とハラハラします。
リンデンバウム メールマガジン 11/4
「存在感が出るほど死亡フラグにしか見えないハンネスさん(進撃の巨人)」を見てるのと同じ気持ちになります。
生きて、きめえ丸!笑
ちなみにこのお客様は上のトムラウシ山事故の次の日にトムラウシ山に登ったそうです。すごいタイミング……。
翌日は嘘のように晴れて、天国のように美しかったらしいです。
そして、そのお客様とお会いした次の休み、先祖調査のために一族の長老に会いました。そうしたら、会社の会長室にはトムラウシ登山の写真が。
なんとウチの長老もそのトムラウシで遭難したパーティと山小屋で会っていたそう。
なんなのでしょう、このシンクロ……。
聖山トムラウシが私を呼んでいる?
カムイミンタラ(神々の庭)が私を呼んでいるのかしら?
嘘みたいな話だけれども、本当に会長室にバーンと写真がありまして。青空のトムラウシ山をバックに笑顔の写真が。
うちの長老はもう帰るところ、そのパーティはこれから進んでいくところですれちがったらしく、「これから天気荒れるから、明後日あたりは厳しいんでないかい」と伝えたそうなんです。そして、やはり天候が悪くなり「あの人たちも白雲荘(多分白雲岳避難小屋のこと)で今頃休んでるべね」と話していたら、遭難したとニュースが……。
いやいやいや、マニアックすぎるシンクロですよ。
ちなみに長老は「でもトムラウシよりポロシリのほうが数段危ない」と熱く語っておりました。笑

さて、コミュニケーションにおいて、相手を見下すとなぜうまくいくのか。
それは、マジレスをしなくなるから。
これにつきます。
特にきりさんみたいな高知能(高学歴)な人には、
心の中で相手に対し「そうか、わからないんだもんね」「できないんだもんね」とつぶやき
これ、大切なポイントとなるのでは。
相手に対して自分と同じ水準を求めない。
表面だけとりつくろってかわそうとする相手の嘘を詰めない。
読者の方に解説しますと、この体験談をお寄せくださったきりさんは超キラキラ有名企業にお勤めの方です。
特に、意識高い若者に絶大な人気を誇るグローバル企業。
「楽しくなきゃ仕事じゃない!」
「仕事とは人生を豊かに生きるためにある」
――みたいな、まぶしさあふれるイメージの良い企業です。
私も創業者が書いた経営論を読んで素敵と思いました。
本当にキラキラです。
人生を楽しむことで社会も地球もイキイキする!みたいな希望にあふれています。
そういうキラキラしたところに集まる人と円滑にお付き合いをするには、少しコツがいるのではないでしょうか。
真面目にじっくり向き合って腹を割って話し合う――なんて昭和なことをしてしまうと、フラストレーションをためることになりかねません。
動画 2:10頃〜
(ヒューレッドパッカード社で人事担当をしていた経歴を持つ)樋口弘和さんという社長さんと対談したときの話が衝撃的だったんです(中略)。
(樋口さんは独立後に)年間100社を超える企業の採用業務や組織コンサルタントをしてたすごい人なんですよ。
その人がグーグルなど超巨大IT企業の役員クラスに質問したことがあったと。
「あなたの会社ではどういう人材を求めてるんですか」
そう聞いたら
「good natured person」
という返事が返ってきた。
good natured person、「生まれつきいいひと」ですよね。つまり「好人物」なんですけれども。
GoogleやFacebookの採用方針は「何でもできる超天才」とか「すごい頭のいい人」とかを、実は求めてないのです。
割と人柄で、最後の最後は選ぶと。
なぜこういう採用方針になったのかというと、インターネットというインフラが整えられたことによって、スキルを持った人材が使い捨てになったからですね。
ものすごい天才がどこにでも世界中みつかるわけで、本社にわざわざそんな人を置かなくても「いくらでも世界中に転がってるんだから外注として雇えばいいんだ」という考え方になると。(中略)
優秀なやつはアメリカに住んでなくてインドでもどこでもかまわない。そんなの外注でいい。本社に置きたい人材は「周りの人の邪魔をせずもめごとを起こさなくて楽しく協力しあえるgood natured person」。
優秀な人はあっという間に競争をはじめて、その競争がすぐに足の引っ張り合いになるからなんです。そういう人がいると会社の中で仕事が止まってしまう。
人に好かれる人たちは、良い人でありながら損をしないんですね。
これは僕の個人的な観察なんですけれども。
最先端企業では一昔前のエリートってまだいるんですけれども、どんどんエリートっぽい人って少なくなってるんですよ。そうじゃなくて、いかにもセンスが良さそうで誠実な人が多いんですね、面白いことに。(中略)
例えばDMM.comとかアメーバとか、ああいうところにいくと現場の中堅社員若手社員って本当にみんなおしゃれでセンス良くて、なのに軽薄ではなく誠実なんです。コミュ力も高い。
でもそういう人たちって面白いことに損切りが早いんですよ。
付き合ってて「この人メリットないな」と思ったら悪印象を持たせずにサーッと手を引くのが早い。あっという間にいなくなるんですね。
岡田斗司夫さんの鋭い分析。いかがでしょう。
私も似た印象があります。こういった非常に理念的で美しい社会的責任を果たそうとする企業に勤めていたり、社会貢献のための活動をされている著名人には、あまり全力でぶつかってはいけないと感じます。一言でまとめるなら、マジレス禁止。三島禁止。
なぜマジレス禁止かというと、そのような方々は非常に自分の見せ方が上手くふるまいも上手いので、誠実に向き合ってお付き合いするといつの間にかこちらが損をするポジションに置かれることが多いからです。
うま~く嫌なことを押し付けて「あなたのおかげです、ありがとうございます」って笑顔で感謝してくるんですね。なんて素晴らしい処世術!
他にも岡田さんは上の動画18:10頃に「頭がいい人は敬して遠ざけるになりがちなので、頭がいいことはそんなに得なことではない」ということをおっしゃっています。頭が悪いと思われているほうが得だと。
最近私も「頭がいいと孤独になりがち」ということを書きました。
岡田さんは動画内でスルーすることが大切とおっしゃっているのですが、スルーをすると頭が悪く見えます。スルーしないで「ちゃんと自分は理解していますよ」とマジレスするほうが頭が良く理知的に見えます。
でも、マジレスしたら貧乏くじを引きます。
マジレスするのは、肚割って話すのは、プライベートで心許せる相手と。
人を選んで行う必要があるということですね。

ぼだいじゅの会(十年ほど前にやっていたインナーチャイルドケア自助グループ)同窓会、くしくも参加者全員進学校出身でしたからね。笑
このあたりの話は……刺さります。
頭でっかちにならずマジレスせず、軽やかにかわしたいものですね。

私はアレキサンダーを頂きました。とても美味しかったです😊
本題からはずれるのですが、ぼだいじゅの会の同窓会できりさんがつけていた口紅の色がとても素敵で。
「それ、どこのリップですか?」ときいたんです。
そうしたら、なんと。
シャネルのルージュココブルーム、118ラディアント。

私が使ってるリップと、同じ!
なんてこと。私、本当にこの色好きなんだわ……と思いました。笑
ブルべだったらかなり幅広く使いやすい色。発売前にシャネルカウンターに見に行った時も、この色は予約締切になっていました。いい色を皆さんわかっているのね、とBAさんとお話しした記憶があります。
きりさんが使われているのを見て、改めて良い色だなと思った次第。ブルべサマーな私にとっては秋冬の季節に特に使いやすい色なので、ヘビロテで使っていこうと思います。

自分の能力や頑張りを認めてあげられていなくて、それが知らずにストレスや壁になっていたのかも
そう。
ここですよ。
周りから認められていないと、「もっとやらなきゃ」とか「もっと頑張れば認めてもらえるんだ」と学校のお勉強ができた人間は思っちゃうんですよね。受験勉強でそう刷り込まれてますから!
ですが、大きな企業で世渡りの上手い人たちに囲まれている場合、そんな姿勢の人間は非常に美味しいターゲットとなります。「笑顔でありがとうございますと伝えれば面倒くさいことを全部やってくれて本当に感謝しかない」になります。いつのまにか組織のどぶさらい担当をやることになります。
社会は非線形系でできている。
受験勉強のようにわかりやすい単純な線形ではできていない。
人間も社会も価値観は常に流動的。
上の動画で妙佛さんは韓非子の思想を解説しています。
「桃を食べたらすごくおいしかった。だから帝にも美味しいから食べてとその桃を渡した」
これについての帝の反応はどうだったかという話です。
相手を好ましく思ってるとき「おいしいものを食べたら自分にも味わってもらいたいだと?なんと愛い奴よ」
相手に飽きてきたとき「なんだあいつは、俺に食いかけの桃をよこしやがって」
この話で韓非子は「同じことをしても相手の感情によって評価は正反対にすらなる」と説いているのですね。
だから、突き詰めると「自分がどうしたいかが一番大切だ」という着地点に落ち着きます。
相手の評価なんて天気が晴れか雨かで変わったりするようなものなのだから、そんなものに振り回されると辛くなります。相手にどう評価されようと「自分はやりたかったことができて満足です」と言えれば、結果がどうであれ自分の道を歩めるのではないでしょうか。
つまり、「じゃあ自分はどうしたいの?」という問いかけが必要であると。
そして、その問いかけができるだけの時間的・心理的余裕を作ることも大切であると。
そういうことなのかもしれませんね。

サロンにもお別れに来てくださり、ありがとうございました。
リピータールームにも書いた通り、私も寂しくて寂しくて気分が落ち込んでおりました。でも、新しい風は手放さないとやって来ない。ありがとうの気持ちと共に、手放さねばなりませんね。
カップももらっていただき、ありがとうございます。ラストの方々に引き取っていただき、嬉しかったです。

上の画像のネズミちゃんカップだけは、自分の手元に残しました。
なぜならこのカップ、中学生のころピアノの先生からもらった思い出の品なのです。いやはや、物持ちが良すぎですね!笑
ソーサーのついた優雅なカップで、お茶を入れて飲む。
それだけで、周りの空気が緩みますよね。
心に余裕ができて、ゆったりとした時間を過ごせます。
早速カップを使っていただけて嬉しいです☺️
ありがとうございます。

セッションで使用しているパワーストーンも、一部は高校生の時からの付き合いだったりします。
私は人とも物とも長く付き合っていけると幸せなタイプなので、きりさんをはじめリンデンバウムがご縁で十年来のお付き合いができるって、とてもうれしいなと感じています。
ご縁をありがとうございます。