「なぜあの人は話を忘れてしまうの?」IQ130の世界

人生:スピリチュアルブログ
写真AC

IQ130のお客様(医師)がこうおっしゃっていました。

周りの人達は話したことをすぐに忘れてしまうんです

「そんなこと言ってないよ」
「そんな話したっけ?」
「良く覚えてるね。忘れたわ」


いつも自分ばかり話を覚えているのが辛くて…

これ!
これ、いたく共感します。
私はIQ130はないと思うんですけれども、昔から人の話を覚えているほうでして。

「自分が覚えていることを他者は覚えていない」状態。
同じく、辛かったです。

私は、興味のある話はもちろん覚えています。加えて、自分には興味のない話でもそれなりに覚えています。つまり、自分基準なら「聞いた話を忘れる」ということは「ものすごくつまらなくて、超絶どうでもいい無価値なる話だった」ということになります。

私は相手の話を覚えています。
一方で、多くの人は私の話を(私基準だと)すごく忘れます。
「ほら、前話したあのこと」といっても「えっ?そんな話したっけ?」と結構な確率で返されます。

繰り返します。
私にとって「聞いた話を忘れる」ということは「ものすごくつまらなくて、超絶どうでもいい話だった」ということです。

そして、私のした話を、他者はぽんぽんぽんぽん忘れていきます。
よって、私はこう感じました。
「私の話って、そんなにつまらないのか……」と。

現在、たまに「Nozomiの話、おもしろ~い!なんでそんなに起承転結あってオチまでついて話せるの~!」と笑ってくれる人がいます。楽しんでもらえたならば、ありがたいことです。

面白いと感じてもらえるとしたら「どうやったら私の話を忘れずに聞いてもらえるのだろう」と考えて話すためです。「私の話はつまらないんだから、覚えてもらえるように構成を考えてわかりやすく面白く話さなくては」と。

しかし、です。
実は、私は、そこまで自分の話がつまらないと考えなくてもよいのかもしれないと思うようになりました。

つまり、人は「私の話がつまらないから記憶しない」ということではないらしい。興味がある話をされてすら記憶からするする抜けていって覚えていないという人は世の中に相当数存在するらしい、ということです。

実際、上のIQ130なお客様の話はこう。
「周りの人達は話したことをすぐに忘れてしまう」

IQ130だと、実にまわりの97%(!)が自分と比較すると低知能な人となります。
これは差別とか見下しとかではなく、単なるデータ(数値)です。

逆から見ると、自分の知能と同レベル~それ以上の人なんて、人口の3%しかいません。
「周りの人達は話したことをすぐに忘れてしまう(自分は覚えている)」
これは、高知能の人が100人に会ったら90人くらいに起こる現象といえなくないでしょうか。

そう。
差別でもマウントでも何でもなく、世の中の大多数の人は、IQ130の人よりも知能が低いのです。

つまらないから覚えていないのではなく、価値が無い情報だから覚えていないのではなく、記憶機能がそこまで発達していないのです。
「相手には自分と同じ機能がついている」と考えていると、現実認識をミスるのです!

興味深いことに「IQが20違うと話が通じなくなる」という説があります。

高知能者のコミュニケーショントラブル: IQが20違うと会話が通じない(Amazon)

ここで小学校(公立)のクラスを思い出してください。
自分がフルスロットルで話すと、みんなシーンとしませんでしたか。
私はポカーンとされました。話を理解されませんでした。

だからダウングレードして(かみくだいてわかりやすく)話す必要がありました。
もしかしたら、周りとIQが20以上ずれていたのかもしれません。

上の動画で例えると、池上さんの話し方がフルスロットル。そして茂木さんの話し方がダウングレード版です。茂木さん、わかりやすくかみくだく力が素晴らしいですよね。

ちなみに、IQ130の場合、話が通じる人は大体4人に1人。

4人のうち3人は自分のペースで話すと相手は「ポカーン」としてしまうということです。

ここでこんな風に考えていると、事故ります。

世の中はみんな対等なんだ
自分が知的に優れていると考えるなんて傲慢な考えだ
相手を師だと思って学ばなければ
間違っても「自分のほうが理解力がある」だなんて考えはいけない
そんなのは唾棄すべき”上から目線”だ。

実際この考え、刷り込まれるでしょう。
小学校とか中学校とかで、親や先生にガッツリ言われるでしょう。
「自分が頭が良いだなんて思い上がるな。人間はみんな平等で対等なのだ」と。

しかし、正しく認識したほうがいいと思うのです。
自分は少なくとも多くの人に比べてある点では能力が優れているようで、自分が普通にすることが多くの人にはどうやらできないようなのだ、と。

150kmの球を投げられる人が「こんなの誰にでもできるから受けるのも簡単だよ!」って言われても、そんな速い球投げられたら受ける方も怖いです。

羽生結弦さんに「自分にもできたんだから4回転ジャンプなんて誰にでもできる」って言われたら、頑張って練習をし続けているのにできないフィギュア選手の心が折れかねません。

「上から目線」が必要な時ってあります。
大学生が小学生に本気で空手の蹴りをかましたら、それは暴力です。大学生が小学生に指導する時は手加減する必要があります。

それはある意味での「ウエメセ」であって、「見下し」です。
相手を対等とは見ない行動になります。
とても大切なことです。

常に「君と僕とは対等だよ!」なんて言っていたら、大変なことになります。
正しく「上から目線」であることで、不要な軋轢を回避できます。

上から目線に立つことではじめて「この人の理解力はこの程度なのだから、これくらいの語彙に落として話をすればわかりやすいだろう」とコミュニケーションの加減を調整することができます。

上の動画を見ていて思ったのですが、私と親はIQが同程度だけれども、EQとAQ(逆境指数)にはずれがあったような気がします。

そういう時には、親を一人の人間として冷静に客観視する必要があります。それをしないと、コミュニケーションが上手く取れないからです。

【画像】凪のお暇7凪のお暇 1

あと、なぜ私が経営者(1代目創業者)の方と仲良くなれる、話が弾むのかも上の動画をみてわかった気がします。

「AQの一致」です。
人生で何度も修羅場くぐってきた者同士って、通じ合えるのですね。
ゆえに、私は土建屋のオッチャンが大好きです♥

人生は、冒険だ!
高AQ(高レジリエンス)で強メンタル♪
メンタルの強い人は、輝ける光ですね♥

なんで今更ブログなんて書くのか

突然ですが、高知能に関係する話題なので、「なぜ2020年代の今、時代遅れになったブログを書き続けるのか」ということについて書いておきます。

実は、私、Youtubeやりたいです。
Voicyでもポッドキャストでもいい。やりたいです。
ライブ配信も楽しそうだなと思います。

しかし、全部上の人(ガイド)に却下されます。

上の人(ガイド)
上の人(ガイド)

そんなことしたら
関係ない人まで来てしまう
ブログで発信するので十分
動画や音声だと気軽にアクセスできすぎるから良くない

いやらしい言い方に聞こえるかもしれませんが、ここまで読んでらっしゃる方はほぼほぼ高知能(高学歴とは限らない)の方が多いと思います。なので、ずばっと書いてしまいましょう。

私が対象とすべきなのは、ある程度知的に優れている人なようなのです。
知的に優れている人は文章が読めます。一方で、動画はどんな方でも幅広く気軽に・・・試聴することができます。

今の時代に「わざわざブログを読む」という時点で、しかも長い文章を読むという時点で、特異なのです。文章で発信することで、相当知的に優れた(≓AI時代に大切な読解力のある)方に焦点を絞って伝えることができます。

だから、ブログしか書かないようなのです。

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