私の中で今熱い人。
それは、阿南惟幾です。

陸軍大臣だった人で、終戦の日に割腹自殺しています。

な、なぜ
そんな人に注目するのですか?
阿南惟幾を見ていると、私は人として敵わない、と思います。
全面的に降伏です。人間力がすごすぎて、神。
とにかく、すごい人なんです。
そんな人格者が、組織の中で獅子奮迅の働きをします。
ですが、みなさんご存知の通り日本は戦争に負けるわけです。
そして、腹を切って死んで終了。
阿南惟幾の人生を見ると、「じゃあ、どうしたらいいのだろう?」と考えさせられます。
人格を高潔に保ちながらリーダーとして生きることの難しさ、尊さを感じさせられます。
本心と立場と~組織人の悲哀と美学
私は、正直阿南惟幾についてあまり良い印象を持っていませんでした。
戦争映画では「本土決戦しかありません!」と主張する現実が見えてないオッチャン。「これだから陸軍はロートル言われるんだよ……」みたいな。
しかし、この人のことを調べていくと、メチャクチャ評判がいいわけです。
特に、人間としてベースになる部分が相当素敵。
知謀の差は小なり
しかれども実行力の差は大なり
(陸軍士官学校で教え子に向けられた阿南惟幾の言葉)
例えば、夫として父として、素敵。
奥さん大好き。そして奥さんも夫大好き。
だから、先立たれて一人になると、余計に辛い……。
奥さんは夫と共に自決した女性を弔問した際に「お伴ができてうらやましい」と言ったそうです。自分も夫の後を追いたかったと。でも幼な子を育てていかねばならなかったので、できませんでした。子どもを育て上げたあとは出家されています。
「出家とは生きながらに死ぬこと」これは瀬戸内寂聴さんの言。
子煩悩で子どもみたいに一緒に遊ぶ父親。
父の姿に憧れて、同じ軍人になった息子。……そして戦死。
自分が軍人でなければ、息子は別の道を選んだかもしれない――。阿南はのちにこの息子の遺影をそばに置き、割腹を遂げました。
敗北色濃い戦況にあって、それでも阿南陸軍大臣が本土決戦(戦争継続)を主張したのは、軍内部のクーデターを抑えるためだったという説があります。
阿南は昭和天皇の側近として仕えていた経験があり、どれだけ天皇が二・二六事件に対して批判的であったかをよく知っています。だからこそ、本土決戦をしてでも天皇の命を守ろうとする動き(クーデター)を阻止したいという気持ちはあったことでしょう。
二・二六事件が起こった時、陸軍幼年学校の校長であった阿南は、生徒たちにこのように話しています。
一死、大罪を謝す 陸軍大臣阿南惟幾 (Amazon) 「農村の救済を唱え、政治の改革を叫ばんとする者は、まず軍服を脱ぎ、しかる後に行え」
と述べた阿南は、繰り返し軍人は政治にかかわるべきではないと諭している。「謀反将校は軍人として許されない誤りを犯したが、彼らにもただ一つ救われる道がある。己れの非を悟り、切腹して陛下にお詫びすることだ」と説く校長の言葉を、生徒たちは緊張に身を引き締めて聞いた。
一死、大罪を謝す 陸軍大臣阿南惟幾 p15
ポツダム宣言を受諾するかどうかを決める会議、昭和天皇の鶴の一声で終戦が決まりました。
その時、天皇は徹底抗戦(戦争継続、本土決戦)を主張した側の阿南に「お前の気持ちはよく分かる」と声をかけたそうです。
このことについて様々な受け取り方があると思いますが、私は組織人の悲哀を感じました。
誰よりも敬愛する相手が戦争終結を望んでいる。その空気感を阿南ほどの人が理解していなかったはずがありません。
しかしながら、トップとして組織の声を代弁せねばならない、はやる組織を抑えるためにわざと自分が大袈裟に戦争継続を言い立てねばならない立場に、阿南はありました。
一死 以て大罪を謝し奉る
上は、阿南の遺書です。
この「大罪」とは何か。
私は、敬愛する天皇の意に従わず本土決戦を主張したことではないかと解釈しています。
でも、前にも書いたとおり天皇は阿南の難しい立場や心情を理解していました。怒っているわけでも責めているわけでもありません。なのに、阿南は自決します。陸軍トップとしての責任を取って。
一死、大罪を謝す 陸軍大臣阿南惟幾 (Amazon) 阿南は、「日本の軍隊に降伏はない」という長年の教えのままに継戦を主張する部下に対し、「降伏せよ」と命じなければならない立場であった。(p453)
「終戦の議がおこりまして以来、わたくしは陸軍の意志を代表して、ずいぶんいろいろと強硬な意見を申し上げてまいりました。そのため総理に大へんご迷惑をおかけしましたことを、ここに謹んでお詫び申し上げます。わたくしの真意はただ一つ、何としても国体を護持したいと考えただけでありまして、他意があったわけではございません。この点、どうぞご了承くださるようお願いいたします」
その場にいた迫水は、
「その心中を察して、もらい泣きした。本心では和平を願いながらも、陸軍の暴発を懸念し、これを押さえるため、心にもない発言を続けてきた阿南陸相の心情を察すると、私は居ても立ってもいられない気持ちに襲われた」
と書いている。(中略)阿南はていねいに一礼して、静かに部屋を出て行った。
一死、大罪を謝す 陸軍大臣阿南惟幾
玄関まで阿南を見送った迫水が総理大臣室に戻ると、暗然とした面持ちで坐っていた鈴木が
「阿南陸相は、いとま乞いに来たんだよ」
といって、目を閉じた。(p404~405)
どうやったら組織は天才を生かすことができるのか
個人としては非常に優秀でも、組織の中でその能力を発揮できない。
個人としては非常に愛情深くても、組織の中では冷徹にふるまわねばならない。
これは、戦争中だけに起こったことでしょうか?
上の動画で、モハPさんはこのように述べられています。
動画5:22~
最近思うのは、世の中には私よりはるかに能力が高くて、知識も豊富なのに、それをあまり世の中のために使えていない人たちがいるんだろうなということです。
私、日本の金融機関のこととかいつもボロクソに言っていますが、そういうところにも、私なんかよりもはるかに優秀な人は実はたくさんいます。
私も、これまで機関投資家のつながりだったりで、日本の金融機関の人たちともお付き合いがありましたが、すごく優秀な人たちはたくさんいました。私、例えば青色の看板のメガバンクのこととか結構厳しめのことを言っていたりしますが、そこの銀行にもすごく優秀な人たちがたくさんいます。
でも組織になると、言ったことしかやらない銀行とか金融庁にも言われていて、
そんな優秀な人たちの力が全然活かされていないんだろうなと、つくづく思います。
人徳のある阿南惟幾が自刃し、天才・石原莞爾は表舞台から葬られる。
モハPさんのいうところの「優秀な人たちの力がぜんぜん活かされていない」これは、もしかしたら日本の組織の悪しき伝統なのかもしれません。

先ほど例に挙げた石原莞爾。やばいレベルの天才です。
著作である最終戦争論は青空文庫で読めます。

「西洋はアメリカが一番の大国になる。そしてアジアは日本。最後にはこの二国が残って戦争になる」
世界に対し、こんな見通しをつけていた人です。すごくないですか。
このアメリカとの「最終戦争」に備えるために、石原莞爾は柳条湖事件や満洲事変を起こします。そこまで見越して、当時の日本の国力のなさを冷静に分析していたのです。現状ではアメリカには勝てない。だから植民地が必要だと。
もちろん、この考えや石原のやったことに関しては賛否両論あることでしょう。
しかし、基本的に彼の意見は一程度は事実です。今の時代で例えるならば「高齢者は集団自決をすればいい」と述べる成田悠輔のような存在かもしれません。
変化の激しい時代は、天才が必要です。
イノベーションを起こせるのは天才です。
でも、日本は石原莞爾を生かしきれなかった。
なぜなら天才は尖っているから、組織に馴染みにくいから。

日本の天才といえば南方熊楠ですが、彼だって前科持ちです。長らくニートで放浪しててせっかく就職した大英博物館でも暴力沙汰を起こして収監される始末。でも、ずば抜けた天才。
図書館で本を読んで、家に帰って書いてあったことを思い出して復元して書きだせる。外国語の本を一冊丸暗記して、次に酒場に行って現地の人の話を聞いたり話したりする、これでその言語(外国語)をマスター。そんなチート頭脳の持ち主です。
そんな熊楠は昭和天皇に講義をしています。とても面白くて好評だったそうです。
つまり何が言いたいかというと、天才が社会で花開くには徳のある人格者の力が必要ということ。組織からはみ出がちな天才の才覚に惚れこんでサポートする人が必要ということです。
天才側は、自分と組織の間に入って「まあまあまあ」と丸く収める人格者を下に見がちです。つまらない人間と思いがちです。しかし、そこで「まあまあまあ」という仲裁に感謝できるようになったら、より自分の力を大きなステージで異かしていくことができるでしょう。
才と徳はセットになってはじめて、この世界では機能します。
さんざん上で持ち上げてきた阿南惟幾ですが、実は学校の成績はそんなにぱっとしません。むしろ陸軍大学校に何度も不合格で浪人し、ぎりぎりで受かっています。そして陸軍幼年学校の校長なんて職も、実は窓際族的な閑職だったりします。けして出世街道を歩んできたエリートではありません。
だからこそ、徳が育まれるのです。
自分のことを天才とまではいわなくても「才覚タイプ」だと認識している方、「自分に人徳はないな」と認識している方は、ぜひ周りにいる徳タイプの人格者を大切にしてください。彼らは鋭さがなく凡庸で優柔不断に見えるかもしれませんが、そういう人に力を借りることができてこそ自分の才覚は輝くのです。
徳と才が交わるとき、陰と陽が合わさり太極へと至ります。

おまけ:簡易算命学鑑定
阿南惟幾は日干支・丁巳、東条英機は日干支・甲寅。
生貴刑+害で、東條が年下の阿南にイラつく配置と言えます。
甲(陽木)→丁(陰火)でエネルギー的にも東條→阿南の流れが見えますね。
石原莞爾は日干支・甲午。陰占(干支、現実面)的に甲寅(東条英機)とは大半会。
心理的にはイライラしていても、異次元融合してしまって「ちょうど良い距離感を取れなかった」と考えられます。
ちなみに、ホロスコープでは阿南さんは魚座の強い人です。太陽・水星・金星・火星が魚座。そこに蟹座の土星がトラインで入ってきます。情(水)で結ばれた真面目さですね。
10惑星中実に6個が水の星座。「情の阿南」と言われただけあります。
以前、共産党の志位さんのホロスコープでもふれましたけれども、やはり日本は瑞穂の国。水の情深いリーダーが受けますね。