この記事を書いているのは、そろそろお盆が来る時期です。
ですから、先祖供養について書こうと思います。
ズバリ、「スターシードこそ、先祖供養がおすすめ」。
言い換えると、「先祖供養でグラウンディングしよう」です。先祖にふれることで、自分の肉体に流れる地球エネルギーになじむという言い方もできます。
先祖重視しない私が先祖供養を始めた理由
実は私は、少し前から家系図を作成して家系の流れを見ています。
私が勉強している算命学という占いは、そもそも家系繁栄のための占いという一面があります。「家系の流れ」を非常に重視します。その最たるツールが天中殺です。
ネットで「私の星は禄存星」「自分は来年天中殺」「日干庚の適職は何」なんて、算命学のライトな情報に触れている分には、それほど「家系の占い」という感じはしないのではないでしょうか。しかし、真剣に勉強して深堀すると、どうしようもなく「家系」というものの重要さにぶつかります。
自分はどうしてこういう人間なのか。
それは親がああいうタイプでこういった環境で育った点も大きい。
じゃあ、親はどうしてああいうタイプだったのか。
それは親の親がそういうタイプでああいった環境で育った点も大きい。
こうやってさかのぼっていくと、「家系」になります。家風といいますか。
私はもともと「先祖供養が足りないと祟りがある」的なオーセンティックスピリチュアルな思考に抵抗があるほうでした。自分自身は先祖にたたられてるとか呪われてるとか感じたこともないし、だからといって墓参りに行ったからって運気が好転したとも感じられなかったからです。
しかし、私たちの肉体にはDNAという形で先祖の性質が刻まれています。
それが悪さをすると「先祖の呪い」とはいえるかなと考えました。でも、それが墓参りで改善するというのはちょっと考えにくいな、とも。
そして私はあるとき「墓参りが大切なのではなくて、先祖のエネルギーを慰めることこそが本当の先祖供養なんじゃないのかしら?」と思い至ります。
そのきっかけは、ヨガでした。

ある日アシュタンガヨガのハーフプライマリーを終え、シャバーサナ(死体のポーズ)になった時。
腰のあたりから大きくエネルギーが上がってきて、背骨を通って頭に到達すると、それは涙という形であふれ出ました。
胸がいっぱいで、私は泣きじゃくってしまいました。
「ありがとう、ありがとう、うれしい、ずっと自由になりたかった」
この言葉が、体全体に鳴り響きました。
私は、この時感じたのです。
これは、私に連なる家系の女たちの心だ、と。
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