ピュアではなくバランス(中庸)~今を生きやすくするコツ

ビジネス:スピリチュアルブログ

岡田斗司夫さんは今の社会をホワイト社会と分析しています。

今の時代は、きれい(ホワイト)に生きることを要求されます。
不倫が明るみになったら社会的に死ぬのは当たり前ですし、セクハラもパワハラも許されません。暴力描写はカットされ、死や殺という文字はYoutubeで伏字にされます。

そのせいか、世の中ピュアな人が多くなってきたような印象があります。
私は、それに一抹の危うさを感じています。

私は以前の記事でこう書きました。
共産党国家のピュアさについてです。

いくら共産国家とはいえ――いや、共産国家だからこそどこまでも言葉を美しく飾り、「みんな(ひいては地球全体)を幸せにしたい」という壮大なヴィジョンを持ち上げるものではないでしょうか。

ノーアスペクトが共産独裁国家を作りだす!? 習近平 | スピリチュアルサロン リンデンバウム

そう、共産主義って、すごくきれいなこと言うんですよね。
世の中の人はみんな平等で、私有は許さず富を分配する。
みんな幸せニコニコ。みたいな。

共産党国家中国に限らず、日本の共産党でもすごくきれいなことを言います。弱者の味方です。

そういう様子を見ていると、私は不安になります。
「そんなにきれいなことを言っていたら、後から揺り戻しが来るのでは」と。

この世界は二元性の世界なので、何かに偏るとバックラッシュ(揺り戻し)がきます。

例えば、20年前は不倫は文化であり失楽園や愛の流刑地といった不倫コンテンツが大流行しました。あの日経新聞に不倫カップルの濡れ場小説が掲載されてるような有様でした。若い女性におじさんが「いいお尻してるね、たくさん子どもが産めそうだ!」と言うのは褒め言葉でした。

そして、20年後。
現在は不倫は悪で、明るみになったら社会的信用を失うような状態になっています。
見事に揺り戻しが来ています。

ですから、私は今の不倫叩きは行き過ぎだと感じています。
ここまで不倫を叩いてしまうと、また揺り戻し、「不倫こそが純然たる真実の愛だ」フェーズがやってくるのでは、と危惧しています。

なので、個人的には不倫に対してはもう少しトーンダウンしたほうがいいのではないか、と。

叩きすぎると、20年前のような不倫正当化フェーズがやってきます。揺り戻しが起こるから。
「不倫こそが真実の愛。既婚者の僕こそが君に愛を教えてあげられるのだ」なんて言われたら、相当だるいでしょう。

不倫と同じように、ピュアホワイトになりすぎるのも危ういと感じます。
ピュアに性善説に偏りすぎると、ものすごいドロドロ展開が揺り戻しとして起こってしまうから。

ほら、戦後左翼の血みどろの内ゲバとか、すごいでしょう。
あれだって、純粋な志を持ち社会改革に燃えた若者たちの末路なんですよ……。
本当にピュアって、危ないです。

上の動画では、相互会社形態をとっている生命保険会社の闇について解説しています。
相互会社とは、「会社は保険契約者のもの」という形の組織です。株主の利益を追求するのではなく、保険に契約してお金を払っている人のために会社が動くという形ですね。

すごくいい会社ですね。
投資家の利益のためではなく、参加している一人一人のため。
ピュアですね。

そう、ピュアだから、上手くいかない。
ゆるんでしまってだらけて適当になってしまう。
ガナバンスがまさしくガバガバになってしまうわけです。

上の動画で、カマたくさんはりゅうちぇるさんが自死したことに対して驚かなかったと発言されています。(動画3:15頃~)

なぜなら、カマたくさんの目から見ると、りゅうちぇるさんはあまりにも真面目だったから。人の発言を真面目に受けとめすぎてしまう危なっかしいところのある子だな、と。真面目すぎるから、苦しいところがあったのではないか、と。

本当にその通りです。
真面目、ダメ。
真面目は美徳ではありません。欠点です(ただし、奴隷として生きるならば美徳であり長所です。真面目な奴隷は実に使いやすい)。

リンデンバウムのお客様には真面目な方がいらっしゃることが多いので、重ねて強くお伝えします。

真面目なのは、美徳ではありません。
真面目だと生きにくくなります。
楽しく生きるには、アホで変顔でウェーイ!が最適解。陽キャしか勝たん。

もちろん、真面目ではなさすぎるのもいけません。
遅刻するような人って信頼できないし、約束を守らない人も尊敬できないし、身なりに清潔感のない人は不快ですよね。

だらしなさすぎるのも問題。
しかし、同じく真面目すぎるのも問題です。

帯に短し、たすきに長し。
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
何事も、節度を持ってほどほどがよろしいのではないでしょうか。

清でもなく濁でもなく、中庸。

写真AC

徳川家康が愛読したといわれる「貞観政要」。
リーダーシップとは何かを教えてくれるこの本にも「ピュア(真面目)すぎるといけない」ということが書かれています。

座右の書『貞観政要』
中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」 (Amazon) 

人格は濁ってはいけない。
しかし、輝くほど澄んでいてもいけない

●「人間には二面性がある」ということを決して忘れない

相手が善人でも悪人でも分け隔てなく受け入れる度量を持つことを一般に「清濁併せ呑む」といいますが、『貞観政要』の中でも、リーダーは清濁併せ呑む人物でなければならないことが示唆されています。

「天子は、その人格がドロドロとして濁っていてはいけない。かといって、輝くほど澄んでいてもいけない。濁っていると、正邪の区別がつきにくくなるし、清潔すぎると、人を受け入れられなくなる。上に立つ人は、汚かったり、暗かったり、愚かであってはいけないが、かといって、細かいところまで口出しをすると、まわりも息苦しくなって、ついてこられなくなる」(巻第八 論刑第三十一 第四章)

リーダーが「ドロドロとして濁っていてはいけない」のは、もっともなことです。欧米の先進国ではリーダーの資質は何よりも「正直であること」が要請されます。

ですから、「輝くほど澄んでいてもいけない」というのは、意外に思われるかもしれません。

「水清ければ魚棲まず」ということわざがありますが、あまりに心が清らかで、行いも正しく潔癖すぎる人は、逆に、他人から敬遠されて孤立してしまうのです。

座右の書『貞観政要』 中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」  p170~171

あまりに心が清らかで、
行いも正しく潔癖すぎる人は、
逆に、他人から敬遠されて孤立してしまう

これ。
深いですね。

「遊びのない人」って、こうなりがちですよね。
遊びのない人、つまり真面目な人ってことですけれども。

江戸時代中期に田沼意次という老中が腐敗政治をしました。
その後を継いだ松平定信は、寛政の改革で一気にクリーンな世の中にしようと一生懸命に頑張りました。

腐敗は一切許さない!
なんでもキッチリ公明正大に!!

そんなときに読まれた歌が、以下の通り。

白河の清きに魚も棲みかねて
もとの濁りの田沼恋しき

水清ければ魚棲まず。
綺麗すぎる水の中では、魚は生きられない。
四角四面に清く正しく生きようとするなんて、実は人間らしくない所業なのです。

上に立つ人は、「人間には、キレイな面も、汚れた面も、両方ある」ということを忘れてはいけません。

「人間はちょぼちょぼであり、どんな人間にも欠点がある」ということがわからない人が上に立つと、思いやりを欠き、周りは息苦しくなってしまうばかりです。

座右の書『貞観政要』 中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」  p172

少し極端な例ですが、オランダでマリファナは基本は違法なんだけれども一定の条件下では罰することはないという状態にあります。つまり、完璧に違法にして取り締まっても無くすことができないから、しょうがないだろうと。人間のしょうもなさを一程度許容しているといえます。

「愚行権」という権利を耳にしたことがありますか。
これも、人間の愚かさを一程度許容する考え方です。
人間ってどこかしょうもないよね、と受け入れているのです。

まさに、「人間には、キレイな面も、汚れた面も、両方ある」。
ピュアに優しい世界を目指すとかえって危険です。
まっすぐに優しさを目指しすぎると、必ず「揺り戻し」が来るから――。

私は、メールマガジン 7/22号に、以下のように書きました。

最近、増税の話題がひきもきりませんね。
ついにはサラリーマンの退職金にまで課税!?なんて、騒然となっております。

先日もメルマガで、タワマン節税がしにくくなるというニュースをご紹介しましたね。

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こんな増税の話題を聞いて、ネットの反応を見ると私は少し驚いてしまいます。
「ずいぶんと、リンデンバウムのお客様とは違うのだな」と。

リンデンバウムはリーズナブルなタイプのセッションは行っていません。おかげさまで、それなりのお金を頂いてやらせていただいております。
そのためか、ある程度収入のある方がお客様には多いです。

ですから、普段からそのような方々と接している私は、ありがたいことに自然と「お金の取り扱いが上手い人」のやり方を学んでいるとも言えます。

ですから、ネットの反応と自分が日常的に接している方の落差が大きく感じるのかもしれません。

この増税タームで「お金に好かれる人」と「お金が寄り付かない人」の差。

なんだと思いますか?
もちろんこれはスピリチュアルメルマガですから、目に見えない心の在り方の差です。

端的に言うと、こんな差があります。

お金に好かれない人「増税反対!岸田はやめろ!」
お金に好かれる人「決まったものはしょうがない。じゃあ次の手を考えよう」

わかりますか。
お金に好かれない人って、正面から戦っちゃうんです。
「自分がどうしたいか」にフォーカスするのではなく、「それをやめろ」と相手を変えようします。

そして、疲弊してしまう。
当然その結果、消耗するから豊かになれない。

お金に好かれる人は戦いません。
戦わず、「抜け道」を探します。
もちろん、探すのは脱税方法ではありません。節税方法です。

「法律は絶対だ。法律はきっちり守るべき」
なんてピュアな方は真剣に思ってらっしゃったりします。
しかし、法務の専門家からするとこれはちょっと四角四面な考えに見えるでしょう。

なぜなら、法律って実はかなり裁量があります。
「こうは書いてあるけれども、ここまでだったら慣例として通る」なんてことも、よくあります。

文言のどの部分をどのように解釈するかで、「できること」と「してはいけないこと」のラインは変わります。
実際の法務にあたる人間はそのことを熟知しています。

法律は守るものではなく、使うもの。
この発想の転換ができるかどうかで、生きやすさは格段に変わるでしょう。

資産のある人は「タワマン節税できなくなる」ってなったら、税理士さんや会計士さんに連絡して相談するわけです。そして今一番好ましいと思われる方法にシフトする。

これ、まさに「トランサーフィン」の手法。

「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン―幸運の波/不運の波の選択(amazon)

嫌なものがあっても文句を言わずに通り過ぎる。そして、自分が本当に欲しいものをただ選択する。

「増税反対!岸田はやめろ!」
この反応は、トランサーフィン風に言うなら「バリアントの波を両手でたたく行為」です。エネルギーの無駄遣いです。

私は何も岸田さんを擁護したいわけではありません。
しかし、岸田さんを降ろして菅さんになったところで基本路線は変わりません。アメリカの意向に従うだけです。(だから、どれだけ面従腹背してくれるリーダーかどうかが、日本人的には大切ですね……)

それよりも、自分の欲しいものにフォーカスする。
例えば「資産を持ち続けること」を選択するなら、そこにコミットする。政治に文句を言ってデモをする前に、何かできることはないかを探す。自分にとって好ましい選択を教えてくれる人を探す。

この思想って、今の世の中ですごく大切だと思いますよ。

抜け道って、あるんです。必ず。
例外って、あるんです。必ず。
そこを見つけ出す。というか、そこに「導かれる」。

あまりピュアに正面突破しようとしないでくださいね。
今の時代のフェーズ的には、それは賢い選択とは言いにくいです。
みんなが選ぶ道じゃなくて、抜け道を生きましょう。楽していいじゃありませんか。

「岸田やめろ」と声を荒げるより、「自分はこれがいいな」を選択する。心の中で、選択する。選択し続ける決意をする。
トランサーフィン的に考えるならば、それがおすすめです。

●スピリチュアル メールマガジン 7/22● By リンデンバウム

「法律は絶対だ。法律はきっちり守るべき」

こういう人、最近多くないですか。
私、ビックリしちゃうんですよ。
そんなにきっちりきっちり法律守ってたら、そりゃ生きづらくなって当然です。

もちろん、大前提として法律を守る必要はあります。
しかし、要所要所をおさえればよいのであって、裁量のある部分はそれなりに自分の良いように選択できます。

法律に限らず、ルールに対してはきっちり守るところと抜くところを分けてメリハリをつける。全部が全部をきちんと守ってたら、肩がこってしまいます。

人間はそんなにピュアには生きられないです。
もっと適当でだらしないもんですよ。
真面目に生きてたら、生きづらくて当然です。

そういう人間らしさを受け入れている人が、リーダーとして人間として、魅力的なのではないでしょうか。
真面目じゃなくて遊びのある人――清濁併せ呑める人って、素敵ですね!

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