肉体とは、観葉植物のようなものである

人生:スピリチュアルブログ
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スピリチュアルなことに興味のある人は、こんな言葉を聞いたことがあるでしょう。
「ここの世界は仮の宿にすぎない。肉体はかりそめの姿に過ぎない」
つまり、魂である光の姿こそが私たちの本質であると。

自己=肉体という思い込み

最近の若い世代は、ルッキズムが過度になっていると言われています。

スピリチュアルな観点からすれば、このルッキズムの行き過ぎはあまりよろしくないな、と感じます。過度に肉体にとらわれてしまうと、この世界に縫い付けられてしまうからです。輪廻転生の輪の中に閉じ込められ、また生まれ変わってしまうリスクも増えます。

本来のあなたは光です。
その光が肉体に入っているだけです。
その意識を忘れないように生きてください。

そうすれば、重い世界の中に生きていても、人生は軽やかになります。
(だって、光は軽いから)

中庸のために、陰陽のバランスをとる

さて、私は最近、意識的にファッションの記事を多く上げるようにしております。
身だしなみに気を遣うことが大切であるとお伝えしています。

いやいや
魂の本質は肉体ではないのでしょう?
服にこだわるなんて、うすっぺらい

このように疑問に思われる方もいらっしゃることでしょう。
それも一理あります。人の見た目だけにとらわれる人は浅薄であり、目に見えない魂や精神に目を向けなければ真理はつかめません。

しかしながら、肉体に気を配ることも同時に必要です。
光である本質を見失わずに、物質世界の肉体を大切にすることが。

このブログはスピリチュアルな精神世界に興味のある人が読まれることが多いです。だからこそ「頭でっかちはよくないので運動しましょう」「グラウンディングのためにビジネスは重要」「身だしなみで垢抜ければ運気UP」とお伝えしています。

そのくらいで、バランスがちょうど良くなります。
コミュニケーション能力が大切、外向的で社交的であることが大切、というのも、実は同じ意味合いでお伝えしています。バランス調整のためです。

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甲野善紀先生は、老境において「やりたいことがある」という気持ちと「いつ死んでもいい」という気持ちを両立させることが大切である、とおっしゃっています。

「やりたいことがある」だけでは、前のめりになりすぎて若い人たちからけむたがられるでしょう。一方で「いつ死んでもいい」という気持ちだけでは、希死念慮につながってしまうおそれもあります。

「やりたいことがある」という気持ちと「いつ死んでもいい」という気持ちが、どちらもある。矛盾しているようで、両立している。
まさに、これは陰陽の調和といえましょう。

ですから、こういう「肉体にとらわれ過ぎないほうがいいですよ」という内容を書いたら「同時に、肉体を気にかけることも大切ですよ」という真逆の要素も盛り込むことが必要になります。陰陽のバランスをとるためです。

「自分というマネキン」で着せ替え遊び

さて、「見た目(肉体)にとらわれすぎてはいけない」と書いているにもかかわらず、ファッションの重要性をお伝えしているのは矛盾しているではないか、という話に戻ります。

しかし、私はファッション遊びが「肉体にとらわれすぎてもいけないし、かといって肉体をぞんざいに扱いすぎても良くない」というバランスをとるための「気軽なエクササイズ」として適していると思っています。

服にのめり込み過ぎて借金地獄になるのは本末転倒ですし、買い物依存になるのもよくありません。「○○の服を着てない自分には自信が持てない」なんてのも、ちょっと不健康ですよね。

そういうレベルで服にのめり込むことは良くないです。何事も節度が大切です。しかし、「肉体にのめり込まないからこそファッションを楽しめる」という面もあると思います。

例えば、私はもう若くありません。おばさんです。
頬も乳も尻も順調に垂れてきております。
若い頃の服が似合わなくなっております。

肉体にのめり込んでいたら、整形一択です。フェイスリフトをしてヒアルロン酸を打ってボトックスでしわを伸ばして、若い頃を再現するでしょう。老いていく肉体を愛することは難しいでしょう。自分=肉体だとそうなります。

しかし、肉体を少し突き放したところから眺めれば、「この”おばさんのマネキン”を使って、コーディネートを組んでみようではないか」と思えるようになります。

「こうやったら素敵じゃない?」
「ほら、こんなコーディネートだと見違えるわ!」
服選びがウキウキしてワクワクするようになります。

若くて美人のモデル体型のマネキンに服を着せるなら、何を着せたってそれなりに形になります。しかしおばさんマネキンだと色々と工夫が必要になります。それも腕の見せ所。おばさんマネキンを素敵に飾れたら、メチャクチャ達成感あるじゃないですか!

おじさんやおばあちゃんをコーディネートするのだって、楽しいです。ペットの服を着せ替えするのだって、楽しいでしょう?
楽しくて当然。それは小さな頃にやってきた「人形の着せ替えごっこ」リアル版なのです。

自分を「マネキン」として少し距離を置いて眺めれば、毎日眺めていれば、愛着がわいてきます。それは観葉植物のようなものです。

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観葉植物って、完璧ではないでしょう。
少し歪だったりゆがんでいたり枯れていたりするところもあります。
でも、見てて癒されますよね。緑のある空間って、心安らぎます♥

自分の肉体と少し距離を置いて接すると、観葉植物を眺めているような気分になります。毎日見ていると、愛着がわくからです。完璧じゃなくても、歪んでいても。

人の部屋に置いてある観葉植物に「ぶかっこうだな」って文句を言う人がいたら、どう思います?
「いやいや、私は毎日見て癒されてますし」って話でしょう。「あなたは嫌いなのね。でも自分は好きなんだ」でしょう。

自分をマネキン化して眺めるようになると、人から悪く言われたとしても「そうかー」って流せます。自分的には愛着があっていいものだと思っているから。

ただ、逆説的ですがその愛着ある観葉植物やマネキンにも別れの時がきます。
永遠に一緒にいるわけではありません。植物は枯れるし肉体は衰えて死を迎えます。

だから、適度に楽しんで、適度に距離を置く。
このバランス感覚が大切になりますね。
愛しているけれども冷めている。この感覚が肝です。

世界を創り、動かしている愛は、逆説的に聞こえるかもしれないが、本質的に冷静なものである。

「振り子の法則」リアリティ・トランサーフィン―幸運の波/不運の波の選択 p164
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