AI時代に問われる「人間として生きる意味」

精神世界:スピリチュアルブログ

今の時代はクリエイターにも人格的な好ましさが求められる。
そんなことを前の記事で書きました。

芸術家に聖人君子でいろだなんて
そんなことは非現実的だ。
作品と作者は切り分けて考えるべき!

そう思われた方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、この流れは確かにあります。そして、これからますます強くなっていきます。「クリエイターは作品で語れ。作品以外で説明をするな」という考え方は、前時代的なものになっていく可能性があります。

なぜなら、AI時代がやってくるから。
コンテンツ自体は、AIで作れちゃうから。
「AIに作らせればいいじゃん。人間が作る必要あるの? 人件費かかってコスパ悪いでしょ」

こうなった時に、人間が作品を作る意味。
それは、「人として生きていること」
「人として生きて、感じて、だからこそ作ったのだ」というナラティブ。

AI時代に人が何かを創造する意味は、ここにあるのです。
血の通った人間が、実在する人間が作ったからこそ価値がある。
リアルイベントに出演して自らの口で語り、ファンと交流し、発信する。

「この作品を作った時、私は本当に思い悩んでいました。なぜなら、父との関係があまり上手くいっていなかったからです。父のことは尊敬しています。だからこそ、わかりあえないことが苦しかったんです」

こんなナラティブがあるからこそ、作品に価値が出る。ナラティブを語る人間がいるからこそ作品に重みが出る。
自分の感情を生々しく実感を持って語ることは、AIにはできない行為だからです。

だから、私小説や実生活エッセイやリアリティショー、ドキュメンタリー(ノンフィクション)に私は価値が出てくると考えます。

なろう系小説、異世界転生ものみたいなファンタジーを、AI時代に人間が作ってもバリューが出にくくなるでしょう。バーチャルなものはAIのほうが圧倒的に上手いし量産できるし、人間では太刀打ちするのが難しくなるからです。

人間は、人間にしかできないことをする。
肉体を持っていなければできない、実感が持てないことをする。

じゃなかったら、AIでいいのです。
クオリティの高い作品自体はAIが作れるのだから。
計算だってデータ分析だって、AIにはかなわないのだから。

ゆえに、コミュニケーションに興味が無くて肉体を使うこと(運動する、食べる、人と会うなど)に興味がないタイプの人は、本当に存在価値が無くなってしまいかねません。家にこもってデジタルで他者とコミュニケーションしないで済むような行為は、AIに代替可能だからです。

(皮肉なことに、この「家にこもってデジタルで他者とコミュニケーションしないで済むような行為」はここ25年間ほどは価値が上がっていました。ITバブル華やかなりしころ、そういう人こそスターだった時代もあったのです)

モハPチャンネルさんの動画で、アメリカは既にAIの影響でホワイトカラーが失業しブルーカラーの求職が増えているというものがあります。
これからの時代は、知識を学んで高学歴になっても、その努力に見合う仕事がないと。

動画7:55頃

こうした大きな社会の構造変化の中で、今の学生たち、子どもたちは何を目指していくのか、何に取りくめばいいのか、非常に難しい状況に直面していると思います。大学で知識を身につけても、そもそも知的、技術的な要素が必要な仕事はAIに奪われる。

彼らは何を目指していくのでしょうか。
これはZ世代、そしてその次のα世代――今の10代の若者たちの価値観に非常に大きな影響を与えていくことになるかもしれません。

私はこの問題についても非常に二極化していくと思います。
「学校に行ったほうがいい子どもと行かないほうがいい子ども」という。

今の学校教育は、実はブルーカラー養成機関としては優れています。
ですから、ブルーカラー(エッセンシャルワーカー)不足が見込まれるならばブルーカラー称賛プログラムを学校に導入すると良いのではないでしょうか。

日本の教育は、特に規律に対して非常に高いレベルの訓練を行っています。

例えば、「右向け右」「前へならえ」「回れ右」。
こういう訓練、小学校でやったでしょう?
しかも、ほとんどの子どもが指示に従いますよね?

これって外国からすると異様なことで。
こういう規律を仕込んでいるからこそ「地震が起こったときにパニックにならず行列に大人しく並ぶ日本人」ができあがるわけです。

しかし、ホワイトカラー――AI時代に必要とされるホワイトカラー、社会システムを組む側に回る人材は今の日本の学校教育では育ちません。逆に潰されます。
ですから、成田悠輔さん(イェール大学助教授)のような天才タイプは学校に行かないでchatGPTと一日中話していた方がいいくらいです。実際、成田さんは小学生のころから不登校でした。

しかし、普通の子は、私のような凡人は絶対学校に行ったほうがいいです。
なぜなら、学校によって「コミュニティとはこういうものだ」という人間社会の基本を学ぶことができるから。

AI時代に凡人に必要なのはコミュニケーション能力です。
人と仲良くするにはどういうアプローチをすればいいのか、自分は集団内でどんなポジションをとるべきか、世渡りの仕方を一番濃く学べるのが学校という場。学問の場というより、コミュニティへの所属の仕方を学ぶために学校へ行くことが大切です。

(学校で学ばなくても生まれつき人と仲良くなれるようなコミュ力お化けなら、学校に行かなくても世の中渡っていけるでしょう。だって、コミュニケーション能力が高くて一緒にいて楽しい人には、助けてくれる人がどこにでも現れるのですから!)

これからの世は、人間に「人間であること」が何よりも求められます。
コンピュータができるようなことは人間はやらなくて良いのです。コンピュータ(AI)がやればよいのです。プログラミング能力なんて必要ない。必要なのは「どんなプログラムが欲しいか」という構想です。

私は最近洋服を手縫いで作っていますが、とても満たされます。幸せです。
着物屋さんに行って、色とりどりの反物や帯揚げを眺めると、布の表面に織りなされる繊細な光の移り変わりになんて美しいのだろうと心が震えます。

小さな木のドアを押して、漆喰の白い壁に囲まれた階段をのぼると、迷宮のようにひっそりとあらわれるインテリア用品店。薄暗い照明に鈍く光るヴィンテージワインのラベル。そんな素敵な空間に身を置くと、冒険をしているようでわくわくします。

久しぶりに顔を出したバーで、冗談を言い合いながらワイワイ楽しくお話して。
酔いもまわってふうわりいい気分になっていたら、「俺のことなんてもう忘れたかと思ってた」。唐突に聞こえた小さなつぶやきと彼の横顔。

こういった「身体性」。
これが、これからの時代は何よりも大切になってくると思うのです。
バーチャルではなく、リアルを味わう能力。それが大切だと。

なぜなら、バーチャルはあまりにも魅力的だから。
実際、スマホなんて一日中さわっていたいくらい魅力的でしょう?

堀江さんが上の動画で言っている通り、自分好みのAIをカスタマイズできたら、多くの人は恋愛なんてしなくなるでしょう。バーチャルは完璧なんです。リアルの面倒くさい人間と違って。

そんな時代に、いかにリアルであり続けられるか。
私たちは、難しい時代にさしかかっています。
だって、今ですら一日中SNSを見るのが楽しいのだから。

「バーチャルでいいじゃないか。AI恋人最高」ですか?

確かに、それで満たされる人も一部はいるでしょう。
しかし、どうしようもない心の渇きを覚える人も増えると思います。精神疾患も増えると思います。だって、バーチャルでは魂は満たされないのだから。

なぜ私たちは今ここに降りてきたのか。
それは物質界を体験するためです。
なのに、バーチャルオンリーになってしまったら、肉体をまとって生きる意味はなくなってしまいます。

ある意味、それはアセンションなのかもしれません。
同時に、ディセンションでもあるでしょう。
上がるところには、下がるものがあるからです。

とりあえず、この世界を学んで卒業していきたい方は、肉体がある状態をしっかりと味わい肉体がある状態でしかできないことを体験されることをおすすめします。

例えば、釣りに来て海風を胸いっぱいに吸い込む。
その時、磯の香りに感じる気持ちを。

写真AC

肉体がなくてもできることなんて、そんなの肉体から解放されて(死んで)からで十分です。

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