優れた経営者が育てる歪みと闇

ビジネス:スピリチュアルブログ
写真AC

中古車販売業者が不正な請求をしていたと炎上しています。

この件について、元社員の方が解説した動画が話題になっておりまして。

話を聞いていて、切ない話だなと私は思いました。
なぜなら、「会社を継いでいくこと」の難しさを感じたからです。

このビッグモーターの創業者は、素晴らしい経営者だったそうです。社員からも慕われ、この動画を出している中野さんも息子のように可愛がって育ててもらったと。

しかし、そんなカリスマ創業者も当たり前ですが年を経ると高齢になります。
創業者が退き次の代に受け継がれて、会社は変わってしまったようなのです。

私は当事者でもありませんしビッグモーターに関しての詳しい内部事情は分かりません。
しかし、よくある話、よく聞く話だな、と。

写真AC

「二代目が潰す」
陰陽の法則で見るなら、これは当たり前のことです。
陽の時代の後は、必ず陰の時代が訪れます。それは悪いことではなく単なる二元性の法則です。

逆に陽ばかりで陰が無ければその時点で消滅します。逆も然り。
ですから、有能な経営者ほどどこで陰を消化するか――幸田露伴の言うところの「惜福の工夫」が大切になってきます。

第一に幸福に遇ふ人を觀ると、多くは『惜福』の工夫のある人であつて、然らざる否運の人を觀ると、十の八九までは、少しも惜福の工夫の無い人である。福を惜む人が必らずしも福に遇ふとは限るまいが、何樣どうも惜福の工夫と福との間には關係の除き去る可からざるものが有るに相違ない。

幸田露伴 努力論 - 青空文庫

何でもかんでも上手くいって拡大する。
それを成功と思う人もいます。
しかし、そんなに何でもかんでも拡大したら、空中分解という破滅が待っています。

算命学でも、合法(調和)が重なりすぎると、上手く行き過ぎて拡大しすぎて破滅するといいます。「吉は凶の母」「凶は吉の母」なのです。

易経を勉強していると、実に様々な時の対処法が述べられます。

「愛する者を捨ててでも逃げなさい」(天山遯四爻)
「今の状態で努力しても無駄。そっと去りなさい」(地火明夷初爻)
「勢いのまま拡大して身の丈に合わないことをすると衰えて滅ぶことになる」(雷火豊上爻)

良い時もあれば悪い時もある。悪い時の次には良いことが訪れ、良い時の次には悪い時が訪れる。それが陰陽の理であると易経は説きます。

東洋哲学は中庸を貴びます。なにごとも節度が大切で行き過ぎを戒めます。
これは悪だけではなく善にも適用されます。
つまり「良すぎる」ことは危険なのです。

今回問題視された中古車販売大手『ビッグモーター』。
その創業者は素晴らしい人だったそうです。
しかし、もしかしたら「素晴らしすぎた・・・」のではないでしょうか。

あまりにも大きな光は、同時に深い闇も生みます。
ですから、「光が善」と思い込むのは危険です。例えば「ディープステートという闇の勢力に対抗して光の勢力が地球を浄化するのだ」と正義感に燃える人は、色んな意味で危ないと私は思います。

強烈な光を作りだすというなら、闇はより深まるからです。

光の中には闇があり、善のなかには悪がある。逆も然り。
ですから、あまりにも素晴らしすぎてあまりにも成功すると、何らかのひずみが出て歪みが生まれます。

例えば、ある女性のお祖母さんは非常に素晴らしい人格者だったそうです。ですから、その女性は「年輩者は祖母のようであるべき」という理想論に縛られて四角四面に物事をとらえる「超優等生」になってしまいました。

現在32歳の彼女は、どこに行っても人間関係が上手くいきません。
なぜなら、誰が相手でも対等にふるまい、真面目に正論を振りかざすからです。その窮屈さに、人はたまらず逃げ出してしまいます。

彼女は仕事が続きません。3年以内に転職を繰り返しています。
けして能力がないわけではありません。精神的に潔癖(真面目)すぎて、人間関係が上手くいかないだけです。

彼女は素晴らしい人格者である祖母を尊敬してやみません。「みんな祖母のようであるべき」と人に厳しい基準を押しつけてしまいます。祖母はいつも孫娘を肯定してくれたそうです。その肯定が、彼女の生真面目な潔癖さを増長させる結果となってしまいました――。

優れた人は、優れたことができます。
正しいことを正しいと通す力量があります。
しかし、それゆえに生まれる歪みを認識していない場合もあります。

心と行いが美しいおばあちゃんが、孫娘の社会適応力をそいでしまったように……。

超ワイド折込&図解でよくわかる!徳川家康のすべて: 歴史群像シリーズ ムック (Amazon)

徳川家康と家光。
素晴らしき功績を残し、約250年にわたる江戸幕府を作り上げ整えた名将軍。

その間に挟まれた徳川秀忠は……もちろんすごい人なのでしょうけれども、正直なところ地味な存在です。家康と家光と比べると、見劣りしてしまいます。

しかしながら陰陽の観点から見るならば、家忠がいるからこそ徳川がポシャらなかったと言えます。家忠もすごかったら、三代目は家光ではなく順当に忠長になっていたことでしょう。ならば家光が作り上げた幕府の基本システムは確立されず、徳川幕府も三代目でつぶれてしまっていたかもしれません。

目立たない秀忠がいるから、家康と家光が輝けるのです。
陰陽の法則とは、そういうものです。

ある資産家の高齢男性は、孫に障碍児が生まれた時に非常に喜んだそうです。
「こういう子を育てれば徳を積めるから、我が家系も安泰だ」と。
実に陰陽の法則を理解している、含蓄ある視点です。

自分の人生のどこに「陰(欠損)」を持ってくるか。
この視点は非常に大切です。
なんでも欲張って「陽」ばかりにしてしまうとバランスが崩れます。

惜福の工夫をするために「どこを捨てていいのか」を明確にする。この視点は忘れがちです。現代社会では欲望を肯定し「なんでも好きなことをしていい」と煽ります。SNSではインフルエンサーが「すべて完璧に手に入る人生」を演出します。

ですが、そんなことを真に受けていてはバランスが危うくなります。
射幸心をあおられすぎると依存症になりかねません。

誰でも「わりとどうでもいいこと」はあります。
あなたにもあるはずです。
特にこだわりのないことが。

例えば、お金がなくても気にしない人もいるし、三食カップラーメンでも気にしない人もいるし、住居が狭くても気にしない人もいます。不便でも田舎暮らしのほうが快適な人もいるし、満員電車にゆられても都会のほうがいい人だっています。

その「わりとどうでもいいこと」を自分の中の陰にしてください。そこを自分の惜福の工夫にするのです。満たされていないところを無理に満たそうとせず、「自分の中の欠損」としてそのままにしておくのです。

そのほうが、結果的には破滅的な事態を防ぐことができます。
例えるならば「一病息災」的な考えですね。

写真AC

あまり、上手く行き過ぎるのも良くありません。
素晴らしい君主の後にはダメな二代目が来るのは自然の摂理ですらあります。

そしてここで「どうせ自分はダメな二代目だ」と腐る必要もありません。
二代目は才覚型ではなく人徳型のリーダーになればよいのです。「自分は能力的に先代に敵いません。どうか皆さん助けてください」と頭を下げて、サポートしてもらえば良いのです。

家康と家光をつなぐ秀忠は必要。
二代目は「自分は秀忠の役割を天から授かったのだ」と、天命をこなせばいいということになります。

タイトルとURLをコピーしました