突然ですが、私は今更年期です。
すみません、いきなり生々しい話をしてしまいまして。
しかし、今のところ私にとってこの更年期というのは「自分を縛っていたものからの解放」と感じています。まさに木星期(だいたい年齢46歳〜55歳、アラフィフ)の到来。
これは私の更年期の症状が軽微であることも大いに関係しているでしょう。元々生理痛が軽いほうで(暖めれば治る、鎮痛剤不要な程度)婦人科系の疾患も無いから、このように過ごせているのかもしれません。
「ああ、もう私、大丈夫なんだ」という大いなる安らぎに包まれる要因は、まさにこの更年期にあります。更年期ということは、つまり閉経に向かう、もっというと妊娠しなくなることが確定するからです。
妊娠しなくなるんです。
子どものいない人生確定です。
やった!!!!!!!!

この安心感。
もし男性と性的に交わったとしても、妊娠しないという安心感。
これ、本当に、思ってた以上に大きくて。びっくりするくらい大きくて。
ある友達は、婦人科で妊娠率のグラフをお医者様から提示されたそうです。
↓こういうやつですね。

お医者さんは、「年齢と共にこんなに妊娠しにくくなっていくんですよ、子どものこと、真剣にパートナーと話しあってくださいね。場合によっては不妊治療も検討してくださいね」と伝えたくて、このグラフを見せたようです。
しかし、彼女の反応はこう。

私、もうこんなに妊娠しないんだ!
やった!!!!!!!
心の底からホッとしたそうです。
子どものいない人生を、生きられる。
その喜びに、心は満ちあふれたと。

この気持ち、本当にわかるな~!って思いまして。
更年期を迎えて、変化していく自分の身体を「こうやって妊娠しない体になっていくんだな~」といとおしさと共に眺めて。ひしひしと、楽になっていく、自由に解き放たれていく心を感じるのです。
逆にいうと、そこまで「もしかしたら妊娠するかもしれない」というプレッシャーって、大きかったのだな、と。
プレッシャーから解放されての変化。
これが顕著に出ているのが、男性への接し方です。
ほら、よく言いませんか。「おばさんは男性に優しい」と。若い男性が「おばさんにはモテるけど同年代の女性にはモテない」みたいなことも言いますよね。つまり、おばさんは男性に対してあまりきつい当たり方をしない場合が多いと。
これって、更年期を経て閉経に至るがゆえに「妊娠しない安心感」があることも、大きいのではないかと。冷徹なるメスの本能に、もう縛られなくていいのです。
メスの本能――優れた遺伝子を精査するためにオスを厳しい目でジャッジする、劣ったオスは相手にせず優れたオスのみを相手にする、というある意味では残酷な性質です。
そして、個人的には「男性から性欲を向けられることに対する恐怖からの解放」です。

私は妊娠することが恐怖でした。
母が結婚出産子育てを通じて人生に不満を抱き、非常に不幸そうにしているのを見ていたので、「私も子供ができたらお母さんみたいになっちゃう」という恐怖があったのです。

昨年、母親になって後悔してるという本が話題になりました。NHKクローズアップ現代でも取り上げられたほどです。

こちらの本の感想で、「子どもがいる人が『母になって後悔してる』なんて言っちゃいけない。それは子どもを傷つける無責任な発言だ」というものがありました。

しかし、私は母から「結婚したくなかった」「子育てがどれだけ辛いか」「出産は痛くて地獄」と3億回くらい聞かされてきました。毎日母は、不幸そうでした。
彼女は女であること、母であることを恨んでいました。
今でも彼女の金切り声は耳に残っております。
「女なんて損ばっかり!!!」
「子どもなんて育てたって何の意味もない!」
母をヒステリーでカリカリした不機嫌な女とレッテルを張ることは簡単です。
しかし、「昭和の主婦」は確かにそういう側面もあったのです。
正月、親族で集まっている時。こま鼠のように働く女たちと手伝いもせず酒を飲んで騒ぐだけの男たち。
この風景をみて幼い私は「『女』になりたくないなあ」と思ったものです。
結婚して「およめさん」になったら、私も奴隷にならなきゃならない。
それはいやだ、と。
母の背中を見て育った私にとって、結婚出産は「奴隷への道」だったのです。

少し話はずれますが、私は父方も母方もルーツは富山です。
北陸には「専業主婦なんて怠け者のやること。女は出産して子育てして仕事して家事をして、全部できてはじめて一人前」というハイパー女性活躍モードな価値観があります。
その北陸文化を背景に育ったがゆえに、余計に結婚出産が「奴隷の道」と感じたのでしょう。
このあたり深堀りしたい方は「福井の人はホントに幸せ?」幸福度全国一位は“嫁の犠牲”?をご覧ください。動画で扱うのは福井の話題ですが、富山も文化的に近いです。

あの上野千鶴子さんも富山出身で北陸文化を見て育った方というのが、またね……納得いきますよね。一生懸命勉強して東京に出て、「あの息苦しい世界」から逃げるしかなかった少女たちが、たくさんいます。

私は母の愚痴吐き場で、感情のゴミ箱でした。その影響で、愚痴や人の悪口を聞かされると、母と一緒にいたときを思い出して辛いです。裏返していうと、ポジティブで笑える楽しい話をしてくれる人には感謝しかありません。私に光を与えてくださってありがとうございます!
さて、話は回り道をしました。
母がもし『母になって後悔してる』と言ったら子である自分は傷つくのか?という話に戻ります。
私の場合、自分の母親が「母になって後悔してる」と言ったとしても「そうよね~」と納得します。
「お母さん、本当に母親業には向かない人だものね。結婚しないで出産しないで独身のままバリバリ働けたら、ちゃんと幸せになれたのにね。かわいそうにね」としか思わないんですよね……。
四柱推命(算命学)的に表現するなら
「魁ごうの女には、専業主婦は人生の墓場」。
そんなこんなで、母親から強烈に「女であることの不幸」「嫁であることの不幸」「母であることの不幸」を見せられてきた私は、妊娠することが何よりもの恐怖でした。
よって、男性から性欲を向けられるのも心の底が凍り付くほどの恐怖でした。
男性と交わると、私も母になってしまう。
私も、お母さんと同じ「およめさん」の人生になってしまう。
そんなのは、絶対に嫌だ!

ですが。
更年期になった今、そんな恐怖から解放されたのです。
もう、私は、妊娠しないのです。
そう認識した私は今、本当に、本当に男性と楽に接することができるようになりました。男性も一人の人間であるという当たり前の認識が、ようやくもてるようになりました。男と女という存在ではなく「人として」男性と触れあえるようになりました。
ああ。
なんて世界は豊かなのでしょう。
男性と親密になってもけして妊娠しない。なんて素晴らしい世界!
木星期(年齢46歳〜55歳)は寛容と拡大の時期です。
火星期に肩をいからせて戦ってきた精神は木星期に至って安らぎへと変容します。
そのプロセスを、今まさに私は味わっています。
以前は友人関係だった男性から恋愛感情を打ち明けられると、手ひどく裏切られた気分になりました。「あなたも私に性欲を向けるの?ひどい!」と。告られた時点で友人関係は終了しました。彼のことを避け、連絡を断ちました。
しかし今は、恋愛感情を打ち明けられたとしても「あらあら、そうなの、まあまあ。お元気ねぇ~」と実におばちゃんチックにふわっと受け止めることができます。そこで親密になるか、友人でい続けるかの決定権は自分にあるのだと冷静に判断できます。
おばちゃんは男に優しい。確かにそうです。
だって、もう性欲を向けられたところで妊娠しませんから。安心です。

更年期に至って、訪れた性からの解放。
本当に、今は楽に息が吸えます。心ある男性と真の友情を結べるようになった幸せ。
アラフィフ木星期は、包容と安らぎである。
そのエッセンスを、今私は学んでいるところです。

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