怠け者の尻を叩くシンクロニシティ

現在私は、易経の勉強のために一日一卦立てております。
「今の位置、流れを教えてください」と出た卦をその日勉強する。
そうすると、不思議と「流れ」が見えてきます。
沢ばかり出る時もあれば、山ばかり出る時もある。雷ばかり出る時もある。
確率的にはもっとばらけて良いはずなのに、なぜか集中するのです。
そして、ここ1週間というもの、4回も同じ卦を得まして。
それが「山水蒙」。
山水蒙の二爻と五爻。
私、毎日卦を立てていたのに、最近易の記事を書いてきませんでした。
一人学んで一人納得して終わっていました。
しかし、この立て続けの「山水蒙」
これはいい加減、ブログ記事にちゃんと書きなさいということか、と感じました。
なので、山水蒙について書きます。
この卦は、まさしく「学び」の卦です。
無知蒙昧。それを晴らす学びの力

蒙は亨る。
我童蒙を求むるにあらず。童蒙我を求む。
初筮は告ぐ。再三すれば瀆る。瀆るれば則ち告げず。
貞に利ろし。
山水蒙は水雷屯の後に来る卦です。
産みの苦しみを味わった後生まれた子どもは、当然まだ何もわからない。無知の中を生きねばならない。その靄の中で、どうやって学びという光にたどり着いたらいいのか。
その方法を教えてくれるのが、山水蒙の卦となります。

「宮本武蔵」や「三国志」で知られる吉川英治。
吉川さんはこう言いました。
「われ以外みな わが師」
教師や講師と言った専門家だけが師になるわけではない。
年上の人も年下の人も、男も女も、出会う人はみんな自分に何かを教えてくれているのだ。
スピリチュアルな法則でも良く言われることですよね。
「今、目の前の現実で起きていることは、あなたの魂にとって一番学ぶべきことなのです」と。
学校に行くから勉強になるのではなく、今ある日常を過ごすだけでも貴重な学びの機会を得ている。
ただ、そこに気づけるか気づけないかだけなのだ、と。
現在の教育は専門化し、細分化しています。
最近叫ばれる「リスキリング」。
別分野のスキルを新たに学び直さねばならないのは、汎用性のない専門的な学びに先鋭化していることの象徴でもありましょう。一言でいうと「つぶしがきかない」。
世界最高級の天才が集まるアメリカのプリンストン高等研究所。
その初代所長であるフレクスナーは研究者の楽園を作るべく尽力しました。そのフレクスナーが警告しているのです。専門化しすぎるのは良くない、と。
1890年、フレクスナーは「フレクスナー・スクール」と呼ばれる予備校を開設した。
実は、彼自身は、昔から当然とみなされてきた「精神面の規律と一貫したカリキュラム」に基づく教育に反発していた。なぜなら、そのような教育こそが、学生たちの向学心を喪失させるからである。
彼のスクールでは、教師は出席をとることがなく、試験もなく、成績を記録することもない。学生は、目標に応じてカリキュラムを組み、自発的に勉強して少人数の学習グループで助け合い、困ったら教師に助けを求める。
その教育が立派な成果を上げて、スクールの学生たちは、ハーバード大学をはじめとするアイビー・リーグの名門校に続々と合格した。
1908年、フレクスナーは著書『アメリカの大学』を上梓し、大学が専門化しすぎたカリキュラムで学生を押しつぶし、彼らの「独創性」の芽を摘んでいると批判した。
フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔 p91~92 太字強調は記事作成者による
私は常日頃「運動しよう!家にこもってスマホばかり見ていてはいけない!」と呼び掛けています。なぜなら、身体を動かさないで頭ばかり使っていると当たり前ですがエネルギーは頭に偏ります。「頭でっかち」になります。

頭でっかちな人は柔軟な発想ができません。
リンデンバウムのお客様は知的水準の高い方が多いので、逆張りをしてバランスをとるために「脳筋最高!!」と強くお伝えしています。
頭でっかちになりがちで行動力のない人は、脳筋を目指すくらいでちょうど良いからです。
脳筋 is the best!!
今日も身体を動かそう!
運動すれば、やせるし一石二鳥です♥

運動をすれば、頭にたまっていた気が身体(下)に降ります。
考えても無駄なことをグルグル考えてしまうことから抜け出せます。すっきりして考えてるのがアホらしくなるからです。
そういうときに、ふっとひらめくのです。
「そういうことか!」と。
私は散歩してる時や走ってる時や泳いでる時に、ひらめきがやってきます。
部屋にこもってても、インスピレーションはなかなか降りてきません……。身体を使うことで見えてくるもの、気づけるものがあります。
頭で考えてわからないときは、ぜひ運動してみてください。
身体感覚から掴めるものは強いです。
なぜならグラウンディングされているから。
素直な人は伸びる
山水蒙の五爻はこう告げます。
童蒙吉
自分の無知さを受け入れ、子どものように素直に学ぶので吉である、と。

ソクラテスは「自分は知らないことがあるとわかっている(無知の知)」といいました。偉大な哲学者であってもこの「童蒙吉」の姿勢を持っている。だからこそ後世に名を残すほどの哲学者であったとも言えましょう。
年齢は関係なく、子どものように素直な人は成長することができます。
逆に、自己肯定感が低く「どうせ自分なんて」とネガティブにこじらせている人は、成長することができません……。
素直に心を開くと、世界は開かれます。
今までの固定観念を取り外して、新しい視点でものを見られるようになります。
気づけるようになります。
これはどんな分野においても言えることです。
例えば、ファッションバイヤーのMBさんは「リアル店舗に行くことで視野が広がる、新しい視点がもたらされ感性が磨かれる」といいます。
動画3:00頃~
アマゾンと本屋さんとの違いですよ。
アマゾンって指名で買うしかないから、リコメンドが出てきたとしてもかぎりがあるんですよ。
でも本屋さん行くといろんな本が平積みされていて、ジャケ買いじゃないけど、新しい出会いがあるんですよ。
それと同じことで、オンラインで洋服を買っていくと極めて近視眼的になる、自分の枠組みの中だけで収まってしまうんですね。
そうすると、価値観が固定されてトレンドから取り残される。

トレンドを追いかけるなんてうすっぺらい
別に自分の枠組みで快適ならいいじゃないか
こう思われたかもしれません。
確かに、洋服のトレンドを追いすぎると自分らしさを見失ってしまいますよね。
しかし、「今の世の流れ」を肌で感じ取っておくには、このMBさんのお話ってすごく汎用性があると思うんです。服に限った話ではありません。
「エコーチェンバー現象」ってご存知ですか?
オンラインでパーソナライズされた情報ばかりにふれていると、視野が狭くなって価値観が固定化されてしまう現象のこと。
グーグルでは「専門化された情報を載せているサイト」は優遇されます。Youtubeでファッション動画を見たらファッション動画ばかりおすすめされるようになります。すぐ「専門的」な方向に持っていこうとします。
ですが、上で引用したフレクスナーの言葉を思い出してください。
「専門化しすぎたカリキュラムで学生を押しつぶし、彼らの「独創性」の芽を摘んでいる」
これからAIが普及してきてますます大切になってくる「クリエイティビティ」。
クリエイティブになるには、インスピレーションが大切です。そして、インスピレーションを受け取るには、雑多なカオスが必要です。モヤモヤが必要です。
専門化しすぎると、跳躍しなくなるんです。
だって、専門化されたものは整理されていてカオスじゃないのだもの。
そうすると、ブレイクスルーが起こらなくなる。

私が最近「ノミュニケーション最高!!!」とオフライン飲みを爆上げしているのも、「飲み会嫌い」を公言する人が多いからです。
考えてみてください。
「家でスマホでSNS見て3時間」と、「飲み会で3時間」。
前者と後者では、得られる情報の質が明らかに変わります。
一人自由にスマホを見ていたら、どうしても自分が得たい情報ばかりにフォーカスしてしまいがちです。しかし、飲み会で会う「他者」は自分が普段触れない質の情報を持っていることが多いのです。
「酔っぱらいのおばさん/おじさんの話なんてつまらない」と思われるかもしれません。が、「世の中にはこんな(つまらない)ことに興味関心を抱いている人がいるのだ」という情報を仕入れるだけでも、大切なヒントになります。刺激になります。
私が「異性との関わりは大切だ」というのもここです。
同性と一緒にいるのは楽です。共感できる点も多いです。
異性と話すと「は?」「意味がわからない」と思うこともあります。
しかし、その「わけのわからなさ」こそが実は、一番自分の深い部分にリーチする大切な刺激剤になったりします。
わかりにくいからこそ、深い学びになります。
だから、私にとって男性は大切な存在です。
私と関わってくださる男性には感謝しかありません。(正直、職業・スピリチュアルって時点で距離を取られることも多いので。涙)
初対面の人と話をするって、情報の宝の山!
コミュニケーションこそ最高のライフハック。
人見知りしないと人生はハッピー確定♡
色々な人の話を聞くと、自然と色々なことにアンテナが立つようになります。
はじめは興味が無くてつまらないなと思って聞いていた話が別のところでつながって、実は「自分を人生の転換点へと運ぶシンクロニシティの一部だった」なんてこともあります。
そういうことがあると、「人生って面白い!」って心がキラキラしちゃうんですよね♪
本当に感動するし、「導かれてる」って実感できます!
だから、色々な人や物事に対してハートを開いておくことって、大切だと思うのです。
美容師の操作イトウさんは、何かに真剣に取り組んだことのある人は他の分野でも楽しみ方を知っていると言います。
これはあくまで僕の経験則ですが、今までに美容師以外の「何かの分野」を突き詰めたことがある方は、美容師としても輝いています。「何かの分野」で一点突破した経験がある先輩、同僚、後輩は、仕事にも信念を持って取り組んでいる方が多いです。
「学生時代は、部活に人生を捧げていた」「遠回りして、特異な経歴で美容師になった」「セミプロ級の特技がある」「海外でも美容師をやっていた」「趣味の〇〇に関して、詳し過ぎる」「抱いた夢を諦めず、今も取り組んでいる」「他のなりたい職業とどちらを選ぶか悩んで、美容師に決めた」
趣味、スポーツ、旅行、食、文芸……
何かに情熱のある方の話には、“気持ち”や“経験値”が乗っかって、説得力があります。また機知に富んでいて、ニッチな内容を話せる方は、他の分野においても楽しみ方をよく知っています。それは「凝り性である」ことに近いかもしれません。
反対に、「髪の毛の話」や「他愛もない世間話」以外に話題のない美容師さんには、その要素が薄く感じられます。
こんな違和感を覚えたら注意…現役美容師が教える、「合わない美容師」を見極める方法 | 文春オンライン
太字強調は記事作成者による
自分の専門分野の話しかできない人って、人としての幅が狭くて一緒にいてもつまらないですよね?
逆に「あれも知ってる」「これもやったことある」「あそこにも行ったことがある」って人の話って、どんどん聞きたくなりませんか? 私は「何それ、聞かせて!?」って食いついちゃいます。笑
童蒙吉。
子どものように素直に学び吸収する人は、いつでも成長できる。
山水蒙の教えを生かすことができれば、人生に新鮮な風が吹いてきます。
こじらせないで素直にどんなことにも心を開く!
知的好奇心こそが、何事も楽んでしまう鍵なのかもしれませんね。