統合失調症まっしぐら!?実は危ないスピリチュアル

目に見えないものが見える。
耳で聞こえないものが聞こえる。
周りが感知できないものを感じられる。

それがスピリチュアルな能力です。

それって
統合失調症でしょう?

そう思われる方もいます。
実際そうです。
その通りです。

社会性を欠いたスピリチュアルパワーは、統合失調症と見られかねません。

「統合失調症」と「霊能力」。違いは何?

元オウム真理教幹部だった上祐史浩さんは、統合失調症と巫女・教祖(霊能者)の違いを、以下のように述べています。

動画15:00頃~

じゃあ何が統合失調症なのか。何が統合失調症じゃないのか――巫女さんなのか。
前から議論があるけど、社会生活が送れれば巫女や教祖だし、そうじゃなかったら(精神)病人というように、今のところするしかない。

フロイトの時代からそうです。
精神分析を受けるべき狂人かどうかは「社会適応ができるかどうか」この点で判断されてきました。

依存症も似た面があります。
社会生活に支障をきたすなら依存症だし、社会適応できる範囲内なら酒を飲んでもギャンブルをしても買い物をしても依存症にはなりません。

言い換えると、
社会適応能力こそが大事
といえます。

私はリンデンバウムのブログで「コミュニケーション能力の大切さ」を何度も何度もお伝えしています。社交性が大切で、社会適応能力が大切だと。言い換えると「グラウンディングが大事」であると。

スピリチュアルなことに興味のある人は、目に見えない世界に興味のない人に比べて、この点が輪をかけて重要になってきます。いくら優れた霊能力があっても、社会不適合で引きこもりで友達がいないようでは、宝の持ち腐れになってしまいかねません。言い換えると魂の使命が果たせません。

なぜなら、スピリチュアルな能力(霊能力)があって社会不適合だと、ストレートに統合失調症判定を受けてしまうからです。

スピリチュアルな世界は、万人に認識できるものではありません。
感度の高い人にだけ触れられる世界です。
だからこそ、異端扱いを受けやすくなります。

コミュニケーション能力の低い人が、ちょっと変わったことをすると、一発レッドカード。こんな風に言われてしまいます。

あの人、なんか変よね~

スピリチュアルなことが好きなんですって

いやだ~
宗教~?

こわいよね~

一方でコミュニケーション能力の高い人が、ちょっと変わったことをすると――

あの人って、なんかちょっと変わってて面白いよね

スピリチュアルが好きなんですって

そうなんだ

たぶん神社とか好きなんじゃない

確かに癒されるものね

コミュ力が高ければ好印象で、コミュ力が低ければ悪印象。
コミュニケーション能力の有無で、ここまで相手に与える印象は変わります。
コミュニケーション能力はあなたを生きづらさから救う万能薬です!

コミュ力、大事!

コミュニケーション能力は伸ばすことができます。
私もコミュ力鍛錬を毎日心に留めています。
一緒にコミュニケーション能力、伸ばしていきたいですね!

霊能力が目覚めると精神崩壊の危険!?

私はかねてから「グラウンディングが大切」と重ねてお伝えしてきました。

人の輪の中に入り、人間関係を育み、社会に根づいてコツコツと働く。
こうした「地に足のついた(グラウンディングした)生き方」が、スピリチュアルな探求の上で欠かせないと。

なぜなら、いたずらにスピリチュアルな探求をし、瞑想にふけり神秘体験をすると。
その先には――
精神崩壊が待っているからです。

スピリチュアルな能力が開花していくと、信じられないようなことが現実にポンポン起こるようになります。それはとてもエキサイティングでワクワクして魅惑的な毎日です。

しかし、グラウンディングを忘れ精神世界にずっぷりとはまりこんでいくと――
待っているのは、精神疾患(統合失調症)です。

大川隆法の霊言を元オウム最高幹部 上祐史浩と宗教討論させたらボコボコに論破されたwww(幸福の科学 宏洋vsオウム真理教 上祐史浩) – YouTube

動画13:30~

(霊能力がより強い)兄のほうは、とりつかれてしまったんですね。
精神世界のほうにどっぷりとハマってしまって、社会生活が送れなくなってしまったんです。
霊とつながるとは結構その…精神病棟に入っている方もよく、一人でしゃべってたり(するでしょう)。

私は社会生活もちゃんと送っていました。
しかし兄はそっちの(スピリチュアルな)ほうにどっぷりと浸かり始めてしまって、社会生活が送れなくなってしまったんです。

で、結局兄はそのままあの世に連れていかれました。

大川隆法の霊言を元オウム最高幹部 上祐史浩と宗教討論させたらボコボコに論破されたwww(幸福の科学 宏洋vsオウム真理教 上祐史浩) – YouTube

動画16:08~

霊降ろしの話に少し戻るんですが、これは秘密にしていたんですが、初期の(幸福の科学の)幹部で私は何人か霊能者を作りました。それは全部失敗しました。

それは兄と同じ理由で、結局悪魔にやられるんです。
聞こえてくる声とか見えてる世界が日常生活と違ってきてしまうので、そっちのほうが本当(リアル)だと思ってしまう。

上祐さんはこの状態を「自分の無意識の欲求に飲みこまれてしまう。自我インフレーション、魔境とか言われる現象」と言及しています。

実際、ユングも夢分析をしていく中で、何でもかんでも無意識と統合すればいいというものではないと述べています。そんなことをしたら、精神は崩壊してしまうと。

つまり「完全なる全体性」を取り戻したとしたら、もうこの二元性の三次元世界に存在していることはできなくなる。
「結局兄はそのままあの世に連れていかれました」。

なぜ精神世界の伝統に、厳しい修行が課されたのかという話です。
千日回峰行という死人が出るような修行法があるのかという話です。
ヒンズー教で精神世界を探求する遊行期はなぜ老年期にあてられたのかという話です。

その理由は、グラウンディング、精神修養が一程度整ってからではないと、スピリチュアル世界の探求は危険な結果を招いてしまいかねないから。

今のスピリチュアルムーブメントは
「がんばらなくていいよ」
「がまんしなくていいよ」
「ありのままのあなたでいいよ」
といいます。

確かに、それも一面では正しいです。
この歪んだ資本主義経済の状況では、努力をしたところで結果が出ないことはあまりにも多すぎます。

ですが。
スピリチュアルな霊能力を扱うには
精神力が必要なのです。

がんばらず、がまんせず、ありのままで生きてきた。
そんな人に、精神力が培われるでしょうか?
強いメンタルが培われるでしょうか?

スピリチュアルな世界を安全に探求するには、「低次のもの」を見分けてそれに引っ張られない鍛錬が必要となります。

今風にいうなら「自分の機嫌は自分で取れる」ことが大前提です。自分で自分のメンケアができない人は、自分どころか親しい人の精神まで崩壊させてしまいかねません。

そういった精神鍛錬をして、自分のエネルギーをある程度コントロールできるようになって初めて、精神崩壊せずに霊能力を駆使することができるようになります。

それでも、宏洋さんが「霊とつながるとは結構その…」と言うように、しっかりグラウンディングしながらスピリチュアルな世界とつながることは、難しい行為です。常にバランスを気にしなければなりません。

なので、私は仕事でスピリチュアルどっぷりですから、プライベートではほぼ占いや精神世界の話はしません。ビジネスの話ばっかりです。ビジネスや投資や金融の話をしてくれる人と積極的に仲良くします。

なぜなら、そういう人と一緒にいると、すごくグラウンディングされるからです。楽です。土建屋のオッチャンとか最高です。大好き。ぶちえらいさんみたいな人、大好き。

このあいさつ。
あいさつ最高。
絶対ちゃんと言おうとしてないところが最高。毎回笑います。

誤解しないでいただきたいのですが、スピリチュアル好きな人、占い好きな人が魅力的ではないということではありません。そうではなく、私自身が「そのままあの世に連れていかれました」にならないために、仕事以外では(バランスをとるために)近寄らないようにしている、ということです。

そして、ビジネスがもたらすグラウンディングの力を日々実感しているからこそ、精神世界を探求する方にもビジネスに積極的に取り組んでいかれることをお勧めしております。

ビジネス最高!

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