どうして人を傷つけちゃいけないの?~対等な人間関係と傷の罪

人生:スピリチュアルブログ
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2021年04月のオリコンニュースで、指原莉乃さんがこんな発言をされていました。

指原莉乃のさっしー美容 (Amazon) 

自分が良くても、相手が良くても、見ている誰かが傷つくのは素敵ではないなと最近では思います

指原莉乃「今でも私を“莉乃ちゃん”と呼んでくださる方へ」テレビとYouTubeを両立し続ける意味 | ORICON NEWS

この言葉が、私には非常に衝撃的で。
「そんなこと言ってたら、何の表現もできないのでは?」
と、心配になってしまいました。

同時に、これは指原さんだけの想いではないとも感じました。
世の中の、多くの人が彼女のこの言葉に共感するのでしょう。
「人を傷つけることは、何があってもいけないことだ」というのは、今の流れでは大きなコンセンサスを得る思考なのでしょう。

20年前、ミレニアム・Y2Kの頃にくらいまでは、こういった考えはメジャーではありませんでした。

実際、流行歌では「傷つけあう」ということがあたり前に描写されています。「傷つけること」は「良いことではないにしろ、人と人がかかわりあう以上は仕方がないこと」くらいの認識でした。だからこそ、歌詞にもその思考が反映されています。

どうしてお互い傷つけあうの
傷つけられたら牙をむけ
傷つけずには愛せない

ですから、私も「傷つくのは当たり前。そこで逃げないこと、負けないことが大事」くらいの認識で生きてきました。

ここにいるだけで傷ついてる人はいるけど

人と深く付き合っていれば、期せずして傷つけてしまうことも当たり前。
そうならないように努力することが大切だけれども、そうなってしまったときは謝って許してもらうしかない。

だから、「とにかく傷つけるのは何でもよくない」という思考に違和感がありました。
傷つけられたって負けずに立ち上がる。その姿勢こそが美しい生き方であると。

【画像】青のフラッグ 5 (ジャンプコミックス) 青のフラッグ 1
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上のマンガのように、傷ついても立ち上がる。絶対負けない!
その姿勢こそが個人的には美しいと感じます。
傷ついても負けない人が、素敵だと感じます。

しかし、一方で今の時代の流れとしてはそうではありません。
指原さんのように「誰かが傷つくのは素敵ではない」という考え方のほうが主流と言えましょう。

そこまで傷を忌避するのは、多分、回復力(生命力)が衰えたからなのかもしれません。

マンガでやさしくわかるレジリエンス(Amazon)

傷ついても回復できる心の強さ――レジリエンスがあるなら、ここまで「傷つけてはいけない」「傷つけるのはよくない」という風潮は強くならないはずです。

傷ついたらもう立ち直れない。傷ついたら回復できない。
そういう人が多数派になったとしたら、「はじめから傷つけてはいけない」となりますよね。

私はこの「傷つけるのはよくない」という風潮をそんなふうに考えていました。
ですが、別の理由もあるんだと気づいたんです。
「今は『人は誰もが対等だ』から、(傷つけるような)争いを起こしてはいけないのだ」と。

なぜなら、サルがそうだから。

暴力はどこからきたか 人間性の起源を探る (Amazon)

暴力はどこからきたか 人間性の起源を探るは、サルの習性を紐解くことで、人間社会をより深く知るためのヒントが得られる一冊です。著者の山極寿一さんは、京都大学総長も務めたことのある人類学者です。

サルにはいろいろなタイプがいます。
群れをつくるもの、作らないもの、あまりルールがなく自由なもの、ルールやヒエラルキーが厳格なもの、父系社会を作るもの、母系社会を作るもの。

ニホンザルは集団の中で、厳格なヒエラルキーを作ります。
オスに順位付けがあるのももちろん、メスにも順位があります。メスの順位付けはなんと「血統」できまります。個人の能力なんてまったく無視して、「母親が誰か」で優劣が決まるのです。

ニホンザルにエサを渡すと、必ず優位のものから取っていきます。劣位のものはお腹が空いていてもエサにありつけなかったりします。

なんてひどいんだ!
優劣の順位など付けず
みんな平等であるべきだ!
いのちはみんな違ってみんな良い!

こう思われた方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、ヒエラルキーがあることにもメリットはあります。
それは「コミュニティのなかで何らかの問題があっても、秒で解決する」という点です。優位のサルの意向が通るので、劣位のサルは黙ることになります。

これを「ひどい!」というのは短絡的です。
「みんな対等」のコミュニティの中では、食物や異性などをめぐる葛藤や争いの決着がつきにくくなります。常にどちらが正しいかをその都度判断しなくてはならず、時には激しく争わなければならなくなります。

そう。
ヒエラルキーがあまりなく「対等であること」を重んじるコミュニティは、一度争いが起こると、大変なのです。ヒエラルキーがあるコミュニティでは即時解決できるようなことでも、大事になってしまいかねません。

さて一方、現代のヒトの社会では対等であることを重んじる風潮があります。
特に、若い世代に顕著です。先輩だからといって、理不尽に上から目線でマウント取られるなんて、耐えられません。

データの出典を失念してしまったので話半分に聴いていただきたいのですが、今の20代女性は結婚相手に同年代の男性を求める傾向が以前より強くなっているそうです。

相手の年齢の理想は「プラスマイナス1歳」という人が多数派というデータを見て、驚いた記憶があります。

つまり、25歳の女性が求める男性は24~26歳。
30歳の男性なんて嫌なんです。だって、5歳も年上だと「対等じゃない」から。

20代までの女性との成婚22万323件のうち、74.2%(4組に3組)を29歳までの男性が占めています。

これが30代男性ともなると24.2%(4組に1組)にまで急落し、40代では1.5%、50代では0.08%という、ともにまずは発生しないといえる確率に下落します。いかに男性の年齢(若さ)が読者の皆さんの想像以上に若い女性との結婚にパワーを発揮するか、明確に示しているデータの1つとなっています。(中略)

つまり若い女性を求める場合、男性自身が30歳を超えるとかなりのレッドオーシャン状態(激戦)となる、ということが言えます。

「20代女性と結婚したい男性」に欠けている視点 | 東洋経済オンライン
太字強調は記事作成者による

今の婚活市場では、男性すら30歳越えたら不利になる。20代女性から選ばれにくくなるのです。
厳しい……。
これも「対等であること」を重んじるがゆえの現象と言えましょう。

ここで、先ほどの指原さんの言葉をもう一度、思い出してください。

誰かが傷つくのは素敵ではない

「対等であることが大切」という今の(特に若い世代に顕著な)考えをバックグラウンドにすると、この言葉の鮮やかさが増したと思いませんか。

ヒエラルキーのある集団ではもめごとや葛藤の解決が容易。
対等で自由な集団では、もめごとや葛藤の解決が難しい。一度争ったら、時には命すら脅かす血みどろの闘いにすら発展してしまう。

今は若い世代の犯罪の件数が激減しているにもかかわらず、極端に攻撃的な犯罪のニュースが流れてきます。

「相手を傷つけないよう配慮する」ため、もめごと自体の件数は減っていることでしょう。しかしその分、「もめ事を解決する力」が弱くなってしまっているのではないでしょうか。

そんな時に、この「誰かが傷つくのは素敵ではない」は大変価値のある考え方になります。

争いが起きてしまったら、どうしていいかわからない。だから、はじめから争わないように、傷つけないようにする。それは「対等」を重んじる今の風潮には、合理的選択なのでしょう。

ヒエラルキーやルールが厳格なのにもメリット・デメリットがあり、対等で自由であることにもメリット・デメリットがあるということです。
さて、あなたのお好みは、どちらですか?

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