なんだか満たされない…それって「内なるサル」の仕業!?

人生:スピリチュアルブログ
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安定した企業に就職したものの

こんな繰り返しの毎日で成長できるのか疑問…

バイアウトして資産形成できて
自由な時間ができた
でも、肝心のやりたいことが見つからない…

FIREしたのに
なんか生きがいがない
人生つまらない…

リンデンバウムには、こんなお悩みがよせられることがあります。

こういった悩みは、うっかり口を滑らせて相手を選ばず話すと「自慢?」「マウント?」などと誤解を受けかねません。ですから、常識を超えた答え――スピリチュアルな答えを求めていらっしゃるのですね。

でも、こういう「周りからすると成功しているように見えても、なぜか心がぽっかり満たされない」という現象は、スピリチュアルよりも「サル」が原因かもしれません。

そう、「人間」ではなく「サル」。
あなたの、内なるサル。

あなたの「内なるサル」、満たされてますか?

ある士業のお客様が、神戸から札幌へ対面セッションにいらっしゃいました。
そのお客様曰く、「実際に対面で会って話すことが大切。京都大学長の山極寿一さんも、そうおっしゃっていたんです」。

人間の五感は「オンライン」だけで相手を信頼しないようにできている──霊長類の第一人者・山極京大総長にチームの起源について聞いてみた | サイボウズ式
人の信頼はどうやって生まれるものなのか? お互いを心から信頼しあえるチームを作るにはどうしたらよいのか? 霊長類研究の第一人者、京都大学総長の山極壽一先生に聞いてみました。
Nozomi
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なるほどなー!

その話を聞いた私は、山極先生の本を手にとりました。

暴力はどこからきたか 人間性の起源を探る (Amazon)

この本は「サル」について書かれています。
しかし、私には「人間」のことに見えて仕方ありません。
つまり、私たちの内には「サル」がいる、と!

上のお悩みは「人間」としては十分に評価されるような状態であるのに、なぜか心が満たされないという状態です。そう、人間として見たら全く問題がない、むしろ恵まれているくらいの状態です。

でも、なぜか心に穴が開いている感じがする。
心のどこかが埋まってない感じがする。
もっとドキドキワクワクしていいはずなのに、心が躍らない――。

上のお悩みを寄せてくださった方々は、みなさん優秀です。
仕事でも結果を出しています。
社会で才能を発揮しています。

そんな方々のお悩みをきいて思うのが
「人間って、安定してるとダメなんだな」
「人間って、自由過ぎるとダメなんだな」
ということです。

安定した企業に就職したものの

こんな繰り返しの毎日で成長できるのか疑問…

このお悩み、わかります。
私も20代の頃はそこそこの規模の組織で働き、非常に安定したお給料を頂いていました。

でも、そんなころの私はまさに腐っていました。「組織の寄生虫」でした。「いかにして楽をして給料をせしめるか」しか考えていなかった気がします。

なぜなら、与えられた仕事を頑張ってこなしたところで、そこに自分の成長を見つけることはできなかったからです。素敵な未来の姿を想像することがむずかしかったからです。

その時点では気づきませんでしたが、私はノルマや歩合制の「安定していない」の職のほうが能力を発揮できるタイプなんです。ですから、今の仕事は自営業で「やった分だけお金が入る」システムですから、とてもやる気があります。

「人間」としてみたら、安定した大企業に勤めるのは素晴らしいこと。
でも、「サル」の自分はもっと不安定で努力して食べ物(報酬)にありつけるほうが、能力を発揮できてイキイキできるのです。

バイアウトして資産形成できて
自由な時間ができた
でも、肝心のやりたいことが見つからない…

FIREしたのに
なんか生きがいがない
人生つまらない…

このお悩みも「人間」としては結構なことです。多くの人がうらやむ状態にあります。
だけど、本人は満たされない。

これも「人としては満たされてるけれどもサルとしては満たされていない」状態なのではないでしょうか。言い換えるなら「都会生活を営む社会人としては満たされてるけれども、ヒトとしての自然な状態からは乖離してしまっている」という状態です。

暴力はどこからきたか 人間性の起源を探るを読んでて思うのですが、サルには無駄がありません。
すべてのことが、食べてセックスして子どもを産んで育てて安全に生きるために作られています。非常に合理的なシステムです。シンプル。

一方で、人間社会。
特に今の資本主義社会は、無駄で成り立っています。
「こんな無駄な仕事して何になるんだ」ということをしてお給料がもらえる人も多いです。

この無駄ってストレスです。
「ただ穴を掘って、次にはその掘った穴を埋める」
この全く生産性のない単純作業をさせるという拷問によって、ナチスドイツは収容者に無力感を植え付けたそうです。【参考】パウル・オットー・ラドムスキー – Wikipedia

ドストエフスキーの「死の家の記録」に究極の拷問という話があります。これも「半日かけて穴を掘って、半日かけてまた埋めていく」というもの。まったく意味のない無駄なことを繰り返す行為に、精神が崩壊してしまうのです。

どうして無駄な行為にここまで追いつめられるのか。
それは、「内なるサル」が満たされない、つまり合理的で生存に無駄のないことばかりしていたサル時代のDNAが「これじゃ生きていけない!」と悲鳴を上げるのではないでしょうか。

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最近、生命力のない人が目につきます。
こういう生命力のない方が人間として悪辣かというと、そんなことはありません。むしろ無害な場合のほうが多いです。(だって、やる気がなくて他者を害する気力すらないのですから)

そういう人は、概して不幸そうです。
生き生きしてないから。燃えてないから。
生命力が枯渇すると、生きてる意味が分からなくて人生は虚しくなります。

どれだけお金があっても。
どれだけ家族と仲が良くても。
どれだけ仕事が上手くいっていても。

「生命力」がないと、「命の炎」が燃えていないと、人生はイキイキしない。

その「命の炎」は
どうやったら燃えるのでしょう?

この疑問に答えるのが「サル」。
内なるサルが満たされると、人間は生命力がたぎってくるのです。
スピリチュアルな言い方をするなら「第1チャクラが活性化される」のです。

例えば、祭。

湘南乃風。
濡れたまんまでイッちゃって!

これがサル。
生命力をアゲてくれるエネルギー。
下品? そりゃそうです、だって「サル」だもの!

お上品ぶってると、「人としては何の問題もない」のだけれども、もっと深い「生命の力」とは切り離されてしまいます。パワフルな「サル」だった自分を抑圧してしまいます。

自分の内側に「熱い」モノが見つからない人は、「人として」ではなく「サルとして」の自分とつながれているかを点検してみてください。「大脳新皮質」じゃなくて「大脳辺縁系」を使うのです!

狩猟採集・縄文文化のDNAで開けるスピリチュアル

スピリチュアルって縄文アゲしますよね。「縄文文化すばらしい」的な。
確かに縄文文化――狩猟採集文化って、「自然な生き方」を思い出すのに役立ってくれます。長年に刻まれてきたDNAの記憶にアクセスできるのです。

サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福 サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史を読んでいて、私はいかに「現代人が生き物として不自然な生活をしているのか」に感じ入りました。

無理なんです。
文化も生活も、常識も法律も、「生き物として不自然」なんです。
そりゃこんな社会で生活していたら、生命力もなくなってしまいます。

例えば、定住生活。
定住して農業をするって、超絶不自然なんですよ。人間のDNAにとって。

私が「畑やったほうがいいのかな」というと、上の人(私のガイド)は「そこまでしてここの世界にコミットしたいの」とあきれます。

だから、私は、畑(農業)やってません。生きるのに必要な食料はやってくるので、必要な分だけ頂いて必要なことをしてこの世ですべきことをして去っていきたいと思っています。

宮台真司さんは「人間にとって定住生活はあまりにもストレスフルだから祭を始めた。そして祭に非定住民(被差別民)を呼んで、非定住民からエネルギーをもらっていた」ということを上の動画でおっしゃっています。

これ、本当に納得だな、と思って。
だって、「ワーケーション」や「旅行」って、気分が上がるでしょう。人によっては一か所に住むのが苦痛で毎年引っ越ししてたり、ホテル暮らししてたりします。

これ、当たり前なんですよ。

人間にとっては非定住、ウロウロウロウロ動き回って木の実とか貝とか果物とか食べて、後はボーっとしてる生活が「当たり前」なんですよ! 少なくともDNAにはそれがデフォルトの状態で書きこまれているのです。

農耕生活なんて、外道ですよ。
小麦の奴隷ですよ!

だから「先祖代々の土地」というストーリー(ナラティブ)を付加しないといけない。そういう「神話」がないと定住できないんです。本来はプラプラプラプラして動いて回るのが、私たち人類なのです。

私は現在定住こそしていますが(ワーケーションしたいです)、ひまさえあればあっちへプラプラこっちへプラプラしています。ホカンスもしています。

そうやってプラプラしてると何がいいって、「宇宙に生かされてる感」がわいてくることです。
毎日同じ時刻に地下鉄に乗って同じ職場に行って同じ時刻に家に帰っていたら、こんな感覚は味わえません。プラプラしてるから、「疑似・狩猟採集民」してるから、スピリチュアルな感覚がふぅ~っとわいてくる。

農業ですら、ダメなんです。
狩猟採集、縄文人まで戻らないと。
そこまでいかないと「サル」的生命力にはいきつかない。

だから、安定しちゃうと生命力がヘタる。
そして、自由過ぎても生命力はヘタる。
なぜなら、狩猟採集民は「自然環境」という限界があったから。

狩猟採集民は自由に移動はできましたが、「食料のなさそうなところ」に行ったところで飢え死にしてしまいます。ですから、「食料のありそうなところ」に目途をつけて移動します。「食料のなさそうなところに行ける自由」は基本ありません。

「どこに行ってもいいよ!自由だよ!」も、また生命力は無くなっちゃうのです。
私たちは何かの縛りがあってこそ、生活にハリを感じることができるのですね。

私はサラリーマンの頃、週末に昼間からビールを飲むことが何よりもの快感でした。
「どうだ!昼間から飲んでるぞ!どうだー!!」
こうやって、最高に解放感を味わえたんです。

平日に休みを取って、マックなんかいったらもう大変。
「ほら、こんなに空いてるマックで私、今4人掛けのテーブル占領しちゃってるわよ~っ!最高~ッ!」

でも、今は週末に昼間から飲むこともないし、平日にマックいって気分が上がることもないです。むしろ、両方やらないです。

だって、今は「やろうと思えばいつでもできること」なんだもの。
どちらも、「ふだんできないこと」だからこそ、あんなに楽しかったのです。

人生に新鮮な風を吹き込みたい方は、生活にリズムを持ち込む「自分なりの縛りルール」を課すと良いでしょう。例えば、「チョコレートを食べるのは土曜日だけ」と決めたら、なんてことないチロルチョコですら至上の美味と感じられることでしょう。

「いつでもなんでもできる生活」って、実は結構つまらなかったりします。
なぜなら、私たちは狩猟採集時代に制限のある生活をしていたからです。

そうやって「サル」を思い出すことが、生命力につながります。
イキイキした自分をとりもどすヒントを、「サル」はくれるのです。

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