なぜ現代社会ではポジティブな人が上手くいくのか~「信頼」という力

ビジネス:スピリチュアルブログ
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近代の経済は、未来に対する私たちの信頼と、利益を生産に再投資する資本家の意欲のおかげで成長した。

サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福 サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 p163

いつでもポジティブ!
ポジティブであれば
全てが上手くいく!

スピリチュアルだけではなくビジネスでも、こういった考え方は「常識」として受け入れられているようです。いわゆる「ポジティブ・シンキング」ですね。

ポジティブ・シンキングがこれほどもてはやされるようになったのは、一体いつからなのでしょう?
少なくとも、古代の人類はそこまでポジティブではなかったと思うのです。

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私は最近、易経を勉強しています。
易経は古代中国、周の時代(紀元前1000年頃)に大本が作られたといわれています。古き東洋哲学を知る手掛かりとなる書です。

そんな易の言葉は、いちいちネガティブ。
反省して危機感をもって安心せずに自分を抑えて謙虚にしてろムーブが多すぎます。
貞に利ろし。貞に利ろし!貞に利ろし!!

しかし、東洋だけの問題かというとそうでもなく、昔の西洋占星術(伝統的占星術)もかなりネガティブです。特に土星周り。

東洋でも西洋でも「この配置は不幸だから生きてても無駄です」レベルのことを、普通に言います。非常に厳しくきついです。

それは占いだけではなく文化、例えば文学でもそうではないでしょうか。

私、文学、基本苦手でして。
なぜならウジウジウダウダしてるからです。ずっと暗くて内向的でネガティブではっきりしなくてずーっと苦しんで苦しんで救いがなくてオチがないままモワッと唐突に終わるのが純文学、という印象があります。

暗い。
陰キャすぎる。
ウジウジ悩んでる時間って無駄だからスパッと行動して解決したほうがいい!

って、イラっとしちゃうんです。
よくないですね~。
(同じ理由でこじらせてるサブカル系も苦手です……)

もっとパリピでウェイみが欲しい。
陽キャノリな笑いが欲しい。
ポジティブが欲しい。

となるとやはり、私にはオペラのほうがいいのです。モーツアルトのオペラはエロゲ設定(フィガロの結婚)だし、王道RPG(魔笛)だし、IQ4で観てられるので大変良い。当時、公序良俗に反すると取り締まられてしまったくらい、下世話に観られる。

モーツアルトのオペラは現代でいうなら、ガーシーの暴露動画みたいなものです。

パ♪パ♪パ♪パ♪パ♪パ♪パ♪パ♪(IQ4)

もちろん同じオペラでもワーグナーとかゲーテが絡んでくるような難しい奴はIQ4では観られないので嫌です。頭空っぽにして何にも考えないで消費できるものこそが良い。

なので高尚なる文学は無理です。
体癖5型に知性を求められても無理なのです。
根本がアホなんです。すいません。パンとサーカス最高!

明るい性格は財産よりもっと尊い
    アンドリュー・カーネギー

話がずれましたね、ポジティブシンキングの話です。

私は、「ポジティブ・シンキング」の隆盛を、戦後のものだと考えていました。

なぜなら、第二次世界大戦終了7年後の1952年。ノーマン・ヴィンセント・ピール博士によって「The Power of Positive Thinking」という本が出版されていたからです。日本語訳は「積極的考え方の力」となっています。

【新訳】積極的考え方の力
ノーマン・ヴィンセント・ピール
ダイヤモンド社

バックストリートボーイズのニック・カーター。
下の動画のY2Kなツーブロ金髪イケメンがニックです。

彼も薬物やアルコール依存症からの回復にピール博士のこの本が役に立ったそうです。ポジティブシンキングに救われたのですね。

そんな感じで、私は「ポジティブの隆盛」をここ70年くらいのものと考えていました。
しかし、サピエンス全史を読むと、そうではなさそうだと気づいたのです。
「ポジティブ肯定の波」はもっと前から、もっと深いところから、発していたのだ、と。

もっというなら、資本主義――特に産業革命以後の資本主義社会が「ポジティブである姿勢」こそをエンジンにして発展してきたのだ、と。

人類がネガティブ思考重視だったら、文明はこんな形で発達することはなかった。言い換えると「ポジティブであれる人こそが資本主義の果実を味わうことができた」のだ、と。

サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福 サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福(Amazon)

サピエンス全史の表紙に使われている絵のタイトルは、OSSESSIONE。「強迫観念」「妄想」「執着」という意味です。暗闇に飲み込まれる若い男性の頭脳。しかも手の表情を見るに、穏当ではないものを感じさせます。

ホモ・サピエンス(人類)の歴史全体を暗喩するかのように――。

過去五〇〇年の間に、人々は進歩という考え方によって、しだいに将来に信頼を寄せるようになっていった。

この信頼によって生み出されたのが信用で、その信用が本格的な経済成長をもたらし、成長が将来への信頼を強め、さらなる信用への道を開いた。

これは一夜にして起こったわけではない。
経済の動きは、気球よりもジェットコースターに似ていた。それでも長い目で見れば、凸凹は平らにならされ、全体的な方向性は見まがいようがなかった。

今日の世界には信用があふれているので、政府や企業、個人は、当期の収益や現在の収入をはるかに上回るような、多額で長期かつ低利の融資・・・・・・・・・・・・を簡単に受けることができる。

サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福 サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 p134

相手を信用できなかったら、取引できない。
当たり前ですよね。アマゾンや楽天やZOZOで買い物できるのって、「注文したら商品が届くだろう」って信用があるからこそできるわけでしょう?

でも、なぜ私たちはアマゾンや楽天や他のネットショップを信用するのでしょう?
あなた自身や友人知人は、アマゾンや楽天やZOZOの社員ですか? あなたはベゾズさんや三木谷さんや前澤さんと直接会って話したことがあるのですか?

私を含めてほとんどの方が「いいえ」と答えるでしょう。
私たちは、見ず知らずの人と取引しています。
見ず知らずの人を、信用しているのです!

これは江戸時代ではほぼありえなかったことです。昔は多くの場合、相手がどんな人か知っていて(先代含めて)付き合いがあるからこそ信頼して商取引をしていました。

しかし、資本主義を取り入れた明治以降、日本でも見ず知らずの資本を利用するようになります。実際、日露戦争に勝てたのは、ユダヤ人が戦費を債権の形で出してくれたからです。【参考】ジェイコブ・H・シフと日露戦争―アメリカのユダヤ人銀行家はなぜ日本を助けたか―

当時の日本人がユダヤ人資本家とそこまで知り合いが多かったのでしょうか。少なくとも、長さ的には100年どころか50年も付き合いの積み重ねはないはずです。

でも、ユダヤ人の資本協力を日本は受け入れたのです。ユダヤ人サイドは「帝政ロシアを、ぶっこわぁ~す」が目的。あくまで「敵の敵は味方」理論。情的に日本に思い入れがあるわけではありません。

そんな西洋的でドライな取引を行うには「信用」というポジティブシンキングが必要。だまさずにちゃんと契約を履行してくれるだろうという見通し、信用が。

そう。
資本主義は信用なしでははじまりません。
資本主義は、「相手が契約を守ってくれるだろう」とポジティブに信じられる人にこそ、扉を開くシステムなのです。

自分が利益を得ることで、相手も笑顔になれる。
自分が豊かになることは、相手も豊かにすることだ。
そんなWIN-WIN型ポジティブ思考をする人こそが、資本主義で勝者となるのです。

逆説的にいうと、多くの小説家や芸術家は必然的に貧乏になります。なぜなら内向的でネガティブな陰キャタイプが多いから。ドストエフスキーもゴッホもバッハも貧乏。

はたらけどはたらけど猶 わが生活楽にならざり ぢっと手を見る。

実際のところ(注:国富論でアダム・)スミスはこう述べているのに等しい――強欲は善であり、個人がより裕福になることは当の本人だけでなく、他の全員のためになる。利己主義はすなわち利他主義である・・・・・・・・・・・・・・・・、というわけだ。

スミスは人々に、経済を「双方のためになる状況」として考えるよう説いた。

つまり自分にとっての利益が相手にとっても利益になる状況だ。この場合、双方が同時にパイのより大きな分け前を享受できるだけでなく、自分の取り分の増え具合が、相手の取り分の増え具合も左右する。

もし自分が貧しければ、相手の製品やサービスを購入できないから相手もやはり貧しくなる。自分が裕福ならば、相手から何かを買うことができるから相手も裕福になる。

スミスは富と道徳は矛盾するという従来の考え方を否定し、金持ちに対して天国の門を開いた。裕福であることは道徳的だというのだ。

スミスの描いた物語の中では、人は隣人の財産を奪い取るのではなく、パイ全体を大きくすることによって豊かになる。そしてパイが大きくなれば、誰もが恩恵を被る。したがって、社会の中で最も慈悲深い人間は金持ちだということになる。全員の利益のために経済成長の歯車を回すのは彼らだからだ。

サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福 サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 p135~136
注は記事作成者による

つまり、資本主義システムを使いこなし、その恩恵を受けようと思うには、他者を信用すること、ある程度はポジティブである(人間はそこそこマトモだと思える)必要があるのです。

陽キャしか勝たん!

もちろん、人間は陰も陽も内に備える存在です。どんな人にも明るい綿と暗い面が同居しています。陰も陽も、善でも悪でもありません。

しかし、今の資本主義システムを上手く使いこなそうと思うならば、社会的活動場面(仕事やボランティアなど)では一程度「ポジティブ」であったほうが上手くいくということになります。

なので、表に出す面はややポジティブに。
ネガティブなメンヘラは自分で向き合って解消する。(自分の機嫌は自分で取る)
それが、生き方としては賢いのかもしれません。

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