
神奈川県
T様からの
体験談
4月にカウンセリングを受けたTと申します。その節はありがとうございました。
●カウンセリングを受けた理由
カウンセリングの2か月前に受けた子宮の検査手術の結果が、今は悪性ではないが、いつ悪性になるかわからない。よって子宮全摘すべきがどうか、という判断に迷っていたため。
普段の悩みは本やネットで解決方法が見つかるけどこればかりはどうしようもなかったのです。
血液の持病がなければ迷わず全摘していたかもしれないのですが。
●事前準備
前にブログで読んでいたとおり、まず場をあたためるための具体的な質問を用意しました。この時は新しき採用した2人についてアドバイスをいただくことにしました。
次に核心の病気のこと、最後に50代になったので、セカンドライフに向けてアドバイスをいただこうと。時間があれば自分の使命も、など。
●当日
予想外に、いきなり「あなたの周りの人はあなたに無邪気に真実を告げられショボーンとしてるわよ」と。
一瞬、何のことですか??とおもったのですが、ハッ、としました。そうだ、、○○さん、そんな顔していたことあったなあ、という記憶が。
子供の時よくあったため、大人になって気をつけていたので忘れていました。なんでこんなことがわかるんだろう??
混乱しましたが、気持ちを立て直し、目的の病気のことを聞いたら何と、子宮全摘手術してもしなくても大丈夫というではないですか。
さらに、私の血液の病気、そして、ピンピンコロリで逝けそうなことも伺うことができてとても安心しました。
それより、セカンドライフのほうが課題が多かったです。
「もっと遊びなさい。体力あるはず」「夫の依存に気をつけないと楽しいセカンドライフが迎えられない。」
ぎくっとしました。結構あるあるな問題だけど対策できていなかったからです。
●カウンセリング後
遊ぶって何をすればいいんだろう?から始まりましたが、ピンと来たものにどんどん参加しています。
今はクラシックコンサート、YouTubeをよく見ていた長嶋修氏のオフ会参加などです。

オフ会で知り合った方と(もちろん女性です(笑))初対面なのにまるで前からの友だちみたいで、次には家まで遊びに行きました。他にも気の合う友だちができ、友だちいない、なんて思っていましたが、行動が足りなかったようです。行動を増やしたら楽しいことがどんどん増えてきて、毎日が楽しいです。
夫にも、濡れ落ち葉対策実施中。彼は今定年後できる仕事の国家資格の勉強をしています。
今回のセッションでは、健康への心配を払拭できたとともに、もっと遊べ、そして女性性をめざめさせよ!という気づきをいただきました。
このように近い将来への準備にも本腰を入れることができ、30年を超えた仕事人生も終わりが見えてきた今、どのようにいつ幕引きをするかを考えております。
さらに近々世界は激動の時代を迎えるでしょうが、その時にも楽しめるように心と体のコンディションを整えておきたいと思います。
この度はこのように大きな気づきをいただました。重ねて感謝申し上げます。
Nozomiより
Tさん、体験談ご寄稿ありがとうございます。嬉しいです。
なぜなら、私は「迷ったときはTさんみたいな人を思い浮かべてブログを書けばいいんだ!」と思っていたからです。
なぜなら、ちゃんと社会に適応して長年お仕事をされ、パートナシップから学ぶ経験もし、人生経験を豊かに積み重ねてきてらっしゃる方だから。そのようなコミュニケーション能力や調整能力に優れた方こそ、リンデンバウムに来ていただきたい方そのものです!
だから、「迷ったときはTさんに向けて書いてる気持ちで行こう」と思うのです。そうすればTさんみたいな方がお客様として引き寄せられてくるでしょう? そうすれば、私は使命を果たすことができるでしょう。
私の道しるべになってくださり、ありがとうございます。勝手にそんなことされても、と気持ち悪いかもしれません。申し訳ありません。笑

さて、健康についてスピリチュアルカウンセリングで尋ねる意義は「現代医療とは違った別視点から自分の肉体の状態について知ることができる」、ここにあると私は考えております。
つまり、サピエンス全史的に表現すると以下のようなことです。

多神教の根本的洞察(それによって多神教は一神教と区別される)は、世界を支配する至高の神的存在は関心や偏見を欠いており、したがって、人間のありきたりの欲望や不安や心配には無頓着であるというものだ。
この神的存在に、戦争での勝利や健康、雨を願っても意味がない。なぜなら、その包括的な視点に立てば、特定の王国が勝とうが負けようが、特定の年が栄えようが衰えようが、特定の人が健康を取り戻そうが死のうが、関係ないからだ。
サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福 サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 p15
太字強調は記事作成者による
ちょっと情のないサイコパス的見解に聞こえるかもしれません。「あなたの健康なんてどうでもいいんだよ」なんて言われて、いい気分になる人のほうが少ないでしょう。
しかし、高次(ガイド)の視点はそういうものです。
別に健康じゃなくていいのです。
健康かどうかじゃなくて、「魂の道を行けているかどうか」が大切なのです。
その人が得るべき病を得ているならば、まったく、そう、本当になんの曇りもなく問題はないのです。実にサイコパス、非人間的です。(非人間的だからこそ、人ではなく神なのでしょうか……?)
北米先住民のメディスンマンであるローリング・サンダーも
「病気になるには、必ず原因がある。
人を治療するかどうかを決めるときは、まずそれを考えなければならない。それを無視したら、その人間は将来大きな代償を払わなければならなくなるかもしれないからだ」
と述べています。
病気はその人に与えられた霊的課題であり、そこから気づかなければならない問題があるということです。
他人の宿題をやってしまうと、その行為は一時しのぎであって、決してその人のためにならないと喩えられるかもしれません。(中略)病気を自分に起因するものではなく、病気自体のせいにして医師に病巣を切り取ってもらうだけでは、個人の成長にはつながりにくいのは確かです。
新・臨床家のためのホメオパシーマテリアメディカ 下巻 P550
メルマガにも書きましたが、私のゲーム仲間が40代半ばで病を得て亡くなりました。その亡くなり方は見事で、私も彼のように死ねたら本望だし幸せな人生だと羨ましくなるほどでした。ちゃんと「自分の道」を生き抜いた、爽やかな感覚すらしたからです。
それは、病から逃げなかった、そして死病を得ても精神を乱すことなく最後まで淡々と生き切った姿からきたものです。
言い換えるなら「自分らしい死に方」を彼はしたのです。
ちゃんと魂の道に沿うなら、そのような死に方ができます。誰にでも。
(もちろん、「死にたい」「死にたい」と負の感情を撒き散らす浅薄なるメンヘラには、光に満ちる死に方など望むべくもありません!)
セッションではそのような視点で、「健康」をはかります。
血液検査の結果がどうであれMRIやCTの結果がどうであれ、「それが魂の道に沿っているのかどうか」で判断します。基準はそれのみです。
場合によっては、医療的には健康に問題ありであっても、魂の健全度には全く問題はなかったりすることもあります。スピリチュアルな視点だと、そこしか見ないのです。ガイドは興味がないのです。本当にサイコパス的です。
私は人間として肉体を得てこの世界を生きていますので、人情もある程度は解しているつもりです。ですから、翻訳(セッションでのメッセージング)に際しては、できるだけ人情を織り込めるような言葉選びを意識しています。しかし、それも時には超越するくらい、あちらの方々は「魂」のみにフォーカスすることがたびたびあります。

私たちは100%死にます。
実に、致死率100%です。
ですから、「肉体があるからこそできること」を今の内にやっておく必要があります。
私が俗っぽいこと――「運動しよう」「ビジネスしよう」「人間関係から学ぼう」など、あまりスピリチュアルではないことばかり常々伝えるのは、このためです。
乱暴な言い方をするなら「肉体を離れた時にできることなんて、死んだ後でいい」。
テレパシーも瞬間移動も透視も、そんなの肉体を離れればいくらでもできます。今からそんなことやらなくても大丈夫です。
あるインドの高名なヨギの元で瞑想法を習ったある若者は、十年間の間洞窟にこもってある修行を始めました。そして十年後に師であるヨギに会いに行きました。
「先生、お久しぶりです。私は十年間かかって、ついに水の上を歩ける技を身につけました。」
すると師は言いました。
新・臨床家のためのホメオパシーマテリアメディカ 下巻 P540
「お前は、時間を無駄にした。舟に乗れば水の上を歩かなくていいということを知らないのか。」
今は肉体があるからこそ、肉体がないと味わえないことをやっておく時です。そのために私たちは今、肉体を得ています。
もう少しネガティブな言い方をするなら「この世界を卒業したい、もう肉体に入って生まれ変わりたくないなら、肉体で学べることは全部学んでおくこと」とも言えます。
T様の場合は、肉体で遊びながら女性性を開花していきましょう、ということなのでしょうね。軽薄とは思わず(いや、軽薄だからこそ価値があると思って)、ぜひ気楽に遊んでください。見て、聞いて、触れて、肉体で快楽を味わってください。
溺れて(依存して)しまうのは問題ですが、節度を持って五感を楽しむのはこの世界に生いきているからこそできることです。肉体があるうちに味わってください。50年後には不可能なのですから、今のうちに!