なんで占いは「不吉なこと」をいいたがるのか

占い
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占いって、怖いもの!?

占いって
なんか怖い感じするから
嫌だわ

こんなふうに思われている人って、結構いませんか。
このブログを読むような方には少ないかもしれませんが、あなたの周りに「占い」という言葉を聞くと顔をしかめる人、いませんか?

私は、その気持ち、わかります。
占い、怖いです。
占い、無理。

いや、思いません?
「凶」とか「不運」とか「失敗する」とか、そんなのズバズバ書かれてたり言われたりしたら、怖くありません?

特に、東洋占術って日本においては西洋占術に比べて伝統的なものがストレートに伝わってるから、余計怖くないですか。
ネットですら「(四柱推命で)沐浴を持ってる人間は不幸にしかならない。失敗しかない人生」みたいな記述を見かけて「ヒエーッ!怖い!」ってなります。

そんな、星持ってるだけでその人の人生、全否定なんですか!
なんでそんなにシビアなんですか!
もうちょっと温情があってもいいんじゃないですか!

個人的に「丙午」で超絶ディスられてきたので、余計にそう思うんです。
丙午だけど、生きてるから!大丈夫だから!男殺してないから!!!
なんで「丙午の女は不運を招く」みたいなこと言うの?ひどい!!!

そうやって「この星を持ってたら不運な一生を送る」的な極端なこと言うから「占いは当たらない」って思われちゃう一面もあります。これは由々しき事態です。つまり丙午をディスる奴は全員処刑(※そういうところ)。

そうやってブリブリブリブリ怒っていたのですが、今回「伝統占術はなぜ極端に厳しいことを言いたがるのか」という理由がわかりました。
それは「伝統的占術が生み出された背景」です。

易経のエグさ、半端じゃない!

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易経は、周の文王と周公と孔子が主に作っていったんだよ~と言われています。(言われているだけで、単なる伝説的な感じの説です)

易経の基礎(卦辞)を作った周の文王は、中国古代哲学(四書五経)ではすっごいすっごいすっごいスーパー聖人君子扱いです。論語でもほめられまくってます。そんな文王様が作ったわけだから易はすごいんだぜ!って箔付されてるんですね。

易経は「周易」という呼び方もされます。
周の文王が作ったから、周の易です。

そんなスーパー君子・文王様は、殷の最後の王である紂王によって辛酸をなめることになります。悪口いわれて幽閉されて、肉団子にされた息子の肉を食わされます。

古代中国、エグさが半端ではありません。
実は算命学の勉強してても同じく、エグさに引くことがそれなりにあります。中国ヤバイ。

この文王の苦労を重ねたエピソードは、封神演義でも描かれています。マンガで読んでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

封神演義 1 (Amazon)

伯邑考、イケメンだったのにハンバーグになっちゃって……。涙

封神演義 4 (Amazon)

易経の解釈書である繋辞下伝には、文王がそんな苦難の中で易を生み出していった様子が書かれています。

易之興也。其當殷之末世周之盛德邪。當文王與紂之事邪。是故其辞危。
(易のおこるや、其れ殷の末世、周の盛徳に当たるか。文王と紂との事に当たるか。の故に其の辞危うし。)

繋辞下伝 第十一章

易が生み出されたのは、文王が紂王に苦しめられていたころ。だから、易では危険を察知する言葉が多いのだ、と。

自分も監禁されてる身なのに人質に出してた長男殺されて、しかもその肉食わされて。そんな状態で「あなたを幸せにするポジティブハッピー♡な言葉」が浮かぶ――わけがないですね。

天地否の五爻では「否を休す。大人は吉。其れ亡びん其れ亡びんとす。苞桑ほうそうに繋ぐ」という爻辞が述べられます。つまり、「もう悪いことは終わって吉だよ」という状態です。なのに、「いやいや、まだ油断するとすぐ滅ぶ、滅ぶぞという気持ちで危機感をもっていきなさい」と忠告しています。

ちょっとネガティブすぎる!
現代的な感覚では、そう思います。
しかし、「いつ殺されてもおかしくない」そんな状態でつづったものなら、そうもなりますよね。

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ある易経の本で、占断結果に「恋愛・結婚・仕事」など、わかりやすい目安を書いてくれてるものがあったんです。

その「試験」の項目をパラパラパラ~って見てたら、8割方「不合格」と書かれていまして。「吉だよ♪運気上昇だよ!」って卦ですら「不合格」って書いてるんです。もう爆笑しちゃいました。

その本に倣えば、易で「受験はどうなるか」って聞いたら8割方不合格って出るわけです。厳しい~。厳しいわ、世の中!

ですが、文王の身になって考えたら「世の中良いことなんかそうそう起こらない」わけで。春木開に言わせたら確実に「ポジティブ足りない」わけで。

それに、「易で試験結果を聞く」って、昔の中国で何の試験について占うのか?
そう考えたら、一にも二にも、科挙ですよね。
あの超難関!世界で一番厳しい受験戦争、科挙。

そりゃ科挙は8~9割方不合格ですよね!早々受かりませんわ!
だから易で受験ってみると「不合格」直結なんですね~。大学全入時代の現代日本には、そのままでは使えなさそうです……。

伝統的な占いを現代風に「翻訳」することの大切さ

伝統的な考えに基づいて作られた占術を、現代の私たちがそのまま使って役に立つのか?

なかなか厳しいんじゃないのかな。
私は実体験から、そう思います。

例えば、今私は易の勉強のために一日一卦を立てています。「12月14日の魂を磨くための卦を教えてください」という感じで筮竹におたずねしています。

すると、こんな卦爻を得たりするんですよ。

突如其來如。焚如。死如。棄如

離為火 四爻

意味は「突然焼かれて殺される。そして棄てられる」。

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やっべえよ。
やっべえよ。
私、明日、突然焼かれて殺されるんだよ!どうしよう!!

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――なんてことは、なく。
つつがなく、焼かれることもなく、捨てられることもなく。
そんな卦が出た日も、平和に一日終わります。

この離為火四爻、私、結構お目にかかるんです。
でも、今のところ焼いて殺されて捨てられてません。生きてます。

強いていうなら、この離為火の卦を得た日は皮膚科にレーザートーニング予約してて「レーザー(火)で焼かれるということか」と思ったくらいです。もちろんレーザートーニング受けても焼け死ぬことはありませんでした。炎症も起きませんでした。

確かに、文王が生きてた時代なら離為火の四爻が出ると焼いて殺されてたのかもしれません。でも、現代社会で焼いて殺される機会はそんなにない気もします。

ですから、現代風にちゃんと解釈しなおす、易の卦辞や爻辞にとらわれ過ぎず、シンボルとして読んでいくことが必要なんじゃないかな、と思います。

例えば、火=レーザーみたいな。
しかも離為火の四爻はすなわち「賁に之く」なので、結果的には「美しく飾る」という意味になります。山火賁四爻はゴテゴテ表面を飾るのではなくシンプルに飾る方向性です。白く飾る。

つまり、メイクではなく美白スキンケアでレーザートーニング。
まさに「白く飾る」!!!

現代的に易を使っていくためには、単純に卦辞を読むだけではなく、深めて観なければならないのでしょう。

例えば、応爻比爻の対応を見れば「そもそもなぜ卦爻辞がそのように表現したのか」の根本がわかってきます。そのレベルまでちゃんとかみ砕いたうえで、卦を読んでいく姿勢も必要なのかもしれません。

うーん、易、難しいです!
(でも、めちゃくちゃ面白い)

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(易は勉強中ですが、希望があれば対応いたします)

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