これからの時代に「ああ、生きてる~幸せ~」って満たされるには

人生:スピリチュアルブログ

私、Youtubeの丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニーが大好きです。
その裏社会ジャーニーで、戦争のプロ・元傭兵の方が出てらっしゃって。

この元傭兵の高部正樹さんのお話が面白すぎる!
そこで、高部さんの本を手に取りました。

これがメチャクチャ面白い。
ミリヲタな自分の魂、大歓喜。
私、こういうの、心の底から好き!!!!

ミャンマーの少数民族であるカレン族の解放軍に加わった日本人傭兵を描いたノンフィクション小説。1998年の出版です。

戦争理由(Amazon)

DEATH IS FUCK BUT LIFE IS SHIT

いや、もうこの表紙とこの一文の時点で、BGMにはSlipknotやMarilyn Mansonが流れ始めるでしょう。笑

90年代は彼氏が大体こういうの聴いていました。そして私はブレずにHiphop。ロックは専門外

そして、ただよう空気感がスプリガン。
本当に、スプリガン!!

SPRIGGAN復刻BOX ([特装版コミック])(Amazon)

「戦って 死ね」ですよ。
「戦って生きろ」じゃないんですよ。
2022年にこんなコピーつけたら「苦しい時、ひとりで抱えないで。自殺防止センターに悩みを聞かせてください」なんて厚労省あたりのテロップがつきますよ!!

DEATH IS FUCK BUT LIFE IS SHIT。

いやぁ~、90年代。
実に90年代。
文章に流れる空気感が、90年代。

「笹井さんのことを勘違いするなよ。あの人は冷たい人間だ」

行軍中、酒田は部隊の中堅兵士たちから何度聞かされただろうか。酒田は今の今までその言葉を信じてはいなかったが、ここに来て、やっとその意味が理解できたようだった。

「まあ、中山の判断次第だな。奴がそれでもやるって言うんなら、徹底的にやってやるさ」
酒田には、心なしか笹井の横顔が笑っているような気がした。

――この人は戦争を楽しんでいる……。
酒田はブルッと身震いした。

戦争理由 p45

今でも外国人傭兵部隊に所属しようとする日本人なんてマイノリティですが、当時ももちろんそうです。90年代の豊かで平和な日本社会にどうしても違和感がぬぐえなくて、戦場に身を置いてしまうなんて、少数派です。

そして、ギラギラとしたえげつない「生命感」を、その戦場で味わう。
死がものすごく間近にあるからこそ、当たり前に周りの人が死んでいくからこそ、全身の血が沸き立つように命を感じるわけです。生きようと脈動する自分の心臓を感じるわけです。

「しかしよう、どうしていつ来ても、ここの人間たちはこんなに疲れた顔してるんだろな。まるで三日徹夜でドーナを行軍した後みたいだぜ」
「日本にいる日本人は、不思議な魔法使いよる。見るだけで人を無気力にさせる、奇妙な魔法や」

戦争理由 P262~263

この日本社会からはみでた傭兵たちの様子を見て、私は「オウム信者と似てる」と感じました。そう、同じ90年代。あの、オウム真理教が社会にインパクトを及ぼしていた時代。

「A」 
マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (Amazon) 

森達也さんの「A」 マスコミが報道しなかったオウムの素顔などを読んでて、私が感じたこと。それは、オウムに入っちゃう人たちって「生きてる感じ」「生き生きとした実感」が日本社会の中では得られなかったんじゃないのかな、ということ。

傭兵になる人も、オウムに入る人も、日本社会では「すごい!生きてる!!」って感じが味わえなかったんじゃないだろうか。
そういう意味で、通底するものを感じたのです。

一九九〇年代前半、多くの日本人がKNLAに集まった。
その中のかなりの数は、たった一度の前線の後日本に逃げ帰ってしまったが、残った少数の男たちは実に勇猛果敢に戦い続けた。そしてその多くは、病に倒れ、銃弾を浴び、二度と日本に帰ることはなかった。

要領よく世間を渡る現代人には、命を粗末にしたバカなやつと笑われるかもしれない。しかし、男として命を懸けられるものを見つけ、その中で必死に生き、死んでいった者たちをバカにできるほどに生きている人間が、今の日本に一体どれだけいるだろうか。

戦争理由 P303~304

90年代の日本社会で傭兵にもならずオウムにも入らないマジョリティ、善良なる一般市民は「生き生きと毎日生命力を感じて過ごせたのか」。
それは明らかに違います。(自分を含む)ほとんどの人が先の引用のように「見るだけで人を無気力にさせる」疲れた顔をしていました。

多数派日本人が彼らとは違ったのは、「生き生きできない自分」を誤魔化すのが上手かったということ。「これは自分の生き方じゃない!」と言い出すだけの気力も無かっただけ。

「なんか違う。こんなの人生じゃない」
生きていても生命感がない。
内にほとばしる熱い血潮が感じられない。

傭兵やオウムに走った人たちは、この虚しさを誤魔化せない正直な人間だったのだろう、と思います。

そして、2022年の今も、この「生命感」「生きてる感じ」を実感できずに毎日を過ごしている人間は、たくさんいます。90年代と変わらず、おそらくそちらのほうが多数派です。

ただ、その「生きてる感じが得られない虚しさ」を誤魔化せない人の表現方法は、約20年の時を経て変化してきているのではないでしょうか。

例えば、今日見ていた動画で、「男に殴られたい女性」が出てたんです。

5年付き合ってる彼氏(教師)からも、浮気相手(?)のホストからも殴られる。殴られて超充実。男から思う存分殴ってもらえる幸せ。
「気がついたら殴られたいなっていうのが、ふつふつとわいてくる」わけです。

多分、この女性は殴られてる時にめっちゃ「今、自分、生きてる」感を味わってるのではないのかと思うのです。身体じゅうが熱くなって、カーッとして。
自傷行為も多分そういう側面がありますよね。自分の身体を切ると血が出ることを見て安心するわけでしょう。

つまり、普通に生きてたら「生きてる感」充実感がないんですよ。なんで生きてるんだかわからなくて、生きたいって気力もわかなくて、肉体からエネルギーが感じられないわけです。

こういった「生きてる感が無い問題」って、これからより深刻になると思いますよ。
なぜなら、身体性がどんどん薄れていってるから。メタバースなんかやりだしたら、余計加速しますよね。

上の動画で、落合陽一さんが「シンギュラリティ後の世界」について語っていまして。AIが普及してデジタル分野のことで人間がコンピューターに敵うことなど、ほぼほぼなくなった後の世界のことです。

そうしたら、「どうやって生きればいいのかわからない人」が大量に出ると落合さんはおっしゃっています。

動画19:40頃~

――デジタルネイチャーで戦争が変わる?
「本当は誰も戦わなくていいんじゃないですか」
――コンピューターゲームみたいな感じで
「戦車に制圧されたらゲームエンドですよね」

――今日まだね人間戦ってますよね
「それをあきらめろって方が無理なんじゃない。戦車に制圧されてここはもう領地になりますってなったら、死ぬと思うけど戦いに出ちゃうのが人間なんじゃないかなと思うんだけど」

――そうか。戦争ってこの世の中から終わらないってことですね
「戦争くらいしかやることがないと言えるかもしれないけど」
――戦争が最後に人間に残された……
「人間性の一つかもしれない」

同じく落合さんはシンギュラリティ後の世界で人間は「恋愛くらいしかやることがない」ともおっしゃっています。

戦争と恋愛しかやることがない世界!
DEATH IS FUCK BUT LIFE IS SHIT!!!

本当に戦争と恋愛しかやることがない世界になるかどうかは置いておいて、とりあえず殴られなくても身体を傷つけなくても戦場で血まみれにならずとも「生きてる感」を実感しながら生きられるって大切だと思います。

だって、結局そういう”充実感”があることで人は幸せに生きられるわけでしょう。「ああ、生きてる~幸せ~」って満たされるわけでしょう。

そのためにはやっぱり、身体性、大切だと思うんですよ。

頭の中でデータ分析とか処理とか理論構築とか、そんなのコンピューター(AI)にかなわないわけです。コンピューター(デジタル世界)ではできないこと、肉体と感情を使って、活動する習慣があったほうが、多分幸せを感じやすいのではないかなと。

ですから、肉体も感情も「動かせる」ように訓練しておく。訓練です。訓練。
だって、今の社会で「ふつうに」生きてたら、肉体も感情も間違いなくさび付いたり歪んだりしていきますから。

肉体労働で疲労がたまると「自分の身体は何を求めているのか」感じとることが難しくなります。
同じく、感情労働で疲労がたまると「自分の心は何を求めているのか」感じとることが難しくなります。

そこをなんとか疲れを取って(あるいは浄化して)、内なる感覚をキャッチアップできるようにする。それが多分、これからくるシンギュラリティ後(≓AI普及後)の社会で「人間として生きる意味」になってくるのではないでしょうか。

インスピレーション、大事。
(そして、インスピレーションを受け取れる状態に自分を訓練&調整しておくことが、大事)

最後にちょっとだけ。

つい先週に発売された皆川先生の新作、なんと、傭兵モノ。
高部さんとスプリガンって空気感というフワッとしたもの以外、まったくつながらなかったのに、ここでつながりました。
シンクロ、面白すぎます。

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