凶=悪ではない。「意識の深い水に潜る」時~坎為水(かんいすい)

占い
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苦しくて辛くて
どうしたらいいのかわからない…

易経ではこんな時のことを「坎為水」の卦で説明しています。
ダブル水。ダブルで辛くて苦しい。
それが「坎為水」の時です。

習坎しゅうかんは、まこと有り。これ心とおる。行きてたっとばるることあり。

六十四卦の中でも大きな苦難を表す坎為水かんいすいは、昔から多くの賢人に愛読されてきました。

坎為水かんいすいという卦名かめいの下に「習坎しゅうかん」と入っていますが、これは「苦しみに習う」という意味で、敬意と親しみをこめた愛称のようです。この卦だけは特別に「習坎」と呼ばれています。

坎為水の水は苦しみをあらわし、坎は土が欠けると書いて穴を意味します。
八卦はっかの水が二つ重なって、水が次々に押し寄せてくる、つまり苦しみに次ぐ苦しみ、穴または穴に陥ってしまうどん底の苦しみを経験する時をあらわしています。

超訳 易経 陰―坤為地ほか p189~190

ええーっ
ヤダー!
そんな時、いらなーい!!

なんて思いますよね。
でも、坎為水の時って「習坎」という通り、レッスンの時、学びの時なのではないでしょうか。人生に必要な時だからこそ、そういう時期は訪れるのかもしれません。

私は今、易経の勉強のために一日一卦を立てています。
坎為水の卦も、結構出ます。
男性性のエンパワメント~エネルギー・チャージには展望台!?の記事を書いた日も、坎為水の三爻を得ました。

結構悪い卦(爻)です。
苦しくて苦しくて仕方ないよ~という時を示しています。

でも、単純に「凶は悪い」「坎為水は低調運」って読むと、あんまり生活や人生の役には立ちません。現実と照らしあわせてもしっくりきません。(つまり「当たってない」感じがする)

毎日卦を立てると、それなりの頻度で凶の卦や爻が出てきます。でも、その日に交通事故に遭ったり病気で倒れたりトラブルが起きるのか――というと、正直、全然起こりません。大体がほぼほぼ普通で、大過なく終わります。

逆にいうと、吉で「めっちゃ絶好調!!最高!!」って卦を引いても、正直、別にそんなに良いことは起こりません。大体がほぼほぼ普通で、大過なく終わります。

「じゃあ、易占いなんて役に立たないではないか。卦を立てるなんて無駄なことだ」
という話になりかねないくらい、大したことは起こりません。「当たり」ません。

ほら、雑誌の占いでよく「○○座は今年は12年に一度の幸運がやってきます!」なんて書かれてたりするでしょう。
それで本当にハッピーになりましたか?
問題が全部解決して悩みが一つもなくなりましたか?

そうはなってないでしょう。
「幸運年とか言って、そんなに大したことなかった」って、なりません?
「占いなんか、当たらないわ~」って。

正直、占いの示す「宇宙のエネルギーの巡り」が現実生活にまではっきり表れてくることって、そこまでないと思うんです。氷山のように、目に見えて現実化する部分は1~2割くらい。

占いの示すところの大部分は、無意識の領域で起こっていることを説明しているのではないのかな、と易を立てていて私は感じました。

ゆえに、自分の無意識(潜在意識)にアクセスして、その流れと向き合っていくには易をはじめとする占いを使っていく行為は有用である。そう私は考えます。

神秘的な占いの原典、という先入観を捨てて虚心に易経を見るならば、読者は意外に新鮮な「人間の能力に対する信頼」を見出すにちがいない。

易経の占断は神の信託ではない。
易経に示される吉凶は、変えることのできない宿命として与えられるのではなく、従うべき法則を示すことによって、運命開拓の努力を促すものである。

「禍を転じて福となす」のが易の道である。

中国の思想(7) 易経(改訂版) 解題 一、易経とは何か

話を戻して、坎為水かんいすいの卦を得たときに、現実生活でショックなことが起こるとは限りません。悪いことが起こるとは限りません。不運だとは限りません。

でも、内面に限っていったら、確かに、苦しみが横たわっていたりします。
なぜそんなに苦しいかというと、潜在意識化に押し込めていて今までごまかしていたものに触れてしまうからです。

つまり、潜在意識の海(水)の中にどぽん、と入っていくのが坎為水の時――私はそう感じています。

坎為水かんいすいの苦しみは、尋常なつらさではありません。
しかし、それをどう乗り切っていくか、乗り越えていくかです。

苦しいから、逃げたい。
これは人情です。

人のせいにしたり、社会のせいにしたりしても解決しません。
運が悪いと運のせいにするのはもっとも、最も愚かです。

つまり逃げ出すことはあきらめなくてはなりません。あきらめることによって、ものごとが見えたり、事実が客観的に見えてきます。
見えてきた時にはじめて、その問題に対処するアプローチ方法や、その時その時のそれなりの手段が冷静に見えてきます。

勇気をもって苦しみの時を進めば、いずれ大きな実りを得ると教えています。

超訳 易経 陰―坤為地ほか p196~197

勇気をもって苦しみの時を進む。
私の経験からすると、潜在意識のに押し込めてごまかしていたものにきちんと対峙すれば、大いなる浄化が起こると感じています。

そう、苦しみをもたらす水は、同時に浄化をももたらすのです。
もちろん、向き合わないで逃げていては浄化は起きません。

ちゃんと苦しみを真正面から受け止めて、ただただ受け入れる。
解決しようとせず、ただただ純粋に苦しむ。
もしくはどうにかしようとあがいてあがいてもがいて、それでもだめで絶望する。

苦しみ抜いて疲れてしまったら、力尽きてしまいます。その時にふうっと力を抜く。すると、体は軽くなります。水に沈んでいた自分が、水面まで浮遊していきます。そして、光に包まれます。

そのものすごく深い浄化をもたらしてくれる可能性があるのが、坎為水の時ではないでしょうか。私は自分の経験から、そう感じています。

私は西洋占星術のホロスコープで、トランシット(経過)の4室に土星が通過している時を「インナーチャイルドを癒すのによい時」と観ることがあります。

実際4室土星通過というのは、家庭関係でごたついたり緊張を強いられたり理不尽な目に遭ったりハードな思いをすることが多いです。しかし、そんな時こそが幼少期のトラウマを癒す最大のチャンスである、と私は考えています。

なぜなら、自分の「つらいポイント」を押されると、「自分は何をされたら苦しいと感じるのか」を如実につきつけられるからです。「自分は何に対して苦痛を感じているのか」を認識せずにはおられないからです。

そこを「つらい、無理、今日も推しに感謝!」と現実逃避したら、浄化は訪れません。推し活で養分になって浪費しておしまいです。魂は成長しませんし、資産形成もされません。

そこをグッと歯を食いしばり気合で根性見せて
「よし、わかった。ここが辛いんだな。どうして辛いのか、探ってみるぞ」
と向き合えば、その苦難は大いなる浄化、魂の大いなる癒しへの階段を上がりはじめます。真の変容、成長が訪れます。

ピンチは最大のチャンス。
それを教えてくれるのが、坎為水の時。
先人もそれを知っていたからこそ、坎為水を「習坎」と呼び親しんできたのでしょう。

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