自分を超えた力を味方に付ける~潜在意識スイッチを押そう!

精神世界:スピリチュアルブログ

甲野善紀先生の本を、また読んでいます。
古の武術から学ぶ 老境との向き合い方です。

甲野善紀、73歳(2022年現在)。
「若いころより今のほうが身体が動く」とおっしゃる武術の達人です。

そんな甲野先生が遭った不思議体験。
それは台風で倒れた木を切ろうと高所にいた時のことでした。

作業中に足場にしていた木が動いて、甲野先生は背中から落ちてしまったのです! 地面までは、なんと4~5メートル。
「ああ、これは半端ない怪我をするな。何カ月も起き上がれないような大怪我になるかもしれない」と、甲野先生は覚悟を決めたそう。

なのに、次の瞬間、いつの間にか体が動いて、すぐそばの枝をつかんでぶらさがっていた――無意識のうちに、体が自分を救ったのです。

絶対に大丈夫だと思って足を乗せていたのですから、まさか足元の木が動いて投げ出されることになるなんて微塵も思っていませんでした。まさに不意打ちだったのです。

しかし、ふいに木が動き始めてから0.3秒ほどの間に、後から考えるとこれ以上のことはないと思えるほど適切な動きをしたのです。

チェーンソーを投げて壊すこともなく、しっかりと右手に持ち替え、左手はちょうどいい太さの枝をつかみ、大怪我どころか、右足のすねをほんの少しすっただけのかすり傷で済みました。

おそらく、仰向けになって落ちながらチェーンソーを持ち替えたのは、チェーンソーを壊さないためもあったかもしれませんが、もう一つは仰向けに落ち始めた姿勢を立て直す意味もあったのだと思います。その様子をもしも動画に撮っていたら、とても人の動きとは思えないような動きをしていたのではないでしょうか。

とにかく、落ちはじめた一瞬の間に、そんなことまで考えて身体を動かす指揮をとった「裏の意識」というか「もう一人の自分」の能力の高さには、我がことながら本当に感じ入りました。(中略)

単純な運動能力などは若いころのほうがよかったとは思うものの、もしも若い時に同じことが起きたなら、「大怪我になるな」と思った瞬間、わけのわからないままに落ちていただろう、ということです。

手際よくチェーンソーを左手から右手に持ち替えて、空いた左手で枝をつかんでぶら下がるなどという芸当を、0.3秒あったかどうかのとっさの間にできたのは、表の意識が「あーダメだ、大怪我になる」と思った瞬間に、身体の統御を、裏の意識である「もう一人の自分」が引き継いだからだと思います。(中略)

不意打ちの出来事にこれ以上ない対応ができたので、人間の潜在力のすごさを、つくづく実感したと同時に、自分がこれまでやってきた稽古は間違っていなかったと確認できたのは幸いでした。

それが、70歳と半年ほど経ったときのことです。

古の武術から学ぶ 老境との向き合い方 p25~27

甲野先生ほどではなくても、こういう経験ってありませんか。
窮地に陥った時、無意識に体が動いた、という。

私は、あります。

冬場、北海道の運転は危険です。
雪が積もるせいで見通しが悪くなります。
私はある冬の日、車を運転していました。

すると、交差点の一時停止無視をした車が道路に突っ込んできたんです!

追突する!
と思った瞬間ハンドルを切って、私は反対方向の雪山に突っ込みました。相手方の車は私の車の後部に衝突しました。

この事故で、私の車は廃車。
でも、私自身は、むち打ちひとつなくピンピン。まったく無傷でした。

あの瞬間、「もうダメだ!」と思ったのに、いつのまにかハンドルを切っていたんです。そして、衝撃がきた瞬間も、なにか柔らかいものに包まれたような感じ、守られたような感じがしました。

甲野先生が言うところの「裏の意識であるもう一人の自分」が動いたのかもしれません。普段の自分では考えられないような力がグワッと出る。そういう不思議な瞬間って、あります。

この「裏の意識であるもう一人の自分」は潜在意識の力に通ずるものがあるかもしれません。それは普段の私たちを軽く凌駕するような能力を秘めています。

その「すごい力」を表出させるには、甲野先生のように表の意識を手放し、裏の意識に主導権を譲らねばなりません。

これが、難しい。
そうでしょう。
だって、「無になって瞑想しなさい」って言われて、できますか。

難しいでしょう?
ウィパッサナ瞑想を体験したことのある人なら、その難しさがわかるはず。

でも、ある瞬間、例えば追いつめられて表の思考が全く停止してしまった時に、思わぬ力がわいてくる――表の意識を手放して裏の意識に委ねれば、思わぬ力を発揮することができます。

甲野先生の体験や私の交通事故のようなことは、なかなか起きないかもしれません。しかし、小さなことであればほとんどの人が体験していることだと思うんです。

例えば、パートナーや友達からこう言われたことがありませんか?

あのとき言ってくれた一言で、気づけたんだ!

語尾は「わかった」でも「救われた」でも「人生変わった」でもいいです。何らかの大きな変容が、自分の言葉をきっかけにして相手に起こったということ。

そして、あなたは言うのです。

え、そんなこと言ったっけ?

ありませんか、これ。
相手は非常に感謝していて甚大な変化を起こしたらしいのに、その原因である自分は、あんまり覚えてない。

つまり、“意識して”言ってないんです。
無意識のうちにツルッと唇からこぼれた言葉なのです。
(もしかしたら、高次の存在から「言わされた言葉」かもしれません)

逆に、意識して相手に「伝えよう!」「これを伝えたい!」「今度会ったら言おうと思ってた!」と力んでいった言葉のほうが、サラーっと聞き流されちゃったりします。

こんな身近なできごとも、「裏の自分(潜在意識)」の力の大きさを感じられる一例ではないでしょうか。

「人事を尽くして天命を待つ」といいますが、できることを全てやったうえで、あとは天に任せる行為は「潜在意識スイッチを押す」とも言えそうです。

甲野先生だって日々の鍛錬があってこそ、とっさの危機に体が勝手に動いたのです。「すべきことをやって、できるだけのことをする」は大前提。

でも、ちゃんと努力して積み重ねたならば、最後は力を抜く。
そうすると、天から奇跡みたいな力が降りてくる。
面白いものですね。

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