今の時代だからこそ、易経を学ぶとメンタル安定確定

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今ね、安岡正篤先生の易の本を読んでるんです。

安岡正篤。
昭和の保守派、知の巨人。

ハードモード人生の心の支え、それが「易」

安岡正篤

昭和20年8月、昭和天皇の玉音放送。
「たえがたきーを、たえっ。しのびーがたきーを、しのびっ」ってアレ、一度は聞いたことがあるでしょう。戦争の終わりを告げるラジオ放送。

あの玉音放送の原稿に加筆して完成させたのも、安岡正篤でした。
そのくらい、すごい人です。

つまり、2回の世界大戦を日本の中枢で生き延びた、激動の人生を送ってきた人。
そんなハードモード人生を潜り抜けてきた方が言うのです。
「易を学んでいなかったら、自分はどうなっていたことか」と。

易を学んでいたからこそ「こういうことがあったら、次にはこういう波が来るからこうすればいいな。こういうことがあるときは、こういう風に対処すれば安心だな」と自分の道を見失わずにいられたのです。

父はよく「今の世の中は恐るべき変化と不安の時代。しかも大変な想像以上の速さと不気味さを感じる。まことに天災・地変・人妖の三つが兼ね備わっておるのが、昨今の情景である。特に人妖(注:今風に言うなら「あたおか」)については沙汰の限りである」と申しておりました。現今の情勢は父が指摘した通り易でいう変易・変化が悪く悪く深耕していき、人間が正常さを喪失して異様な状態に陥っているとしか言えません。このような時代に人間がいかに生きるかの指針となるのは、易の深遠な哲理を学ぶことであると思います。

父の一生は、若くして経験した第一次世界大戦に始まり、昭和の動乱期、第二次世界大戦、そして終戦前後の苦悩を乗り越えてきた生涯であったといっても過言ではありません。

そしてその間の苦中を乗り越えてきた活力はなんであったかを追想してみると、西欧文化に対する理解を示しながら、幼少時代から身につけた東洋古典・哲学と天与の才とも言える人間的魅力によるものであったといえます。そして特に心の支えとしてきたのは、常日頃から易学に親しんでいたこと。これは父自身も回顧しております。(中略)

「易を学ばなければ、自分自身どうなっていたかわからないことを折にふれて感ずることがある。ということは、物心ついてから私が遭遇した体験してきた環境・時代・国家というものは、それこそ大いなる変易、グレート・チェンジの連続であった。中学時分から真剣になって民族興亡の歴史や哲学を学んで、私なりにいろいろの経綸を研究した。しかし、その抱負、経綸、あるいは信念というものが、その後の昭和の歴史を通じてことごとく裏切られた。そのとき非常に役に立つのが中国の易の学問であった」

易経講座  p1~2
注は記事作成者による

今まで正しいと思っていたものが、全部否定される――。
そんな人生の危機に、生きる指針になってくれたのは、易だった。

うーん、これ、昭和じゃなくて令和の今でも通じるもの、ありませんか?
コロナからのウクライナ戦争からのエネルギー危機な今の私たちにも、「易学」って役に立つとは思いませんか?

易が教える「いくつになっても、変化し成長する人間の姿」

安岡先生は、易を勉強することで何歳になっても老害にならないコツを学べるとおっしゃっています。つまり何歳になっても柔軟に新しい自分に出会っていける、古い固定観念を投げ捨てることができると説いているのです。

人間自惚れと、くさけとのない者はないと言いますが、これは天の非常な恵みであります。

どんな馬鹿でも徹底的に自分を馬鹿だとは思っていない。俺も世間から言うとくだらん人間かも知らんが、こう見えても、これでなかなか良いところがあるんだ、くらいの自惚れはみんな持っているんで、それを失ったら本当に耐えられないことであります。

真実に自己を否定して転ずるということは非常に難しいことであります。遽伯玉きょはくぎょくの「行年五十にして四十九年の非を知る」というのは一度否定して改めて前進するということでありまして、真実に自己を規定して転ずるということは非常に難しいことであります。

淮南子えなんじは更にそれを発展させて「六十にして六十化す」と申しております。 五十年にして四十九年の非を知り、ますます勉強する。 六十になっても、六十になっただけの変化をする。それこそ天であり、命を知る者である。

七十になっても、七十になっただけの変化をする。 生きている限りは変化をしてやまない。ただ変化をするだけではなく延びる、進歩である。これが本当の易学・易道であります。

宇宙というものは、かように本質が無限の創造であり、変化であり行動であり、行いであるから、したがって我々の真理の会得である知というものも、その本質においてこうでならなければならぬ。 認識は行動性、実践性を持たなければならぬ。

易経講座  p34~35

そう!
頭でっかちはダメ!
頭でグルグル考えてる暇あったら、行動・実行っ!

「でも、どうしても考えちゃってグルグル悩んじゃうんです」という方。

それはつまり↑この状態。
頭にエネルギーが上がりすぎて、体(四肢)が動かなくなっちゃってるんですね。
そういう時は、運動ですっ!

運動すれば、気が下(丹田)に降りるので、フットワークが軽くなります。
頭でっかちになっちゃう人は、本読むより、スマホいじるより、運動しましょー♡
体育会系な脳筋こそが至高っ!!!

私は体育会系な人って大好きです♡ ウェイッ♪

実は上の引用で安岡先生が言ってることって、算命学の高尾義政先生がおっしゃってることとも相通じます。

高尾先生も、占いをやる人間は身体を積極的に動かしたほうがいいとおっしゃってるのですね。なぜなら、占いって頭でっかちになっちゃいがちでしょう。理論を覚えて「このひとは中心牽牛星だからこうだ」なんて型にはめて考えちゃいがちになります。

でも、占いって何のためにありますか。
人の幸せのためでしょう。
理論より、目の前の人をまず見る。それが一番大切なことでしょう。

頭でっかちになっちゃうと、その基本のきがないがしろになります。まず、目の前の人を見る。話を聞く(コミュ力大事!)。占いを使うのは、そのあと。

だから、西洋占星術の大家であるリズ・グリーン先生も「その人自身に会うことなくホロスコープだけを観て論じることはしない」とおっしゃってるんですね!

認識は行動性、実践性を持たなければならぬ
認識(陽・理論)は行動性(陰・現実)をともなってこそ、陰陽の調和が図られるということです。

東洋だろうと西洋だろうと、素晴らしい人は同じこと言うんだな~って思います!
すべての道はローマに通ず、ですね。

だから、易や占いを勉強する人は、運動運動!
身体を動かしたほうが、インスピレーションもわいてきますしね♪
占い好きこそ、陽キャ体育会系で行こうっ☆ ウィッス!!(気合い)

陰陽の姿「男は散財し、女は蓄財する」

東洋の陰陽論では「男=陽・女=陰」とみます。
その具体例として、安岡先生は「陽(男)のお金の使い方」と「陰(女)のお金の使い方」を説いています。

これが面白くて!
なので、下に引用しますね。

例えば金というものがあります。男の金遣いは本能的であります。陽性的であるから金離れがいいということは、男性的・道徳的の一条件であります。それで二次的・反省的に節約するのは理性的道徳であって、本能的な行為ではない。

女はこれと反対で本能的に金を蓄える。統一・含蓄(まさに陰の性質)する。そして二次的に、反省的に、理性的に金を遣う。だから女は原則として、ニギリヤでなければならぬ。

ところが陰陽というものは、相互転換性を持っていることは、 近年の科学でも分かっていまして、亭主がニギリヤだと女は苦労して遣わねばならぬ。これはこれは陰陽倒錯現象で、双方が不幸であります。やはり男はよく散じ、女はよく貯蓄する。

異性に対しても男は本能的に浮気であるが、それを反省してその精力を他に使う。 反対に女は本能的に貞節であるが、反省して浮気をする。

だから女に捨てられる男というのは、よほどつまらん男であります。

易経講座  p53~54

わっかっる~!
わっかっる~!!
メタップス創業者の佐藤航陽さんのお金の使い方なんて、本当に「陽(男)のお金の使い方」の典型!

動画27:00頃~

俺、23くらいに先輩の経営者に
「借金しようと思うんです」
って相談したら、先輩の経営者が
「佐藤君、5000万円も5億円も一緒だから、5億円借りたほうがいいよ。なぜなら、返せないから。5000万円も5億円も返さないんだったら、5億円借りたほうが絶対にいいから」
と言われて
「あ、なるほどな」
と。もう負けたら自己破産で終わりなんだと考えたら、掛け金は多いほうが絶対に成功するってわかったんで、肚が決まるであればとことんまで行こうというところから覚悟が決まってですね

あの、これ見て、私は「頭おかしい」って思ったんです。佐藤さんもその先輩経営者も。
でも、「陽(男)のお金の使い方」って考えると、これこそが大正解なんですよね。これこそが男の陽の気を生かすお金の使い方ってことですよ。

一方で、女の私はシマリヤです。
すごい節約大好きです。
お金貯めるの、好きなんです!

通帳の数字が増えていくのが好きで好きで、ウヘヘヘヘって喜んじゃうんです。
数字が増えたところで何にもならないのに。
経済は回らないのに。

それで反省してようやく使う。
最近はシャネルの香水買いました。
ガブリエル・シャネルです。秋冬に合うこっくりした香り♡

でも、男性はそうじゃない。まず使う。
例えば、以前おつきあいしていた男性はアップル信者。
iPhoneの最新型を持ってないと死ぬ人でした。発売日にアップルストアに並ぶ系。

私からしたら、意味わからないですよ。「古いのまだ使えるじゃん!」って。こっちは10年型落ちのWindows7機を2020年代でもLinux入れて使い倒す「シマリヤ」ですからね。Sandy Bridgeさいこーう!まだ使える!!

「男は本能的に浮気であるが、それを反省してその精力を他に使う。 反対に女は本能的に貞節であるが、反省して浮気をする」っていうのも、本当にその通りだと思います!

私、基本的には浮気しないんですよ。そんな気が多いほうではなく、好きな男性がいたらその人だけいてくれればいいと思います。

でも、相手に不満があったり「愛されてないんじゃないか」って不安になると浮気をします。理由があると「反省して浮気をする」わけです。裏返していうと、愛されてる安心感があったら浮気はしない、ということです。

そしてね、面白いんだけど、男視点だと「本能的に浮気」になるんです。
どういうことかっていいますと、私、ギャルゲーやるんです。美少女ゲームですね。

最近の私はゲームほとんどやっていません。しかし、一時期はゲーム「艦隊これくしょん」でランカーでした。

男性プレイヤーに引かれるくらいのガチ勢女性提督。ほぼほぼ5-4(東京急行)に住んでたよ!!
嫁は赤城です。清楚系黒髪ストレートロングしか勝たん。

ギャルゲーをやりますと、まず一番いいなって思う女の子にガーって行くんです。
そうしたら、当然ゲームですから好感度が上がりますね。こっちのこと好きになってくれるんです。

それで「両想いになった、やった、嫁とハッピーエンド♡」――にはなりません。

「この女の子は自分のこと好きになってくれたから良かった良かった。じゃあ別の女の子に行こう」って思うんです。艦これでいうなら「赤城とケッコンしたから今度は榛名とケッコンしよ~♡」です。(単婚提督は真の純愛者だと思うよ……)

男視点だと、浮気症がデフォルトになるんですね。
自分でもこれ、面白いな~って思います。
で、一歩進むと「反省してその精力を他に使う」わけです。性欲(陽)を昇華させることで、仕事とか社会活動とか、現実生活(陰)に役立つように有用に使うのですね。

浮気ばっかりしてると女に捨てられる。つまり「女に捨てられる男というのは、よほどつまらん男」になってしまうわけです。だから女遊びの激しい人(陽)は50くらいになると一周回って愛妻家になって家庭(陰)を大切にするわけですね。

う~ん、陰陽論って、面白いなー!

実際、儒教をやっても、仏教をやっても、道教をやっても、神道をやっても、東洋の数学を少し本格的にやろうと思えば、どうしても易をやらなければ奥へ入れない。

そしてまた少し東洋的精神の人が人生の体験を積んで、物を考えられるようになると必ず易を学びたくなる。

易経講座 p58~59

いや本当にその通りです。
易、面白すぎます。
あなたも私と一緒に易を勉強いたしませんか?

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