今、私の手元には二冊の本があります。
1冊目は、世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?~経営における「アート」と「サイエンス」~。
2冊目はデス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場。
全く何の関係もない、ジャンルもかぶらないこの2冊。
なのに、今自分の手元に来た意味を、唸るように感じてしまいます。
「そう、目に見えないものも大切だし、見えるものも大切だよね」と。
これからの時代の経営者・リーダーに必要なのは「美意識」だ
世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?~経営における「アート」と「サイエンス」~。この本では「これからのリーダーはロジカルシンキングだけではやっていけない。アートの感性、美意識を経営に持ち込んでこそこんな混迷の世をイノベーティブに切り開いていけるのだ」ということを説いています。
従来のコンサルタントがやってきたようなデータ分析ばかりやっていても、他企業との差別化が図れない。だって、数字は同じものを扱っているのですもの。(相手が同じようにロジカルで合理的であれば)結論が同じになるのは火を見るより明らかですね。これを著者の山口周さんは「正解のコモディティ化」と呼びます。
だから、数字には乗らないところに意味を見出しましょう、それがアートなんですよ、という話です。
現在、社会におけるさまざまな領域で「法律の整備が追い付かない」という問題が発生しています。システムの変化に対してルールが事後的に制定されるような社会において、明文化された法律だけを拠り所にして判断を行うという考え方、いわゆる実法定主義は、結果として大きく倫理を踏み外すことになる恐れがあり、非常に危険です。(中略)
現在のような変化の速い世界においては、ルールの整備はシステムの変化に引きずられる形で、後追いでなされることになります。
そのような世界において、クオリティの高い意志決定を継続的にするためには、明文化されたルールや法律だけを拠り所にするのではなく、内在的に「真・善・美」を判断するための「美意識」が求められることになります。(中略)システムの変化に法律の整備が追い付かないという現在のような状況においては、明文化された法律だけを拠り所にせず、自分なりの「真・善・美」の感覚、つまり「美意識」に照らして判断する態度が必要になります。
世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?~経営における「アート」と「サイエンス」~ p19~20 太字強調(赤)は記事作成者による
ヴィジョンのある人って素敵ですよね。
それが「美しいヴィジョン」だったら、自分も応援したくなりますよね。
そのヴィジョンはどこから生まれてくるのでしょう?
ロジックでは、ないですよね。
データでも、ないです。
インスピレーションです。
そのインスピレーションを与えてくれるのが偉大なるアート。
突然ですが、ダイソンの家電って、どう思います?
たとえばこれ。
空気清浄器にもなる扇風機。
やばくないですか。
意味わかんない。
この形状で風が起こるメカニズムがまず分からない。
だけどメチャメチャシンプルでカッコ良くて、都会的なインテリアの部屋に何の違和感もなくすっとなじむ様子は、想像できますよね。
これ、3万円。
普通の扇風機なんて、3千円で買えるのに、3万円。
10倍の値段するのに、売れる。
なぜなら、このデザインと機能性は「アート」だから。
この扇風機が部屋にあったら、心が豊かになるから。
下の動画を見てみてください。ダイソン創業者が質問に答えています。
ビジネスの?
ううん、デザインの。
これが家電メーカーの創業者ですよ。
こんなに延々とデザインを語ってる人が。
それもそのはず、ジェームズ・ダイソンは英国のロイヤルカレッジオブアート(RCA)でプロダクトデザインを学んだ人なのです。
私がずっとやりたかったことを、やりなさい。(原題:The artist’s way)をビジネスパーソンにこそすすめるのは、ここなんです。
今のビジネスリーダーには美意識が必要。
つまり、目に見えないものを感じ、それを地上に降ろす繊細な感性こそがビジネスシーンでブレイクスルー、イノベーションを起こすのです。
ビジネスの世界には「目に見えないもの」が必要なんです!
コンサルティング会社が提供している付加価値を一言でいえば、「経営にサイエンスを持ち込む」ということになります。
サイエンスに依拠する以上、その判断の立脚点はどうしても数値にならざるを得ません。コンサルティング会社がやたらと「生産性」や「資本回転率」などの「数値」を使って経営の「ダメさ」を指摘して脅すのは、彼らがそのような「言語」しか持っていないからなんですね。
しかし、このような「数値」だけに頼って経営の健全性をチェックし、改めようと思っても、どうしても限界があります。
なぜなら企業というのは人の集積で出来上がっており、ビジネスというのは人と人のコミュニケーションによって成立しているからです。
こんなことは少し考えてみれば子供にだってわかる、じつに当たり前のことなのですが、先述したとおり、コンサルティング会社が主導して流布させた「全てを数値化して管理する」という一種の幻想が浸透した結果、昨今では忘れ去られてしまっているように思えます。
世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?~経営における「アート」と「サイエンス」~ p24
わあ!
私が「コンサルを使いたくない」と思う理由が、こんなにも端的に言語化されている!!
我がサロン、リンデンバウムの経営はあんまりぱっとしません。
ガツガツ稼ごうとしません。数字を上げようとしません。
(東のノンビリ鳳閣星っ子~!!)
だから、コンサルの人から見たら、もうダメダメ経営です。ツッコミどころ満載です。もっと数字を上げられるのに!ってところ、たくさんあります。
コンサルの人は優秀で頭脳明晰ですから、リンデンバウムのダメなところどんどん言ってくれて、それを直したら、確実にもっとお金は稼げます。「数字」は上がります。余地はあります。何せ元がダメダメだから。
でも、私は、コンサルを雇いません。
なぜなら、コンサルの人は「目に見える数字」でデータ分析して経営判断してくれるから。
それは、化学肥料をドン!ドン!ドン!って畑に入れるようなものです。
そしたら、見違えるように収量が増えて豊かになります。
でも、10年後。畑は地力を失い痩せているでしょう。
コンサルの方の経営判断は素晴らしいです。どうやったら利益が出るのか理解しています。
でも、それがサステイナブルなのかっていうと……どうなのかな?って。
サロンを約17年間やってて思うのは「休むときは休む。働くときは働く」というリズム。超絶非効率です。合理性に欠けます。
でも、そういう目に見えないリズムを大切にしているから、私はこの仕事専業で15年間も食べていけているのです。
数字に、振り回されないから。
目に見えない流れを、大切にしてるから。
スピリチュアルに「天命を待つ」のは「人事を尽くしてから」
さて、もう一冊のデス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場。
「デス・ゾーン」とは標高8000m以上、人間が生存できないほど酸素濃度が低い高所の領域を指す登山用語だそうです。
先ほどの世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?~経営における「アート」と「サイエンス」~では「目に見えない」美意識というものが経営に大切だよ、ということが書かれていました。
そして「デス・ゾーン」を読んでいて思うのが「目に見えないものばかり追って、目に見えるものをないがしろにすると破滅する」という真逆の教訓です。つまり「グラウンディング、大事」。
栗城史多さんは、無謀とも思える状態でエベレストへチャレンジし、2018年に滑落死しました。以前のエベレストチャレンジで指のほとんどを凍傷で失った状態での登山でした。
栗城史多さんは、株式会社たお代表取締役でした。彼もまた、「経営者」であったのです。
しかし、彼は「アーティスト」すぎました。
グラウンディングが弱い。現実面(物質面)が弱すぎた。
そういう人は、「目に見えないもの」よりも「目に見えるもの」に比重を置いたほうがバランスが取れます。つまり「グラウンディング、大事」。
栗城さんは2009年ごろまで、ホームページなどで「小さな登山家」と自称していた。身長は162センチで、体重は60キロ前後。
聞けば中学時代は野球部に所属したが三年間ずっと補欠。
高校では空手部に入ったが、体が硬く基本の股割り(股関節を広げる動き)さえ満足にできなかったという。体は小さく、運動能力が高いわけでもないらしい。
六つの大陸の最高峰に登頂した力の源はどこにあるのか?「うーん、自分でもわからないんですけど、しいて言えば精神力ですかねえ」
デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場 p13
「根性で登ると?」
「根性とは少し意味が違うんですけど。ボクは登っている時いつも、ありがとう、ありがとう、って感謝しながら、時には口にしながら登っています。マイナスなことは一切考えないんですよ。ボクが考えなくても、登れるかどうかは山が決めてくれますから」
この言葉ね。
ストイックな登山家が言ったなら、すっごく響くと思うんですよ。
毎日トレーニングして、身体のコンディションをちゃんと整えて、登山技術も磨いて、練習して。
そういうことを毎日コツコツやってる人が言ったら、すっごい素敵な言葉なんですよ。
でも、栗城さんは「どうやったら映えるか」ばっかり。
どうやったら「面白く映るか」ばっかり。
エベレストで流しそうめんしたり、凧揚げしたり。
そんな人に、
「マイナスなことは一切考えないんですよ。ボクが考えなくても、登れるかどうかは山が決めてくれますから」
なんて言われても……。
いやむしろ、積極的にマイナスなこと考えろよ。登山なんて危険と隣り合わせなんだから過剰なくらいリスクマネジメントしろよ。考えろよ。山に丸投げしてんじゃねえよ!
そんなふうに強い言葉で戒めたくもなりますよ。
彼の人生の、悲惨な結末を知っているだけに。
顔は血まみれで、頭は割れてて。「ありがとう」って言ってもダメなものはダメなんだよ。大馬鹿者が。
山に委ねてもいいんです。
トレーニングして肉体を鍛えて技術を磨いて「登頂のためにやれることはすべてやった」後なら。
でも、人事を尽くさずして天命を待っても、意味ないんです。
天命を待っていいのは「人事を尽くした人」だけなんです!
スピに丸投げすんなー!!!
栗城さんはスピリチュアルの類が好きだった。
彼が大学時代に好意を寄せていたKさんは、栗城さんが百万円以上する水晶玉を持っていたと話す。
「それを見せながら、山の神様について語っていました。登頂するには運が必要で、それは神様次第なんだ、って。そんな高価なものを売りつけられて、だまされてるんじゃないか、って思いました」(中略)
神仏やスピリチュアルへの傾倒は、デス・ゾーンに向かうようになってからいっそう拍車がかかったようだ。(中略)
森下さんの言葉に、私は耳を疑った。
「BC(Nozomi注:エベレストに登る拠点となるベースキャンプのこと)に入って最初に言われたのが、『今回は占いの先生の判断を最優先したい』って」
「占い?」
「時々メールが来るみたいですよ」
「カトマンズの占い師ですか?」
「いや、日本の」
「名前は?」
「聞いたかもしれないけど覚えていません。知り合いから勧められたって言ってました。よく当たる、って」
「判断を最優先するというのは?」
「いつアタックするか……」
「えっ! 登頂のタイミングを占いで決める、ってことですか?」
「森下さんから天気の状況とかは教えてもらいますけど、最後はそっちを信じますから、そこのところはよろしくお願いします……って」
「……森下さんは何て言ったんですか?」
「わかったよ……って」
私はしばらく言葉が出なかった。森下さんが「フー」とため息をついた。(中略)
「山は自分で判断しなきゃいけないことの連続なんですよ。その判断を何千回何万回と重ねるうちに、自分自身の山での感覚も研ぎ澄まされていくんです。判断と感覚って直結してるっていうか……。その判断を占い師に頼っちゃったらアウトだとボクは思います」だから……と森下さんは私を見た。
デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場 p196~199
「栗城にはもうエベレストは無理だな、と思いました」
そして、栗城さんはエベレストで死を迎えます。
登山家の野口健さんは、栗城さんの死についてこう語っています。
動画21:20頃
あのスタイルを貫き通せば「時間の問題」と思いましたからね。
そう。
神様に頼っても、できないことはできない。
凍傷で指を欠いてまともなトレーニングもしない人間が、エベレスト最難関の南西壁を登れるはずなんかない。
いくら「ありがとう」って感謝の言葉を述べたところで、無駄。
だって、「人事」を尽くしていないのだもの。
現実を見ていないのだもの。フワフワスピスピ。
グラウンディングって、本当に、大事!!!
私はメルマガ読者限定サービスで占い鑑定もしておりますけれども、時々こういう機会があります。
「そんなことにまで占い使っちゃダメだよ!!」
例えば、西洋占星術の木星のハウス移動を見て12年後までやることを決めていたり、算命学の大運の流れを見て50年後までの人生設計を立てていたり。
そんなことしちゃ、ダメだって!!
そんなんしたら、あなた、「人間力」が育たんて!!!
さきほどの森下さんの言葉を借りるならこうです。
「人生は自分で判断しなきゃいけないことの連続なんですよ。その判断を何千回何万回と重ねるうちに、自分自身の人生での感覚も研ぎ澄まされていくんです。判断と感覚って直結してるっていうか……。その判断を占い師に頼っちゃったらアウトだとボクは思います」
占いは、武道でいうところの「型」。
型を習うことは勉強になるし上達につながります。
占い、役立てていいし使っていいんです。もちろん。
でも、占いを使おうが使わまいが「未来のことばかり気にかけて今を疎かにする人」に良い人生が送れるはずがありません。「今ここ」にいない人に、魂の成長があるはずがありません。
なぜなら、私たちに生きられるのは過去でもなく未来でもなく「今」だけだから。
「今」を積み重ねていくことで、私たちは「未来」を作っていくのだから。
「今」を生きねばならない!それは大前提。
私はたくさんの人を鑑定してきて、「どんな星を持っているか」ではなく「いかに星を使いこなすか」だと痛感しています。実際、全く同じ命式、双子の姉妹である母と伯母を見ていても、「どんな星があるかではなく、どんな生きかたをするかだ」と思います。
バリバリのロジカルな数字に埋もれてデータ!データ!データ!で生きてきた人間には、目に見えない世界、アート(美意識)が必要。
目に見えない世界を信じて「ありがとう」の言葉を言うだけで努力しない人には、現実を見る根性が必要。「数字(データ)が見せてくれる現実」を直視することが大切。
つまり、バランスが大事ってことですね。
この全くジャンルの違う2冊を手にとって、思うところはそこです。