リーダーは君子として毅然としなければならない理由
今の時代、何か言うとすぐ「パワハラだ」とか「モラハラだ」とか言われがちです。
確かに言葉を選ぶことは大切ですし、感情に任せて八つ当たりなんて以ての外です。
しかし、リーダーたるもの「きちんと言うべき時は言う」ことが求められます。場の秩序を保つ、コントロールするのもリーダーの任務です。
「いつでも仲良しこよしでニコニコ」では、リーダーとしての役割が務まらないからです。
重要なことは、陰は陽に(たとえば子どもは親に)正されないと方向転換ができないということです。
ですから、問題は大人の私たちです。(中略)もし陰が悪習に慣れ育ってしまえば手がつけられなくなるということです。(中略)そうならないためには、君子としてのものの考え方、姿勢をもって自分で手綱をコントロールして、惑わされやすい小人の自分を乗り馴らしていかなくてはならないのです。
超訳 易経 陰―坤為地ほか p137~138
「手綱をコントロール」
ここが大切なポイントです。
コントロール≓支配というと、非常にネガティブなイメージを抱かれがちです。しかし、組織にいる以上は秩序が必要であるし、そこにはルールとコントロールが大切になってきます。
「手綱をもっているのは自分である」という自覚を持つこと。そして「ありのままでいいんだよ」なんて無責任な肯定をしないこと。
そう、ありのままの自分を受容するのはその人自身の内側での問題であって、社会生活で行うことでは、少なくともないんです!!
もちろん、その人が内側であるがままの自分や他者を受容することで、結果的に外側でもあるがままの自分でいられるようになるという現象は十分に起こり得ります。しかし、それはあくまでも個人フェーズのことです。
美輪明宏さんも、こうおっしゃいます。
「ありのままの私を受け入れて欲しい」ということは、「泥のついたままの畑の大根をそのまま食べろ」と言っているのと同じことで、図々しい迷惑なこと。だから人は誰かに受け入れて欲しければ泥を洗い落とし料理する努力をして自分を磨かなくてはいけません。
ありのままの自分を受け入れるのは、まずはその人自身の仕事。
リーダーの仕事では、ありません!!!
リーダーの仕事は、「これはOKでこれはNG」をわかりやすく線引きすること。そして部下が混乱しないように基準をぶらさないこと。だけど、場合によっては柔軟に対応すること。
そのために大切なのが他者視点です。
「相手にわかるように伝えること」です。
すなわち「自分が思ったことをありのままに伝えること」は場合によってはふさわしくなかったりします。
なのに。
私は、それをわかっていなかったのです……。
自分を客観視することではじめて、「中庸」が見える
あなたは、自分を客観視できていますか?
この質問に胸を張って「はい!」と答えられる人は少ないのではないでしょうか。
少なくとも私自身は、できてるつもりでできてないよな、と感じております。
その理由は、体育会系+ギャル文化で育ってきた私と「スピリチュアル文化」の多大なるズレであったりします。
私にとっての「当たり前」は、スピリチュアルなことが好きな人には「全然そうじゃない」ことだったりするのです。
スピリチュアルなことが好きな人は、内向的な人が多いです。
だって、目に見えないものを感じるなんて、自分の内に向かっていかないと感覚がさえませんから、当たり前のことですよね。
あと、文学が好きだったり芸術が好きだったりする人も多いです。こういう人も内向的、体育会系ではなく文化系です。武官ではなく文官系です。
私とは、超絶別人種!です。
それを理解しないまま、私は自分の感覚のままにストレートにブログを綴ってしまいました。これは懺悔です。贖罪です。失敗の告白です。
ベストセラー伝え方が9割では、伝え方のファーストステップとして以下の大原則を掲げます。
自分の頭の中をそのままコトバにしない。
本当に、本当にその通りです。
私は、これができていませんでした。
「自分基準」でそのまま言葉を放つという愚かなことをしておりました。

例えば、私は以前「一人を楽しめる人は豊かな人!」的キャンペーンを張っていました。「友達なんかいなくったっていいじゃん!」キャンペーンを張っていました。
正直に申し上げます。
これが、多大なる過ち、間違いでした。
私は、前にも言ったようにギャル文化で過ごしてきた人間でした。
ギャル全員がそうなわけではないですけれども、少なくとも私のまわりは友達がたくさんいる子ばかりでした。100%陽キャ!
ぷらっと繁華街に出てケータイ鳴らしたら「あ、Nozomi? 今○○~」「まじで~すぐ近くにいるから行くわ!」みたいな感じでいつも「仲間」がいる環境にいました。夜遊びでなじみの店にいったらみんな知り合い~みたいな。誰でもすぐ仲良くなっちゃう系。
だから、夜遊びしてるギャルって携帯のアドレスに100人とか200人とか友達登録されてるの、当たり前で。ちなみにガーシーは3000人とかいたらしいですけれども。笑
でね、想像してほしいんですけれども、100人登録してるアドレスあったとして、頻繁に連絡とる人って何人になると思います?
まあ、やっぱ、多くて20人でしょう。少なくて3~4人くらいですよ。毎週連絡とるレベルで10人くらいってのが実数じゃないでしょうか。だって、本当に仲のいい人なんて一握りだから。
そんな「見た目だけの友達」「うっすいつながりの友だち」って、あんま意味ないなって私は思ってたんです。そんな友達と無理につながってるくらいなら、無理して合わせてるくらいなら、一人でいたっていいじゃん!って。
そう。
私の「一人は楽しい」「友達いなくっていいじゃん」はそういう意味合いの話なんです。
メッチャ友達いて、メッチャ仲間多くて、メッチャつながりあって。
そういう環境がベースにあって、人間関係で無理して笑顔つくってる人に向かって放ってる言葉だったんです。
誰とも仲良くなれないで独りぼっちとか、小学校の頃からいじめられてて不登校とか、引きこもりで家族以外と会話するのは月に1回(民生委員)とか、そういう人に向けての言葉では、無かったんです!
少なくともガチで「友達いなくて」って人には「え、友達作ったほうがいいよ!」って話になるし、ずーっと一人でいる人には「それじゃ世界が広がらないよ!もっと仲間作ろうよ!人とつながろう!」って話になるんですよ。
だって、友達いなくて一人とか、誰とも仲良くなれないとか、そんな状態は「中庸」ではないですから。陰と陽を合わせて太極へと導き二元性を超越するには、「友達作ったほうがいい!」わけです。
私は、自分のズレを理解してなかったんです。
私、超絶社交的で友達多くて外向的な人間だったんです。全然そんな自覚なかったんだけど。ギャル基準ではむしろ大人しいほうだと思ってたんだけど。
でも、「一人旅に出たら、旅先で大体友達作って帰ってくる」って、あんまないらしいんですよ。普通に現地のお店はいって店のバイトさんと話してたら意気投合して「16時で上がるからゴハン食べに行きましょう!」とかいう話にならんの? 割となるでしょ? あるあるでしょ?
青春18切符で旅してたら、路線乗ってるうちに「この人も18切符民だな~」って人がわかってくるので、そういう人に話しかけて仲良くなって、実は地元一緒で旅から帰ってからもご飯食べに行くとか、そういうのって旅あるあるでしょ?
(あと、旅先で仲良くなった人が逆にこちらを訪ねてくれるってのも、あるあるでしょ?)
――って感じで、私は、ズレているわけです。
だから、「スピリチュアルなことが好きな人は内向的な人が多い」、つまり「私とは全然人種が違う」ことを冷静かつ客観的に理解していれば、「友達作ったほうがいいですよ!」「人とのつながりから学べることこそが人生を豊かにしますよ!」「コミュ力って、基礎中の基礎ですよ!絶対必要!!」って適切にメッセージを伝えることができたんですね。
そこをわかっていなかった。
コントロールなしにストレートに伝えてしまっていた。
本当に私は愚かでした。
友達大事です!
コミュ力大事です!
人間関係って魂を成長させます!
私がブログで伝えるべきメッセージは、これだったのです。
他の例として、「人は見た目じゃない!」という主張もしてしまいました。
過ちです。私は間違っておりました。
これも、自分を客観視できていなかったがゆえのズレが起こしたエラー、コントロールができていなかった状態です。
私は前述の通り、ギャルでした。
昔からずーーーーっと、正直、「おしゃれ」って言われたきた人間です。服装に気を遣うのは、呼吸をするようなレベルの行為でした。
ギャル文化というのは、そういうところです。
見た目超重要で、ダサイとすぐ見下されます。
髪の毛にカラー入ってないと話にならないし、服装もきまってないとそもそもギャル仲間として認めてもらえません。
それが私にはちょっと行き過ぎに見えました。
服のことばっか気にしすぎでしょ、と。人は見た目だけじゃないよ!中身も大事だよ!って思いました。
だから、そういったずっと考えていた気持ちをブログでも綴ってしまいました。
すると、びっくりするくらい服装のだらしない人が、お客様に増えました。
平気で部屋着のような格好でセッションに現れる。
ズバリ、チー牛系。


こういう「清潔感に気を遣わない人」ほど、仕事が続かなかったり引きこもりだったりいじめられっ子だったりしました。
いや、そうなるよ。
そんな服装してたら、人からナメられるよ。粗末に扱われるよ。(いくらあなたの魂が素晴らしい輝きを秘めていたとして、すら!)
身だしなみを整えるって、大切なこと!!!
私は「人は見た目じゃない!」というメッセージが間違って届いてしまっていたことに、ようやく気付きました。ですから、最近は一生懸命「垢抜け大事!」記事を書くようにしております。
(ただ、本当に社会性があってコミュニケーション能力の高い人は、セッション時にも素敵な服装でいらっしゃいます。そういった方には釈迦に説法になってしまっていることが多々あることでしょう。そんな方は申し訳ありません。コミュ力があって友達が多くて社交的なあなたは、もう既に素敵に垢抜けていると思います!)
やはりこのズレも、私がギャルだったことに起因していると感じております。
そう、私、ズレてるんです。
正直、ズレてるんです。
だから、ちゃんとコントロールして「感じていることをありのままで言葉にしない」ことが必要なんですね。
ズレというと、セッションでもブログでも私は相当優しく柔らかく伝えているつもりなのですが、「きつい」「厳しい」と言われるので驚きます。「こんなことで厳しいと感じるなら、今まで本当に優しくされて生きてきたんだなあ、イージーモードで生きてきたんだなあ、うらやましいなあ」と思います。
ただ、「きちんと言うべき時は言う」。
ここは絶対大切。
きつくても言います。
経営者やリーダーは、多くの人と感覚がずれてしまうのは仕方のないことです。俯瞰して物事を見なければならないのだから、一般の人と見方が違ってくるのは当たり前のことです。
しかしながら、それを伝える時には「多くの人にもわかるように」伝える、言葉をコントロールする力が大切になってきます。
私はコントロールする意識が弱かったな、と反省しております。
コントロール、大切です。
ありのままでぶつかっては、いけないのです。
私の過ちを、あなたのような優れたリーダーは真似しないでくださいね!