僕の実感として、「絵」は「神様」のものです。
(荒木飛呂彦の漫画術 p153)
超人気漫画、ジョジョの奇妙な冒険。
その作者、荒木飛呂彦さんが「マンガの描き方」を解説した本があったので手に取りました。ズバリそのまま荒木飛呂彦の漫画術です。
売れる「芸術家」 荒木飛呂彦

マンガを描きたいんですか?
そう思われた方もいらっしゃるかもしれません。
確かに私は10~20代の頃はマンガ描いてたんですけれども、今ではサッパリです。現時点ではマンガを描きたいとは思いません。
でも、全く自分と分野がかぶらなくても「一流の人」って、すべてのジャンルに通用するような真理を体得していると思うんです。だから、私はどんな分野であっても、一流の人に触れてみたいという気持ちがあります。自分の成長を促進する気づきをくれるから。
私にとって「ジョジョの奇妙な冒険」はオシャレでスタイリッシュなマンガです。芸術性が高くて作者の独自の個性が色濃く出ているマンガだとも思います。
そういう「アーティスティックでこだわりの強い人」って、ぶっちゃけ、あんまり売れないんですよ。だけど、荒木先生は違う。むしろ売れまくっている。しかも20~30年レベルで売れまくっているんです。
「芸術性」と「娯楽性」の両立って、すごく難しいです。
その両立をどうなしえているのか。
そんなことを知りたくて、この荒木飛呂彦の漫画術のページをめくりました。
すると、見えてきたのが「荒木先生のエンタテインメントに対するものすごい意識の高さ」でした。
デビューしてすぐに今まで書いてきたような作品では連載できない、ということに加え、連載ができなければ漫画家として生活できないことに気づきました。
当時の原稿料は1枚3500円ぐらい、そこから税金を引くと3000円ちょっとです。
デビュー作の『武装ポーカー』は31ページですから、 10万円ぐらいにしかなりません。短いページ数であっても、書くにはそれなりの時間がかかります。武装ポーカーの時は1ヶ月ほど費やしましたが、1ヶ月に10万円しか収入がないとなるともう「これは、やっていけない」ことが明らかです。
アルバイトをしながらでも漫画を描いていくという方法もありましたが、漫画家を名乗る以上、やはり自分の作品だけで生きていけるようになりたかったのです。
どうすればいいのか、冷静になって考えてみました。自分のやりたい方向、好きな世界は、世の中でヒットしているものとは少しずれている。
けれども漫画家として生活しなければいけないということは、出版社に赤字を出させないような漫画家になるということだ。
自分の好きな世界でヒットを生むことができれば最高だけれど、まずは漫画家として手堅くやっていける基盤を作る必要がある。それができてから隙間を縫って自分が愛するマイナーなものを書いていけばいい……。
荒木飛呂彦の漫画術 p96~97
太字強調は記事作成者による
すごい。
私は最近「好きを大事にするとか意味わからん」と声を大にしていますが、荒木先生のこのバランス感覚こそが「私の言いたかったこと」です。
自分の好きを大切にすると金にならない。
近江商人のように、周りを儲けさせる人間こそが必要とされる人になれる。
だから、まず、手堅く地盤を作る。自分の「好き」よりも「売れるもの」を作る。
この意識!
この意識が素晴らしいですよね!!
ここができない人って、才能があるのに埋もれてしまうんですよ!!!
でも、荒木先生は「周りにちゃんと応えること」を考えつつ、その地盤ができた後で自分の好きなことをやろうって、冷静に順序立てて考えたんです。ここが一流。エンターテインメントとアートの両立をなし得る基礎です。
しかし、最初からすんなり上手くいったわけではありません。
あの、天才的な荒木先生ですら、挫折を味わうことになります。
ようやく連載が始まったものの、『魔少年ビーティー』は人気がありませんでした。キャラクターもストーリーもOKなはずなのに、「どうして認められないのだろう」と焦りましたし、一緒に考えてくれた担当編集者も、連載3回目のアンケート結果を見て、「もうこれは続けられないな」という様子になってしまいました。
ところが、連載打ち切りが決まった後に出た最終話の読者アンケートが、高評価だったのです。その結果、10回という短期間の連載だったにもかかわらず、『ビーティー』は多くの読者から惜しまれて終わりました。
人気のなかったそれまでの話と最終話のいったい何が違うのか、担当編集者とふたりで徹底的に話し合いました。わかったのは、まず最終話の敵となる「そばかずの不気味少年」のキャラクターが強烈だったことです。(中略)
もうひとつ、この最終話でビーティーは初めて、公一君という自分が認めた友達のために戦います。敵をやっつける方法自体は、相変わらず悪いことをしているのですが、この「友情のために戦う」という動機付けは先述したように少年漫画の王道中の王道です。(中略)
『魔少年ビーティー』の連載は終わりましたが、最終話がヒットしたことで、「人気漫画の王道」についての理解が深まりました。この後、仙台を出て、上京することになったのですが、この時、僕は本当に漫画家として歩み始めたのです。
荒木飛呂彦の漫画術 p101~102
トライアンドエラーして「上手くいったこと」と「上手くいかなかったこと」を冷静に精査する。
これって、なかなか難しいことだと思いませんか。
だって、わかりやすい結果がでないと「自分なんか何やったってダメだ」ってネガティブになってしまうし、逆に「わかってくれない周りが悪い!なにがあろうとも自分を貫くぞ!!」って変にポジティブになっても結局欠点を克服できないし。
悪いところと良いところ、両方精査する。そして、良いところはそのまま生かして悪いところは修正する。このバランス感覚が、荒木先生って実に優れていると思うのですね。
長編マンガが大の苦手な私が、ジョジョ3部を「楽しめた」理由
私は長編マンガが読めない鳥頭脳筋です
さてはて、私、ここで一つ謝らねばならないことがあります。
ここまで書いておいてなんなんですけれども、私、実は
ジョジョのファンでは、ありません!!!
…………
…………
すいません…………。
ジョジョ好きって、本当にガチなんですよ。
ジョジョガチ勢って、スゴイんですよ。
私はそれを熟知しているがゆえに、軽々しく「ジョジョ好きなんですぅ~♥」なんて、口が裂けても言えません。
私は、ニワカです。
ジョジョ、全然、知らないです。
3~4部をリアタイ(少年ジャンプ)で読んでたくらいのかる~いニワカです。
ジョジョのファンを名乗るなんて、とてもとてもとても!!!
恐れ多い!
すいません!!!
しかも、私確かに「週刊少年ジャンプ」をよく読んでいたことがありまして。ジョジョももちろん連載してました。けれど、実は全然興味なくて。
私、そもそもジョジョに限らず長編マンガって苦手で。
だって、長編マンガって、たくさん人が出て来るでしょう。
いろんな人が出てきて、突然ピンチに「待たせたな!」「おっ、お前は!生きていたのかタクマ!!」(ドーン!)とか、久しぶりの人が出てきたりするでしょ。そんで伏線回収したりするでしょ。
そういうの私全部「え?誰???」なんですよ。
覚えとらんのですよ。
15人くらいキャラが出てきたら、もうそれ以上「ヒト、タクサーン!」で脳みそ処理できないんですよ。
脳筋なんで!!!!!!
だから、いくら面白い名作漫画でも5巻くらいで挫折するし、10巻くらい読めたらすごいことです。鋼の錬金術師も幽遊白書も進撃の巨人も、大体10巻前後で挫折しました。が、10巻まで読んでる時点で私には「すごい面白いマンガ」枠なんです。
だから20巻過ぎても読める「東京卍リベンジャーズ」は、私にとって化け物級のマンガです。
鳥頭な私がなぜリベンジャーズを読めるかというと「とりあえず過去にタイムリープ→戦う→現在にもどって『まだこんな結果じゃダメだ!』→タケミチまたタイムリープ→戦う」このパターンが確立されているからです。
登場人物なんてタケミチとマイキ―とドラケンと三ツ谷(推し)だけ認識して「とりあえずまた敵(誰かはあんまりよくわかってない)と戦ってるんだね!わかった!!!」って思っておけば、大体読めるんです。
鳥頭脳筋でも楽しめる!!!
素晴らしい!!!
だって私、ファイナルファンタジー6でも「なんかよくわかんないけど世界が崩壊しちゃっておじいちゃんに魚をやらなきゃ死んじゃうから魚とったけどうまくいかなくておじいちゃん死んじゃったけどとりあえずロックが生きてそうだから私も生きる!!がんばる!!!」みたいな認識でゲームやってましたから……。(あ、でも3周くらいしたらちゃんとストーリーわかるようになりましたよ!!!!!)
……ああ、なんか視線が冷たくなってきましたね。
しかし本題はここからですよ!
つまり、こんな鳥頭脳筋な私すら引き込まれたジョジョ3部、「スターダストクルセイダース」はスゴイ!って話です!
いつの間にか引き込まれてしまう荒木マンガの魅力

ちなみに3部キャラで私の推しはポルナレフです。
前述の通り、私は週刊ジャンプを読んでいてもジョジョに興味はありませんでした。
むしろ「なんかいつも後ろのほうに載ってる地味なマンガだけど、いつまで経っても終わらない不思議なマンガ」くらいの認識でした。ひどい!

ジョジョも読まないし
北斗の拳とか魁!男塾とかドラゴンボールとか
そういったストーリー漫画も興味ない
じゃあ、ジャンプの何を読むんですか?
って話になりますよね。
それはね、――ギャグマンガです。
私がジャンプを手に取って一番初めに読むマンガ。それは
ギャグマンガなわけです。
あと、女の子が可愛いマンガも大好きだったので、電影少女とかやるっきゃ騎士とかも読んでました。幽遊白書を読みはじめたのも、基本的にぼたんと螢子が可愛かったからです。カワイイ女子は大正義。
だから「りぼん」を読んでも一番先に読むのは「お父さんは心配性」で、あと女の子がカワイイ枠では「ねこ・ねこ・幻想曲」とか「銀曜日のおとぎばなし」とかになるわけです。
興味がむかないのです。
ジョジョには。
それよりも「ジャングルの王者ターちゃん」を選択するわけです。
なのに。
そのはずなのに……私は、気がついたらジョジョ3部「スターダストクルセイダース」を読んでいました。
な、何を言ってるのかわからねーと思うが
おれも何をされたのかわからなかった…
――んですけど、この荒木飛呂彦の漫画術を読んでその理由がわかりました。
「スターダストクルセイダース」が読者に認められた理由
トーナメント制のマンガが大ヒットする中、一読者としてそれらの作品をワクワクと楽しみつつも、僕は作者の視点から「頂点まで行ってしまったら、その後どうするんだろう」と考えざるを得ませんでした。その頃の『ジョジョ』はアンケートで苦戦していて、「人気を得るためにトーナメント制を取り入れたらどうか」と言われたこともあります。
けれども、人の思いは代々、次の世代に「受け継がれていく」という『ジョジョ』のテーマにそうのであれば、ジョナサンが頂点に達したら、次の世代をどうするのでしょうか。頂点の後、下がり続けるというのは、僕が考える漫画の王道に反すると思いましたし、そもそも他の作品でやっていることをやっても、それはただの真似でしかありません。
そこで、トーナメント制でない「常にプラス」の方法は何かないだろうか、ということで考えたのが、『水戸黄門』のような道中もの、つまりすごろくのように、進んでいった先で敵と戦う、 というやり方です。そのやり方で書いたのが、第3部「スターダストクルセイダース」でした。
この場合、その場その場で違う敵と対決するわけですが。必ずしも前より強い相手とは限らないので、トーナメント制と違い個々の戦いにおいてはプラス、プラスというインフレ状態にはなりません。何がプラスになっているかといえば、主人公たちが常に地図上のゴールに向かって地下空いている前に進んでいくというところです。
スターダストクルセイダースでは主人公の承太郎たちは敵と戦いながら、最終決戦の相手となるディオへ向かっている、ここは決して後戻りしない、マイナスにはならないというわけです。このように人真似ではない「常にプラス」の王道を歩むことができたおかげで、「スターダストクルセイダース」は、それまでの不振を達することができたのだと思います。
荒木飛呂彦の漫画術 p118~119
なるほど、そういうことだったのか!!
私がジョジョ2部を読めなくて、3部はいつのまにか「読んでしまっていた」理由がわかりました。
2部の頃って、途中からいきなり見てもよくわかんなかったんですよ。
でも、3部は水戸黄門方式だから途中からでもスッとストーリーに入れる。RPGゲームのように「ラスボス(ディオ)目指して戦ってる」これだけ頭に入れば、途中からでも読めるんです。伏線を理解しなくても読める。ありがたい!
そして「どうして?なんで?」という引っかかりができて、次のページをめくってしまう。この仕掛けにもまんまとはまっていたことがわかりました。
だって、私イギーのこと「は?犬? しかも性格悪い犬?何それ?」って気になっちゃいましたもん!
まんまと荒木飛呂彦の漫画術、その術中に引きこまれていたわけです。
そして、天に踊らされる私
本題は以上です。ここからは余談です。
私は、この本を、とあるカフェで読んでいました。
すると、アラサーちゃんの文系くんみたいな男子から「ジョジョ好きなんですか!!!」と食い気味に話しかけられました。
い、いや、私は単なるニワカでして……
と正直にはとても言えず。
「そうなんですよ~どうやってジョジョが作られているかが書かれてて面白いですよ~」と返しました。
すると、小一時間ほど彼とジョジョ談義をすることになりました。
もちろん、彼はすっごいすっごいジョジョが好きでたまらない「ジョジョガチ勢」なわけです。
「6部のオープニングは3部のオマージュにあふれてて、徐倫(娘)と承太郎(父)のスタンドの出し方が本当に見事に親子なんですよ!!」
みたいなことを語られるわけです。
↑このシーンのことだと思うのですが、これに気づく時点でガチでしょう。
いやあ、本当に申し訳なくて。
私、そこまで、詳しくないんで……。
でもね、わからないことはわからないって素直に言って、わかるように説明してもらえばいいと思いまして。
達人の前では知ったかぶりをしないほうが、良いと。
そして色々と彼にジョジョの魅力を説明してもらって思ったことは
「やっぱり荒木先生って、スピリチュアルだ」
ってこと。
ファンの方ならわかりますよね。荒木先生、結構人間じゃないでしょう。見た目(の推移)からして明らかに人間じゃないでしょう。笑
「荒木飛呂彦 予言」で調べるとオカルト記事が出てきます。ガチで(無意識のうちに)そういうところとつながってる人だなって思いますよ。
だって、6部の最後、宇宙が巡りすぎてパラレルワールドに飛んじゃうとか、完璧スピリチュアルでしょう!
時は無限に加速して宇宙は終焉を迎え、特異点を経て再び2011年が訪れる。その新世界では運命があらゆる者の魂に記憶されており、「天国」の条件はほぼ満たされつつあった。
ストーンオーシャン – Wikipedia
これ、ウィキペディアにある6部のあらすじです。「ジョジョのあらすじです」って注意書きがなかったら「なんの精神世界本かな」って思いませんか?
すごいですよね。
こんな発想が出てくる時点で、本当に宇宙的。
そんなことを知るために私はこの本を手にとって、カフェで彼に声をかけられてジョジョ話を聞くことになり、そして今この記事を書いているのかしらん。
そう思うと、私も天から踊らされている人間の一人なんだなあと思います。
私の推しマンガは↓こちら↓