山崎豊子の直木賞受賞作、「花のれん」。
吉本興業を作った吉本セイさんをモデルにした小説です。
そう、お笑いの吉本って女性が作った企業だったんですね~!
人情と根性な浪花節でのし上がる、大阪の女興行師。
もうこの一文だけでカッコイイ!
けれど、成功して財を築いた後、小説内の主人公・多加は、札束をつめこんだ壺を抱きかかえて眠るようになります。周りは誰も信頼できる人がおらず、いつ泥棒が自分の金を盗みにくるかわからないからです。
資産を得た人間の悲しみが、ものすごくリアルに、端的に描かれていて、私は心を打たれました。
そう。資産を得ると、それが不安の種になることもあるのです。
そうならないために、豊かに財を得てなお軽やかに生きるにはどうしたらいいのでしょうか?
その方法を教えてくれるのが、実は易経の「山天大畜」の卦ではないかと思うのです。
大畜は、貞に利ろし

大畜は、貞に利ろし。家食せずして吉。大川を渉るに利ろし
山天大畜の卦辞
山天大畜とは、「おおいにたくわえる」の文字通り、力をとどめて大きく育てる時を示します。
天の力の上に、山が乗って重しをしている状態です。「まだ出るな、まだ出るな。今はまだ蓄えるだけ蓄える時なのだ」と。
つまり、大きな力は時間をかけて蓄えることが必要なんだ、と説いているのです。大器は晩成す。
易経は「運は決して人を助けない。しっかりと力を養い、充分に力を蓄えられたならば、自然に時はやってくる」と教えています。
超訳 易経 陰―坤為地ほか p225
上の言葉通り、運勢に乗って上手くいったことは運勢が下がったらうまくいかなくなります。「金運が良い時を知りたい」という人は、「金運が良い時しか財がない生活」を余儀なくされることを示しています。家庭運だろうが仕事運だろうが、同じです。
運がよかろうが悪かろうが、コツコツと目の前のすべき地味~な作業をなす。そうしてこそ、しっかりと力をためることができ、そしてその強大な力に振り回されないメンタルを育てることができます。
そういうことを教えているのが山天大畜の姿です。
身心を修養しないままにいたずらに成功だけしてしまうと、小説内のお多加さんのように「誰も信じられない!みんな私の金を狙ってるんだ!!」と壺を抱えて眠る老人になってしまいます……。
財は得ていい。
しかし、執着してはいけない。
だけど、財に執着しないなんて凡人には難しい。
だからこそ、時間をかけてコツコツコツコツ同じ(クッソつまらない)作業を繰り返し、そのなかで心身を磨いていくのです。
武道で、単調な型をただただ繰り返すように。
そして、上爻(一番上、6番目の爻)まで来た時に、山天大畜の卦は真の姿を現します。豊かに蓄えられた力はもはや制限を解かれ、自由に世界を飛び回るようになるのです。
この境地を端的に説明してくれるのが、雀鬼・桜井章一さんの姿です。
昔からですが、何かを欲しいということがあんまりないんです。ものでも知識でも、いろいろ欲しいなあと思ったことはあまりない。手に入れたいと思ってもいないのに手に入ってしまうことはよくあるんですが。
賢い身体 バカな身体 p193
桜井さんは、こんな感じで飄々と手に入れます。そしてたくさん手に入れても、執着しません。だって、「ほしい!ほしい!ほしい!」と念じて手に入ったのではなく、ひょいっと手に入ってしまったものだからです。
だから、ますます豊かになるし、ますます手に入る。
そして、別に現時点で持ってなくても焦らない。だって、自分に力があることがわかっていれば、必要な時には得られると思うから。だから不安がないんです。
でも、普通の人間に桜井さんのような境地に達するって、なかなか難しいですよねえ? 少なくとも私には難しいです。
だからこそ、凡夫は「山天大畜」の時を学ぶ必要があるのです。
大きくたくわえるには、それだけの心の器がないと却って執着してしまって苦しみにしかならなくなるよ、と。
大きく得ていいし、豊かになってもいい。
しかし、それと同時に精神性も高めることが大切。(なので、大きくたくわえるには時間をかけたほうが良い)
そんなことを、山天大畜の卦は教えてくれている気がします――。