生命力にふれる濃密なセッション

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東京都
M様
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※一部個人情報に関わる部分を伏せたりぼかしたりしております。ご了承ください。

先日はセッションをありがとうございました。

最近外出すると体調を崩すことが多くなり原因が分からず…竹脇まりなちゃんのyoutubeで宅トレもしてるのに!と、何かきっかけを掴めればとセッションを受けました。

この体調不良は私にとってはしょうがないもので、やり過ごすしかないこと。アーティストは死や宇宙にスレスレで触れて帰ってくる必要があるからだそうです。「役に立たないなら即死ね」という信念も、話すうちに発覚しました。それが身体に出ているようでつらいです…が!今までも似た経験がありましたので納得しました。

フツーに考えたら何故そんな苦行を?メンタル大丈夫そ…?という感じですよね。私も心からそう思います、顕在意識では嫌々です。でも潜在意識では苦行キタァ〜♡という感じです。泣笑

やり過ごしつつ、何かやった方がいいですかね?と聞いたら「あなたの場合はもっと苦しむのが良いかも」と言われ「!!?」となりました…が!!こちらも思い当たることがあります。

この後はひたすら性的にディープな話をしたので詳しく書けませんが…どの意見も納得です。仕事や創作へのリビドーがゼロになっている理由も分かりました。「アーティストなんて皆だいたい変態だからね」と言われニッコリしてしまいました。笑

新しい行動は緊張します。でもチャレンジして自分の生命力を形作りたいです。命を削ってのクリエイティブではなく、どっしりした己の生命力からのクリエイティブにします。ちょうど最近、東博で土偶や石棒、縄文土器を見て感動したところでした。それらはとても性的で大らかで、遊びに満ちて魅惑的です。

誕生日プチプレゼントのメッセージもまさに!です。死と再生。読んで性器〜おしり周辺の根底が熱くなり、おどろきました。

濃密なセッションをありがとうございました!

※セッション中に話題にした、宇宙飛行士の野口さんのショート動画がありました。かかる重力に対して「もう殺してくれ!」という野口さんです。実は地球にいることがすでにSMプレイなのかもしれないな〜と思いました。

Nozomiより

M様の文章を見て、私も竹脇まりなさんの宅トレやってみました。

すごーい!
メッチャ楽しい!!!
たった10分で自分が笑顔になっちゃう!体もスッキリ!

やっぱり汗かくって最高ですね~♥

さて、自分の性エネルギーに対して明晰であることは、とても大切なこと。
しかし、現代社会を生きる上でそうするのは、非常に困難なことです。
多くの人が自分の性エネルギー(最も強烈な生命力)から切り離され、歪んでしまっています。

そして歪んで浮かびあがってくる性エネルギーを抑圧します。
真っ当な大人としてはとうてい認められないものだからです。
しかし、抑圧しすぎると、それは大きな力となって襲い掛かってきます。だって、そもそもが最も強烈な生命エネルギーなのですから。

7月20日、神奈川県小田原市議が電車で下半身露出したとして逮捕されたそうです。

立民の小田原市議を逮捕 電車で下半身露出疑い
静岡県警三島署は20日、電車内で下半身を露出したとして、公然わいせつの疑いで神奈川県小田原市議、俵鋼太郎容疑者(61)=同市南町=を逮捕した。

61歳の老年に差しかかった地位のある人が、こんな逸脱行為に及ぶ。
多分この方は「ちゃんと真面目に」生きてきたのではないかと推察します。市議四期目のベテラン議員さんで副議長もしています。

遠藤周作の「スキャンダル」も、品行方正で聖人君子のように生きてきた作家が老年になって性的逸脱に走ってく様子を描いた作品です。周りが称賛するような「いい人」、いい子で生きてきた人ほど、このような抑圧を抱えることになりがちです。ユングの言うところの「ペルソナ」が強固すぎる・・・のです。

このような過剰な抑圧を防ぐために、性エネルギーと素直に相対することはとても大切なこと。だけど、ものすごく怖い経験です。巨大な性エネルギーに飲まれてしまったら、真っ当な社会生活が営めなくなるのですから。逮捕された市議のように。

欲に溺れてはならない。しかし欲を無かったことにしてもいけない。
快楽を感じつつ、冷静に己を見つめねばならない。
これはタントラの最も基礎部分ですが、欲に溺れがちな我々にとってかなりのハードルになります。

どうぞ、飲まれないように探求の旅に出てください。
それは危険な旅ですが、必要なことです。
自分のエネルギーを理性的にコントロールするのではなく、ただ見守る行為だからです。

昔の日本では、こういった性的抑圧を「祭」で上手く発散していました。祭の日は近隣の男女が入り交じって、無礼講だったからです。全く知らない人とその場限りの関係を結んでも、何ら咎にはなりませんでした。(そして例えそれで妊娠したとしても、別に全然普通に産んで「村の子」として育てるわけです)

しかし、それはあくまでも祭かぎりのことであって、祭が終わると日常に返ります。そうやって、ハレとケを分けることで性的な抑圧(及び逸脱)がいきすぎないよう上手くコントロールしていたといえましょう。

日本人は元からして(上流階級の武家は別として)性的に相当おおらかで奔放な民族です。それがキリスト教文化圏の影響で清教徒のように「清く正しく美しく」の型にはまっています。そんなのどだい不自然なわけで、上の市議みたいに変なところで爆発してしまうわけですね。

そうやって性的に極度に抑圧するか、逆に奔放になりすぎて性依存になるか。どちらに行っても地獄です。そういう意味では、今の世は性欲薄いほうが「生きやすい」のかも……。

甲野 『荘子』にあやかるわけではありませんが、最近、30年間稽古してきて一番大きいと思われるような気づきがあったんです。
それは言葉でいうと、実に簡単なもので、「止めればいいんだ」ということなんです。

つまり「こうやって動かそう、ああやって動かそう」ということをやめる。意識でがんばってやるというのは、どこかが力んで、そこを変に使っているから、それをやめればいい。

これを止める。あれを止める。
身体じゅうがそういうふうに変に力まないで、止めればいいんだということが、体の中にストンと音もなく落ちてくるように気がついたんです。

つまり、何かやろうとすることを止め、その止めた状態も止める、というように、次々と止めていく。そうしたら技の効きがぜんぜん違う。全身が解放される感覚なのです。

そして次に、それにつながるように、また言葉にすると当たり前のように感じますが、「すべてのことに意味がある」ということに、あらためて気づいたのです。(中略)

桜井 先生は「止めればいい」っていうところまできたんですね。「止めればいい」といっても、はなから何もやったことのない人が止めたって何も起こらない。いろいろやって道が終着近くになってそんな言葉が出てくるんだと思います。

意識して何かしようというものが強くなると、コントロールする気持ちが出てくるものですが、コントロールというのはしょせん大したものではないと思う。ややもすると感情や自己をコントロールして成功しようとか、お金をたくさん稼ごうとなっていくわけで、すべて欲に裏打ちされている。それは自然というものからすると甘いし、ウソくさくなる。

賢い身体 バカな身体 p80~82

この「止めればいいんだ」というのは、「はなから何もやったことのない人が止めたって何も起こらない。いろいろやって道が終着近くになってそんな言葉が出てくる」わけです。

M様はキャリアも積んできて「何もやってきたことのない人」ではない。
だからこそ「止めればいい」。
無重力状態で、ふうっと一度自分を徹底的にゆるめてゼロにする。そしてあるがままで出てきた自分を受けとめる。それがいくらグロテスクであったとしても。

そう、まるで土偶のようです。

土偶は人間を逸脱した形でグロテスクですが、ものすごくあるがままです。例えば美醜を評価されたとしたって、土偶本人は「はあ、そうですか」とスルーして何も心を動かさないことでしょう。だって、そんなことは「存在」には重要なことではないのだから。

ちゃんと社会に出てきた人だからこそ、このような提案ができます。社会経験のあまりない人、キャリアのない人にここまで言ってしまうとバランスが崩れてしまう恐れがありますが、M様ならば言える。誰にでも言えることなわけではありません。

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