あなたは、仙人って、現実世界にいると思いますか。
私は、桜井章一さんがそうだと思います。
老子の説いた無為自然、それを生きるのが桜井章一だと。
桜井章一さんは1943年生まれ、2022年7月現在78歳です。
麻雀をやる方は「雀鬼・櫻井章一」をご存じのことでしょう。
桜井さんは麻雀の代打ちとして負け知らす。それどころか超人エピソードに事欠きません。麻雀の牌をめくらなくても、その牌が何の牌かわかってしまうなんて朝飯前。天和なんて朝飯前。
すでに、牌と自分の肉体感覚がリンクしてるんですね。桜井さんの様子を見ると、戦争中に合気道の要領で戦艦を自分の手足の延長として操作した指揮官がいたという話も、あながち嘘じゃないのかもと思ったりします。

う~ん、麻雀に興味がないから
ちょっと話についていけないかも……
こう思われた方も、いらっしゃるかもしれませんね。
ですが「自然の流れに沿うことで、直感がさえわたり色々なことがわかるようになる」という現象だったら、ちょっと面白いと思いませんか。
桜井 目の前にあるのはただ流れだけです。ひとつひとつの情報にとらわれたら、瞬時に変転する流れからこぼれてしまう。牌はそれを打つ人によって、強い牌になったり、迷う牌になったり、乱れる牌になったりするんで会って、牌そのものは何もしない。
賢い身体 バカな身体 p60
この言葉の「牌」を「お金」に変えてみたらどうでしょう?
お金にも流れがあって、使う人によって「良いお金」になったり、「迷いを呼ぶお金」になったり、「乱れる金」になったりする。でも、お金自体はただの紙や金属、単なる交換手段です。お金自体には良いも悪いもない。
そういう目に見えないエネルギーの扱い方、直感の扱い方のコツは「遊びの気持ち」だと桜井さんは言います。「真面目」じゃなくて、「遊び」が大事なんですね。
甲野 「気がする」というのは、直感ということですね。さまざまな情報を集めて分析して、じゃあこうなる、ああなると予測しても当たらないものです。そんなものを超えて理屈抜きに先がすっと見えてしまうのが直感であって、そうなればますますいまの科学では手が届かない世界になる。
囲碁で名人クラスの人間になると、あるところに打とうとしているのに違うところへ指が勝手に動いてしまうことがあると言います。指運というそうですが、これも直感が突然閃いて「気がする」ところへ指が動いていったということでしょうね。
桜井 ふだんでも遊びの気持ちがある時ほど、「気がする」感覚になりやすいですね。はじめて会った人に「昨日こんなことしただろう?」といって当てたり、競馬につきあいで連れていかれて馬も騎手も何も知らないのにバンバン当ててみたり。
「どうしてわかるの?」って言われても、説明のしようがない。(中略)2~3年前ですが、お笑いの「爆笑問題」が司会している番組に出たとき、アシスタントがタレントの真鍋かをりという子だったんです。
そのときの収録の合間に彼女と話をしたんですが、「今日、お父さんと会ったろう?」って言ったら、「そうなんです。ケンカして何も言わないでお父さんの部屋を飛び出したんです。何で知ってんですか?」って言って急に泣きだしちゃったんですよ。何の意味もなく、フッと彼女のお父さんが出てきたんですけどね。
甲野 そういうことって、そんなに必要だとは思わないから自然にわいてくるんだと思うんですよ。まったく無心で楽しい気分でいるから、素直にフッと出るんでしょうね。
何か目的を持ったり、意味を持たせたりしたら、スッとは出てこないかもしれませんね。まさに科学も理屈も飛んでいってしまう感覚の世界ですね。
桜井 そうですね。これは自然の感覚ということだと思います。
賢い身体 バカな身体 p60~63
自然の感覚でいると、ふうっといろんなことが「観える」。
そんな経験って、誰にでも多かれ少なかれあると思うんです。
例えば、お風呂に入ってリラックスしてると「ピン!」ってひらめいたりしませんか? そういう時って、余計なことは考えずただボーっとしてますよね。桜井さんのいう「自然の感覚」に近いのではないでしょうか。
桜井さんみたいに飄々泰然としていれば、いつの間にか自然と一体になる。そして、目に見えないものが見えるようになったり感じられるようになったりするのでしょう。
執着せず、欲せず、あくまでもあるがままに。
まさに無為自然の境地です。
やはり桜井さん、仙人なのでは……。
プロボクサー村田諒太さん(ロンドンオリンピック ミドル級 金メダリスト)との対談で、桜井さんはこんな風におっしゃっています。
動画13:10頃~
桜井「わかんなくていいんだよ、今日言ってること。わかったら嘘」
村田「はい」
桜井「ただ『不思議』でいい」
――動きだけではなくて、心の在り方もより自然に近づけるようにしたほうがいいんですか?
桜井「体をそうすれば心もそうなっちゃう。くっついてっちゃう。相反するもの、心と体がくっついてっちゃう、自然に。それは全部感覚を鋭くしていないと、そういうの感じられないの」
相反するものがくっついちゃう。
調和しちゃう。
これって、まるでトマスの福音書ですね。
イエスは彼らに言われた。”あなたがたがふたつのものをひとつにするとき、そして、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、そして男性と女性とをひとつにし、男性がもはや男性ではなく、女性が女性ではないようにするとき、そしてひとつの目の代わりに目を、ひとつの手の代わりひとつの手を、一つの足の代わりにひとつの足を、ひとつの像の代わりにひとつの像をつくるとき、あなたがたは神の国に入るであろう”。
トマスの福音書 22 太字強調は記事作成者による
心と身体を一つにし、身体がもはや身体ではなく、心が心ではないようにするとき、神の国に入る。
「二元性の超越」ですね。これを桜井さんは生きながらにして成しえている、と思います。だから、数々の奇跡をこともなげに起こすのです。
こちらの本、「賢い身体 バカな身体」は武術家の甲野善紀さんとの対談本です。
これが金言のオンパレードでして。すごい!
現代人は理性信仰というか、頭に対して絶対的といっていいほど強い依頼心を持っています。しかし、そのような頭で身体がとらえていくと、頭と身体の関係は、会社組織にたとえると、バカな社長に牛耳られているダメな会社になってしまっていると思うのです。
頭で考えて身体を動かしたり、使ったりするということは、要は知識でどうにかしようということです。しかし、知識で身体を理解したり使ったりということは、バカな社長が背や胸や腰、脚足を差し置いて、自分が使いやすい「手」ばかりを使うということです。
つまり、バカ社長という頭と手という出しゃばり社員が何でもやろうとして、背や胸や腰、脚足という実力派の社員がうまく使われていない会社になってしまうわけです。
賢い身体 バカな身体 p17
私、一本歯下駄トレーニング、3カ月続けたら驚きの結果に!?【GETTA】に書いたとおり、体幹が弱いです。
だから、ついつい手足に余計な力が入りがちで、身体の中心を上手く使えていないな、という自覚があります。
そういう手足ばかりに力を分散するような体の使い方をしていると、物事の枝葉末節ばかりが気になるようになってしまいます。「やらねばならないこと」を後回しにして、パッと目についた台所掃除とか「すぐにはやらなくてもいいこと」に飛びついてしまったり……。
やはり体幹を使えてないと、「重要なことにしっかり集中して取り組むこと」も難しくなるんですね。体と心の状態はシンクロしますから。
「バカ社長という頭と手という出しゃばり社員が何でもやろうとして、背や胸や腰、脚足という実力派の社員がうまく使われていない会社」こんな状態になってはいけませんね。実力派の体幹を上手く使えるようになりたいです。
そして、身体の使い方に熟練すると、ピンチの中にチャンスが「観える」ようになってくるのです。
常識とは違う身体の使い方をすれば、「不利と思われる状況が実はそうじゃない」ということが実感としてわかります。(中略)
専門家だと、不利な状況に対して、すぐに「これは不利なことなんだ。もうできない」となってしまうんですが、そういう単純な反応は常識の世界の中にどっぷり漬かっているため、不利な状態になったらもう何もできないということを、条件反射的に学習してしまってるんですね。ですから、不利な状況を突破する動きができる身体になるには、固定観念に縛られない発想を育てる必要があるわけです。(中略)
人間は環境に適応する生き物ですから、甘やかされた環境では質の向上ははかれません。不利で不自由な条件設定をするということは、きびしい環境に身体を置くということです。そういう環境に身体を適応させることで、初めて常識を破る身体を出現させることが可能になるんだと思います。
賢い身体 バカな身体 p30~31
厳しい環境に身体を置くことで磨かれる。
わかります。普段から一本歯下駄で生活していると、難しいバランスをとる状態がデフォルトになりますから、普通の靴を履くとすっごく歩きやすいんですよね!
「不利で不自由な条件設定をする」というのは、まさに私の働き方がそうですね。「子どものいない人限定」なんて不利な条件以外の何ものでもありません!だって、スピリチュアル業界って子育てママこそが一大市場ですよ!そこをあえて制限するんだから、私もマゾゲーやりすぎです。
でも、そんなマゾゲーやっててもなんとかなる。
不利な条件下でも、なんか不思議と生きていける。
そういう経験をしていると、「不利と思われる状況が実はそうじゃない」ということが実感としてわかるんですよね。
だから、絶望しない。
ポジティブに生きられる。
”仙人・桜井章一”はこのようにもおっしゃいます。
不利な条件というのは勝負にとってはありがたいんです。不利な状況をしのいで何ができるかというのが本当の勝負だと思います。ラッキーな状況とか、調子のいいときにするのは勝負とはいえない。リスクがあったり、不利があったりする状態からそれをひっくり返していってこそ勝負なんです。
麻雀でも自分が一番ついていないときが一番の勝負どころです。もうついて流れにのりまくってというのはちっとも面白くない。それは勝負とは別のなにかにすぎない。だから私は、勝負では実際、あえて不利な状況、困難な状況を好んでいったところがありましたね。(中略)
なぜそうかというと、リスクやハンデをいっぱい背負った不利な状況だと、全身全霊で向かっていかなくてはならないからです。そこでは劣勢をひっくり返していくギリギリの力が出てくる。
賢い身体 バカな身体 p32~33
コロナがあったり戦争があったり。
こういうときこそ人生の勝負どころ。
人生を思い切り面白くさせてくれるキーポイントですね。
易経では、「調子が良くてぐんぐん天高く舞い上がってしまうと、最後には亢龍(降り龍)になってしまいますよ」と戒めています。
連戦連勝の桜井さんがなぜ亢龍(老害)にならないかというと、「勝負では実際、あえて不利な状況、困難な状況を好んでいった」からなのでしょう。それなら、勢いづいて登り切って傲慢にならずに済みます。
無為自然。
上手くいっている時も、上手くいっていない時も、淡々と過ごす。自然の感覚に沿って、流れていく。
そうすれば、人生の流れはおのずと魂にとって必要なところに連れて行ってくれます。
私たちは、今、最善へと導かれているのです。