
愛知県
M様
からのメール
※一部個人情報に関わる部分を伏せたりぼかしたりしております。ご了承ください。
再びご縁をいただき、ありがとうございました
今回は初めて遠隔ヒーリングでお世話になりました
「バースデープチプレゼントが気になったから」がセッションを受けるための一番の動機でした
「気になるならカウンセリングお願いしようか?」と自分に問いかけると、「やだ!!厳しいこと言われたくない!今きついこと言われたら心折れちゃうよ~優しくされたい~~」とかえってきて……
「そ、そうか~~……」と様子見していました
このサロンに何度も縁があるくらいなので、私は「厳しいこと言われたとしても糧にするわ!」というタイプです、強メンタル!
だから、その気弱な訴えと「優しくされたい」という欲求が妙にひっかかりました
その内、全身に真っ赤な発疹と蕁麻疹のようなものがでてきて……
両足両腕が特にひどく、全身激しいかゆみ……
こんなに全身にわたりひどく荒れるのは幼少期ぶりで、しかもみたことない荒れ方で、びっくりしましたが「身体の治癒能力を信じよう」と、自分でできることをしました
とはいえ、無意識にかきむしってしまう……意識的にかゆみを眺めてみることもしましたが、すごく、しんどい……
なぜかまた激しくバースデープチプレゼントが気になりだす……
そうして「そうか、今回はカウンセリングじゃなくて、ヒーリングでお世話になるんだ!」と、ひらめいたのが、セッションを受けるまでの経緯です
ヒーリングを受けるのは初めて、まして遠隔……どうなんだろう……とちょっと思いましたが、「カウンセリングがうまくいってるんだし、今回だってうまくいくでしょう~~」という心持ちでいました
とりあえず約束の時間まで私はできるだけの準備をしました
部屋の片付け、掃除、空調をつけ快適な室温にする、うさとのワンピースを着る、お気に入りのお香をたく、枕代わりのクッションの下に以前ご縁をいただいたヒマラヤ水晶を置く……
スピリチュアルなことは勉強しはじめたばかりなので、持てる知識を総動員しました……
とにかくリラックスできる空間にして、「まあ、あとはうまいこと事が運ぶでしょ!」と気楽にかまえて、音声ファイルを再生してヒーリングにはいりました
普段日常で行っている瞑想にはいるのと似たような感覚でした
誘導の音声にあわせて、様々なエネルギーがやってくるのを感じました
涙が自然にゆっくり流れ、感謝の気持ちでいっぱいになり、終わったあとは、とても静かな、穏やかな心地になりました
ヒーリング後のレポートを読んで、驚いたと同時に納得しました
作っていただいたパワーストーンのマンダラは、ハートの形を携えたレインボーオブシディアンを取り囲むローズクォーツたち……黒く凍りついたハートを優しく癒す天使たちのマンダラ……
「優しくされたい」という魂の欲求に答えてくれたんだ!という嬉しい気持ちと、私の心がひどく絶望している現状を改めて受け止めようという思いがわきました
というのも、最近制作している作品がわかりやすく絶望してるものばかりで……
前回のカウンセリングのアドバイスもとりいれて制作していたのですが
一時「私はこんなのが作りたいんじゃない!」と作品を拒絶するような思いに刈られたんです
こんなことは初めてで驚きました……
その思いも、セッションを受ける前に「この作品たちが生まれてきたのは意味がある。紛れもなく、私の作品。鏡になって私の絶望をみせてくれてるんだ」と改まりました
「絶望している自分を認めよう」と思えたから、このヒーリングに導かれたんだな……と感じます
また、焦っているところにブレーキをかけてくれたんだなあとも思いました
例えば肌荒れ関しては、信じるといいながら「早く治ってよ~~」と身体に急かしてたとこありました……反省……
もっともっとゆっくり癒していけばいいんですね……
バースデープチプレゼントのメッセージはかなり具体的なアドバイスでした
ここにもシンクロを感じたので、素直に実践してみます
この他にも様々なシンクロがありましたが、大分長くなってしまったのでこの辺で……
遠隔でもリンデンバウムのヒーリング、とってもよかったよ!ということが伝われば幸いです
ここまで読んでくださり、ありがとうございました
またご縁がありましたら、よろしくお願いいたします
Nozomiより

ヒーリングって、難しいんですよ。
こういう一行を読むと、多分「そうですよね、ヒーラーさんって大変ですね」と思われるかもしれません。
確かに、そういう一面もありますが、でもちょっと違うんです。
もっというと
「ヒーリングを受けるって、すごくむずかしい」
ということがあるのです。
M様は、今回、すごいことをしたのです。
「タイミングを見極め、かつハートを開いてヒーリングに委ねる決意をした」という。
ヒーリング前にお掃除、素晴らしいです。
自分にとって一番心地よいと思える環境を整える。
こういうことって、面倒くさいんですよ。
やらなくてもヒーリングは別に受けられます。当たり前ですけれども。
だけど、「儀式」ってすごい大切なんですね。
儀式をやるとやらないとでは、ヒーリングの効果が変わるんです。
でも、掃除やお香やアロマをたくこと自体にそこまで意味はないんです。その行為をすれば必ず癒されるということではなく、「そうやって環境を整えていくことで自分の内側のコンディションが柔らかく整っていくこと」が大切なんです。
だから、儀式自体は何でもいいんです。その人が心を開いてリラックスできるならば、走ってきてもいいし、お風呂に入ってもいいし、掃除してもいい。
大切なのは、儀式をすることなんです。やらなくてもいいこと(生きていくためには必須ではない。何だったら普段はあまりやらない面倒くさいこと)をやることで、変性意識に入りやすくすることなんです。
だから、神に祈りをささげる時には作法があるでしょう。例えば、神社では「二礼二拍手一礼」しますよね。
ここで二礼二拍手一礼しないと神様に願いが届かないかというと、別にそんなことないんです。ですが、「型」を決めておくことで、小さな儀式を行うことができる。この儀式を行うことで、よりトランス状態に入りやすくなる、神とつながりやすくなる効果があるのです。
だから、儀式は大切。
M様はその儀式を行って、部屋を「祭壇」にしたのです。
だから、ハートが開かれてより深いヒーリングを行うことが可能になりました。
「ヒーリングを受けるのは難しい」理由の二つ目、それは、タイミングです。
ヒーラーが普段から研鑽を積むというのはもう大前提です。
その上で、ヒーラーには「癒していいものと駄目なもの」があります。
北米先住民のメディスンマンであるローリング・サンダーも
「病気になるには、必ず原因がある。人を治療するかどうかを決めるときは、まずそれを考えなければならない。それを無視したら、その人間は将来大きな代償を払わなければならなくなるかもしれないからだ」
と述べています。
病気はその人に与えられた霊的課題であり、そこから気づかなければならない問題があるということです。
他人の宿題をやってしまうと、その行為は一時しのぎであって、決してその人のためにならないと喩えられるかもしれません。(中略)病気を自分に起因するものではなく、病気自体のせいにして医師に病巣を切り取ってもらうだけでは、個人の成長にはつながりにくいのは確かです。
新・臨床家のためのホメオパシーマテリアメディカ 下巻 P550
このように、「病んでたら癒せばいい」というものではないのです。
「癒してもいいところしか癒せない、というか、癒してはいけない」という問題があります。
その人の魂の課題として病が訪れているならば、それを癒してしまうとかえって魂にとってはマイナスになります。シルバー・バーチは以下のように言います。
治療によって奇跡的に病気が治る、それはそれなりに素晴らしいことですが、その体験を通してその人が霊的真理に目覚めることがなかったら、その治療は失敗したことになります
ですから、「癒せる部分」を準備してもらわないと、ヒーラーは癒せないのです。
M様は、自分の内側と向き合い、癒せる部分を作ってくださった。ですから、ヒーリングが可能になりました。言い換えると、ヒーリングを行って「癒された」と効果を感じられるようになったのです。
このように、ヒーリングとはただヒーラーが「癒せますよ」といえば上手くいくものではなく、ヒーラーと受け手側の共同作業です。
今回は、M様が私を信じて委ねてくださったからこそ、この共同作業が上手く行った(天使たちのエネルギーを上手く流すことができた)ということになります。
ですから、ヒーリングって、非常に難しい作業です。
今回は、M様の鋭い感覚によって「時を見極めた」からこそ、こんなヒーリングが可能になったということにつきます。
M様、自分の感覚、内なる声に従ってくださり、ありがとうございます。
自分の内なる声に従う勇気があってこそ、癒しは起こります。