やる気が起きない? それは心が弱いのではなくて、○○がないのかも

人生:スピリチュアルブログ
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何事にもやる気がわかないんですけど
Nozomiさんはどうやってやる気を起こしてるんですか?

こんな質問をいただきまして、私は頭が真っ白になりました。

やる気がない。
やる気がない。
やる気がない……って、どういうことだ?

ちょっと、意味が分からなかったんですよね。
私は、普段から過剰なまでにやる気満々なのです。
やるぜやるぜやるぜ!オレはやるぜ!!!

ここで

Nozomiさんはライフワーク、天職に巡りあってるから
いつもやる気があるのでしょう

こう言われても、イマイチピンとこなくて。

私、小学生のころから運動会に全力だったし、介護の仕事してた時も「プロフェッショナルな介護士とは!!」なんて無駄に意識高い系で全力でカレー食いながらトイレ介助の話してたし、全般的にいつもフルスロットルで生きてる系なんですよね……。

こう、「いつ死んでも後悔しないように生きる!」みたいな。
泳ぐのやめたら死ぬマグロ!みたいな。

天職とか使命とか、あんまり関係なくやる気満々なんです。
エネルギー有り余ってるんです。
極身強な丙午なんです。

なので、「どうやったらやる気が出るのか」という質問に対して、ちょっと理解が追いつきません。ですから反対に「どういう時だったらやる気が出ないのか」を考えてみました。

やる気満々が通常営業の私が、やる気の出ない時。それは――

  • 疲れている時
  • 具合が悪い時
  • 睡眠不足の時

この3つ。
実はメンタルの状態は関係ないんですね。
私のやる気を左右するのは「肉体のコンディション」なんです。

肉体のコンディションが落ちると、やる気は出ようもないです。めちゃめちゃモチベ下がります。精神のコンディションより、肉体のコンディションが大事なんです!(逆にいうと、精神はいくらでも自分でアゲられる、持ち直せるとも言える)

つまり、私がやる気にあふれるのは「体力がある時」なのです。
体力があれば、何とかなる!
体育会系脳筋なら大丈夫!!

やる気を起こすには、まず肉体のコンディションを整えること。
そもそもの基礎体力をつけること。
健全な精神は健全な肉体に宿る。

――こんな結論に行きついたのです。
これって、意外と盲点じゃないですか?

ですが、病気してたらメンタル落ちちゃうの当たり前だし、体が元気じゃないと心を上げるって難しいです。もちろん例外はありますけれども、体力のない人って気力もない人多いし。

これとちょっと類似することを有名コンサルティング・ファーム、マッキンゼーで採用マネジャーをやっていた、ちきりn……じゃなかった、伊賀泰代さんも、著書・採用基準 地頭より論理的思考力より大切なもので書かれてるんです。

思考体力も重要です。
「考える」という行為は、高いレベルの気力と体力を要します。

答えの糸口さえ見つからない難問について何時間も考えれば、誰でも頭が働かなくなるし、時には頭を使わないですむ単純作業をやりたいとさえ感じ始めます。頭をフル稼働しつづけるのは、とても疲れることなのです。

コンサルタントのような職業で成功するためには、この思考体力も重要です(中略)。マッキンゼーのパートナーの多くは、高い洞察力や先見性など以前に、身体的、そして精神的な思考体力が突出しています。
彼らは一〇時間を超える飛行機移動を数日ごとに繰り返しながら、その移動中も含めて、ずっと考えています。

しかし、たかだか数時間の議論で疲れてしまうような軟な思考体力では実用に耐えません。現実の仕事では、高い緊張感の中で何時間も議論を続け、体力的に消耗する飛行機移動を繰り返し、時には十分な睡眠時間を確保することもままならない中で、それでも明晰な思考や判断が可能になるだけの体力が必要なのです。

採用基準 地頭より論理的思考力より大切なもの p47~48
太字強調は記事作成者による

そう。
全てのベースって、体力。
体育会系脳筋こそ至高!!!

ヨガだって、そもそもが瞑想に耐えられる筋力や体力を養う目的もあったそうです。正しい姿勢で瞑想するって、柔軟性も必要だし筋力も意外と必要だったりします。

だって、「体の力を抜いてリラックスしたときに、自然にすうっと姿勢を保てる筋力」って、盲点だけど重要ですよ。「はい、リラックスして~」って体の力を抜いた時にグニャ~って前のめりになっちゃう人は、体幹保てないですもの。

背中が丸まった姿勢だと、瞑想中に寝落ちしやすくなります。
体の力を抜いてリラックスしても自然と良い姿勢保てるだけの体幹ができてる人は、瞑想中にあんまり眠くならないです。姿勢が保てているとクンダリーニ・エネルギーを通しやすいことはもちろん、集中しやすいし変な妄想もわき起こってきにくいです。

だから、スピリチュアルも、意外と肉体ベースなんですよ。

坐禅や瞑想を行う時って、まず何をするか思い浮かべてください。
姿勢を整えて、呼吸を整えますよね?
心の状態を整えるのではなく、体の状態を先に整えるのです。心ありきではなく、体ありきなんです。

肉体のコンディションを整えることで、精神集中がはかどる。
つまり、やる気が出る!

基礎体力ない人って、心も弱い場合があります。何かはじめてもすぐ辞めちゃう人、続かない人って、実は体力のない人も多いんですよ。心が弱いんじゃなくて、体が弱いことが問題だったりするケースって、意外と多いのではないでしょうか。

「飽きっぽい」とか「根性がない」とか「気合が足りない」とか、そういうふうに言われる人って、心が弱いんじゃなくて体力がないケースもあるのではないでしょうか。

実は年収の高い人って、体力のある人だというデータもあるそうなんですよ。
確かに、経営者ってジム通うよね!!
やっぱ体育会系って素敵な人が多い!

もちろん、体が弱くても気力があればカバーできます。
しかし、体力ないのに気力があるっていうのも、レアケースなのではないでしょうか。少なくとも私は、体が弱ってる時は気力もわきません。

そもそも、インスピレーション(天啓)を受け取るのにも肉体のコンディションは大切だと思いませんか?

私は「頭痛いよ~。お腹痛いよ~。体が重くてだるいよ~」って時より、肉体のコンディションが整っている時(痛みや疲労感などがない時)のほうが、断然色んなことに気づきやすいです。

高次の存在は常に私たちを愛してくれていますし、常に導いてくれています。ですが、その愛を私たちが「キャッチできるか」というと話は別です。受け取れないと、素通りしちゃいます。

その「高次の愛(メッセージ、恩恵)を受け取る条件」の一つとして、「肉体のコンディションが整っていること」も挙げられるのではないでしょうか。

もちろんそれはあくまでも条件の一つであって、そうじゃなきゃ受け取れないということではありません。あくまでも一要素です。

インスピレーションを受け取って気づきがあると、シンクロニシティも起こりやすくなる。シンクロニシティやセレンディピティが頻繁に起こるようになると「目に見えない大きな流れが自分をサポートしてくれている」という充実感を得られるようになる。すると、人生に対する使命感がわいてくる――つまり「やる気が出る」。

このポジティブなサイクルを上手く回していくための一つの鍵が、肉体のコンディションを整えること、基礎体力をつけることなのではないか。そんな仮説を考えています。どうでしょうか。

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