願いを叶える陰の力~坤為地

人生:スピリチュアルブログ
写真AC

易経で全部陽の「乾為天」。
その次に来るのが全部陰の「坤為地」です。

坤為地は「坤は元いに亨る」という言葉で始まります。願い事が叶って大いに上手くいく大吉の時であると告げています。

乾為天もそうです。乾為天の時は、龍が大きくなっていくように成長していくことが成功につながります。

しかし、この坤為地の時はその真逆。
「牝馬の貞に利ろし」
つまり、「メス馬のようにおとなしくしてなさいよ、そしたら流れが巡ってきますよ」という時、つまり「特に向上心も持たず毎日地味に生きてたら運が巡ってくるぞ」という時なのです。

「夢」を「現実」にするために

努力もしないで上手くいくなんて
そんなの頭お花畑の理想論ですよ!

なんて思った方もいらっしゃるかもしれません。
特に、優秀なビジネスパーソンほどそう思いますよね。
私も同意です。

しかし、高度経済成長期の日本ならいざ知らず、2020年代の今にはこの坤為地の「頑張らずに流れに委ねなさい」マインドって、大切になってくるとも思うのです。

だって、今、私たち、「3年後・10年後にこうしよう」と目標を立てて、そのロードマップを計画的に消化していける時代に生きてると思いますか?
2022年に35年ローンを組んで、マイホームを買う勇気がありますか?

なかなか難しいですよね。
だって、コロナは起こるしウクライナ戦争ははじまるし、もう何が何だかわけわからないではないですか。卑近なところでは物の値段が上がりまくるし。

そういう時だからこそ、スピリチュアルなアプローチが必要になってきます。物質面で正攻法に努力して積み重ねても、なかなか結果がともなわない――というか、そもそも「こんなはずじゃなかったのに!」という予想外の変化が大きく起こってしまう時勢だからです。

だから、ルースのマジックをご紹介しました。

マインドフルネス+ビジュアライゼーションで願望をこの三次元世界に実現化する。そんな視点も、こんな混迷の世にあっては馬鹿にならないと思いませんか。

少なくとも「人生に予想外のミラクルを呼びこむことができる」とわかれば、生きることに対する希望がわきます。「もう先が見えてつまらない人生」ではなく、「何が起こるかわからないワクワク人生」になるのです!

そのために、実は、この「坤為地」の陰の教えが大切だったりします。
そう、天を信じて委ねることが。

天の流れを信頼する大地の従順さ

私も、この仕事をはじめたころからずーっとガイド(指導霊)の導きに従って生きています。

もちろん自分の意思で動きたくて動くこともありますが、それは結構傍流(やってもやらなくてもいいこと)だったりして、そんなに成果は出たりしません。

一方で、上の人(ガイド)のいうことに「???なんでそうなるの?意味わからない」と思いつつ従うと、ビックリするようなシンクロが起こったり「そんなこと無理でしょ」って思ってた不可能が可能になったり、色んな奇跡が人生を彩るようになりました。

何より一番の奇跡は、私がこの仕事一本で15年以上食べられているということです。びっくりだよ!!!

いや、だって、そんなん無理でしょ何言ってるの~って思ってましたから……。

相手に寄りそわないできついこともビシバシ言うのに、そんなんでお客なんか来ないでしょ~。しかも広告宣伝しないで口コミとリピーターで回してくって、どう考えてもあたおかよね~。集客の大変さ、ナメ過ぎ~!もっとさあ、マーケティング勉強しようよ!!

くらいに思ってたんですよ。
なのに、上の人は「必要な人は導かれてくるから待ってなさい」っていうんですよ。「待ってなさい」って!アホか!待ってて客が来るわけない!!!

……って、思ってたのに早15年。
このお仕事で生活させてもらってます。
なんて奇跡なんだ。意味がわからない。人生ってすごい!

そんなかんじで、「天に委ねて信じる」ってなかなか難しいことだったりします。だって、意味わからないでしょ。現実的に合理的に論理的に考えたら、そんなの不可能ですよ。無理ですよ。

だけど、その無理が起こるのがスピリチュアルな奇跡なんですよね。高次のエネルギーを三次元にグラウンディング(降ろ)した時に起こる奇跡なんです。

そして、そういう奇跡を起こそうとするときには、結局この坤為地の精神が大切になってくるのです。牝馬の貞に利ろし。天が与えてくるものは最善であると信じて、目の前の今日をコツコツと生きなさい、と。

そう、「願いがどう叶うか」とか計算しちゃいけないんです。そんな自分の脳みそで想像できるような範囲内のこと起こったところで、大したことなんかおこりゃしない。奇跡なんて無理。

奇跡が起こる時には「えっ!?うそ!?本当に!??」って偶然が偶然を呼んで、全てが一本の線になったかのようにスルスルスル~と道が開けて上手くいきます。

そんな状態を呼びこむのが、牝馬の貞。
ただひたすら信じて従う。
一見理不尽でも、黙って従う。

これです。
この忍耐と従順こそが、最大の善を引き寄せるのです。

これって、グリム童話の「忠臣ヨハネス」や旧約聖書の「ヨブ記」の示すところと非常に似ています。

グリム Grimm 矢崎源九郎訳 忠義者のヨハネス

忠臣ヨハネスとはどんなお話か。こんな感じです。

ヨハネスは王様を守るために、さまざまな行動を起こします。
王様や周りの臣下はヨハネスの行動の意味が分かりません。
しかし、ヨハネスはその意味を明かせません。明かすと、自分が呪いにかかって死んでしまうからです。王様を守るためには、理由を明かさないまま理不尽なふるまいをせねばならなかったのです。

はじめは「ヨハネスのやることだ。何か意味があるに違いない」と信じていた王様も、ついにはブチ切れて「処刑じゃー!」とヨハネスを絞首刑にすることにしました。

どうせ死ぬなら、もう秘密を話してしまおう。
ヨハネスは、自分の数々の意味不明の行動が、実は王様を守るためのものだったことを打ち明けます。そして呪いによって石になってしまいます。

王様はヨハネスの命を賭した忠誠に心を打たれました。しかし、既に時遅し。ヨハネスは石になってしまいました。
王様はヨハネスが生き返ってくれたらどんなにいいか、王妃と悲しみに暮れます。

そうすると、石になったヨハネスが「あなたの二人の子ども(王子)を殺してその血を私に塗れば生き返りますよ」と告げます。王様と王妃は悩み苦しみますが、ヨハネスの忠義を思い出し、王子たちを犠牲にして血をぬります。

すると、ヨハネスは生き返り、なんと殺した王子たちも生き返りました。
すべてがそろった幸せの中、みんなで仲良く暮らしましたとさ。

――ざっとこんな感じですね。
これって、「高次のメッセージを信じるという試練にさらされる自分」のメタファー、プロセスそのものだなと思うんです。王様が私たち三次元の人間で、ヨハネスが高次の導きです。

ヨハネスは人ならぬものからのメッセージを受けとり、それを知ったうえで王様に接します。しかし、凡人である王様はその意味が分かりません。

一時は「ヨハネスのやること、意味があるはず」と信じてみたりもしますが、あまりにも理不尽なことが重なると「お前なんか信じられん!!」と処刑しようとすらします。

でも、そこに横たわる深い意味に気づくことができた時、王様はヨハネスこそが自分にとって一番の幸福の源であることを知ります。

一度は裏切ったヨハネスを取り戻すためには、「最も大切なものへの執着を手放すこと」を求められます。物語内では王子の命です。

その難しい試練を受け入れて、最も大切なものを手放した時、一番大きな奇跡が起こります。そして、手放したものすらまた手に入ります。

これ。
本当に、高次の導きに従う人間のプロセスそのものだと思いませんか。
私は自分の経験から実感をもって、そうだと感じています。

ヨブ記(口語訳) - Wikisource

同じく、ヨブ記もそうです。
善良なるヨブも、天から散々散々散々な目に遭います。
だけどヨブは信じ続けるのです。神のやることを。

すると、最後にはものすごい幸福、奇跡がヨブを包みます。

高次の導きは、時に不可解です。
私たちのエゴは自分なりのロードマップ《計画表》を勝手に作り、小さなことでそこから外れると「おかしい」と思いたがります。高次の導きを信じず、「不安だ不安だ」と言いたがります。

そして、一番大切なものを失う羽目になるのです。
結局何も手に入らず「ほら、やっぱりだめだったじゃないか」と天に唾することになるのです。

坤為地の教え「牝馬の貞」を貫くことができれば、天は地に何でも与えてくれるというのに……。

自分の「内なる陰」をレベルアップさせてますか

なぜ、私たちは高次の導きを、自分の内なる声(直感)を信じることができずに、つまらない道・決まりきった道・予想のつくたいして面白くない道にはまりこんでしまうのでしょう。

それは、自分の内なる「牝馬」を飼いならしていないから、かもしれません。

牝馬ひんば牡馬ぼばにくらべ、扱いにくいといわれます。
繊細でわがままで、反抗心が強く、多少のことでは観念しません。しかし、一度人を信頼して馴れたら、百パーセントの能力を発揮して一生懸命働きます。

こういうことから、天の働きを徹底して受け入れて、したがうという大地の働きにたとえて牝馬が登場するわけです。

超訳 易経 陰―坤為地ほか p128

人を信頼する牝馬は、疑うことなく指示に従ってくれます。時には自分がやりたくないと思ったことでも、けなげに応えてくれます。

しかし、訓練されていない牝馬は繊細でわがままで反抗心が強いのです。

「本当に上手くいってるの?証拠を見せなさいよ!」
「本当にあなたがガイドだっていうなら、今から雨を降らせて見せてよ!」
「さあ、高次の力とやらを見せてちょうだい。この水を今からコーラに変えて!」

洗練されていない陰の力とは、こんな状態です。
心に壁を築いて「ほら、やっぱり無理じゃない」「ほら、やっぱりダメじゃない」「いいから証拠を見せなさいよ!」「私の不安を取りのぞきなさいよ!メンケアして!!」と、上手くいかない言い訳を見つけ出しては文句をつけます。

とことん、陰キャ。
とことん、ネガティブ・マインド。

そして、最後には勝ち誇ってこういうのです。
「結局こんなの無理なんだ。自分なんて所詮、何やったって不幸にしかなれないんだ。高次の力なんて無い」

一方で洗練された陰の力には、忍耐力がそなわります。すぐに納得できなくても信じ続ける受容性も持ち合わせます。執着せず手放す力もあります。

確かに、高次の導きに従っているときは挙動不審なヨハネスに戸惑う王様のような状態にもなります。「本当に?大丈夫?どんな方法で願いが叶うっての?」とエビデンスを提示してもらいたくもなります。

しかし、そこで牝馬の貞をもってして「信じて待つ」。
この洗練された陰の受容性を発揮すると、予想をはるかに超えた実りを手にすることができるのです。

「あれは良いけどこれはダメ」なんてジャッジをしないからこそ、最善へと導かれる。
だって、大地は雨・風・太陽・種――えり好みせずに全てを粛々と受け入れるからこそ、実りをもたらすものなのだから。

陰を楽しめる それこそが「豊かさ」

私は先日、大通BISSEの徳光珈琲でコーヒーを楽しみながら本を読みました。恥さらし 北海道警 悪徳刑事の告白です。

以前、丸山ゴンザレスさんの動画で稲葉さんが出ているのを見まして。

「何この大人の色気!?やっば!やっば!何この人!!!かっこよすぎる!!!」と、「警察・消防・自衛隊とばっか付き合ってきた女」である私はメロメロになってしまいまして。

ど真ん中です、稲葉さん。
超絶好き。
餃子耳、好きー!!!(マニアかな)

そんな不純な動機で手に取った恥さらし 北海道警 悪徳刑事の告白。まさに「事実は小説より奇なり」。並大抵のサスペンス小説よりも面白くてスリリングで一気に読んじゃいました。

警察の不正についての告白なんですから、面白がるのも不謹慎ではあるのですが……。でも、私、警察のそういう体質に関して「けしからん!」と怒りの感情がわいてくることはなかったんですよね。「いや、そうだよね~」って納得するというか。

まあ、昔から、そうだよね~、みたいな。
元彼見てたら、わかるわかる~って感じ。
(海外の警察と比べると、日本の警察って非常にクリーンだとは思うんですよ、私……。賄賂を積まなくても動いてくれる警察って、すごいと思う)

そんなふうにエキサイティングな読書を楽しみながら、ふと視線を上げると緑と青が飛び込んできました。
徳光珈琲の大通店では、大通公園が一望できるのです。

抜けるような青空と、生命力あふれる美しい新緑。
このコントラストに、私はほうっとため息をつきました。
「今、私は、とても豊かな時間を過ごしている」と感じました。

こうやって「仕事をしない時間(お金を生み出さない時間)」をゆったり味わえるようになったのも「陰の時」を過ごしたからです。「陰の時」を味わうことの大切さを知ったからです。

お恥ずかしい話なのですが、私はこの仕事をはじめてからしばらくは、ちーっともお金が入ってきませんでした。言い換えるとお客がやってきませんでした。セッションの予約はゼロ。そんな日々をずーっと過ごしてきました。

毎月毎月減っていく預金残高を見ては、焦っていました。
「こんなに仕事が来ないなら、バイトしなくちゃ」とも思いました。

しかし、上の人(私のガイド)は「何言ってるんだ。働くな」とストップをかけるのです。時間は有り余っているのだから、バイトでもなんでも「やればお金が入る手段」はいくらでもあるのに、「働くな」と。

私はそれまで、かなり忙しく働いてきました。元々働くことが大好きなので、そうやって忙しい日々に充実感を覚えていました。忙しいと、自分はちゃんとやっていると安心できました。

それが、上の人的にはNGだったのです。

「働くときは忙しくしてもいい。しかし、働かないときは忙しくしてはいけない。ゆったりとただ在ることを味わえないと、本当の心の豊かさ、自分の内側に黄金が眠っていることに気づけないよ」

つまり、「仕事をしない時期」を作って、だらーんと力を抜けるようになってほしかったようなのです。それが、私は苦痛で苦痛で。

だって、昔から「朝起きて近所走って学校行って授業受けて、ウォーミングアップに3キロ走ってから部活(テニス)のメニューこなして、家帰ってご飯食べたらまた夜中まで勉強して」みたいな、一日中スケジュールぎっちり!生活に慣れてたんです。

基本的に、私は「泳ぐの休んだら死ぬマグロ」なんです!!
エネルギー値250越えの身強人間なんです―!!!

そんな、私に、「働かずにただぼーっとしろ」だなんて……。
ひどい!苦行です!!!
働きたーい!ビジネスこそ我が人生!!

……なんですけれども、半年もいっこも仕事が来ないといい加減あきらめもわいてきます。上の人に従ってボーっと毎日過ごすことで、「目に見えない波」を感じることができるようになってきました。

端的に表現すると「宇宙が私を養ってくれるのだから、お金の心配なんかしなくていいんだ」という気持ちがわいてきたのです。すごい安心感。ホッとする感覚ですね。

この感覚がわいてくると、面白いことに仕事が入りだしました。お金がやってくるようになりました。
「休むことが上手くなると、働くことも上手くなった」のです。

さて、そんな日々から約15年が経ち、私はカフェで読書を楽しみながら風景の美しさに心打たれることができていました。

これも、「陰の時」を過ごしたおかげです。「牝馬の貞」の大切さを、経験から学んできたからできること。

せかせかずっとバリキャリで働いていたら、こんな豊かな時間は過ごせなかったでしょう。そもそもこの本を手に取ろうと思わなかったでしょう。だって、私のビジネスに直接関係する内容ではないのだもの。そんな本を読んで時間を使うなど、合理性に欠けます。

以前の私のままだったら、風景を見ても、抜けるような青空と美しい木々の緑を見ても、そんなことは素通りでせかせか歩いて通り過ぎたことでしょう。何の印象も抱かないまま。

理不尽だと思っても、不合理だと思っても、ただただ諾々と従う。
そんなプロセスを通るからこそ、人生の本当の豊かさ、自分の内にある本当の豊かさに気づくことができるのかもしれません。

坤為地は、そんな、大切なことを教えてくれる卦なのです。

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