天から気を地に降ろすと「現実」になる

人生:スピリチュアルブログ
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こちらの本、古武術で毎日がラクラク! 疲れない、ケガをしない「体の使い方」
古武術の作法の応用で、体幹を上手く使っていくテクニックが満載な一冊です。

「重い荷物を軽々持ち上げられる」とか「痴漢に腕をつかまれたらどう逃げるか」とか、実用的なテクニックが色々と載っています。それももちろん楽しいのですが、武術家・甲野善紀さんの哲学がまた素晴らしくて。

ぜひぜひあなたにも知ってもらいたいので、ご紹介します!

頭でわかっていることを、「腹落ちする」には

私が「深いな~!」と嘆息したのが、甲野先生の哲学、つまり「生き方」について。

甲野哲学の源泉は、師匠の「灰色」の青春だった。

人間の運命は、最初から決まっているのか、否か。
悩み抜いた甲野青年は、模索の果てに、人間の運命は、決まっていて自由だ、と確信した。

しかし、それはあくまで頭でのこと。体感ではあやふやだ。
そこで、そのことを実感するために武術の道に入ったそうだ。

古武術で毎日がラクラク! 疲れない、ケガをしない「体の使い方」 p133
太字強調は記事作成者による

深いでしょう!
このあたりの経緯を知りたい方は、武道から武術へ 失われた「術」を求めてに詳しく書かれています。なぜ甲野先生が玄米菜食になったのかの理由も書かれていますので、興味のある方はぜひお読みください!

このね、甲野先生の「頭ではわかっているけれども体ではわかっていない、だから体で理解しよう」という思想が、もう、素晴らしい!!!

そうなんです。
今の世の中って学歴社会で「学校の勉強ができればそれでいい」的風潮があるでしょう。「頭でわかっていればそれでいい」的な。

既に偏差値なんて数字は、本当の頭の良さ(地頭の良さ)を示す指標とは必ずしも言えません。偏差値の高い大学に入るのに必要な能力は「いかにお受験システムを理解してテクニックを身につけ解答できるか(出題者の意図を読んで出題者の望む解答ができるか)」です。残念ながら「自分の頭で考えて自分の頭で答えを出す」ではありません。

実際に、東大卒でも地頭悪い人っているんですよ。ビックリするけど。

「東大卒」は最強の学歴ではなかった! 『東大なんか入らなきゃよかった』 | BOOKウォッチ
 先日、昨年亡くなった文芸評論家・加藤典洋さんが書いた『オレの東大物語 1966~1972』(集英社)をBOOKウォッチで紹介した。東大時代の友人とはほとんど付き合いがなく、「東大はクソだ!」とこき下ろしていたのが印象に残った(自分も「クソだった」と韜晦しているが)。  加藤さんは全共闘世代。学生時代とその後のギャップ...

今の世の中って、正直、コミュニケーション能力が貧しいと学校のお勉強ができても人生詰むんですよね……。成田悠輔レベルの天才なら話は別ですけれど。

やはり、今の時代はコミュ力が生命線
実際に社交的な人って、素敵ですもんね♥
人脈を作れる「人間力のある」人って、私、尊敬しちゃいます!

話を戻して、「頭でっかちで理論ばかりではだめだ。体で腹落ちしないと意味がない」この甲野先生の思想がなぜ素晴らしいのか。それは、「頭にたまった気をはらに降ろす」と、現実で花開くからです。

頭に気が偏って(別の言い方をすると”頭に血がのぼって”)頭でっかちになると、何が悪いのか。
「グルグルグルグルグルグルといつまでも考えているばかりで、ちっとも行動に移れない」
これです。これが最悪。

口先ばっかりで、体が全然動かない。
やるやる詐欺になって、人から信用されない。
なぜなら、行動が伴ってないから。

やりたい気持ちはあるんですよ
でも、どうしても動けなくて
なぜなのだろう?

それはエネルギーが頭にばかり行ってしまって、体に行き渡らないからです。
だから、いつまでも頭でグルグルグル考えてるだけで行動できません。結果、現実は何ひとつ変わらない……。涙

そんな状態を打開する解決策。
それが、運動。
そう。脳筋 is the BEST!!!

図のように、運動をする(体を使う)と頭に偏っていた気を下に降ろすことができます。「グラウンディング」できます。

実際、私は運動しないと、心が落ちこんで行きづまっちゃいます。ですから、しょっちゅう歩きます。歩くと、スッキリ明るくポジティブになれます。「なんとかなるさぁ」って思えるのは、運動のおかげ!

地下鉄3~4駅分、多い時で10~15キロくらい歩きます。たま~に、一日中、30キロとか歩きます。

歩いていると何がいいかって、「天(頭)の気を地(肚)に降ろせる」ことです。例えば、歩くとブログ記事のネタが降りてきます。

「よくそんな長い文章が書けますね」とお言葉を頂くことがありますが、考えてなんか書けないですよ! 頭でグルグル「何を書こうか」と考えると、思い浮かびません。思い浮かびます? 私は無理です……。

私の場合、頭でっかちになってたら文章は書けないわけですね。「降ろ」さないと書けない。つまり、脳筋になれば降りてきます。IQ3になる。

もう少し真面目に言い換えると、気が「天(頭)」に在る状態だと「モヤモヤして言語化できない」になります。それを「地(肚)」に降ろすと「易経の山火賁の記事を書こう」とか「ユング心理学の記事を書こう」とか「ガーシーの考察面白いから書いておこう」とか、具体化(細分化)します。

エネルギーが地に降りると、言語化できるのです。

なので「モヤモヤモヤモヤしちゃって言葉にできない」という方は、ぜひ運動してみてください!
脳筋は最高のソリューション!
レッツ筋トレ~~!!

君も真性脳筋になろう!!!
パワー!ハッ!!!(笑顔)

ちなみに、私が最近はまってるのは、見様見真似での「なんちゃってフラダンス」「なんちゃってベリーダンス」です♪

運命はすでに決まってる?決まってない?

甲野先生の哲学で、もう一つ素晴らしいな~と思ったのが「運命」への考え方です。つまり、「人間の運命は、決まっていて自由」。

この考え方、スピリチュアルとか占いとか興味のある方全員にお知らせしたいです。その通りすぎて。

「人間の運命は、決まっていて自由」
甲野先生のこの言葉の通り。
決まっているけど、決まってない。

どういうことでしょうか?
意味が分かりません

と、頭が???になりますよね。
ですが、本当にそうなんです。

魂は生まれる前に人生の青写真を決めてきます。だから、そういう意味では「人間の運命は決まっている」です。

でも、占いや予言が外れるように「人の運命は自由」です。
人間は、自分の意思によって未来を変えることができます。

だから、「人間の運命は、決まっていて自由」なんです。
本当に、その通りなんです。

青写真は決まってる。
人生の使命も決まってる。
だけど、どのレベルまで魂を成長させられるかは自由

例えば、「数学を学ぶことが使命」としましょう。(あくまでも「例」ですよ!ガチでそういうことはあんまりないですよ。笑)

生まれたときはゼロレベルです。1+1もわかりません。
でも、成長して学んで、レベルアップしていきます。
だけど、そのレベルアップがどのくらいになるのかは自由、つまり、「その人の生き方の選択によって決まる」のです。

小学校の算数レベルで終わるか、大学の数学レベルで終わるか、天才研究者レベルまで到達するか。
それは、その人次第。だけど、「数学」というレールは決まってる。

図のように、赤色(低次)で終わるか、紫(高次)まで到達できるか。それが「自由」なんです。その人の生き方の選択で変わってきます。だから人生は自由。運命も自由。でも、決まってる。

私は人間の力って、すごいって思ってます。
選択によって発揮する自由意志の力って、すごいと。

私が「細かいことまで占いを使ってほしくない」と思うのは、ここなんです。
型(占い)は大事。しかし、型(占い)にはまりすぎると実戦(人生)で役に立たない。

先ほどの「頭で考えてばかりでぐるぐるして動けない」も、「型(占い)にはまりすぎると実戦(人生)で役に立たない」と同じ状態です。

「今日のご飯にのせるのは梅干しにすべきか納豆にすべきか」なんてことまで占いで決めてたら「そのくらい自分の身体に聞きなさい」って話でしょう。

だから、なんでも占いで決めたり「スピリチュアルなお告げ」に頼らないと動けない状態って、すっごいよくない!って思ってます。甲野先生がその理由をこう表現されています。

人の一生はビッシリと書きこまれた予定表のようなもの。ただし裏は真っ白で、われわれには裏側しか見えない。

表をのぞこうとすると、予定表の本体が変わってしまう。
これはコップの湯の中に入れた温度計を想像するとわかりやすい。温度計が入ったことで、入れる前の湯の温度を微妙に乱してしまう。

古武術で毎日がラクラク! 疲れない、ケガをしない「体の使い方」 p133~134
太字強調は記事作成者による

そうなんです。
「表をのぞこうとすると、予定表の本体が変わってしまう」
これ、量子力学を学んでいる方はよくわかるでしょう。「粒子だと思ってたら粒子が観測される」し、「波形だと思ってたら波形が観測される」んですよ。

あなたの意思の状態によって、未来は変わる。
運命をあまりにも細かく知ろうとし過ぎると、結局そこに囚われることで人生は暗転していく。

逆に、例え占いで「運気が悪い」と言われる状態でも、その状態から自分の内なる深い流れをつかむと「思いもよらない奇蹟」に出会うことになる。
「人生って、こんな素敵なサプライズをもたらしてくれるんだ!」って感動に出会える。

西洋占星術家の松村潔先生は、ホロスコープを高次に至るまでのはしごとして使おうと提案しています。「途中」まではホロスコープが助けてくれると。その先は自分の魂の力で跳躍せねばならないのですね。しかし、はしご(補助輪)があるとないのとでは段違いだから、ホロスコープ(もしくは四柱推命とか東洋占術の命式でもいいよと松村先生は言っています)を途中までは使ったほうが助けになると。

これも、そういうことなんだと思います。
占いに頼って「今年は七冲の巡りの年だから、あまり動かないで慎重にしよう」とか自分を縛ってガチガチにしちゃうと「その範囲内」のことしか起こらなくなっちゃいます。人生に新鮮な風を吹き込んでくれる生命力が失われてしまいます。

だけど、占いやスピリチュアルみたいな「目に見えない流れ」を実感して「ああ、なんとなくこういうときはこうだよな」と感じておくことも大切なのです。どっちも意味がある。行きつくところ「人間の運命は、決まっていて自由」。

甲野先生の言葉は本当に深いです。
それは頭で考えた言葉ではなく、肉体を駆使して体得した言葉だから。
地に足がついている人って、魅力的ですね。

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