医師として「濁りを生きる」覚悟

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東京都
K様
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Nozomi様

先日はカウンセリングありがとうございました。
あれからいただいたアドバイスをもとに試行錯誤しながら日々を過ごしております。

今回セッションを受けようと思ったきっかけは、医師として科学的思考を第一にせねばならない原則がありつつも人間相手の仕事で科学で割り切れないことが多い臨床の場で自分の気持ちをどのように整理していけばいいのか迷っていたからです。

本のご紹介もありがとうございます。
Nozomiさんの記事で本は必要な時に必要なものがやってくるという話をされていましたが、まさに今自分に必要な本でした。

脳外科医の本だけあって「神経可塑性」といわれるとスピリチュアルな表現よりもしっくりきます。思考が現実を作るというのも、神経可塑性によってといわれると納得いきます。

この本の中に「傷や痛みには目的がある。心は傷ついた時に開く」とあり、まさに自分が今必要としていた言葉でした。そして、自分の仕事は治療目的であっても人の身体を傷つける仕事です。そのプレッシャーを重く感じていた自分自身に気づきました。

傷つく弱い自分を感じることができなければ、人として終わってしまうという危機感があります。自分は傷ついていない強い人間だと誤魔化したほうが楽ですが。

「焦ってはいけない」
セッションで言われたこの言葉を日々戒めとしています。
成果を焦っては事を仕損じる。人間相手ならなおさらそうですね。

人間らしくありつつなお今の環境で仕事をしていく覚悟。最近の記事にもあった濁りの中を生きるとはそういうことなのでしょう。
大人として折り合いをつけつつ納得いく道を模索します。

ご縁に感謝です。ありがとうございました。

Nozomiより

こちらこそ、ご縁を頂きありがとうございました。

医師とは――いえ、医師だけではなく医療職全般に言えることですが、「哲学」を必要とする仕事だと思います(もちろん、科学的知識は当然大前提として必要です)。

学校のお勉強で理系教科が得意な人が、いきなり文系MAXな哲学を振られても困りますよね。しかし、両立できない話ではないことは、優れた先人たちが証明していることです。

量子力学の父といわれる物理学者、ヴェルナー・ハイゼンベルクも哲学を用いた語りあいを師や仲間と行っています。科学と哲学は対立するものではなく、むしろお互いを高め合うものなのです。

昨今の厳しい医療環境のなかで、医療従事者が心を殺さずに職務に当たるのはますます困難になりつつあります。
しかし、心を捨ててしまうと、喜び亡き灰色の人生が待っているだけです。

濁りの中を生きる。
大切なことですね。
ピュアな心だけでは、生きられません。

ピュアに生きれば、力を得られません。
なぜなら、大地に根を張るには濁らねばならぬ宿命だから。

濁り(泥)を通って咲く、それが蓮の花

きれいごとを言うのではなく現実を見据え、濁った自分を自覚しつつも道を生きていこうとするのは、すごいことです。すごい勇気です。そんな人を、私はリスペクトします。

どうぞ、K様が濁りの中に光を見出されますように。お祈りしております。

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