30年後の「天使なんかじゃない」

人生:スピリチュアルブログ
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30年前の今日、ある伝説のマンガの第1巻が発売されました。
それは、「天使なんかじゃない」。

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超絶、私の青春です。
所属していたテニス部女子の間で大大流行。
みんなで読んで、みんなで泣きました。

当時、自分たちがしていたファッションや友人関係、コミュニケーションのノリが本当にそのまんま!自分も友達もこんな感じ!ってリアルなストーリーで、ティーンエイジャー女子のハートをわしづかみ。

そんな「天使なんかじゃない」、略して「天ない」を30年ぶりに読んでみたんです。すると結構な衝撃だったので、コミックス発売30周年を記念して記事を書いてみます。

世代の方は、ぜひぜひ「天ない」、一緒に思い出してみませんか?
あなたの「天ない」の思い出は、何ですか?

ヤンキーが雨の中猫を拾うマンガなんか無いよね~

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この記事をお読みの方で「天使なんかじゃない」を知らない方もいらっしゃると思います。「天ない」を一言でいうと

ヤンキーが雨の中捨て猫を拾うマンガです。

本当です。嘘じゃありません。
「そんなマンガ、テンプレすぎて実在しないだろう」と思うことなかれ。
真剣に、ヤンキーが、雨の中で、子猫を拾うマンガなんです!!!

ときめきメモリアルGirl’s sideの10年前に、「一見クールそうな男子が捨て猫を拾う」をやってるんです!!!

しかも!
猫の名前!
ミルク!!!(かわいい)

天使なんかじゃない 1 (Amazon) 

信じてください!
嘘じゃありません!!
ヤンキーが薄汚れた子猫を拾ってるんです!!トゥンクトゥンク!!!!(おもしれーやつ)

このシーンは1巻のサンプル時点で現場が目撃できますので、ぜひその目で確かめてください。ヤンキーが雨の中で子猫を拾うマンガは、実在します!

「天使なんかじゃない」どころか天使すぎてやばい

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今回「天ない」を30年ぶりに読み返して思ったことが
「こんなマンガを真面目に読んでた30年前の自分たち、ピュア度がヤバい」
でした。

いや、ピュア。
すごいピュア。
やばいですよ。

確かに私、卒業式で泣きまくって、隣に座ってた柔道部男子から「お前、本当に、大丈夫か?」って心配されてしまう系中学生でした。ピュアだ。

しかも、春休み中ずっと槇原敬之の「三月の雪」聴いて、さびしくて泣いてました。ピュアだ。

今、私はいくつになっても、「ずっとやりたかったこと」をやりなさい。 のワークをやっています。そこで「メモワール」って過去を思い出すワークをするんですね。幼少期から今までを、ずっと。

メモワールをやってると、驚きます。
「私、メッチャ友達多いじゃん!昔から陽キャど真ん中やん!!」って。
ザ・太陽な丙ちゃーん!からのキラキラ天南星!!

10年位前に、私は集中的にインナーチャイルドワークをやっていました。そこで、暗い家族関係のトラウマを思い出すことが多くて。「昔の私って、つらくて暗い思い出多いな……」って印象があったんですね。

しかし、メモワールを通して学校関係や友達関係思い出すと、お陰様でかなり恵まれていて。結構、いつでも友だち、多い。先生も、私のこと助けてくれて。(ありがたい!)

やっぱり自刑人間は家庭の中が辛いんですね。家族と過ごすのは、辛い。外の世界に出れば出るほど、遠くに行けば行くほど幸せになれる。それが自刑人間。

そんな風に無邪気に友達の中で笑ってた当時の私は、「高校行ったら絶対翠みたいになる!」って思ってました。

うれしい!
たのしい!!
だいすき!!!

ピュアですね……本当に。

ただ、実際高校入ると、現実はそうはいかず。生徒会ってすごい真面目な人の集団って感じで。「天ない」的な雰囲気は全くなかったですね……。もちろん生徒会には入りませんでした。夢破れました。笑

なんで女捨ててる格好のほうが、出会いがあるのか

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今回「天ない」読んで「ああ、そういうことなんだ!!」ってすっごい腑に落ちたことがあるんです。

それは、「なぜ自分は勝負服(モテ服)を着ているときに男運がないのか」問題の解。

10代の頃からなんですけど、私って女っぽい格好してる時に男性と仲良くなれません。なぜか。

しかし、ライトサマー×ソフトエレガント×ウェーブなんですよ!?女性らしいコンサバ服、似合うはずですよ、だって顔タイプソフエレですもの!女性らしいパステルカラーのキレイ色、似合うはずなんですよ、ライトサマーだから!

なのに、気合の入ってないジャージとかTシャツとかデニムとかでスッピンでダラッとしてる時に、割と男の人と縁があるんです。私自身はロングヘアが好きなんですけど、ショートヘアの時のほうが男性と仲良くなる率高いんです。

逆にキレイ目のスカートとかワンピースとか着てる時は全然縁がありません。話も弾みません。
普通は女性らしい格好をしたほうが男性と縁があるはずなのに!

この謎が、「天ない」読んでて解けました。

私、翠と晃のカップルに実はあまりピンとこないな、と思ったのです。もちろんもちろん、物語の中でのカップルとしては素敵ですよ! けれども、自分自身は晃と翠みたいなカップルの形になりたいなとはあまり思わない、というか。

翠と晃の組み合わせは、ホットロードの和希とハルヤマに似たものを感じるんです。水平関係ではなく垂直関係。「私はあなたについていく」

ホットロード 3 (Amazon)

「じゃあ、当時私が『自分もこんなカップルになりたい!いいな!』って思ってたのは、誰だった?」そう思いだしてみたら、実果子とツトム。ご近所物語。

ご近所物語 1 (Amazon)

「なーるーほーどーなー!!」と自分の中で、すごく腹落ちしました。

私、翠と晃みたいな「男らしい男と女らしい女のカップル」になりたいわけじゃないわけですね。それより実果子とツトムみたいな友達カップルになりたいわけです。

だから私、こすぱっしょん・ゆりえちゃんとタクミくんのカップル見ててもしっくり来るわけです! ああいう空気感、好き。

それならキレイ目でフェミニンな服着てる時より、カジュアルかつ辛口な服着てる時のほうが「友達ノリ」で男性と仲良くなりやすくなりますよね。
非常に納得がいきました。

さすがは矢沢あいマンガ。
気づきをありがとう!

矢沢あいマンガをつらぬく「暗い父性の影」

ここから少し真面目に「天ない」の話をします。

30年前の私が気づかなくて、中年になった私が今「天ない」を読んで感じたこと。それは「父親」を求める翠の姿でした。

どうも、翠と晃の関係は対等には見えません。そもそも晃が高校生としては大人っぽすぎることもありますが。

翠は「大人の女性」であるマキちゃんと晃の関係を心配します。
自分よりもマキちゃんと晃がお似合いだと感じてしまうのです。

天使なんかじゃない 4(Amazon) 

それは、当然でしょう。
「父親」を求めている「女の子」の翠からしたら、大人の(母性ある)女性であるマキちゃんこそが大人の(父性ある)男性である晃にふさわしいと感じるだろうから。

ご近所物語 2 (Amazon) 

先ほど挙げた「ご近所物語」では、主人公の実果子はツトムと対等な友達カップルです。翠が晃に見ているような父性は、ツトムにはあまり感じられません。それなりに頼りないです。笑

しかし、「父性」のテーマはやはりここでも見え隠れします。徳ちゃんは理想的な父親のように実果子やツトムに接しますし、実の父親との関係性も感情を伴って描かれます。

ご近所物語 4 (Amazon)

ご近所物語の中で、この父性の問題は父と母の再婚によって丸く収まります。
しかし、ここで父と復縁する母はそもそもが「年齢を重ねてもなお少女のような女性」だったりするのです。

翠と晃のような「少女ー父」の結びつきが、ここでも繰り返し描かれます。

NANA―ナナ― 1 (Amazon) 

NANAでも、やはりどこか「父性の欠損」を感じます。

ハチとタクミの関係性において、タクミは父親らしくはあれません。父親であることを、優先できません。育ちのよいお坊ちゃんで”いいお父さんになりそう”なノブを、ハチは選ぶことができません。

ナナとレンのどこか共依存的な関係の中で、レンは父親のように優しく大きな愛でナナを包みます。しかし、そんなレンは事故に遭います。その前にハチの子の名づけを行っている、というのが象徴的です。名付け親、すなわちゴッドファーザー

NANA内で晃や徳ちゃんポジション、安定した父性を感じさせるキャラはヤスです。誰よりも「父親」を求めていそうな少女性の強いキャラ、レイラは、やはりヤスを選ばず父性をくれないタクミを求めます。

NANAの女性たちで父性に包まれる可能性を感じるのは、百合くらいでしょうか。非常に不毛なものを感じます。「Good father」を選ばず「Good gene」を追い求める女たち。

なのに、心の底では父親を求めている。
一番父性をくれない男を選ぶのに。
ああ、二元性の世界、極まれり。

ねえ、ナナ。
あの頃の私たちは
幸せになれるって信じてたよね……?

これは本当に勝手な私の妄想なのですが、NANAでレンとナナの結末を示唆することで、矢沢先生の心はどこか限界をこえてしまったのかもしれない、と思います。入退院を繰り返してなんとか頑張ってきた気力が、ぷちんと切れてしまったのではないかと。

本当に、ただの妄想で、戯言です。本気にしないでくださいね。

でも、当事者(少女)としてではなく大人の目線で矢沢あい作品を眺めると、「父性を求めて、でも得られない少女」の叫びを感じてしまうのです。それは、私の考えすぎでしょうか。

そしてこれらの矢沢あい作品が、当時の少女たちの心をつかみ、熱狂的な支持を受けた事実があります。いわゆる昭和的家庭、サラリーマンの父と専業主婦の母の元で育った少女たち(もちろん私自身を含む)に、「父性の欠損」の影があったのではないでしょうか。

精神的に未発達な少女が父性的な愛を獲得したがる。
心理学用語でいうところのエレクトラ・コンプレックス。

一見非常にポジティブで明るい商業作品である「天ない」も、「父性を求める少女」という視点を加味すると、NANAのような深い影を感じてしまったりします。考えすぎなのでしょうけれども。

矢沢あい作品は、NANAやParadise kissでいきなりビターになったわけではないのでしょう。天ないの頃から、いやもしかしたらラブレターやマリンブルーの風に抱かれての頃から、父性への影はあったのかもしれません。

少女ならどの年齢でもつねに自分の創造的な能力を男性に投影し、恋人の目に映し出されたものだけを自らの姿として見てしまう。

彼女は英雄と恋に陥る。
その英雄とは、彼女の無意識的な可能性を具現化したものである。

彼は彼女のために闘い、その願いをかなえ、そして望ましくない状況から救い出してくれるのだ。

恋に陥るのはつねに投影の結果である。
それは、相手への尊敬とか評価といった成熟した感情などではなく、その人が自分自身の一面を愛してしまったということである。

そして、相手が投影による要求に応じきれなくなったとき(投影に応じるのは誰にとっても不可能なことなのだが)、その投影は破綻する。
相手の実体が見えてきて、人は戸惑うことになる。
「私は彼(彼女)に、いったいなにを見ていたのだろう」

女性が恋人によって投影された偶像から生身の女になるためには、意識的に投影を破らねばならない。つまり、放棄されるか犠牲にされなければならないのだ。

恋人の中に見える性質は、実は自分自身の内側にあるものなのだということを認識しなくてはならない。そうすれば女性は、自らの女性性とのつながりを失うことなく、内なる神性に秘められた成熟した男らしい強さの価値も認められるようになる。

反対の原理を統合することによって、成熟した女性は自分の内なるエネルギーがより豊かになっていくという経験をする。

聖娼―永遠なる女性の姿 p92~93

ちなみに、今年2022年の夏、「矢沢あい展」が開かれます。

どうぞ、現在の矢沢先生が愛に包まれて幸せでありますように。

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