私は昨今の「好きを大事にしよう!」ムーブメントに疑問があります。
「人口オーナス期の日本で満足のいく人生を送る戦略」としては、あまり有効ではないと感じているからです。
人口の減っていく社会で、ただ何となく過ごしたり「好きを大事にしよう」「今日も推しが尊い」で過ごすと、長期的には、シンプルに生活レベルが落ちていくことになります。
「ふつう」にしていると落ちていく、それが人口オーナス期だからです。

そんな人口オーナス期でも
精神的にも物質的にも豊かに生きるには
どうしたらよいのか?
鋭いあなたは、こう思われたことでしょう。
人口オーナス期の日本でも精神的にも物質的にも豊かに生きる。
それには、この「好きを大事にする」の逆をやればよいのです。
好きじゃないことにも興味をもって情報収集する。
好きじゃない相手に自分との共通点を見いだす。
このことは、実はスピリチュアルな実践でもあります。
マヤの言葉で「インラケチ」。「あなたはもう一人の私です」ということです。心理学的な言い回しをするならば「シャドウを統合する」ということです。
脂ぎったオッサン相手にこそ、学べること
ある女性は、ガーシー(東谷義和)さんに対して嫌悪感をあらわにしました。

こういう脂ぎったオッサンって一番苦手なんです
なんか輩っぽくて怖い
素晴らしい!
これは、この女性にとって魂に一番必要な要素をガーシーさんが示しているということです!
自分の内側に「脂ぎったオッサン」がいることを素直に認めることができれば、下品極まる輩な自分が存在していることを見つけ出すことができたら、この方は魂の全体性を取り戻すことができるでしょう。
「好きを大事に」していたら、ガーシーさんのことは「興味がない」とスルーしてしまっていたでしょう。危ないですね!
ちゃんと「この人いやだな」って心に引っ掛けることができたからこそ、自分の魂には何が必要かをキャッチできたのです。すばらしい!
このケースでいうと「男性的な力強さ」「ガツガツと生きる情熱的なエネルギー」「逆境にあっても自分を貫く強さ」を、この方は学ぶべき(取り入れるべき)時期にあるということ。
その要素を持ち合わせた男性(ガーシー)が目の前に現れたから、不快感を覚えたのですね。自分のシャドウを否定したくて。否認したくて。(そして否認するとまた同じパターンを繰り返す……)
「自分とは全く違うと思うような人の中に、自分自身を見つけ出す」
この課題をクリアしていくと、人口オーナス期の中でも豊かに暮らしていく糸口が見つかります。
一言でいうなら「視野を広く持つ」こと。
視野を広く持つには、好きなことだけではいけません。好きじゃないこと、興味がない分野にもアンテナを立てていくことが大切になります。
自分とは違う? いいえ、それは”もう一人のあなた”です。
定年退職後の男性の多くには、友達がいないそうです。
在職中にあった人間関係は実は心ではつながっておらず、仕事をやめると人間関係の貧困に陥るというのです。
ほとんどの男性には、仕事を辞めた後も付き合いが続く人間関係はほぼいません。深刻なのは、現役の時に友達がいると錯覚している人ほど、仕事を辞めた途端に「俺は友達がいなかったんだ……」と突然思い知らされ、大きな絶望を感じてしまうことです。
身も蓋もない言い方をすれば、退職後の高齢男性の末路は、友達もなく、趣味もなく、生きがいもなく、やることもなく、さりとて何かを始めようとする意欲もなく、ただ毎日テレビを見て過ごすだけの抜け殻となります。
その最大の被害者が配偶者(妻)です。今まで会社だけに依存してきた夫が、退職後は今度は妻に依存するようになるからです。私はそれを高齢男性特有の「妻唯一依存症」と名付けています。
そうなってしまった夫は、分かりやすくいえば幼児と一緒です。妻の買い物についていこうとするし、やたらと構ってもらおうとするし、ちょっとでも相手にしないと不機嫌になって怒り出したりします。唯一の依存先である妻に見捨てられることを極端に恐れるからです。
「誰も話せる相手がいない」日本の既婚男性が次々と発症する”見えない病”の正体【2021下半期BEST5】 友達ゼロ、趣味ゼロで1人ぼっちに (2ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
うーん。
やっぱりコミュニケーション能力って、幸せな人生のためにはなくてはならないですね。改めて思います。
10年位前の話ですが、経営者の勉強会のこと。グループ内で持ち回りで講師を務めて、自分の専門分野をレクチャーするという方式で勉強会をしていたんです。
私の専門は占い・スピリチュアルです。
でも、その場にいる経営者の方は9割くらい男性でスピリチュアルな話をされても異文化すぎてちょっと咀嚼しにくいかもな、と思いました。
なので、私は「心理学的アプローチ」の話をしようかと提案したんですね。

こういうふうにコミュニケーションを取れば部下とスムーズに話ができますよ、という方法をお話してはいかがでしょうか。商談の時はこう、部下と話すときはこう、とポジション取りなんかも変えると効果があって面白いですよ。
この提案に、経営者の男性方はポカーン。

え、ええと
コ、コミュニケーション……ですか?

はい!
プライベートでも奥さんやお子さんと心を通わせるツールとしても心理学的アプローチは有用です!

でも、部下にするのはコミュニケーションではなく命令ですよね?
商談相手にもコミュニケーションではなく、戦略が大切なのであって、立場がものをいうでしょう?
それに、妻子に対して下手に出たら舐められますよ。
私はこの(非常に素直な)反応にショックを受けました。
経営者男性の方々は「コミュニケーションなど無用。上から権力で抑えつければいいものだろう」と本音では思っていらっしゃったわけですね。
これは、10年前の話です。
今は、違うと思います。
今は、コミュニケーションの積み重ねこそが大切であることを熟知していらっしゃる経営者の方がほとんどだと思います!
でも、10年前の経営者がこうであったように、団塊の世代をはじめとする多くの男性が「人間関係は対等なコミュニケーションの積み重ねではなく、命令による上下関係である」と認識してらっしゃったなら……。それなら、上の記事のような「退職後の人間関係の貧困」に陥ってしまうのも、理解できます。
そして、ここからが問題です。
ここで、「そうよね、オッサンって最低」で終わってしまったら、視野の狭い人間になってしまいます……。
この「コミュニケーション能力が低くて、モラハラパワハラ気質で、友達のいない魅力に乏しい老年男性」の気持ちに共感できてこそ、「インラケチ」あなたはもう一人の私であるといえるのです。スピリチュアルに全体性を統合できるのです!
相手によりそうには、相手を知ること
でも、単純に考えたのでは「コミュニケーション能力の低い高齢男性が悪いのだ。コミュ力磨いてこなかったのならば、自業自得でしょう?」で終わってしまいます。
そこで、「なぜ団塊の世代をはじめとする老年世代が、あんなふうなディスコミュニケーション人間になってしまったのか」その背景を読み解いてほしいのです。
彼らがどんな音楽を聴き、どんな本を読み、どんな社会を生きてきたのか。

そもそも、あれだけコミュニケーション能力が低いということは「コミュニケーションの必要のない環境で生きてきた」ということです。コミュ力が必要な環境でしたら、さすがにああいう人間にはならないでしょう。
彼らが就職した1970年代に流行った広告がこれです。

男は黙って!
強烈ですね。
こんな価値観ではコミュニケーションのコの字も出てこなくて当然です……。
戦後の産業は第二次産業が主役でした。
団塊の世代の中卒者は「金の卵」と呼ばれ持てはやされました。
いいですか。
中卒が金の卵なんですよ。
そんな社会背景を生きてきた人たちなんですよ。他世代の価値基準からずれるのは、当然ですよね。
団塊の世代と話をしても全然通じない理由が、少しずつわかってきたでしょう。
本当にこの日本の話?同じ国の話!?ってくらい違いますよね。
そんな”違う世界”を生きてきた人たちなんです。
「団塊の世代」とだけ見てしまうと「なんか特殊な人」で終わってしまいますが、当然のことながらに団塊の世代にも親がいます。その親は「戦中派」です。
戦争を体験してきて、軍隊的なシステムで動くことで社会に適応してきた人たちです。
団塊の世代はこの戦中派に反抗します。親世代に対して「親たちが生きてきた世界は違う。自分たちはそうじゃない新しい時代を生きるんだ」と思うのは自然なサイクルです。ミレニアル世代やZ世代だってそうでしょう。
若き団塊の世代の気持ちはこうでした。
戦中派の暗い価値観を乗り越え、新しく明るく素晴らしい世界を作りたい。
そう、戦争の無い世界を。

そうして、一生懸命学生運動をして世の中を変えていこうとします。
しかし、そんなピュア過ぎる想いは手痛い挫折に終わります。
結局は親世代の作ったシステム「軍隊的序列を組み込まれた企業」に飲み込まれていくわけです。
そんな中で、心を殺して「これが現実だ」と受け入れて生きていくしかありませんでした。心さえ殺せば、金は入ってきました。日本は右肩上がりの時代だったからです。
上司からの命令におとなしく従い、部下には上から命令していれば良かったのです。年功序列で給料は上がり、終身雇用で生活も安泰でした。出世できなくても窓際族で毎日耐えていれば良かったのです。
こんな環境で、コミュニケーション能力、育ちますか。
無理でしょう。
こういう高齢男性の孤独を見て「だってコミュ力低いから当たり前でしょう。上から目線の根性論なんていらないです」と一刀両断してしまうのは、少々浅薄な行為です。彼らはそういう時代を生きてきたのであり、その結果こうなっている。それを理解したなら、簡単には批判できないと思いませんか?
むしろ、自分も1947年に生まれていたら、そういう人になっていたかもしれない――そのような想像力の豊かさこそが「コミュニケーション能力の高さ」です。そのような想像力こそが、視野の広さをもたらします。
その視点があってこそ「インラケチ」といえます。
団塊世代の男性も、「もう一人の私」なのです。
女装してみたら、見えない世界が見えた
ドイツ人のクリスチャンという男性は、女装して「クリスチアーネ」として1年間暮らしてみるという「実験」をしてみました。
クリスリアーネに女装した男性を、女性たちは温かく「自分たちの一員」として受け入れます。女子会に参加したクリスチアーネは、ギスギスした男性コミュニティとは違う温かい雰囲気に癒されます。
でも、「女子のホンネ」を聞いているうちにクリスチアーネはあることに気づきます。「男の自分は、ここに苦しんでいたのか」ということを。
彼は、「女性たちが求める男性像」に自分が苦しんでいた事実に気づくことになる。
「弱い男にはイライラする」
「いちいち『抱いていいか』と聞いてくる」
「強い男でありたいのに、甘やかされたいって、サイテー」“クリスチアーネ”に対し、口々に男性への不満を漏らす女性たち。“クリスチアーネ”はこの時、それまでの人生において、男性であるクリスチャンとして感じてきた違和感の正体に気づいたのだ。
「女性を強引にリードしながら、足元にふかふかのカーペットを広げてくれる強さと優しさを兼ね備えた人物を男に求めてはいけない。そんな重圧、男には耐えられない。(中略)それでなくとも、子どもの頃から立派な男になることを押しつけられるのに。期待が大きすぎるんだよ」(前掲書より)
THE HOPE 50歳はどこへ消えた? 半径3メートルの幸福論
そう言って、女性たちに男性としての悲鳴を伝えるのだった。
これって、「パーフェクトな娘を望む母親」みたいな話ですね。上の文章を言い換えてみると、こんな感じ。
彼女は、「母が求める娘像」に自分が苦しんでいた事実に気づくことになる。
「勉強しない娘にはイライラする」
「もう25なのに彼氏の一人もいないのよ」
「結婚したのに、孫の顔がまだ見れないの」“クリスチアーネ”に対し、口々に娘への不満を漏らす母親たち。“クリスチアーネ”はこの時、それまでの人生において、娘である自分として感じてきた違和感の正体に気づいたのだ。「勤勉で自立心あふれ高学歴バリキャリでありながら、結婚して子どもを産み仕事と家庭を両立する強さと優しさを兼ね備えた人物を娘に求めてはいけない。そんな重圧、娘には耐えられない。(中略)それでなくとも、子どもの頃から立派な人間になることを押しつけられるのに。期待が大きすぎるのよ」
そう言って、母親たちに娘としての悲鳴を伝えるのだった。
10代の時には「恋愛するな、ふしだらな娘だ」と言い、20代の時は「恋愛して早く結婚しろ」と言い、30代になったら「まだ孫の顔も見せないのか(二人目はまだか、男の子はまだか)」。
あれだけ勉強を頑張っても、報われない。20代になったら「仕事なんかがんばったって仕方がないでしょう、女の幸せは結婚なのよ」と、簡単に手の平を返す母親。ありとあらゆるベクトルの能力を360度娘に求める、厚顔かつ貪欲な母親。
こんな仕打ちを、無意識のうちに自分も異性に対して行ってしまっているなら――痛いところですが反省せねばならないですね。
ね、インラケチ。
あなたはもう一人の私です。
男性の生きづらさは、女性の生きづらさにも通ずるのです。
視野の広さを持てば、相手の気持ちに寄りそえる
さて、3つの事例を挙げてきましたが、全ての事例に共感出来ましたでしょうか。できるようになってほしいです。コミュニケーション能力が高くて想像力豊かなあなたならば、きっとできるはず!
そうやって想像力豊かに相手の気持ちへ寄り添うことができれば、視野はどんどん広がっていきます。魂の全体性を取り戻していけます。
そして、視野が広がれば、世界が見えます。
「この人口オーナス期の世界で、自分がどうやって生きていけばいいのか」も見えてくるのです。自分がどのポジションにいれば、一番生き生きできるのか、豊かに生きられるのかが見えてくるのです。
ぜひ、視野を広げてください。
世界を知ってください。
「興味ない」「わからない」「知らない」をやめてください。
そうすれば、あなたは「自分の立ち位置」の最適解を導きだすことができるのです。