易経は「時の移り変わりの解説書」です。
春が来て夏が来て、秋が来て冬が来る。そのような変化のパターンを説いている書です。
「こんな時にはこんなことが起こるし、こんなことがあったら次はこうなるよ」という宇宙のシクミを解説してくれます。
当然、良い時もあれば悪い時もあるわけです。
その中でも「メチャクチャ辛い!無理!」という状態を示す”四大難卦”があります。人生には、そんなきつい時もやはり巡ってくる、そんな時はどう過ごすべきかを教えてくれる四卦です。
- 水雷屯:はじめがつらい
- 坎為水:ずっとつらい
- 水山蹇:途中がつらい
- 沢水困:終わりがつらい
いや、字面だけで辛いですね。
私、最近易経の勉強のために月初めに卦を立ててるんです。冬至にも立てました。
そして、何度も目にする卦があります。今の私のテーマなんですね。
そのうちの一つが、この水山蹇。つらい。
リアル八甲田山。それが水山蹇。
水山蹇の卦は、六十四卦の中でも四大難卦の一つであり、険難を表している。
「蹇」は寒くて足が凍え、前に進めないこと。
加えて険しい雪山に道を阻まれる。すでに苦しみの渦中にあって平常心を失っているところに、さらに道が閉ざされる状況である。
易経一日一言 竹村亞希子 p47
水山蹇の卦は、山の上に水があります。水(困難)が山にせき止められて、流れることもできない。にっちもさっちもいかない状態です。
大げさではなく、八甲田山行軍のような状態が「水山蹇」の時となります。
「天は、われわれを、見放したーッ!!!」
つ、つらい。
見てるだけでつらい。
水山蹇とは、そういう時なのですね。
人生にはそういう、「どうあがいても前に進めない時」が来る。それは自然の理であり、実りの秋の後には厳しい冬が来るのと同じ。避けることはできないわけです。
そんな苦しい状態になったら、もうおしまいじゃないか。
何をやったって無駄なんだ。
そう自棄になりたくなるようなときが水山蹇の時です。
でも、易経はこうも言います。
「易は窮まれば変ず。変ずれば通ず。通ずれば久し」
厳しい冬に凍えても、必ず春がやってくる。
明けない夜はない。夜明け前が一番暗い。
そうやって、移り変わるものがこの世界なのだと説くのですね。
実はOSHOも似たようなことを言っています。
“This too shall pass.”
「これもまた過ぎ去る」と。
問題は
これもまた過ぎ去る
悲しみが訪れる
喜びが訪れる
そしてすべては去っていく
これも、「窮まれば変ず。変ずれば通ず。通ずれば久し」ですね。
嫌なことがあっても、やがては過ぎ去ります。辛い時があっても、やがては過ぎ去ります。
でも、水山蹇のときは、今がつらいのです!
やがてそれも終わると分かっていても、今がつらいのです!
このつらさ、どうしたらいいんだ!
そんな解決策も、易経は授けてくれます。
何をやっても上手くいかなくてつらいときの過ごし方
水山蹇のような「何をやっても上手くいかない、前に進めない時」の解決法。
易経ではそれをこう言います。
険を見てよく止まる。知なるかな。
そもそも、冬の八甲田山に気軽に挑んじゃいけないわけです。天候悪いかな?って思ったら行軍をやめることこそが真の勇気なわけです。前に進むことだけが正解ではない! それを水山蹇では教えているのですね。
「あ、今は何やっても無理だな」
そう感じたら、一旦やめる。
それがこの辛い時期に大切なことなのです。
この険難を見極めて止まることは、優れた知恵である。
易経一日一言 竹村亞希子 p47
苦しみの中に止まるには、よほど腹を据えなければならない。しかし、一旦腹を据えてしまえば、見えなかった脱出の道が見えてくるものである。
あと、この卦では「南西が吉、北東が凶」とも言います。
そのまま風水的に南西に行ってみる(北東を避ける)のもいいかもしれませんが、もう少し深い意味を掘ると、こんな感じです。
- 南西:堅実になるエネルギー
- 北東:変化を起こすエネルギー
つまり、南西的なふるまいや心がけが良いということです。「質素で穏やかに暮らして、力ある人の助けを素直に受けなさい」ということですね。
そして、今はなかなか上手く事が回らない時なので、そんな心に余裕のない時に自分から変化を起こす(例:転職、引っ越し、結婚など)と、余計にいっぱいいっぱいになっちゃって大変ですよ、と。
進むも退くもできない水山蹇の状態とは「エネルギー不足」も示します。そもそも、エネルギーに満ちているならば北東にいってポジティブな変化を起こすことだってできるのです。それができないほど、耗弱した状態が水山蹇。
ですから、止まって実力を蓄える。基礎力をつける。
そんなことも水山蹇の時には必要です。
もちろん、この時期はやってみたところでなかなか芳しい成果は出ません。ですが、冬のあいだに木々がしっかり深く大地に根を張るように、目に見えない努力を地味にコツコツ、堅実に積み重ねてこそ、春になったら花が咲くということですね。
死の闇に落ちるからこそ再生の光は訪れる
私は水山蹇の卦を得て、現実にも欝々とした低空飛行の日々を過ごしていました。
一番の問題点は、「成功に対する恐れ」。
実は、前に立てた時の本卦は雷天大壮だったんです。
勢いがあって、上手く行っていて、しかも「こうなったらいいな」ってことがちょっと、叶っちゃうかも!って状態でした。
「本当に叶っちゃうかも!すごい!嘘みたい!」という昂揚感。
そのあとには、まさに嘘みたいな落ち込みがやってきました。
「どうせ、やったって上手くいかないよ」
と、言いたがる自分が出てきたのです。
「成功することに対する恐れ」
一番厄介なもの。
多くの人が、成功したい成功したいって言ってるけど、全然成功しない。
それって、実は自分の内側で「成功することへの恐れ」に負けてしまってるケースが多い気がします。
実は成功する、上手くいくことがすごく怖い。「どうせ自分なんてダメだから」とネガティブで生きてる方が、楽だから。その状態が辛くても惨めでも、慣れ親しんだ毎日を繰り返すのって、楽なんです。
成功したら、変化が訪れます。
変容が訪れてしまいます。
変化に対する怖れって、ものすごいです。例え、それが成功に伴う変化であっても。
私は、今、夢みたいに魔法みたいなことがちょっと起こっています。「人生、すごい!」みたいに感激するようなことがプライベートで起こっています。
同時に、その状態から逃げたくて仕方がない自分がいます。変化せずに、このままでうずくまっていたい自分を痛感します。
だから、水山蹇。
前に進むも後に退くもできない。
とにかく、とどまって、天に委ねることを学びなさい、というミッション。
つまり「恐れを手放して流れのままにいけばいい」のに、自分の意識の深いところでブレーキをわざわざかけて「どうせ上手くいかないよ」と言っているわけです。わざわざ。
易経(天地否)では、「天下無法の乱世が来るのは人災である」といいます。
そうなんです。別に、外側(天)の状況は何も自分に敵対なんかしてない。自分を乱しているのは、自分の心です。自分自身が、最大の敵。人災。
そんな状態で、悶々と過ごしていると、ある日印象的な夢を見ました。
同世代の男の人が、溺れた状態で運び込まれる。
私は「背中を叩いて水を吐かせていいですか」と聞く。許可が出たので、男性を横向きにして水を吐かせる。
男性はぐったりとしていて土気色になっている。背中を叩くと臭いにおいのするドロッとした黄土色の水を大量に吐く。水を吐いていくと生気が戻って肌の血色が戻ってくる。
元気になった男の人は、また海へと戻っていく。(多分、漁をする)
私は夢の中での男性(アニムス)との関わりにここ半年くらい注目していて、その中でもかなり印象的な夢でした。
男性は浅黒い肌のたくましい感じの人で、まさに漁師!という感じです。
そんな男性が(夢分析では無意識と解釈されることが多い)海で溺れて瀕死になる。そして、私の元で復活を遂げる。
すごく象徴的な夢だな、と思いました。
さて、この夢を見たまさにその日の午後。私はちょうど読んでいた本に「夜の海の航海」の記述を見つけたのです!
朝、神の英雄が東から生まれ、日の車に乗って天上を運行する。西では偉大な母が待ち構えていて彼を呑み込んでしまう。暗い夜がおとずれ、その間に英雄神は真夜中の海の底を航海し、夜の怪物と凄まじい戦いをした後、朝になると、再びよみがえり東の空に現われるのである。
この神話に典型的に示されている死と再生のテーマは、英雄が一つの仕事を成就しなければならないときに、まず経験しなければならない苦難の体験としても表わされ、英雄が怪物に呑み込まれてしまって苦心する話となっても多く存在している。
ユングは、この暗い、苦しい過程を「夜の海の航海」(night-sea journey)と呼び、これが夢分析の過程にも、よく生じることを指摘している。
河合隼雄 ユング心理学入門 p187
これ!
私の見た夢は、これだ!!
思わぬシンクロニシティに興奮しました。
アニムスの死と再生。
それは、私にとって勇気づけられるテーマです。
なぜなら、私は昨年からアニムスに注目して夢を見て(記録して)いました。その理由が「私のアニムスは去勢されてしまっている」と感じていたからです。
私は疑似長男として母から男の子のように育てられてきた面があります。勉強を頑張りいい大学に入っていい就職先を見つけなさい、女は男に劣るだなんて古い考えは打ち破りなさい――そんな育てられ方をしてきました。
母は大変成績優秀だったのですが、高校卒業後に「進学したいなら奨学金を取れ」と学費を出してもらえませんでした。母は奨学金を取って進学し、就職後に自力で返済しました。
でも、母の弟は、親の援助で大学に行かせてもらえました。弟は現役では志望大学に合格できなくて、何年も浪人生活をしました。しかし、それも許されました。「長男」だから。
優秀じゃなくても男なら無条件に援助してもらえるのに、優秀であっても女は援助してもらえない――そんな悔しさが、母にはあったのだと思います。
だから娘の私に「男に負けるな!」と発破をかけたのでしょう。
ですから、私は多分にアテーナ的、アマゾネス的な女性として育ってきました。強さは女のものであって、男のものではなかったのです。そして悪いことに、アニムスを形成する元となる父は「ATM扱いされるロボット」で、家庭の中で尊敬されない存在でした。
私の中に、男性的力強さが形成される余地はありませんでした。
だから、私の夢の中に出てくるアニムスもひ弱で情けない、脆弱な感じの男性像が多かったのです。
そんなアニムスの復活を感じさせる夢を見れたこと、それが私には非常に嬉しいことでした。
ユング心理学の用語でいえば、彼だけが、「夜の海の航海」から再生し、無意識の深部から隠れた貴重な宝物を得て帰ってくることができた。そしてそれを可能にしたのが、スセリビメというアニマの助けだったということになりますね。だからこそ、彼は次の段階で、ウロボロスからの自我の自立、そして個性化の過程を踏み、自己実現を達成できたと考えられる。
日本神話の思想―スサノヲ論 P185~186
夢の中で、私という女性が、アニムスである男性に水を吐かせて復活を手助けしました。そして、元気になった男性は私の元にとどまるのではなく、ウロボロス的な太母に飲み込まれるのではなく、私の元を去りまた海へとチャレンジしていきます。
海(無意識)にのまれて死の危険を味わってもなお、またチャレンジするそのガッツ!
さすが私のたくましい勇敢なるアニムス!
体育会系脳筋大好き!!
漁や釣りというのは、海(無意識)から、魚(自分のエネルギーになるもの)を取り出す作業です。海に飛び込んだら死んでしまう(無意識に呑まれて精神が壊れてしまう)けれども、釣りや漁によって自分がとりこみやすい海のエッセンスだけを引き上げるわけです。そして、釣った魚を食べることによって一部の無意識を統合できるのですね。
これが、依存的、マザコン的ではない自立した精神の男性(アニムス)を思わせ、私は余計に嬉しく思いました。
そして、夢を見た次の日から、ぱたぱたぱた、とまた物事が巡るようになったのです。仕事の予約もどっと入って、「これは示し合わせたのか?」と思ったくらいです。いえいえ、お客様は知り合い同士ではないから、そんなことはないはずなのに。(でもそういうシンクロって、けっこうあることです)
実は、今回の水山蹇は火雷噬嗑の互卦として出たものでした。 火雷噬嗑は「きちんと裁きなさい」という卦です。嫌なことを嫌とはっきりする卦とも言えます。
言ってみれば、父性原理を必要とする卦です。「何が正しくて何が間違っているか」刑を決めて罰を与えるのは、切り分ける父性原理の力によります。許して飲みこんで曖昧にしてしまう母性原理の対極です。
その父性原理を手に入れるために、取り戻すために、私は海に沈んだアニムスを助け出す必要があったのでしょう。
そして、面白いことに、火雷噬嗑らしい警察署長が出てくる夢も見ました。そんな父性的な権威を感じさせる男性はめったに夢で見たことがなかったのに。
う~ん、これは「地球星座:山羊座」を育てるプロセスとも取れますね。興味深いです。
私の中の男性性の形も変化し、成長しているのだなと感じました。
そして、その復活のためには水山蹇という辛いプロセスがイニシエーションとして必要だったのでしょう。
悪い卦はない。
全ては必要な卦。
魂の成長を助けるプロセスです。