創作で癒される人と癒されない人の違いって?私が勘違いしていた誤解とは

人生:スピリチュアルブログ
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私は今、ずっとやりたかったことを、やりなさい。のワークをしています。

このワークの中で、何度か「○○を5個あげなさい」とか「××の理由を10個あげなさい」とか、そういう課題が出てくるんですよね。
そこでちょっと思ったんです。

Nozomi
Nozomi

私が素敵だって思う人って
どんな人なのかな?
10個あげてみよう!

  1. 仕事に情熱をもっている人
  2. 自分でビジネスを動かしている人
  3. 生き生きと生命力にあふれる人
  4. 体を鍛えている人
  5. 学びに対して貪欲な人
  6. 社会適応しつつ精神性を大切にできるバランス感覚
  7. 清濁併せ呑む大人!
  8. 人間関係構築が上手い人
  9. 初対面の人ともすぐ打ちとけるオープン・ハート
  10. 好奇心旺盛で引き出しの多い人

うーん、面白い!
私は「成熟の大切さ」というものを最近痛感していますが、それが良く出ていますね。成熟した大人って、格好いい!

思ったんです。
「白黒はっきりしないでいられる度量の広さ」
これこそが大人の魅力なんじゃないのかな、って。

白黒はっきりしないというのは「陰陽どちらかだけに偏ってしまわない」ということです。
陰も陽もどちらも持ち合わせる。だからこそ、この世界で花開くのだと。

なんで創作してるのに癒されないの!?単純脳筋な私の落とし穴

私ね、以前は「創作推し」してたんですよ。
アートによって人は癒されると。
私自身も、創作によって癒されてきた人間なので。

創作をすることで、自分の深みを知る。
それによって、癒されて統合される。
そうしたら、現実でもっともっと輝ける!

そんな風に思っていたんですね。
実際、私はそうだったから、余計に固く信じていました。

しかし、私は単純脳筋過ぎでした。
そう、私すごく外向性の強い人間なんです。体癖5型の典型!
せっかちで何事もすぐやらなきゃ気が済まない。考える前に体が動いてる!

そんな外に外に外に向かおうとする私が、内に内に内に向かう「創作」をすると、すごくバランスが取れるんです。今スピリチュアルな仕事してるのも、まさにこのバランスだと思います。本来は現実面で実業で生きていきたい人間なのに、精神世界に行くことでバランスを取られている。

外にばかり向かっていた人間が内側に「外」を見出したら、その時には奇跡が起こります。

イエスは彼らに言われた。”あなたがたがふたつのものをひとつにするとき、そして、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、そして男性と女性とをひとつにし、男性がもはや男性ではなく、女性が女性ではないようにするとき、そしてひとつの目の代わりに目を、ひとつの手の代わりひとつの手を、一つの足の代わりにひとつの足を、ひとつの像の代わりにひとつの像をつくるとき、あなたがたは神の国に入るであろう”。

トマスの福音書 22

創作活動は私に多大なる癒しとステップアップ、気づきをもたらしてくれました。それを、私は愚かにも「みんな創作やろうよ!癒されるよ!」って言ってしまったのです。単純過ぎる……。

それが大きな間違いでした。
お恥ずかしい限りです。

私は昔から体育会系で、友達作るの大得意なパリピで、みんなとワイワイやろーぜ!ノミュニケーション最高!ってタイプです。わかりやすく陽キャ!です。

エネルギーは外に発散!
モヤモヤしてても汗をかいたらスッキリ解決♥

そういう体癖5型まるだしな人間が内向性を獲得するからこそ、大いなる奇跡が起こったわけです。一方で、元から内向的な人がより内にこもる創作をやっても、下手するとバランスを崩してしまうこともある。私はそんな配慮に欠けていました。

なんか、創作をすすめても全然癒されない人がいるんです。むしろ創作することで現実とより乖離してしまう――心が閉じちゃって悪い方向に行ってしまう人を、一定数見たのです。

創作をする人たちの傾向をSNSで見ていただければ、あなたにもわかることと思います。そういう人たちって、おおむねメンタルが弱くて、いくら物を作ってもトラウマから立ち直れなくて、結局は傷つきやすい(生きづらさを抱えた)ままです。

創作をしても、それによる成長は見られません。
ハートが閉じていて、愛が巡ってない、寂しい状態……。

Nozomi
Nozomi

えっ……
な、なんで?
創作して癒されていったら、メンタルも強くなって自己肯定感爆上がりになるじゃん!?どうしてそうならないの!!?

私には訳が分かりませんでした。
自分の身に起こったことが、なぜ他者には再現されないのだろう?と。

その疑問の答えは、ユング心理学がくれました。

長期にわたっていわゆる「深い元型的イメージ」の世界と取りくんだ人が、現実生活では自らの個人的コンプレックス、個人的シャドウに無自覚で、非常に傷つきやすいままであることが多いと指摘するM・ヤコービの指摘も私には納得できるものがある。

講座 心理療法〈5〉心理療法と個性 p100

わあー!
それ!それです!

ちゃんとすごく自分と向き合っている、自己分析もできてる、何だったら夢分析まで自分でやってる、そんな人にかぎってメチャメチャ打たれ弱くてメンタルすぐ落ちちゃうんですよ!

普通、自分と向き合ってトラウマ意識して取り組んでいったら、癒されますよね?
でも、そういう元々の内向性が強くて「自分の内側にこもってしまう」系の人って、創作やったって自分と向き合ったって、癒されないんですよ!

なぜなら、内を深めるの(陰)は十分だから。
必要なのは、外側の経験(陽)だから。

外側の経験によって内側を見てきた自分へフィードバックして、そこに気づき(内は外なんだ!外は内なんだ!)が訪れると、陰と陽の統合が起こって偉大な成長が起こるわけです。ブレイクスルー、人として一皮むけるのです。

創作がためになる人、ならない人~ペルソナ形成の重要性

私、パートナーが欲しいんです
でも、男性の嫌なとこ見えたらすぐ冷めちゃって……
恋愛ができないんです

Nozomi
Nozomi

なるほど~
男性の欠点を見たらすぐに嫌になっちゃうってことは、男性性(アニムス)の状態が気になりますね。
最近、どんな男性が夢に出てきますか?

最近は××、あ、私のK-popの推しなんですけど!××がたくさん夢に出てきます!他にもK-popアイドルとか韓ドラの俳優さんとか出てきて、みんなカッコ良くていつもドキドキキュンキュンさせてくれます♥
夢の中みたいな恋が現実でもしたいんですよね!

Nozomi
Nozomi


ああ……
そういうことですか……

この女性は、アニムス(男性性)との関係が非常に貧弱なことが夢の様子からうかがえました。いわゆる「アニムスに誘惑されている」状態で、アニムスの全体性を受け入れることができない。すなわち、男性の都合のいいところしか受け入れられないわけです。自分をドキドキ♥キュンキュン♥させてくれる王子様しか要らないのですね。

ちなみに、岡田斗司夫さんは「人生で一度は燃えるような恋がしてみたい」という女性に「そんなことを夢見たら不倫するかホストクラブに行くしかない」とアドバイスしています。私も全面同意です。

西原理恵子さんは(20代の頃は一緒にいて成長できる人とか価値観の合う人とか言ってるけど)、40代になったら「殴らない」が男の理想になるとおっしゃってます。これも全面同意です。【参考】【男女の生き方】美人は損? 売れ残りを防ぐ女子の生き残り戦略【西原理恵子・山本一郎・青山浩】

私、最近、男と暮らす価値って「気を供給してくれること」だと思ってますよ。男の気があると、楽なんです。バランスが取れるのか、自分がマイルドになる。話が合うとか楽しいとか稼いでくれるとか「○○してくれるからいい」じゃない。いてくれるからいい。気を供給してくれるからいい。私にとってリアル男の価値は、いてくれることです。私と空間を共有してくれる男性ありがとうございます、という気持ちです。

彼女が「イマイチ」と感じているリアル男性たちは、アニムスとの本当のつながりを回復させるためのヒントをくれているわけです。スピリチュアルにいうなら、ちゃんと「自分の魂の学びに必要な人が引き寄せられてきている」のですね!

夢の中で、アニムスの好ましからぬ面、ネガティブでドロドロしてて弱くて情けない面を見られるようになったら、現実の男性ともリアルにつながれる余地が出てくるのですが、この女性はK-popアイドルとディズニーランドに行ってキャッキャウフフな夢を見ているわけです。内向して、外の現実や無意識に眠るものを受け入れようとしない。

こういうタイプの人に創作をすすめても、「推しとの楽しい夢女子妄想」に終わってしまって、あまり魂の成長はないのです。
なぜなら、内はもう十分なのに、更に内に入っていってしまうから。

ユングは「アクティブ・イマジネーション」という技法を提唱していています。これがまさに「創作活動」なんです。
アクティブ・イマジネーションを知った私は、「そう!これによって統合、癒しが起こるの!まさに創作の力って、ここなのよ!」と興奮しました。

アクティブ・イマジネーションでは、夢に出てきた人物や自分が気になる人物、時には人以外の物や空や海などと対話します。「話をしたい人物」を思い浮かべて、じーーっと静かに、その人物が動きだすのを待つのです。

これって、物語を作る時とまったく同じではないですか?

私は小説を書くときにプロットとか筋書きとか一切書きません。頭から言葉が流れだしてくるので、ダーーー!ってただひたすら出力します。ダーッ!て来てガーッ!て来てバーッ!てしてると、気がついたら一作書きあがってる。そんな感じ。

ゆえにこの「登場人物が勝手にしゃべって勝手に動きだす」という状態は非常になじみのあるものです。「あれってアクティブ・イマジネーションだったんだ!だから気づきがあって癒されるんだ~!」と思ったものです。

アクティブ・イマジネーションって、なんて素晴らしい!
みんなもこれで癒されればいい!
創作ばんざい!

……という認識は、私の能天気で単純すぎる誤認でした。

アクティブ・イマジネーション、創作で癒されていくには「前段階」が必要だったのです。私は元来の性質からその前段階をクリアしていただけで、そこをクリアできていない人にはあまり効果がないことを、愚かにも理解していませんでした。

この技法(注:アクティブ・イマジネーション)の臨床適応については、事前に慎重に考えておかなければならない。

普通は、いわゆる人生後半の課題に取り組んでいる人、そして分析過程の半ば以降に差し掛かっている人を対象としている。それだけで、自我の強さがある程度備わっていることが保証されているからだ。

講座 心理療法〈5〉心理療法と個性 p120
注釈は記事作成者による

あーーー!
なるほど!
そういうことなのか!

ユング派で「人生後半の課題に取り組んでいる人」とは、すなわち「社会適応を済ませた人」という意味になります。人生の前半で社会適応を済ませてこそ、全体性の回復に向かっていけるのだと考えるのです。

人生前半の課題は別の言い方をすると「ペルソナを形成する段階」とも言えます。自分が社会から要求された役割(ペルソナ)を果たせるかどうか、それが重要課題です。社会に適応することが大事なんです。ヒンドゥー教の家住期ですね。

それって、仮面(ペルソナ)をかぶって社会の奴隷になれってことですか?
何だか息苦しい感じがするんですが……

そんな印象を受けた方もいるかもしれません。
でも、ちょっと考えてみてください。
ペルソナ(役割)をまったく演じずに「いつでも自分は自分!」という状態を。

「子どもができたけど、父/母親になんてなりたくない!いつだって自由がいいんだ!」
「教師になったけど、恋をするのは人として当たり前だ!相手が13歳の生徒だとしたって、初潮を迎えた立派な一人の女性なんだ!!」
「警察官になったけど、区民の安全なんて正直どうでもいい!今日は勤務だけどゲームしたいから休んでガチャまわす!」

いかがでしょう。
ペルソナがないって、こういうことです。
まったく役割を演じられない状態とは、少々問題があることを理解していただけたでしょうか。

そして、ペルソナをかぶれない(社会の中での役割を演じられない)人間が創作しても成果の出にくい理由を、専門的視野で説明するとこうなります。

創作活動には、外的ペルソナと内的ペルソナの両面が必要である(中略)

筆者は創作活動を「内的な無意識から出てくるものをそのまま出すのではなく、外的な世界に認められ、受け入れられるようにして、形作ること」を考えておく。この創作活動では、無意識からは内的ペルソナが働き、社会が受け入れるか否かの現実との関係では、外的ペルソナが働いていると言いたい。

無意識から出たものをそのまま出したのでは、単なる本能的、衝動的、未分化なエネルギーのほとばしりにしかすぎず、時には狂気にしかすぎないが、これを濾過するのが、内的ペルソナである。

講座 心理療法〈5〉心理療法と個性 p171
太字強調は記事作成者による

すんごく雑な言い方をすると「空気が読めない人は他者に伝わるような創作ができない」ということですね。ただ無意識から上がってきたものをそのまま表現する(人の目なんか気にしない内向しきった状態)だと、創作したところで「うわあ、あたおか……」と白い目で見られて終わってしまうわけです。

そして、この「自分の想いを(絵なり文章なり音楽なりに)加工して他者に分かりやすい形でアウトプットする」のに必要なのが、ペルソナ(社会的に演じている自分の姿)なわけです。

一回、社会の型にはまる。
社会の要請に応じる。
すると、「なるほど、こういう伝え方すると人は納得するのか」ということがわかってきます。

そこをペルソナを通さず、ただ「自分の想いはこれなんだ!!」って空気読まずに所かまわずエネルギー失禁してしまうと――その現象を、一般的には統合失調症と呼びます。

「ペルソナをつくる」とは、境界面、仕切り面をつくるということになる。まず、思い当たるのが分裂病(注:現在の統合失調症)患者である。

彼らはあまりにも生々しくむきだしなので、それをおおうために「自らの内面を打ち明けない」ことの能力を向上させなければならない。

講座 心理療法〈5〉心理療法と個性 p179
注釈は記事作成者による

これは、じつに、スピリチュアルな神秘体験に関しても言えることです。

私、上の人(ガイド)とお話してるんです!
私って天照大神の生まれ変わりだってお告げが来ました!
Nozomiさん、私があなたを光に導いてあげます!私がアマテラスの道を特別に教えてあげます!あなたは私に選ばれたんです!よかったですね!!

こんな感じのたいへん愉快な方が、春になると、たま~に現れます。
春ってそういう季節ですもんね!
今年もあと2~3カ月くらいしたら来るんでしょうね~。

そういう方に「ご職業は何ですか?」と聞くと、大抵「不登校で引きこもりです」とか「無職です」とか「バイトやってましたが続きません」とか、そんな感じの社会不適合な答えが返ってきます。

なので、私は「スピリチュアルなことよりも、まずは働いて自立して、社会での居場所を見つけてみてください♪」とお返しします。ユング心理学的に言うなら「ペルソナを身につけて人生前半の課題をまずはこなしましょう」ということですね。

ペルソナを身につけて社会で生きていくことを経験して、はじめて全体性への道が開ける。内向的で友達がいなくて社会不適合な人が創作がんばっても、メンタルこじらせるだけで浮上できない理由は、ここにあったのです。

逆に私は、外向的で社交的で自我の強いタイプです。そういう人間だから、アクティブ・イマジネーション――創作活動がはまったのでしょう。創作によって大いなる癒し、気づきがもたらされたのです。

優位であった外向-思考型の私が劣位であった内向-感情性を開拓したのだから、強烈に癒されるのは当然ですね。

誰でも創作をやればいいわけじゃない!
友達多くてゴルフ好きで飲み会大好きな人が創作をやったら、すごく癒されるし気づくし一皮むけるし視野が広がるし、いいことづくめなんです!

一方で、元からインドアで人見知りでコミュニケーション苦手な人が創作やっても、あんまり、たいした奇跡は起こらないのです。むしろ、こじらせてしまう恐れも……。

ああ、なんてこった。
私は浅はかに誤解していました。
内向的な人だって創作で輝けると。

創作よりも、運動のほうが癒される!

実際、内気で人づきあいが苦手で特技は創作、という人に私は能天気に「創作っていいよね!」って話してしまったのです。浅薄に。そして、その女性は二次創作にどんどんはまっていきました。そして、どんどんメンタルを病んでいきました

今って、SNSが発達してるから、自分の作品の評価がすぐ数値化するんですよね。繊細な彼女はものづくりをすればするほど、病んでいきました。ただの趣味なのに!趣味で病むとか不毛すぎる!!

見かねた私は彼女に「書くのやめなよ」と言いました。「ずっと辞めろとは言わないけど、半年は書くことやめたほうがいいよ。そして頭でグルグル考えないために、運動しなよ。近所の区民センターに行ってサークルに参加しな。視野を変えるために新しい友達を作ったほうがいいよ」と。

彼女は創作をやめ、フラダンスのサークルに入りました。創作をしなくなった時間を、踊って費やすようになりました。
すると、見る見る間に彼女のメンタルは回復したのです!

SNSで「いいね!」の数を気にしてた時は伸びても伸びなくても、自分ってダメだ、生きてる価値がないって思ってた……

でも今は踊ってるとすべてと一つになってるっていうか、あたたかいものに包まれてる感覚があって全然孤独感がないの!
フラってすごい!踊りってすごい!
私が求めてたものは文章を書くことじゃなくて踊りだったんだ!

スピリチュアルに解釈するなら、彼女にとって踊りは行き過ぎた内向性をより一段高いエネルギーに変容してくれました。

天の岩戸に引きこもったアマテラスを外界に連れ戻すきっかけになったのは、(グラウンディング力の強い)アメノウズメの踊りだった。日本人にとって踊りとはイニシエーションをもたらす魔力を持つものだ――そう考えてみるのも、面白いと思いませんか?

私は思いました。
内向的な人は創作するより運動したほうがいいのかも?」と。

思えば、リンデンバウムのお客様でも一流のクリエイターさんって、趣味が水泳だったり登山だったりキャンプだったり、プライベートではアクティブな人が多かった……。売れる人ほど、アウトドア派かつコミュ力高い説、あります。

なんてこった。
そもそも、そこの時点で気づきなさいよ!

創作しよう!っていうのは、陽キャで運動大好きで人見知りしない友達の多いパリピ系の人に言うと良いわけです。誰でも創作すれば癒されるわけじゃない……。涙

はぁ~。
考えが浅かった。
申し訳ありません。

私がね、河合隼雄先生が魅力的だな~と思うのは、あれだけアカデミックでインテリジェンスにあふれているにもかかわらず本を読まないってところです。あそこまで頭いい人が本を読まない。すごく意外でしょう。そこが魅力的。

吉田秋生さんもマンガを読まない漫画家です。だからこそ、世界観が独特で魅力的。吉田作品はマンガを読むというより映画を観ている感覚になります。行間に込められた情報を読み取るという意味では、小説的でもあります。

量子力学の父、ヴェルナー・ハイゼンベルクは、物理学者であると同時にピアノの名手でした。ハイキングや登山をたしなむアクティブな面もありました。ただのロジカルな人間ではなく、芸術的な感性に優れ哲学的思考もできる人でした。

そうやって、陰に偏ってる部分を外して陽に持っていく。大学教授が本を読まないで、漫画家が漫画を読まない。内気な人が、外向的な趣味を持つ。そうすることで、唯一無二の存在になれる(ユング的にいうなら個性化する)わけです。

陰陽のバランスを整える、その観点が、大切ですね。
私に欠けていた観点です。気をつけます。

内向的な人は、より外向的に。
外向的な人は、より内向的に。
それでこそ、統合は起こり、奇跡が起こるのです。

だから「ビジネスにスピリチュアリティをこっそり持ち込める人は成功する」という裏事情があるわけです。ロジックや理性、努力と根性で生きてきた人は、感性と感情の翼を広げて創作を行うと、とても良いわけです。

1/19追記

この記事をUPした翌日(1/19)、シンクロニシティで、それを裏付けるようなニュースが舞い込んできました!

それは、今年の芥川賞・直木賞。
元自衛官とダンスの先生の受賞ですっ!
やっぱり、体育会系は、至高!!脳筋こそが大正義ッ!!!

(そして直木賞選考委員の浅田次郎先生も、元自衛官なのであった……!やはり、体育会系脳筋の書く作品は、陰と陽のバランスが良いのであるッ!!!)

私自身も、体を動かした時のほうがインスピレーションの質が上がるというのは実感しております。ジュリア・キャメロンがいくつになっても、「ずっとやりたかったこと」をやりなさい。 のワークにウォーキングを組みこんでいるのも納得です。

良い作品を作りたいあなた!
ガンガン体鍛えて、運動していきましょー!
体を動かしたら、いいインスピレーション、来ますよ♥

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