最近私は岡田斗司夫さんが大好きで、Youtubeで動画をよく見ています。
そこで、約40年前の岡田斗司夫さんの映像を見かけたんですね。朝の情報番組に「ゼネラルプロダクツ」という岡田さんのやっていたお店の紹介で出演された時の映像です。
これが。
ちょっと。
私には衝撃でして。
ちょっとあなたも見てみてください。
1983年、24~5歳の頃の岡田斗司夫さんです。
画質が悪いので、↓こちらの動画のサムネイルのほうがわかりやすいかもしれません。
上の動画のしゃべり方や雰囲気、そして下の動画のサムネイルの画像を見てみてください。
絶句するくらい「昭和の典型的オタクルック」ですよね。
マンガ「アオイホノオ」では、若い頃の岡田さんは↓画像のようにデフォルメされて描かれています。

2006年の「オタク・イズ・デッド」の頃(47歳)も、当時のオタクらしい格好をされています。正直に申し上げて、垢抜けてはいないし、清潔感がすごくあるかというと、そういう感じもしません。
そんな岡田斗司夫が、2020年代の今、めちゃくちゃ垢ぬけているわけです。
「イケオジ」と呼んでも良い清潔感。服装のセンスの良さ。ネクタイへ潜ませる遊び心。

あのー、こう書くと、以前の岡田斗司夫をディスっているように見えるかもしれません。
「やっぱりオタクってキモイ」「デブキモイ」とか言ってるように見えるかもしれません。
しかし、岡田斗司夫さんはデブだろうとキモイ見た目だろうと、彼女が80人いて結婚して子どももいてガイナックスってのちにエヴァを作った会社を立ち上げて、書籍もバンバン出して、Youtubeのチャンネル登録者数70万人突破してるんです。
別にデブだろうがキモかろうが仕事がなかろうが、一定数の女は岡田斗司夫が大好きだし、一定数のオタクは岡田斗司夫が大好きだし、サブカル仲間もいて家族もいて万々歳なわけです。
なのに、あえて、2020年代の岡田斗司夫(正確にいうと2010年代からですが)はキレイ目コーデで垢抜けイケオジをしているんです。ダイエットもするわけです。
別に外見を努力して磨かなくったって、中身で勝負できる人なのに。頭脳の明晰さだけで一生食ってモテていける人なのに。
岡田斗司夫は頭のいい人です。
そして時に冷酷なくらいサイコパスです。
つまり、ロジカルで合理的選択をします。
そんな人が、垢抜けしてるんです。
つまり、岡田斗司夫は「この2020年代を生き抜くには見た目が大切だ」と考えている。あのロジカルで頭のいい人が「見た目が大事」と思っているということです!
その「なぜ見た目が大切か」ということを解説したのが↑この動画のホワイト革命です。アフターコロナの社会はホワイト革命で、ホワイト社会化していくと。
「不倫はNG」というのも、「不倫=不潔であって、ホワイトではない」からダメだというわけです。
動画21:52~
現代において一番いわれてはならないことは
「不潔感がある」ということ
それと同列で、「不潔な感じのする見た目」はホワイト社会では多大なデメリットになってしまいます。つまり、「チー牛は本当に良くない!」と私が最近言っているのもここに通じます。


こういう「あか抜けない見た目」をしているチー牛な人が、本当に不潔なのかというと必ずしもそんなことはありません。毎日お風呂に入って洗濯されてアイロンのかかったシャツをまとっているチー牛スタイルの人も多いことでしょう。
しかし、チー牛的見た目には「不潔感」があるのです。なぜなら垢ぬけてないから。垢が抜けていない=垢がたまっている感じ、とも言い換えられます。必ずしも不潔ではないのに、不潔感があるということです。
清潔感に気を遣っていない感じ、成人であるにもかかわらず未成熟な感じ(「大人なのに中学生ぽい」違和感)、調和していない違和感を与えてしまいます。
実はチー牛は細身です。いわゆるデブではありません。
体型の問題ではないのです。そして、実は顔の作りの美醜の問題さえでもありません。「見た目を整える意識があるかどうか」を問われているのです。
ファッションショーのランウェイを飾るようになった、プラスサイズのモデルたち。

2022年は、ドレスをまとう年。セルライトなんか気にしないで!
プラスサイズのモデルに称賛があつまるのは、ありのままの自分の体形を受け入れるというポジティブな自己肯定感があるから。そして、同時に今の自分の体形において一番美しいルックは何かを探求する意思を感じさせるから。
例え顔の造作がファニーであったとしたって、自分の個性や魅力をわかっていて「自分がどう生きたいか」をはっきり意識している人は、服装にもそれが見えるんですね。だから、顔の作りや体型が完璧じゃなくても美しく見える。内面の輝きをちゃんと服で表現しているから。
岡田斗司夫さんも、最近実はあまりダイエットダイエット言わないんですよ。それは「ただ痩せればいいというものでもない」ということに気づかれたのかもしれません。太ってると、内部のセラミドがぱんぱんになって肌のキメが綺麗になりますしね。シワも太ったほうが少なくなる。
40歳すぎると、ただ痩せれば服装がきまるというものでもなくなってきます。
「自分の生き方」をどう表現していくか、ベクトルを本当に絞らねば良い服の着方ができない。似合わないものは着たくても潔くあきらめる勇気も大切になります。
”すっかり大人”世代は、たとえやせても、それだけでスタイリッシュになれるわけではありません。(中略)
四、五十歳代になったら、やせることはゴールではなく、出発点。自分のキャラにあった着こなしを模索していくしかないんです。もしかしたら、少し太っているくらいのほうが、努力しておしゃれになるのかもしれませんね。
ババア上等! 余計なルールの捨て方 大人のおしゃれDo!&Don’t p36~37
太字強調は記事作成者による
「ルッキズム」が意識されて久しいです。
このムーブメントはホワイト社会、つまり「見た目の清潔感がなければ中身を評価されない状態」と密接につながりがあると私は見ています。
何かを押しだしたら、反動が来る。陰が極まると陽になるように。
ルッキズム批判をすればするほど、見た目で人を判断する風潮は強まることでしょう。人種差別を非常にセンシティブにとらえるようになった欧米で、より人種による分断が深刻になったように。
しかし、これはこれで一つの流れだと思っています。
だから、清潔感のある服装をすることが大切だし、私個人は心がけていこうと考えております。
そして、チー牛ルックな人がいたら「せっかくのあなたの魅力が人に伝わらない(誤解されてしまう)から、身なりに気を遣ってください」と余計なお世話で言わせていただきます。
もちろん、見ず知らずの方には言いませんよ。
大切な人のみに言います。
リンデンバウムのお客様も、垢抜けした素敵な方が多くて幸せです!
きちんと身なりに気を遣っている方は、愛が感じられて見ているこちらもうれしくなりますね♥ その美意識の高さ、リスペクトします!
今はそういう流れです。
そして、それはあくまでも流れがそうだということであって、あなたの心が何を感じているかはまた別の問題になります。
そんな流れの中で、あなたはどう生きますか?
どう生きていきたいですか?
流れを理解したうえで、そこを組み立てていく。それが大切です。