「人は鏡」
よく言われることですね。
自分の内にある「見えていない部分」をあぶりだしてくれるのが、人です。
ですから、人間関係はとても大切。
同僚と飲みに行き、友達と語らい、パートナーに内なる異性を見る。このようなプロセスは、私たちに大いなる学びと成長をもたらしてくれます。
魂に必要な学びをくれる人間関係
さて、以前メンヘラな部下に悩まされていた方に、このようにコメントを返したことがありました。
今、このコメントを返しつつ並行して女性性に関する記事を書いています。もしよかったら読んでください。
なぜなら、そのメンヘラ女子さんは、ありあまる女性性様にとても大切なことを教えてくれているのかもしれないと感じたからです。ありあまる女性性様にとっての女神エレシュキガルは、そのメンヘラ女子なのかもしれません。私がりりちゃんを必要としたように、ありあまる女性性様もメンヘラ女子を必要としていたのかもしれませんよ。もちろん、学びのために。
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エレシュキガルを受け入れると、本当に深く癒されます。
どうぞ、ありあまる女性性様も内なるエレシュキガルとの抱擁がなされますように――
この時書いた記事とは↓こちらです。
こちらのコメントに、以下のようなレスを頂きました。
「深淵なる生命力~女性性による破壊と創造」の記事読みました!難しくて何度も読み返し、怒りを抑圧していた自分に気づきました。
私、メンヘラちゃんに攻撃されて、めちゃめちゃ怒ってたんです。でもその怒りを抑えながら、論理的に彼女の行動のエビデンスをまとめ、会社に報告するという行動をとっていたんですね。会社はエビデンスがないと動いてくれませんから!しかし、なんという男性性的な行動でしょう・・・。
もちろん怒っていましたが、それを同僚や友人に話し、「怒って当然」と共感してもらうことで発散していたんです。そして、そんな怒りのコントロールをして、冷静に対処できる「大人の女だわ」なんて演じていたんです。
昨日、記事を読んで、石と共に、ただただ、怒りを感じてみました。自分でも恐ろしく、逃げたくなるくらいの怒りでした。焼けつくような怒り。怒りに理由なんかいらない、エビデンスもいらない、理不尽だっていい、とにかく怒ってるんじゃ!!!
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これが、私の女性性の叫びでした・・・。
今はまだ癒しまでいきませんが、、、こういう女性性のワークもあるんだなと気づくことができましたので、コメントさせて頂きました。
私に必要な石ちゃんたちを、ありがとうございました。
ユングは「心的機能」として、図のような考え方をしました。

感覚(五感をはじめとする肉体に由来する感覚)を重視する人は直観(目に見えない感覚)を軽視し、思考を重要視する人は感情を軽視します。
そしてこの偏りによって「鏡」が出現します。
図の反対部分の性質を持つ人が引き寄せられてくるのです。
中年の会社員の男性が、課長に就任してすぐに、抑うつ症になる。
会社に行く気がしないし、自殺まで考えるようになる。そのために心理療法を受けることになる。その過程で、彼が訴えたことは、女性の気持ちがわからない、ということであった。
理科系の人間としてその才能を発揮し、他人よりも早く課長に昇進したのだが、部下の女性たちとの間の感情的もつれに巻き込まれ、彼としては合理的に正しい判断を下して解決しようとするのだが、問題はますますこじれてしまって、どうしようもない。会社に出て彼女たちの顔を見るのさえ嫌になってしまったという。
話を聞いていると、ユングの心的機能という観点からすれば、思考優位の男性が、自分の地位が変化したために、急に接触する必要が生じてきた女性たちの感情問題に巻き込まれ、自分の劣等機能としての感情ということについての学習を必要とする状況になっていることがわかってくる。(中略)
面接を続けていく間に、クライアントが徐々に感情機能の重要さや素晴らしさに気が付いてくる。その間に抑うつ症も消失してゆく。
心理療法入門 (岩波現代文庫 〈心理療法〉コレクション VI) 第7章 心理療法場面における個性
理系でロジック一辺倒の人間になってしまうと「共感能力」に乏しくなってしまいます。20年代の今日、これはコミュニケーション能力の欠落にもつながりますから、相当深刻な問題です。
今の世は「わかる~!」って言えないと、キツイ。
そして「わかる!」と共感できるためには想像力が、大事。
不思議と、理系の合理的なロジカル人間ほど感情でしか動かない人が周りに集まってきたりします。それは自分の裏側、自分に足りない部分を補ってくれているとも言えるのです。
常識や善悪で判断したら、ただの理不尽な状況に見えるでしょう。
しかし、魂のレベルで見たら、実に正しいことが起こっているのです。魂の成長のために、一番必要なことが起こっているのです。
類型の考えは、夫婦関係を考える時にも、便利な指針となることがある。内向・外向、あるいは心的機能の場合も、常に太極との相補関係が見られる。
したがって、夫婦の場合は互いに他を補償するはたらきが生じ、自分とは対極になる相手を選んでいることが多い。
心理療法入門 (岩波現代文庫 〈心理療法〉コレクション VI) 第7章 心理療法場面における個性
わかる。
私もそうです。
私、これだけフリーダムにプラプラ生きているせいか、「ガチガチに組織で働いてる人」と惹きあうんですよ。自分と同じフリーダムな風来坊タイプって、不思議と縁ができません。
「縁のある男性は、警察・消防・自衛隊」といえば非常にイメージしやすいかと思います。ね、私とまさに「対極」でしょう。パートナーに限らず、友人関係でもそうです。大きめの組織に所属している人ばかり。
というか、リンデンバウムのお客様も、大企業所属の人、多かったー!!
そういうことかー!!!
作家のよしもとばななさんも、自分が自由業だからパートナーは安定した職業の人のほうがいいとおっしゃっていました。(でも出典が思い出せないのでヨタ情報です。女ですものだったような……間違っていたらごめんなさい)
ヘリオセントリックの地球星座、(私の場合)山羊座の使い方を、周りの人たちが私に示してくれているという見方もできますね。ほんと、警察・消防・自衛隊は山羊座ど真ん中ですわ~。
昨日も丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニーで稲葉事件の動画見てたんですよ。もう、元警部の稲葉さんが、カッコよすぎて、ツボにはまりすぎて「あ、あああああ~~~」と語彙力が消失しておりました。
20代の頃だったら本気で惚れてましたね、こういう人。
若い頃付き合ってた、自衛官の元彼に雰囲気がそっくりすぎる!!あ~カッコイイ~渋い~ヤバイ~~。
大組織で不条理にさらされながら生きる人、ヤバイ。
好き。
ここで「自分にはできないから憧れる~」とか軽率に言いたくなるんですけど、ユング的に言うとそうじゃないんですよね。そうじゃなくて「自分が使ってないけれども持っている一面」なんですよね。
でもね、当たり前ですけれどもそういう「自分(が認識している面)とは違うものを持っている人」と一緒にいると反目する場面も出てくるんですよ。「なんでわかってくれないんだろう」とか「それは違うだろう」とか、思っちゃうところが出てくるんですね。
夫婦が協調して仕事に取り組んでいるときは、両者が相補的に補完しあってうまく機能する。
しかし、たとえば、家のローンを返済しきったとか、夫が定年退職したとか、などという何らかの達成が行われた後に、夫婦が「対話」しようとすると、互いに相手のことが理解できない、ということが生じる。
内向的な夫は、休日にはゆっくり休んでお茶でも飲んでと思うし、外向的な妻は、どこかに出かけていこうと思う。
中年の夫婦の危機には、このように、人間の類型の問題が絡んでいることが多い。
妻の外向性をまったく不可解と感じている夫が、何らかの機縁で内向的な女性に接すると、お互いに話がよく通じるので嬉しくなってしまう。同様のことは外向的な妻の場合にも言えることである。
このようなときに短絡的な行動が生じると、夫婦の危機はますます拡大されることになる。
このとき、たとえば内向的な夫が安易に内向的な相手を求めるのではなく、外向的な妻をよりよく理解するために、自分の中に潜在する外向性を掘り起こす仕事をするとき、それは自分の個性を新たに作りだすことになってくる。
心理療法入門 (岩波現代文庫 〈心理療法〉コレクション VI) 第7章 心理療法場面における個性
これ、かなり重要な視点だと思いませんか。
なぜなら人生って生きてると割と飽きてくるんですよ。
飽きません?
生きることって。
私は正直、飽きますよ。
同じこと繰り返してたら特に飽きる。
だから色んな新しいことに手を出して、自分の新しい一面を発掘しようとします。そして、新しい一面が見つかると、飽きていた人生に新鮮な風が吹き込んできて、また人生に鮮やかな色どりが戻ってくる、生命力が戻ってくるんです。
私が自分と似たようなタイプの人と付き合おうとするのではなく、異業種の人こそ積極的に交わろうとするのも、「自分と世界が違う人の中に、(実は元々あったんだけど気づけていなかった)自分を見つけ出したい」からです。
内向的な人は外向的な自分を発見し、外向的な人は内向的な自分を発見する。
このプロセスを経ることによって、飽きていたつまらない人生が面白くなってくるのです。
陰キャは卒業!陽キャになろう!!

私は最近「陰キャはダメ!陽キャになろう!!」というメッセージを盛んに送っています。その理由も、実はここに在るんです。
キャラとして作っていないかぎり「自分は陽キャだ」って人って、現実には少ないです。すごく明るい人に「まさに陽キャど真ん中だよね~」って言うと「えっ、陽キャではないよ~」って返ってくることが圧倒的に多いんですね。
なぜなら、はた目から見て陽キャ中の陽キャってタイプの人でも、自分の内にある闇は認識していたりします。つまり、自分が陽キャとは思わない。むしろ自分の内にあるネガティブさも認識しているから、陰キャとすら思っていたりする。
「陽キャじゃないっていうけど、明るいところあるでしょう」と振ると、「まあ、確かにポジティブなところがあると言えばあるね」くらいには返ってきます。でも100%陽ではない、と。
つまり、陽も陰も一人の人に内在している状態。それがリアル陽キャ。
陰キャはなぜか「自分の外側も内側も全部暗くて、自分の中で陽が一切見当たりません」レベルのネガティブな人が多いです。「陰キャですね」って言ったら「はいそうです」と返ってきます。自己認識と一致しています。
つまり、陰キャには陰しかない。
陰も陽もそろって、中庸に至ります。
そのことを考えると、陰キャになると陰一辺倒になってしまうけれども、陽キャだと内側の陰も認識しているから陰陽がそろってバランスが良くなる。
すなわち、外から見て陽キャなくらいで、ちょうど良い塩梅なのです。
宇宙の法則、三次元の二元性の法則からいうと「陰しかない」というのはちょっとおかしいです。陰には必ず陽が内包されるもの。「陰しかない」というのは「自分は背中はあるけどお腹はないです」というようなものです。おかしい。
なぜ陰の自分の内に、陽を見つけられないのか。
その理由は、それこそユングの「心的機能」に見いだせるでしょう。
西洋占星術的にいうなら「太陽や火星を他者に預けてしまっている状態」です。
この「自分の内にまったく陽が見当たらない」というレベルの陰キャの人は、おそらく周囲の人間に超絶陽キャ(しかも自分の内なる陰を抑圧しているタイプ)がいることでしょう。
親とかパートナーとか親友とか、すごく近しい人がちょっと偏ったレベルで陽キャだと、自分は偏った陰キャにまわらざるを得ないです。エネルギーのバランスをとるにはそうするしかないから。
近しい人にあるエネルギーを完全に投影してしまうことで、自分の内にはまるでなくなってしまったように見えることがあります。
例えば、私は今毎日自分でご飯を作って食べています。割と家事はする方だと思います。しかし、実家にいるときは母任せでほぼやりませんでした。
やったら楽しいんですよ。むしろ料理好きですよ。
でも、お母さん(家事を積極的にやる人)がいると「自分はやらなくていいや」って思うんです。同じくトム・ケニオンの記事の日本語訳も、私じゃない人がやってるのを見たら「じゃあ私がやらなくていいや」って思うんです。
自分の分まで役割を担っている人がいると、やる気って起きないです。
自分の陽の分までのみこむくらい強烈に陽キャな人が周りにいたら、自動的に自分は陰に落ち着くんですよ。
だから、「ちょっと偏りすぎだな~。自分って陰キャすぎだな~」って思う人は、周りに陽キャな人がいないかチェックしてください。そして、その陽キャな人と心理的に距離を置くように心がけてください。そうすれば、自分の内に陰だけではなく陽があることが見いだせるでしょう。
偏ったレベルで陽キャラになっている人の場合、どうこうしようと考える必要はありません。陽で偏るということはあんまり人のいうことも聞かないでしょうから、自分で気づいて自分で調整すればよいだけの話です。
中年期は自分の裏側を受け入れる時期
西洋占星術では中年の危機を「天王星180度と冥王星90度」という経過天体で説明します。この時期に「大いなる意識改革」を求められるということです。このことを河合隼雄先生は心理学的に以下のように説明しています。
個性を伸ばすというとき、自分の得意とすることをより発展させるという面と、苦手なところを開発するという面とがある。
どちらが大切だとか、どちらを先行させるべきだ、ということは簡単に言い難いが、その人の置かれている状況によって、それは異なってくる。
一般的にいって、中年の危機の場合は、自分の劣等な部分を認識し、その開発をはからねばならぬことが多いようだ。
人間のこころは全体性に向かって成長してゆく傾向を持っている。しかし、その筋道は色々とあるし、そこに個性がかかわってくるのであるが、ユングの類型論は、人間の個性が変化し、時とともにだんだんと形成されるときの方向性について考えるのに、役立つものである。
心理療法入門 (岩波現代文庫 〈心理療法〉コレクション VI) 第7章 心理療法場面における個性
先ほどのユングの心的機能の類型をもう一度掲示しますね。

中年になったら(具体的にはアラフォーにさしかかったら)、思考優先で生きてきた人には感情を味わうミッションが、直観優先で生きてきた人には感覚(五感という肉体に根差した感覚)を味わうミッションがやってくるということですね。もちろん逆も然りです。
「スピリチュアルな人って不健康な人が多い」と言われることがあります。確かに、精神世界に偏ると肉体をおろそかにしてしまう傾向はあるのかな、と思います。ですから私も日ごろより「運動しよう!」「筋トレ最高!」「体育会系こそ至高!!」と意識的にお伝えするように努力しています。
これもユングの類型からするなら「直観(目に見えない世界)」に重きを置いて生きてきた人は「感覚(目に見える世界)」に意識を向ける必要があるということです。それによって全体性が取り戻せるのですね。
極端な例だと、大病を患ったりするケースもあるでしょうね。
だから、やはり精神世界に興味のある人、目に見えない世界に引きこまれる人こそボディコンシャスであることが大切なんですね。体育会系こそ至高!!!
もちろん、この中年の危機によって「反対側の自分」に気づけると、大きなギフトを受け取ることができます。
私も算命学に深くふれるようになったのは天剋地冲の年でした。異質なものを自分の内に迎えいれるのは、冥王星と天王星のハードアスペクトに通じるものがあります。
なので、スピリチュアルな目に見えない世界が好きな人ほど、積極的に体を鍛えてください!心は陽キャになってください!
そうすることで、全体性を取り戻すことができます!