家康も学んだ名君のリーダー論「貞観政要」

ビジネス:スピリチュアルブログ

こんにちは、Nozomiです!
「今日散歩してきた~」と友達に言ったら、こう返されました。

地下鉄10駅分を歩くのを
散歩とは言わない

エッ?
往復でなら地下鉄10駅分くらい余裕で歩きますよね。
10キロまでは歩いたうちに入らないよね?(体育会系脳筋思考)

さて、この記事は唐代の名君、太宗の政治哲学をまとめた「貞観政要」について。
その貞観政要をわかりやすく解説した本、座右の書『貞観政要』中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」をご紹介します。

貞観政要のリーダー論

貞観政要の要点を、出口治明さんは以下のようにまとめています。

  1. 組織はリーダーの器以上のことは何ひとつできない
  2. リーダーは、自分にとって都合の悪いことを言ってくれる部下をそばに置くべきである。
  3. 臣下(部下)は、茶坊主になってはならない。上司におもねってはならない。
  4. 君は舟なり、人は水なり。水はよく舟を載せ、またよく舟をくつがえす。
  5. リーダーは常に勉強しつづけなければならない

【参考】 座右の書『貞観政要』中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」 序章

なかなか示唆深い言葉だと思いませんか。
以下に、各項について私の感じたことをまとめてみます。

組織はリーダーの器以上のことは何ひとつできない

このことに関して、出口さんは非常に面白い見解を示しています。

有限の「器」の大きさしか持てない生身の人間(リーダー)にできることは、自らの器を捨てる、あるいは必死に消すことしかない。(序章)

人間には持って生まれた器(能力)があります。
「努力をすれば人の器は大きくなる」という発想は、根拠なき精神論にすぎません。(中略)

基本的に、自分の器を大きくすることはできません。
しかし、器が大きくならなくても、自分の器の容量を増やす方法はあります。それは、器の中身を捨てることです。

器に入っているものを全部捨てて、空っぽの状態に戻すことは、優れた人ならできると思っています。言い換えれば、自分の好みや価値観など、こだわっている部分をすべて消してしまうのです。(中略)

頭の中をゼロの状態に戻すことができれば、器が大きくならなくても、新しい考え方を吸収し、自分を正しく律することができるのではないでしょうか。(第1章)

座右の書『貞観政要』中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」

「器は大きくならない」!
これ、衝撃的ですよね。

でも、「空っぽにすれば自分の器以上のものがやってくる」というのは、私の実体験からも納得です。

そもそも個人の能力なんて限界がありますから、大したことなんかできません。努力して頑張っても、得られるものは限られたものです。

そこで「ああ、もうだめだ~。どうにでもなれ~」と一旦全て天に預けて肩の力を抜く(あきらめちゃう)と、びっくりするくらい良い流れがふうっとやってきて「エッ!?こんなこと起きちゃうの!嘘!スゴイ!!」って感動が現実になったりします。

今、自分の器の中(頭の中といい換えてもいいでしょう)に入っている、好き嫌いの感情、仕事観や人生観、ちょっとはいい格好をしたいという見栄、あれが欲しいという欲求、自分は正しいという思い込み、まわりは間違っているという偏見、上から目線などといったものをすべて捨てて、無にしてしまう。

頭の中をゼロの状態に戻すことができれば、器が大きくならなくても、新しい考え方を吸収し、自分を正しく律することができるのではないでしょうか。

座右の書『貞観政要』中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」 第1章

これ、思い当たることがあります。

この仕事をはじめた頃、全然お客さんが来なくて開店休業状態、貯金残高はザクザクザクザク減っていく日々でした。それでも上の人(私のガイド)は涼しい顔をして「今は仕事をするときじゃない」と私にプラプラすることを命じました。

仕方ないので、私は一日中、ホームレスのオッチャンと一緒に並んで豊平川を眺めていました。

これも今思うと、「器を空にする作業」だったのだと思います。
それまでの一般的な勤め人の思考でスピリチュアルヒーラーとしての仕事は、実は勤まりません。常識や固定観念をいったんリセットする必要がありました。

まさに「器を空」にすることで、新しいエネルギーを入れることができたのです。

都合の悪いことを言ってくれる部下をそばに置く

こちらについては、下の記事に熱量激高で書きました。

私は、あなたの、 魏徴になりたい!!

部下は上司におもねってはならない

いやぁ~これ、2020年代に実際に組織で「部下」として働いている人には、かなり耳の痛いことなのではないでしょうか。
「そうはいわれても、現実はね~」みたいな。

神戸女学院大学名誉教授の内田樹さんが、こんなことおっしゃっていたんです。

 日本はある時期から、イエスマンシップ、すなわち「無意味なタスクに耐えられる」能力がキャリア形成上重要な能力となった。昔から「ゴマすり社員」は一定数いたが、それが出世のためのデフォルトになったのはここ四半世紀のことである。

 いまの40代、50代を見ると、どの組織でも、まともな批判精神がある人間は出世できていない。

 東芝や日産自動車や神戸製鋼所などの日本を代表する企業が立て続けに不祥事を起こしたが、どれも目先の利益を求めミスを隠蔽し、問題解決を先送りしたからである。上司や前任者の指示に無批判に従い、事を荒立てないことだけに汲々とするイエスマンばかりが重用された結果がこれである。

「イエスマン」をつくり出した就活の罪は大きい 思想家・内田樹の助言(2/2)〈dot.〉 | AERA dot.
太字強調は記事作成者による

私ね、お勤めしてた頃、大好きな上司がいたんです。
酒を飲んでは「私ッ!Aさんの下で働きたいっ!!どうやったらAさんの下につけるんですかっ!?ねえっ!ねえっ!!」と暑苦しく絡むくらい大好きでした。

Aさんのどこがカッコイイって、反骨精神があって「ダメなところはダメ」ってちゃんと言えるところ。だから、上からの覚えはめでたくなくて、同期の中でも出世頭とは言えない人でした。

でも、人一倍ハートが熱くて、相手に寄りそえる人だったんですよね。権力におもねるのではなくて、弱い人の立場から物を考えられる人だったんです。有名私大卒のインテリで、知識もあって勉強もしてる人でした。

私、実はこの「上司におもねらない部下」だったんです。

同期には「お前、課長に向かって良く反対意見が言えるな。上司だろうと誰だろうと関係なく自分の考えを言っちゃうなんてすごいわ」と呆れられ、同中の男友達には「俺はお前みたいな部下、絶対いやだ」とディスられました。笑

そんな「煙たい部下」「扱いにくい部下」の暴れ馬な私を、Aさんはかわがってくれて飲みに連れてってくれたんですよね。奥さんやお子さんとも仲良くさせてもらいました。

Aさんみたいに「上司におもねらない部下」に目をかけられるような上司が増えたら、絶対組織は良くなります。それは、実体験からわかります。

Aさんは、長い間不遇でしたが、その後見事に出世されました。
見ている人は、見ているのです。

君は舟なり、人は水なり。

魏徴が古語から引用した「君は舟なり、人は水なり」は、『貞観政要』の中では有名な一句です。(中略)

君主が正しい政治を行わなければ、水(人民)は荒れ狂い、あっという間に舟(君主)を転覆させる、ということです。

座右の書『貞観政要』中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」 第6章

「君は舟なり、人は水なり」
この言葉には、古代中国の「水観」が如実に表れていて面白いです。

東洋占術の水って、冷たくて恐ろしいイメージがあります。西洋や中東の占術の「優しい水」のイメージとは全く違うんです。暴れ狂う黄河にたびたび苦しめられた、古代中国の人々の考えが反映されているのですね。

著者の出口さんは、この言葉にはもう一つの意味があるといいます。

もうひとつは、君主は寄生階級であるということです。

水があって、はじめて舟は機能を発揮できます。水のないところに舟をつくっても、浮かべることはできません。

人民が生産階級だとすれば、君主は人民に頼る寄生階級です。
ということは、人民や部下から「この人についていこう」と思われなければ、組織を維持できません。人民や部下が君主に協調しなければ、君主がその地位にとどまることは難しいのです。

座右の書『貞観政要』中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」 第6章

そうなんですよね。
この本の中では「上司は『人間として偉い』わけではない。部下と『機能が違うだけ』」とも書かれています。

フランス革命で王族の権力が剥奪されたように、リーダーがしっかりしていないならば組織は覆される可能性があります。
この言葉は「自分は地位があるから偉いのだ!」なんて勘違いしてしまうと、大変なことになるかもしれないよ、と警告してくれているのですね。

リーダーは常に勉強しつづけなければならない

この「勉強」というのは、必ずしも座学に限らないと思います。日常の業務をこなして色々な課題に当たっていくことも、プライベートを含め様々な経験を積むことも「勉強」と言えましょう。

例えば、色んな人と話して、多様な価値観があることを知ることも「勉強」と言えるのではないでしょうか。

貞観2年に、太宗が臣下の魏徴に質問しました。
「どのような人物が明君で、どのような人物が暗君だと思うか?」
すると魏徴は即答します。

「君主が明君と呼ばれるとしたら、その理由は、多くの人の意見を聞いて用いるからです。反対に暗君と呼ばれるとしたら、その理由は、一方の人のいうことだけを信じるからです」(中略)

物事は見る角度によって、善にもなり、悪にもなります。
したがって、物事を公平に、客観的に評価するためには、さまざまな視点からの意見を集める必要があります。

座右の書『貞観政要』中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」 第2章

「物事は見る角度によって、善にもなり、悪にもなる」
このことは、なかなか学校での勉強や書物から学ぶのは難しいです。実際に社会経験を積む中で人と接する中で学んでいく「勉強」ではないでしょうか。

私が勉強している算命学という東洋の占いは、ある程度の年齢(具体的には40歳くらい)になってから勉強したほうが良いと言われます。人生経験の少ない者が学んでも、理論だけでは理解が難しいところがあるというわけです。

その意味が私にはわかります。
実際、若い頃は東洋占術に対して正直ネガティブなイメージを持っていました。

だって、私は生まれた日が丙午で、東洋の占いでは丙午をディスるんですものー!
漱石さん、かんべんして~!

でも、20代では理解できなかったものが40代になったら「ああ、なるほど」とわかるようになってきたんです。面白いもので。

年齢を経てこそ学べるものがある。
これって、結構楽しいことではないでしょうか。

「学び続けなければならない」というよりは、自動的に自然と学び続けることになるということです。だって、若い頃には理解できなかったことが、年齢を重ねてこそ理解できるようになったりするわけですから!

貞観政要もそうですが、東洋哲学って年齢を重ねた人間にこそ理解できる領域があると思うのです。老荘思想なんて、その最たるものでしょう。

この 座右の書『貞観政要』中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」は、今こそ出会うべき本だったのだな、と感じます。人生経験豊かなあなたにこそ、手にとってほしい一冊です。

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