30すぎたら真面目はやめよう

ビジネス:スピリチュアルブログ
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こんにちは~Nozomiです!
今日はセッション終わった後、1キロ軽く泳いできました~♥
やっぱり運動っていいですね!汗は裏切らない!!

さて、この記事では「真面目すぎるって、よくないよ」ということを書きます。
ですから読んでいるあなたも、真面目くさって読まないでください。

つまり、私が言いたいのは、こういうことです。
「ツッコミの用意をお願いします」

さて、座右の書『貞観政要』 中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」を読んでいた時のこと。

人格は濁ってはいけない。
しかし、輝くほど澄んでいてもいけない

●「人間には二面性がある」ということを決して忘れない

相手が善人でも悪人でも分け隔てなく受け入れる度量を持つことを一般に「清濁併せ呑む」といいますが、『貞観政要』の中でも、リーダーは清濁併せ呑む人物でなければならないことが示唆されています。

「天子は、その人格がドロドロとして濁っていてはいけない。かといって、輝くほど澄んでいてもいけない。濁っていると、正邪の区別がつきにくくなるし、清潔すぎると、人を受け入れられなくなる。上に立つ人は、汚かったり、暗かったり、愚かであってはいけないが、かといって、細かいところまで口出しをすると、まわりも息苦しくなって、ついてこられなくなる」(巻第八 論刑第三十一 第四章)

リーダーが「ドロドロとして濁っていてはいけない」のは、もっともなことです。欧米の先進国ではリーダーの資質は何よりも「正直であること」が要請されます。

ですから、「輝くほど澄んでいてもいけない」というのは、意外に思われるかもしれません。

「水清ければ魚棲まず」ということわざがありますが、あまりに心が清らかで、行いも正しく潔癖すぎる人は、逆に、他人から敬遠されて孤立してしまうのです。

座右の書『貞観政要』 中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」  p170~171

これ!
これ読んで、私、
「本当にその通りー!!!」って絶叫したんですよ。

もう絶叫ですよ、絶叫。
これ、超届けたい。
リンデンバウムのお客様に、超届けたい。

大人がピュアなのは美徳じゃないんです!
大人が純粋すぎてはいけないのです!
真面目だといけないのです!

はい、ここからツッコミ事案に入るんですけれども、人って鏡なんです。自分が引き寄せる人、縁のある人というのは、自分の鏡なんです。自分の要素を持っているからこそ、互いに引きあうんです。

リンデンバウムのお客様って――いや、当サロンのお客様だけじゃなくて恐らくスピリチュアルなことが好きな方の多くは、真面目でピュアで心の澄んだ方が多いんです。びっくりするくらい、ピュアなんです。

まあ、私が真面目でピュアで心が澄んでいるから、そういう人を何人も引き寄せるってことですよね!!?(ドヤァァァァァァ

……ええと
心おきなくツッコミを入れていただいたところで
本題に入ります。

でも、そのピュアさって、円熟に欠ける未熟さでもあるんです。反省します。
子どもはピュアです。ですから、子どものピュアゆえの残酷さを想像していただければ、「輝くほど澄んでいてもいけない」という言葉も腹落ちしやすいかもしれません。

上の引用と同じページには「”清潔すぎる人”は他人を息苦しくする」とも書かれています。

上に立つ人は、「人間には、キレイな面も、汚れた面も、両方ある」ということを忘れてはいけません。

「人間はちょぼちょぼであり、どんな人間にも欠点がある」ということがわからない人が上に立つと、思いやりを欠き、周りは息苦しくなってしまうばかりです。

座右の書『貞観政要』 中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」  p172

そしてね、真面目な人ほど「ちょっと真面目すぎますよ」って言った時に「何を言ってるんですか、私なんかだらしない人間ですよ」とか「私は真面目なんかじゃありません。むしろ、ちゃんとできないことばかりです」とか、おっしゃるんですよ。

つまり、自分が真面目であるという自己認識(客観視)ができていない。
(ハッ)だから神は私の元に真面目な人間を使わし、「あなたは真面目すぎるからもっと適当にダラダラやりなさい」ってメッセージを伝えているのか!!!そうなのか!!!

……ええと
たくさんツッコミ入れなきゃならないのも疲れますよね。
善処します。

リンデンバウムのお客様には、このように真面目な方、言い換えると「社会に出てもなお学生時代のようにまっすぐさを持ち続けている方」がいらっしゃいます。ユーミンでいうなら「人ごみに流されて変わっていく私を遠くで叱ってくれる」系ですね。

歌の世界の中なら、その変わらないピュアさは美しく輝きます。
しかし、年齢を重ねた人間にはその純粋さは時に「人を傷つける狭量さに」なってしまいます。

清濁併せ呑む、どんな人にも良い面と悪い面がある。『「人間には二面性がある」ということを決して忘れない』というのは、エリザベス・ハイチの イニシエーション にも書かれていたことです。

大いなる神の計画の共働者は、誰にも執着してはならない。

そして誰の中にも存在する、神のような性質、世俗的な性質、悪魔のような性質を見分けられることが必要だ。

個人を愛するのではなく、その人の中にある神の部分を愛しなさい・・・・・・・・・・
そして俗人の部分には寛容に接し、悪魔的な部分は避けるようにしなさい。

たとえ自分がいちばん愛する人であれ、使命において必要な場合はためらいなく手放さなければならない。

その愛すべき資質はそれもみな神の属性であり、その人個人の属性ではないということをよく心に刻んでおきなさい。人は神が顕現するための器なのだ。ゆえに神の資質が、ほかの人にも同じように現れているのを見いだし、愛することができるだろう。すべての人に内在する神を愛しなさい。そうすれば誰にも執着することはなくなる。

イニシエーション p351 太字強調は記事作成者による

ピュアな人は、単純に善と悪を分けすぎます。白黒ハッキリさせ過ぎます。
「地球(人類)にとっての悪」なんてのも、実は視点を変えれば善だったりすることに気づくのが、成熟というものです。サタンこそが偉大な天使ルシフェルであるように。

グレーな世界を学んでこそ大人です。
グレーにも「白に近いグレー」もあれば「黒に近いグレー」もあります。

「あの人はいい人!」と決めつけて心酔しては、ちょっと欠点が見えたら「いい人だと思ってたのに!ガッカリ!」と切り捨てたりしていませんか?
良いところもあって悪いところもあるのが人間です。悪いところが見えたら嫌になるというならば、あなたは人間を愛する能力がない淋しい人になってしまいます。

もちろん、そのブラック部分が強烈すぎる場合は逃げて(避けて)良いのです。黙ってDVやパワハラを受け続けるいわれはありません。
しかし、誰かを善で誰かを悪と決めつけてしまうと、いつまでも人間の本質――ひいては自分自身の本質をつかめません。自分や人の内の闇を受け入れられません。

中庸というのは、善でも悪でもありません。
しいて言うなら善と悪のまん中です。

以前、お客様の声で似たようなテーマがありました。少し長くなりますが、引用します。

これはスピリチュアル好きあるあるなのでH様だけの問題ではありません。
スピリチュアル好きは、心が清いんです。素敵なんです。
だから空気が読めずに無神経なことをします。

心が清い人は、人間の汚い部分、未成熟な部分を理解できません。例えば、嫉妬から他人に意地悪をするということが理解できません。「エッ、どうしてそんなことするの!?私だったらやらないわ。そもそも、そんなことしちゃいけないでしょ!」で終わります。

人として未熟な部分、ルール(社会規範)に反する部分を「それはいけない」と切り捨てて断罪するのは未熟な人間のやることです。法律順守にこだわりすぎると、小室圭さんの28ページにわたる大作「小室文章」になってしまいます。あれは、いかに自分たちが法律的に正しいかを法律用語を使って書いているわけで。でも、国民からすると「そうじゃない、法律的にどうこうじゃない」って話でしょう。

昨今の不倫叩きはこの域に達しています。個人的に私は不倫をしたくないですし、私と不倫したがる男性には辟易しています。しかし、他人が不倫したからといって社会がこぞって叩くのは異様です。そこまでして「正しくあること」を押しつけるならば、それは別の形の暴力となります。

清濁併せ呑む度量を身につける~大人としての心の豊かさ

わかりやすいオチのついたハッピーエンドの物語や良い人しか出てこないホッコリ系ストーリーのアニメが増えて、私は心底つまらない!と感じています。子どもくさいのはH様だけじゃないんです。世の中全体が白黒ハッキリさせてしまって明快で、曖昧なグレーが足りない状態です。

白黒ハッキリさせたがるんですね。
そうすることで安心したいのかもしれません。
そうしたほうが、結果的には息苦しくて辛くなるのに……。

白でも黒でもない、曖昧さこそが元来の日本の優れた精神文化です。
なんでも「わかりやすく」なんて、アメリカ文化みたいです。いや、インターネットはアメリカ由来ですからアメリカっぽくなるといえばその通りなのですが。

謎があってこそ、面白いし豊かなのです。秘するが花。
なんでも「3分でわかる!」みたいな要素をギュッと濃縮させて単純明快に説明してしまう風潮は、あからさまに心の豊かさを奪います。

私も、仕事を頑張る時期もあれば、ひたすら一日ボケーッとして雲を眺める時期もあります。そのボケーッとして生産性のない時期こそが、心や精神を養ってくれる時期なのです。生産性がないことこそが、目に見えない豊かさを育みます。

逆に、目に見える豊かさを育むのは生産的行動です。
どちらも必要であって、どちらかだけではバランスが取れません。そして、今の世は目に見えない豊かさを育む「生産性のなさ」が欠けてしまいがちだと感じます。

だからこそ、オチのない物語や不健全な物語やホッコリしない物語こそが、今の世に必要なのです。癒されずにモヤモヤする。そういう物語こそが、心の滋養になります。「大人」を育みます。

清濁併せ呑む度量を身につける~大人としての心の豊かさ

私は記事内で、不倫の作品をH様に勧めております。
現実に不倫しろ!というのでは、無責任ですしリスクが高すぎます。が、物語のなかで人倫から外れた状態を味わうならば安全です。

「社会的に見たら正しくない状態」も人生において、魂においてはかけがえのないプロセスだったりします。そのことを腹落ちして(例えば、不倫の物語に共感できて)はじめて人として深みを得られる、心の豊かさが育まれる面もあるのです。

やる気のない部下、指示を無視する部下は「正しくないことをしている人」です。しかし、魂レベルで見たら、その人の人生においては「やる気のないほうが正しい」場合だってあります。

魂レベルで見て判断するのは難しいかもしれませんが、「もしかしたらそうなのかな」と心に留めてほしいのです。そして、そこから一歩踏み込んで「こんな一見『正しくない、間違った状況』は自分に何を教えようとしているのだろう?」と考えてみてください。

あんま真面目すぎると、ホント人生詰みますよ。
でも、私が真面目でピュアだからいけないんですよね。私が真面目でピュアで清廉で間違ったことは一切しない人間だから、お客様もピュアピュアになっちゃうんですよね?(ドヤ顔)

わかりました!
私、真面目、やめます!!
よし、真面目をやめるためにハクノ姐さんの真似をするぞ!!!

金!
名声!!
滅びよ人類!!!

……あまりやりすぎると読んでる方もツッコミが追いつかなくなりますね。

とにもかくにも、人生経験を重ねてきた大人がピュアに清潔に生きすぎるのもかえって狭量なんだよ~という話でございます。特に年齢を重ねて責任ある立場に立った時、真面目一辺倒だとクソおもんなくて人が付いて来ない~って話でございます。

そういう意味では、欠点(ダメなところ)って自分の器を広げてくれるきっかけをくれているんですね。ありがたいものです。

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