アートを愛する人ほど、コミュニケーション能力が大事♪
ああ……
アート……
語りたくない。
いや、私、算命学では中心が調舒星、西洋占星術でも水星と海王星のオポジションという「ガチで芸術気質」な星を持っておりますから、アートってど真ん中なんですよ。
アートについて発信したり語ったりすると、すごく反応を頂けるんですよ。
金にもなるんですよ(ゲス顔)。
でもね、抵抗あるんです。
なぜなら、アートについて語ると素晴らしい才能を持ったアーティストな方々が引き寄せられてくるから。

いいことではないですか
そう。
いいことなんです。
すばらしいことなんです。
才能のある方と一緒にいられるというのは、自分も触発されますし、何より美しいものにふれると心が浄化されますよね。
でもね、アーティストと一緒にいると疲れちゃうことも多いんです。もちろん、そうじゃない方もいらっしゃいますよ。でも消耗することが多くて。
なぜなら、アーティストってコミュニケーション能力が低い方が多いから。
広告代理店などでクリエイターとお仕事されてる方が見てたら「それ!!」と超絶同意してくださっていることかと存じます。ね。現場にいる人は肌でわかってる。
コミュニケーション能力が低い人と一緒にいるのは、大変辛いですよね。
こっちが相手にずーーーーーっと合わせてないといけないので、疲労度200%です。しかも、コミュニケーション能力が低い人ほどこちらが合わせてることに気づかなかったりするので、本当に、あの、つ、疲れます……。
いえ、アーティストでもコミュニケーション能力高い方って、いらっしゃいますよ!
私の友達の中にも芸術的才能が素晴らしいにもかかわらず、接客も営業もトークも上手いという有能な人がいます。もちろん、その人と一緒にいても疲れません。むしろ楽しいです!
コミュニケーション能力が高くて気遣いできる人と一緒にいると、むしろ癒されますよね。
コミュ力高い人、大好きです♥
そしてね、コミュニケーション能力が低いアーティスト(クリエイター)を見てると、辛いんですよ。素敵な能力があるのにもかかわらず社会不適合であるがゆえに、せっかくの才能が花開けないから……。涙
今って、才能があってもコミュニケーション能力が低いと、成功できないんですね。第三次産業が主体の社会では、「コミュニケーション能力が低い=能力が低い」となってしまいます。才能があってもコミュ力がないと無力なんです。
もう何人見てきたでしょう。
素晴らしい才能があるのに、コミュニケーション能力(プレゼン能力)が低いがために、社会で花開けないアーティスト・クリエイターたちを。
ですから、ここを見ている「好きを仕事にしたい」方は、ぜひともコミュニケーション能力(プレゼン能力)を鍛えてください。絵が上手くても歌が上手くても演技が上手くても、コミュニケーション能力が低いと花開けない世の中なんです。
1にコミュ力2にコミュ力!
3,4がなくて5にコミュ力!!

私っパリピです!!
呑みましょう!!
ウェーイ!
って笑顔で言えるようになってください。
そこから、あなたの輝けるサクセスストーリーははじまります♥
ゴッホは生前認められることなく自殺しました。
ピカソはパリの社交界で華々しい交友関係を築き、生きてるうちに富にも名声にも恵まれ大成功を収めました。
コミュ障はゴッホの道をたどります。
パリピはピカソの道をたどります。
あなたはどちらになりたいですか?
陽キャ+パリピこそが最適解!
陰キャ+人見知りは卒業!
ですよねっ♪
アーティストのあなたは、ぜひとも陽の気を取り入れて社交性を養ってください!それでこそ、陰陽のバランスが取れて素敵な人生が送れますよ♥
なぜなら、芸術を作る時には内向し、人前では外向する。
それによって陰も陽も両方使うことになるからです。
アートから得られるオーラ
さて、前置きが長くなりました。本題です。

なんか最近行きづまってて……

何か悩んでるというわけでもないんだけど
モヤモヤするのよね……

自分ってこれでいいのかなって
なんとなく思うんだけど
でもどうしたらいいのか直感がわかなくて……
こんなことってありませんか。
そういう時にこそ、アートに触れてください。
ネットで見たり聞いたりするのではなく「生」で。
スピリチュアルなレベルでアートのエネルギーを自分にブチこむのです。
音楽でも、スマホで聴くのと生で聴くのでは、全然「音魂」が違ってきます。やっぱり、生身のアーティストが生で演奏しているのを聴く方がスピリチュアルなエネルギーを頂くという意味では断然!良いのです。
私も音楽をよく聴きます。
しかし、「全然知らない曲なのに、聴いただけでぐっと引き込まれて涙が出てきた」こんな経験ができたのは「生演奏」を聴いた時です。録音では「すごい!」とは思っても、勝手に涙が出てきて全身が浄化されるような癒しが訪れるというのはなかなか難しかったりします。
絵でも、ネットで画面越しに見るのと美術館でじかに見るのとでは全然違います。
ネットで見てるぶんには「ふ~ん」とあまり印象に残らなかった絵が、じかに見たらグッと自分の心をつかんで、その絵の前に釘付けになってしまう……なんてこともあります。
オペラ(演劇・舞台・バレエなど)もそうです。
生で観るのと画面越し(スマホやライビュなど)で観るのでは、やはりエネルギーが全然違ってきます。やはり生の人間がその場で作り上げる空気を共有できるかどうかって、すごく大きいんです。
アートにふれることによって、「天からのエネルギー」を取りこむことができます。なぜなら、優れた芸術家の作品は少なからず天からのエネルギーを受けて作られたものだからです。天啓というやつですね。
行きづまっている時こそ、ブレイクスルーのための「何か」が欲しいですよね。アートは、その「何か」を与えてくれます。
この時大切なのが、作品を前にしてヒョーロンしてしまわないことです。
「これはピカソの青の時代の作品だろう、なぜならば色彩が――」「モーツアルトの初期作品の特徴が――」と、理論的に作品を分析してしまわないことです。
もう、頭はオフ!
知識・理論はオフ!
まっさらになって、ただただ、アートの前に自分を「置く」のです。
そして、考えるのではなく感じる。
「こうせねば」「こうあるべき」なんて固定観念は脇において、ただただ、目の前にある芸術の魂を感じとる。
存在を、感じる。
良いも悪いも無く、ただ、あるがままに。
そこで「快」を感じたなら、もっと深く味わいましょう。
「不快」を感じたなら、立ち去って他の作品に行ってみましょう。
「自分にはこれが必要だ」と心の奥深くから聞こえてきたら、その声に従ってください。
「気」を補充するのです。
上からヒョーロンしちゃダメなのは、頭を論理的に動かすと気を受け入れる回路が働かなくなるからです。
ただただ、「在って」ください。
そこで響きあうもの、それこそがあなたの魂が必要としている天のエネルギーです。
Let it Be.
シンクロで導かれたアートへの道
最後に、この記事を書くことになった経緯を。
本題は上の項で終わっております。時間のある方だけお読みください。
私は最近生のアートから遠ざかっていました。コロナだったということもありますが、アートに触発されるとやはりエネルギーが「そういう方向」に調整されます。
でも、そういうセンシティブな方向に振ると、前振りで書いたように才能的には優れているけれどもコミュニケーション能力が低い人が寄ってくるんですよ。
それを思うと「疲れるの、嫌だ~。コミュ力の低い内向的な人を相手にしなきゃならないの、嫌だぁ~。涙」って怖気づいてしまいまして。
ああ、コミュニケーション能力の高い人と一緒にいるの、本当に安らぎます。
コミュ力高い人、ありがとうございます!!
人見知りをせずコミュ力が高い外向的なあなたは、神です!!!
しかし、シンクロでどうしようもなく「ああ、これは導かれている。行かなければならない」と思った美術館が、出てきてしまったんです。
それは、本郷新記念札幌彫刻美術館。
メルマガにも書いたのですが、私は秋になると暇さえあれば山にいます。
燃えるように色づく山の様子、それは私の心をぱあーっと解放してくれる風景の一つです。ああ、なんと美しい山錦。
ガチ登山となると、なかなか準備も大変です。が、休日にお散歩気分で登れる高尾山や二上山みたいな山が、札幌にもいくつかあります。もの~すご~く気軽に登れちゃう山の一つが大倉山です。
自力で登るのが嫌だったらリフトで上がれます。
写真のジャンプ台右手に遊歩道が完備されていますので、普通のスニーカー&ジーンズで15分くらいで登れちゃいます。登山装備0でOK、超お手軽!!!
てっぺんまで登ると、ジャンプ台からの風景が見えます。
これが。
マジで。
怖い。
リアルで見ると上の写真の3倍くらい怖いです。
本当に崖から落ちていく感あります。ちなみにこのジャンプ台はラージヒルだそうです。
実は私、親戚でジャンプの選手やってた人がおりまして。こうやってリアルでジャンプ台を見ると「何が悲しくてこんなとこから飛ぼうだなんて考えが起こるのだ」とか思っちゃいますね。度胸ありすぎだろう。すごいなあ。
タイミングが合えばサマージャンプの選手が練習で飛んでるとこ見れるんですけど、マジ感動しますね。下で見てた人間で一斉に「ウワーッ!」って拍手するんですけど、ホント拍手したくもなりますよ。あれは鳥人です。
ちなみに大倉山からは札幌市が一望できます。天気が良かったら芦別岳や暑寒別岳ピンネシリ山とか、かなり遠くまで見れます。海も見えます。
夜に来れば夜景を見れます。レストランで道産食材を生かしたディナーに舌鼓をうちながら夜景を見れたりします。オシャレ~。
そんな素敵スポット、大倉山のあたりをテクテク歩いて紅葉を満喫し、山から下りてプラプラしてたんです。大倉山から下った宮の森は高級住宅街ですので、街並みを見ているだけでも美しくて楽しかったりします。建築デザインが凝ってるんですよね~。
そうやって豪邸を楽しみながら歩いていたら、なんか、彫刻の美術館があるではないですか。

ほえ~
こんなところに美術館があるのか~
なんか『彫刻の道』とか言って
道も整備されてて
彫刻が飾られててオッシャレ~
しかも、更に降りていくと綺麗な教会が見えてくるんだよな。
どこまでオシャレな街なの、札幌・宮の森!
でも、美術館に行く気はなかったので、その日は帰りました。
そして、特に彫刻に興味もなかったので、後日行こうとも思いませんでした。
その頃、私は1冊のスピリチュアルな本を読みはじめていました。
エリザベス・ハイチのイニシエーションです。
ハイチは芸術的才能に恵まれており、幅広い創作を行うクリエイティブな女性です。読み進めていくと、ハイチが彫刻について語っている場面に出くわしました。
何年もの間、私は何をすべきかについて内なる導きを待ちつづけていた。
しかしずっと答えはなかった。
だから人生が求めてくるままに仕事をこなし、日々の務めに従事するだけだった。私は心理学と彫刻に没頭していた。
この二つはみごとに補完しあう関係にあった。胸像に向かうときにはモデルの心を深くたどっていった。
するとあらゆる人の美しさや素晴らしさがはっきりと見えるようになり、その人の心に深く入り込めば込むほど胸像の頭部は良いものに仕上がった。やがて肖像の制作と精神分析は一つの仕事、同じ種類の作業であることがわかってきた。私は胸像に取りくむときには、それと同時に作品のモデルである人に精神的なアドバイスをするようになり、彼らと霊的にとても親しい間柄になった。
スケールの大きな彫刻や構造物などの制作も、私に大きな喜びを与えてくれた。
イニシエーション p240
仕事への集中はつねに新しい扉を開き、次々と新しい展望を開いていった。
ここを読んだ時、私は雷に打たれたように直感したのです。
「ああ、私も彫刻と話をしにいかねば!!」
うーん、電波。
すいません。
でも、そう思ったんです。私は、彫刻と向き合わねばならないと。
それゆえ、私はこのタイミングで彫刻美術館と「出会った」のだと。
その頃ちょうど、私は河合隼雄さんの本にはまってて、ユング派の精神分析にはまっていたんです。そして、夢日記をつけてユング派の手法で夢分析をしていました。だから「肖像の制作と精神分析は一つの仕事、同じ種類の作業である」という言葉に「きっと、彫刻の中にあるものから私の夢につながる」と直感したのです。
しかし、彫刻美術館に行こうと思っても、なかなか上手くいきませんでした。
天候が悪かったり、用事が入ったり。
「タイミングがあるのだな」と思いました。時にならないと、いけないと。
そしてようやくある休みの日に、時間の都合がつきました。お天気も良し!
美術館を発見した日のように、てくてくと歩いていると、ふとものすごく深い孤独感に襲われました。
「えっ、どうしたの?」
私は彫刻の道の中で立ち止まり、自分の心に意識を向けました。
「私は、今、そんなに寂しいの?」
でも、どうやらその孤独感は私のものではなさそうでした。
「誰かの孤独」を感じとっている。しかも深い孤独を。
その孤独はその場でどうにかできるわけでもなかったので、私はそのまま歩を進め美術館に来ました。そして、美術館の名前を冠する本郷新さんの彫刻が展示されている記念館に入りました。
「ああ、この人なんだ!」
失礼ながら、私は本郷新という彫刻家に対して全く無知でした。
しかし、作品を見たら「ああ、これ!」「ああ、これ!」って見覚えのあるものが沢山ありました。
例えば、この「嵐の中の母子像」。
広島に行った時、これ見ました!
その時は桜の美しい季節で、広島平和記念資料館を見た後に命の儚さを感じたものです。
あと、これ。
札幌に来たことのある人なら一度は目にしたことがあるでしょう。
有名な「泉の像」です。駅前通りに面した大通公園の3丁目にあります。
NHK朝ドラ「マッサン」でおなじみ、ニッカウヰスキーの竹鶴政孝氏が「大通公園は素晴らしいが、彫刻が無い。何か胸像でも作りたい」と本郷さんに打診して作った彫刻なんですって。
(ちなみに本郷新さんは命式で天剋地冲の持ち主です。自分の命式に天剋地冲をお持ちの方は、天剋地冲を生かすケーススタディとして本郷さんの生き方を研究してみるのは有用だと思います。あと日干支・壬午+月干支・戊子なので、異常干支の研究にも良いかも)
私がいったときにやっていたのは、本郷新・全部展④ 100の石膏像という展示でした。
ブロンズ鋳造が果たされたならば、通例、保存されることの少ない石膏原型。しかし本郷新は、これらを丁寧に保存しました。本展では、当館所蔵の364点におよぶ石膏原型のうち、4メートル級の大型彫像からレリーフやメダルに至るまで100点を厳選して紹介。石膏原型の役割を見つめなおすとともに、石膏像特有の魅力に迫ります。
本郷新・全部展④ 100の石膏像|展覧会・イベント|本郷新記念札幌彫刻美術館
この展示がやっている記念館に入った途端、私はエネルギーのすごさに圧倒されました。
優しくはない。
癒されもしない。
でも、すごく温かく流れてくる。
ウワ~っとすごいエネルギーが一気になだれ込んできて、お恥ずかしながらその場で泣いてしまいました。ですが、観覧者はたった一人(贅沢!)だったので、人目を気づかう必要も無く涙をダーッと流し続けて鼻水をかみかみ、とにかくエネルギーを受けとめることに一生懸命でまともに石膏像を見られませんでした。
石膏像は完成形のブロンズ像に比べて、彫刻家が粘土を触ったタッチまで感じられることがあるそうです。より、生々しい作家の息吹が伝わるとも言い換えられるでしょう。

石膏はパワーストーンでは「セレナイト」の名で知られています。柔らかいのでアクセサリーには向きませんが、原石を私もヒーリング時には頻繁に使っています。
頭頂のチャクラ(サハスラーラ)に置くコロンとした原石もありますが、一番使うのは下の画像のようなスティック状のものです。こちらを右手に握って、マイナスエネルギーを浄化したものを外へと逃がします。

石膏、セレナイトは浄化力が強い石です。
ギリシャ神話の月の女神・セレーネの名を冠するように、月のようにしっとりと静かで、ピュアなエネルギーを放つ石でもあります。
漢方での石膏は金・寒属性です。清熱、止渇、沈静の作用があります。
火旺ボーボーの私にはありがたい存在です。私、風熱型の風邪をひきやすいので、石膏は実際に薬として服用する機会もあります。
この記念館は、本郷新が生前最後に使ったアトリエでした。
エネルギーに慣れてくるとようやく涙が止まり、おちついて一つ一つの像を見ることができました。
二階に上がると、関連資料や書籍を並べたスペースがありました。
私は一冊の本が目に留まって、手にとりました。
それは「おやじとせがれ」です。
これは、息子である俳優の本郷淳さんが、生前の本郷新(おやじ)について回想し語った本です。ちなみに表紙の額縁に飾られた写真が「おやじ」で、手前に映っているのが「せがれ」です。まあまあ、なんとそっくりな親子であることか!笑
そこで私はこんな一行を見つけたのです。
「さびしがりやのおやじ」
ああ!
そうか!
だから、私はあんなに孤独を感じたのか!!
美術館に向かう道中で感じた強い強い孤独感。その理由がわかって、納得しました。
そして、私はその日の晩「孤独な男性(自分のシャドウ)」の夢を見るのです。その内容はメルマガ読者限定記事(シンクロ連発♪ 私たちって、導かれてる!)に書いてあります。
色々とパズルのピースがぱちん、ぱちんと埋まっていく体験で、とても面白かったです。
やはり芸術の力というのは、すごいものですね。
ちなみに、2021年11月20日(土)~12月19日(日)の間、この記念館の入場料が無料になります(本館の展示は有料です)。本郷新・全部展④ 100の石膏像が置いてあるのは記念館なので、札幌市近郊の方はこの機会に是非、彫刻美術館の記念館に行ってみてください。
タイミングが合えば、あなたも何かのメッセージを感じるかもしれません。