私は以前、瞑想の危険性で「『スピリチュアル』は『メンヘラ』を救わない。」と書きました。
瞑想やったほうが更に精神病んじゃう人って一定数いるからです。
メンタル不安定な人が安易にスピリチュアルにはまりこむことって、リスクがあります。
ですから私は「死にたい」と発言するようなメンタルの弱い人には「あなたがそういうなら仕方ないね」「あなたがそういう以上は死んだほうがいいのかもね」「あなたがそう言霊を生み出すなら、あなたは死んだほうがいい価値のない人間ってことになっちゃうね。宇宙は望んだものを与えてくれるからね、仕方ないね」と返します。
その言葉には「死にたい人がスピリチュアルに来たって救われないんだよ」という意味が含まれています。

深い精神世界をのぞき込むと、闇が見えるんです。
その闇にとりこまれず、いや一旦取りこまれたとしても冥界に下ったイナンナのように復活をとげる――イニシエーションにはそんな厳しいプロセスを経る必要があるのです。
そんなガチの精神世界探求は、覚悟を必要とします。ただただ安易に「癒し」「ホッコリ」「安心(不安の解消)」を求めるような人には荷が重すぎるのですね。だからリンデンバウムではメンタル弱い人はお断りなんです。
精神科薬を服用していると、メンタルの状態を化学物質によって一定に保っている状態になります。そうやって負荷をかけて保っている安定をスピリチュアルな手段で刺激すると、一気に精神状態が崩壊する危険性すらあります。
だからリンデンバウムでは精神科に通院中だったり精神科薬を服用中の方はお断りです。
「自分は鬱じゃなくて統合失調症だからセッション受けても大丈夫ですよね!」
など、なかなか理解に苦しむことを言ってくる方もいらっしゃいます。世の中って広いですね……。これも、もちろんダメです。お断りします。
精神科通院歴のある方はご遠慮ください。私は責任が持てません。
なんでこんなことを改めて書こうと思ったかというと、河合隼雄先生の日本文化のゆくえで、「メンタル病んでなかったのに、精神分析をして心の深みを見たら病んじゃた」というケースがあることを述べられていたからです。
一昔前までは、われわれ心理療法家のところに、稀ではあるが、「自分自身のことを知りたいので」という理由で来談される人があった。
それに対して、われわれはまず「安易に引き受けないこと」という警戒心をもって接したものである。
悩みとか症状とかがあるからではなく、別に何もないのだが「自分のことを知りたい」から分析を受けたい、という人はなかなか殊勝に思えるが、実は引き受けると後で困る場合が多い。
はじめは何も悩みがないなどと言っていた人が、実は大変な問題を抱えていたことがわかったり、分析しているうちにノイローゼの症状が出現し、なかなか治らなかったりする。
はじめからそのつもりでいたのならともかく、「何もない」と思っていた人がこのような状態になるから困ってしまう。時には、「分析を受けたためにおかしくなった」などといって恨まれることもあるので、ますます厄介なことになってくる。
このようなことをわれわれは経験的によく知っているので、まず警戒気味になる。もちろん、そのような人で優秀な人もあるのだが、こちらのほうは数少ないのである。
日本文化のゆくえ p4 太字強調は記事作成者による
これは20年ほど前の「自分探しの流行」について書かれた文章です。
1970年代には政治の季節で社会へと気持ちを向けていた若者たちが、20年後には「自分探し」といって自分へと気持ちを内向させてきたことが書かれています。
私、ここで思ったんですよ。
「自分に内向する(エネルギーを向ける)からこそ精神を病む人って、やっぱ一定数いるんだ」と。
なぜなら、この「自分探し」が流行った頃から「本当の自分を知ろう」というムーブメントが一般的なものになってきた頃から、うつ病(精神疾患)は爆発的に増加してきたからです。

ちなみに、このグラフの始点である1995年はエヴァンゲリオンが放映された年です。そういう世相でした。
自分を知ることによって、自分の内側を意識してのぞき込むことで、それまでは看過していた闇を認知してしまう――その闇を受け入れられず(統合できず)に闇に呑み込まれてしまう人、太母的な闇にのまれて精神的に退行してしまう人は一定数いるのです。
西洋占星術的にいうなら、トランスサタニアンの力(無意識下の力、目に見えない世界の力)に気づいて、圧倒されてしまうのです。
「自分に関心がある」という人は、時流に逆らう強さをもった人か、時流に乗れない、あるいはそこから落ちこぼれた弱い人か、どちらかであり、数でいえば後者のほうが多くなる。
後者の人がはじめは「問題ない」ように見えるのは、自分の問題を問題として抱える力が不足しているためなのである。
日本文化のゆくえ p4~5 太字強調は記事作成者による
ここですよ。
これだからリンデンバウムは「子どものいないあなたのためのスピリチュアルサロン」なのですよ。
世の中には、一定数「自分の頭で考えないで、ふつうに生きる人生(周りに流されてなんとなく生きる人生)」を送ったほうがいい人がいるんです。
何にも考えないで学校を出て
何にも考えないで就職して
何にも考えないで結婚して
何にも考えないで子どもをつくって
何にも考えないでマイホームを建てる
そんな人生を送ったほうがいい人がいるんですよ。
上は昭和パターンですけど、令和でもそうです。何にも考えないで「もう30になるんだから子どもを作りなさい!」って親から言われたら「そういうものか」と素直に納得して婚活して適当に妥協して結婚して子どもを作ったほうがいい人が世の中にはおるんですよ。しかも、結構な数が。
そういう人が「本当の自分を知ろう」なんて思って内面をのぞき込んだら、却って精神病んじゃって危険なんですよ。
そういう何にも考えないで何にも疑問をもたないで「だってみんなそうしてるから」でレールに乗れる人は、乗っといたほうがいいんですよ!!!

そんな人が、スピにきたらアカン。
そんな人は何にも考えないで何にも疑問をもたないで結婚して子どもをつくって「今日もホッコリ♥」で生きていくのが良いんですよ!!!
スピに来た方がいい人は、上の河合先生の言葉を借りるならば「時流に逆らう強さをもった人」となります。だからメンタル弱い系の人は向いてないんです。
「子どもがいない」という状態は、今の社会状況ではふっつーにスティグマになります。「普通じゃないダメな人」扱いを受けることすらあります。
そこを越えてそんな普通ではない自分も「だって、自分はそうなんだもの、仕方ないじゃない」と受け入れられる力がある。そういう人は内面を掘り下げるイニシエーションにも耐えられる可能性が高いです。精神世界の光明を得るにふさわしい資格を持っていると言えます。
だからこそリンデンバウムは「こどものいないあなたのための」サロンなわけです。子どもがいないという時点で人間社会にとってのマイノリティです。そのマイノリティである自分を受け入れられているなら、素晴らしい可能性があるわけです。
ですから、子どもがいない人でも↓こういう方は向いていません。

私、子どもがいない自分がみじめで
普通になれない自分を受け入れられないんです
やっぱり子どもが欲しかった……
こういう人はスピにはまるよりも「ふつう」に生きたほうがいいです。何にも考えないで、「私は子どもがいないから淋しい人間なんですぅ~。子どもがいないからダメな人間で、いつまでも一人前の大人にはなれないんです~!」って生きればよろしい。
そういう姿勢でいれば、子持ちコミュニティのなかで末席にいることくらいできます。こういういう人は、そうやって生きていったほうがいいです。「ふつう」に。
どっかベロっとハミ出して、そしてハミ出した自分、普通ではいられない自分を受け入れる。そういう自分の生き方にOKを出す。
それが自分の内面を深く受け入れて真理の光に到達するためのはじめの資格試験なんです。リンデンバウムではそのわかりやすい指標として「こどもがいない」という基準を使っています。
普通ではいられないけれども、その自分をまず受け入れる。
「時流に逆らう強さをもった人」 になる。
ビジネスやリーダーシップ、成功に付いてブログで書くのもそういうことですよ。だって、高度経済成長期とは違って令和の今に成功するには「普通」では無理ですからね。
成功するような人は、どっかはみ出てておかしいです。だからこそ、内面世界を掘り下げてもメンタルが壊れない可能性を秘めています。時流に逆らう強さがあると言えます。
つまり「普通にホッコリ生きていたい人」は、精神の探求などしてはいけないのです。そういう人はネットフリックス見たりペット動画を見たり韓ドラでホッコリしてたらいいんです。そういう生き方をしたほうがいい人のほうが、圧倒的に多いんです。
そうじゃない、はみだした特別な人だけがスピリチュアルな探求をすべきなのです。メンタルの強い、輝ける魂こそに、その資格があります。
さて、あなたはどのような生き方をする魂ですか?
自分の頭で考えずに普通に生きますか?
それとも真理の光に目覚める覚悟を決めますか?
私は長年、じつに多様な集団に幅広くかかわるなかで、心霊術の名のもとに無責任なゲームに手を染めた結果、神経がぼろぼろになったり、自殺したり、深刻な精神疾患をきたしたりといった悲惨な人々を数知れず目にしてきた。
たとえ邪心のない善意からであっても、精神的な訓練を受けていない無知な人たちが降霊会を開いては、その出どころも性質もまったく不明の力を出現させている。
そういう力をきちんと理解できない人は、コントロールすることもできず、結局それらに翻弄されることになってしまう。スピリチュアルな試みにたずさわるのは、あらゆる影響に対する充分な耐性を有し、心理学的な深い造詣と幅広い経験、そして卓越した意識的な意志の力と自律心をもった人々だけであってほしいと思う。
イニシエーション p169~170