一本の口紅が導く女性性の冥界下り

人生:スピリチュアルブログ

昨年のホリデー、私は一本の口紅に出会いました。

シャネル、ルージュアリュール117番、オーキュイヴレ。
ご覧の通り、見事な「赤リップ」です。

私はパーソナルカラーではライトサマー(2ndスプリング)。
とにかくパステルカラーなら何でも持ってこーい!キレイ色こそ私の色!という感じで、明度の高い色を得意とします。

ですから、このブラウンがかった赤リップは正直苦手な部類の色でした。シャネルのBA(美容部員)さんに口紅を提案してもらった時、3本までは「いつもの色」、安心して使える似合うのが分かっている色合いでした。

でも、私は4本目に提示されたこの深い赤を選んでしまったのです。
しかも、つけてみると意外としっくりくる。むしろ、この重みのある色こそが「今の自分の気分」と感じすらしました。

思えば、この濃赤を受け入れられる自分になったということが、「女性性の深み」地下的な女性性、自分の内なるエレシュキガルやイザナミへといざなわれるサインだったのかもしれません。

女は怖いよ

思えば、私は女性性のダークサイドについてかなり無意識的でした。
むしろ、女性は弱い生き物で、だからこそしたたかに生きていい、くらいに思っていました。

実際、女性アイドルを見て私は
「いいわね~いいわね~!そうやって清楚な少女的魅力を振りまくことで男をだまして搾取してしまいなさい!!」
とウッホウッホと喜んでいました。

柏木由紀を嫌う女性が理解できませんでした。
「どうして? ゆきりんはどうやったら男を効率的に搾取できるのか最もわかっているタイプの大変賢い女子なのに、なぜ嫌うのかしら?」と。

逆に柏木由紀を嫌う男性を見ると、感嘆しました。
「まあ、あなたはこの手の美少女には魅力を感じないというのね。なんて賢い男性なのかしら!」と。

なぜ女性性の地下的な部分についてわざとらしいくらいに無意識的だったかというと、私は母子癒着関係、過干渉な母(呑み込む母親)の元で育ったからです。
女性性のダークサイド「優しく包み込むことで支配する性質」について自覚的になってしまうと、母が自分に向けてくるエネルギーが献身的な愛ではなくただのエゴであることに気づいてしまうから。

でも、自分が大人になって現実に男性に向けて母のような性質(平たくいうと「尽くす女」)を発揮すると、男性は私から逃げていくのです。

私は理不尽な気がしました。
「男は女を生身の人間だと思っていないんだわ!」
そんな見当違いの怒りを覚えました。ツイフェミかな?

私は女性性の「呑み込む性質」が、どれほどの恐怖を人に与えるか本当に無自覚だったのです。なぜ無自覚だったかというと、自分を呑みこんでくる母に対する恐怖を抑圧していたから。それは母の愛であって支配ではないと、認知をゆがめていたから。

日本神話でイザナギは、冥界の妻の「本当の姿」をみて、恐ろしくて逃げ出します。
これは実に優れた人間心理の元型です。
そう、女の地下的な部分なんて、メチャメチャ怖いんです!!!

女は怖いよ!!!

10/16のメルマガに、私は自分の内側に「去勢された男性性」がいることを書きました。なぜ男性性が去勢されてしまうかというと、全てを呑み込み支配する母親がいるからです。

夢の中で見た深層心理を、今回リピータールームの記事( 私の中のアメノウズメ)に書きました。夢から教えてもらった、私の女性性の問題点(抑圧しているところ)についてです。

ユング派の夢分析では、夢のなかでアニマやアニムスを見出します。ひらたくいうと、女性性と男性性です。

夢を分析していく中で、アニムスの表出方法に定型パターンがあることに 私は気づきました。

一つは、まさにヒーローといったかんじのたくましい男性。この男性は夢自我である夢の中の私とは、大抵とても良い関係を築いています。

そしてそれとは逆にもう一つ出てくる男性のパターン、それは「ものすごく存在感が薄くて生命力のない弱々しい男性」です。

これは、わかりやすく私の男性性と、そのシャドウであると考えられます。

存在感の薄い男性は、父や母方の祖父を思い出させます。

夢の中でも、私はこの存在感の薄い男性をほぼほぼ無視しています。(中略)

ユング心理学的に見るなら、私はこの男性性のシャドウをサルベージして輝けるヒーローである表の男性性と統合する必要があります。

そして、私はこの「生命力に乏しい、人生全般においてやる気のない男性」に対して「これはもう一人の私だ」とも感じるのです。(中略)

20年前の私は、まさにこの男性のように「生命力に乏しい、人生全般においてやる気のない」状態だったんです。

もちろんサッカー観戦やサポーター活動は気晴らしになりましたけれども、肝心の自分の人生のコアの部分はもうスッカスカだったんです。やる気なんかわいてこない。生きてても空しいわけです。

なんでスッカスカだったかっていうと、母親に去勢された娘だったから。

「娘が去勢?息子が去勢じゃなくて?」と思われるかもしれません。しかし、私は疑似長男として育てられたんです。母の疑似配偶者の役割も果たしていました。

思春期に母子癒着をされた子どもは、息子でも娘でも精神的に歪んでしまいます。自分の欲求を殺して母の願いを叶えようと必死になります。だから「あなたは本当は何がしたいの?」なんて聞かれても、頭真っ白になるんです。

わからない。
自分の心がわからない
お母さんの心ならわかるのに

こんな非常に病んだ心理状態でおったわけです。

夢の中に見る「生命力に乏しく存在感の薄い男性」は、「男らしさがなくて情けない男性性」ではなく、まさに20年前の私です。

この男性性のシャドウをどうやって統合していったらいいのかなぁ、と今ぼんやりと考えております。

私がはじめて内なる男性性と女性性にコンタクトしたとき、男性性の自信のなさに驚きました。

男性性は「どうせ俺なんてだめな人間だ」と思っているのです。「自分なんて何をやっても認められない」と。

まあ、テストで90点とったときに「90点も取れてすごいね!」ではなく「なんで100点取れないのッ!ここなんてケアレスミスでしょっ!!」って怒鳴る母親に育てられたら、そうもなりますよね……。

母親に去勢されてたんです。内なる男性エネルギーを。
言い換えると、それくらい女性エネルギーのダークサイド――呑み込む母親の力は強大だということです。

夢日記をつけて意識して夢の中に出てくる「アニムス」と「アニマ」を見ていくと、いかに私が強烈に母に呑み込まれ去勢されていたのかが洗いだされて辛いです。精神分析は焦ってはならないとされますが、本当に焦ってはなりません。ここで焦って強引に統合しようとしたら、心が壊れます。

私は、自分の内側にいる去勢された男性性を救いたい。
そのためには欲求不満な母、夫に愛されない不満を子どもに注ぎ込む母親エネルギーが自分の内にあることをまず受け容れねばなりません。自分の内にも女性性の暗闇、エレシュキガルでありイザナミでありデーメーテールである暗い影があることを認知することからはじまります。

暗い女性性。
暗い赤。
このシャネルの口紅は、私のエネルギーを地下に導くためにやってきてくれたのです。

皆殺しの天使、マドモワゼル・シャネル

映画『ココ・シャネル 時代と闘った女』のレビューで、こんなものがありました。
「この映画はシャネラーは観ないほうがいい。きっとシャネルに幻滅してしまうから」

私は呆れました。
「まあまあ、何を言うの? シャネルを愛する女は、ココ・シャネルが性格が悪くてクソ面倒くさくてヒステリックで、男を手玉にとって利用してのしあがったあげく、ナチスのスパイになるくらいユダヤ嫌いなくせに利があると思ったらユダヤ人と平気で手を結ぶような女って、当然知っているわよ。だからこそ、シャネルは世界中の女から愛されるミューズなんじゃないの!!」

私は本気で言っておりますよ。
ココ・シャネルという女性のダークサイドを含めて、とても魅力的であると思っているのです。

画家であり映画監督であり小説家でもあるジャン・コクトーはシャネルをこう形容します。

「彼女はすごい、あれは裁判官だよ。彼女が見る、こくりとうなずく。微笑む。そして死刑が宣告されるんだ。」

シャネル哲学: ココ・シャネルという生き方 再生版 p105

まさに、「冥界の女王」。実際シャネルは、旧態依然とした風習をことごとく新しいスタイルに置き換えていったことで「皆殺しの天使」という異名をとりました。
ちなみに上の映画、「オルフェ(1950年)」でコクトーはまさに冥界下りを描写しております。

だからこそ、シャネルなのです。
シャネルの口紅、その赤が私には必要でした。

女による女のための深紅の口紅。
女の底にある闇すら見せてくれるのは、シャネルなのです。

現在のシャネルのメークアップ部門クリエイティブデザイナーであるルチア・ピカさんが女性だから、というのもあるでしょう。しかし、例え現在のデザイナーが男性であったとしてもシャネルの赤は女の底からにじみ出てくる赤なのです。

算命学をたしなむ方はなじみのある考え方だと思いますが、組織はその創始者のエネルギーをまといます。例え創始者が組織を退いても、エネルギー自体は底に流れ続けます。それが時代の趨勢と合わない場合、組織は衰退していきます。

ブランドもそうです。表面から直接的には見えなくとも、創始者のエネルギーが流れます。ですから、シャネルのアイテムには今なおマドモアゼル・シャネルのあの強いエネルギーが流れているのです。

女性性の全体性を受け入れるには、シャネルの口紅は良き導き手となってくれるでしょう。

わかりやすい比較対象として、クリスチャン・ディオールはヘタイラ的な魅惑的女性性をサポートしてくれるし、イヴ・サンローランはメディウム的繊細な女性性をサポートするのが上手いように、私の目からは見えます。

どちらも毎月赤い血を流す生々しい女のエネルギーではなく、女神的な女性に尊敬の眼差しとともに捧げられる男のエネルギーです。男から女に捧げられる贈り物としての美しい赤。

イヴ・サンローラン。
私からすると、まるで自分の中の去勢された男性性を見ているような気分になります。今の私に、イヴ・サンローランはフィットしません。彼のエネルギーは、繊細過ぎます。

しかし、そんな繊細な男性のエネルギーを復活させることこそが、最終目標となります。
私がイヴ・サンローランの口紅を自然と受け入れられるようになった時が、その時かもしれません。

さて、あなたの口紅にはどんなストーリーがありますか?
女性が何かを選択するとき、そこには常に神秘がひそんでいるものです。

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